第22話 気遣い
「先輩。来週の土曜日って何か予定とかあるのですか?」
喫茶室ブラウン。以前ゴールデンウィークにも一度訪れたことのある喫茶店で、対面に座っている
グラスに半分程残っているアイスコーヒーを啜り、僕は睨んでいた原稿用紙から視線を上に移す。
山吹は慎ましい感じでストローを口に咥えながらうっすら微笑んでいて、それはノースリーブのワンピースにサマーカーディガンを羽織った今日の装いと相まって普段の三割増しで清楚可憐に見える。
丁寧に櫛を入れているのだろうけれど過度な装飾など必要ない、とばかりにいつもは背中に流したままの艶やかな黒髪も、今日はハーフアップと言うのだろうか、何やらお洒落なヘアアレンジを施していて、だから待ち合わせの時間に現れた山吹の姿に僕は少々面食らってしまったものだ。
そもそも今日僕らが喫茶店などで待ち合わせをしていたのは、僕が文芸部の文集に載せる小説をまだ全然書けていないことに起因する。
「いつでも相談しろ」という山吹とラインで色々とやり取りしてはいたのだが、「いちいち文章を打つよりも直接会って話した方が効率が良い」という彼女の主張によりこうして喫茶店にて待ち合わせることとなったのだ。
で、今。没となった初稿を踏まえて新たに書き出した小説(インドから来日した日雇い労働者と場末の占い師の交流を描いた『路地裏のジプシー』)について山吹からあらかたのダメ出し(無駄に意味ありげな設定が鼻につく、登場人物の理屈っぽさが鼻につく、結局この話のゴールは何? などなど)を受け終わって一息ついたところに、冒頭の質問が繰り出されたわけである。
「来週の土曜日ねぇ」
「まぁ先輩のことですからいつでも暇でしょうけれど」
「じゃあなんで訊いたの?」
「先輩に予定なんてないことはわかりきっていますが、一応礼儀として質問の体裁は取っておこうという気遣いなのですよ」
「それを相手には黙っているまでが気遣いの内だからね?」
まったく、まるで僕が夏休みにも関わらず友達と遊ぶ予定すらない寂しい奴みたいな言い草だ。まぁそんな予定はないんですけどもね?
にこにことした、けれどその実茶匙一杯分の嗜虐を孕んだ笑みを浮かべる山吹だったが、しかし残念。友達と遊ぶ予定こそないが、今回ばかりはその鼻を明かしてやることが僕にはできるのだ。
「悪いね、山吹。あいにくとその日は予定があるんだ」
「なんですか、歯医者とかですか?」
幾分得意げに言い返すと山吹はきょとり、と目を瞬かせる。
「あ、わかりました。先輩のことですからその日発売の新刊を買いに行く予定、とか言うのですね」
「いや違う。なんでお一人様の予定しか考慮していないんだ。普通に人と約束しているんだよ」
ごとっ、と山吹の手からテーブルに垂直落下したグラスが鈍い音を立てた。もともと大きな瞳が零れんばかりに見開かれている。……いや、そんな驚かれてもね?
「……先輩が、人と、約束?」
噛みしめるように呟く山吹。いい加減に傷つくぞ。
「もしや、相手は女性ですか? 紺青先輩ですか?」
心持ちテーブルの上に身を乗り出した山吹の端整な顔が近づいてくる(というよりもむしろ詰め寄ってくる)。
「ま、まぁ女性、だけど。紺青ではないよ」
「紺青先輩じゃ、ない……?」
今度こそ山吹の驚きの許容量はオーバーフローしたようだった。どことなく虚ろな視線が喫茶店内をふぅらふぅらと彷徨いだす。えぇ、怖っ……。
「あ、あのー、山吹?」
虚ろな眼窩の前で手を振ると山吹はびくっと肩を跳ねて覚醒した。釣られて僕もびくっとしてしまい普通に変な二人である。
「――はっ。せ、先輩、落ち着いて聞いてください。先輩はその女性に騙されています。
「いや君が落ち着け」
「いえ、先輩は根暗で人間関係にも慣れておらず、格好のカモなのです! お金を巻き上げられるのが目に見えています。悪女に騙されているのですよ」
至極真剣な顔つきで戯言を吐き出した山吹を宥めようとする。が、山吹の暴走は止まらない。……たまに暴走列車と化すのはなんなの?
「あの、山吹。よくわからないけれど、あんまり人の妹のことを悪く言うのはやめよう?」
あとさりげなく僕をボロクソに言うのも。
「そうです、妹が悪いのです――って、妹?」
ようやく僕の言葉が届いたのか、暴走列車は急ブレーキをかけて止まった。
ことり、と山吹の首が傾ぐ。
「妹って、先輩の?」
「そう。僕の妹。来週の土曜の花火大会に友達と行きたかったらしいんだけど、子どもだけじゃダメって母に言われたらしくて、折衷案として僕が引率を仰せつけられたってわけ」
僕の説明に山吹は不満そうに唇を尖らせる。
「それならそうと最初から言ってくれれば……先輩、わたしのこと謀りましたね?」
「そっちが勝手に暴走したんだろう……」
まぁ確かにちょっと含みのある言い方はしたけれど。いつも山吹に好き勝手言われていることへのちょっとした仕返しとしては可愛いものだろう。
「というか、先輩、妹なんていたのですね」
「言ったことないっけ?」
「ないです。初耳です」
仏頂面で睨んでくる山吹に僕は苦笑する。
「そんなわけだから、来週の土曜は空いてないんだ。ちなみに山吹はどんな用事だったの?」
「なんでもないです」
なんでもないわけないのだけれど山吹はぷいっ、とそっぽを向いてしまう。ご機嫌斜めなご様子。
「――ただ、その日は花火大会の会場で偶然会うかもしれませんね」
「ん? 山吹も花火大会行くの?」
僕の問いかけに、山吹はそっぽを向いたままどこかつっけんどんな口調で答える。
「まぁ、先輩は妹さんと行くようなので、わたしは友達と行くことになりそうですが」
「んん? それはどういう……?」
もし僕の予定がなければ僕を花火大会に誘っていた、ということか? それはどういう意味で?
「さて、どういうことでしょうね?」
内心の僕の動揺を見抜いたのか、憮然としていた表情を緩めて山吹はにやにやとする。
「えぇ……、花火大会に誘うってことは、その、なんというか」
いわゆる青春の一ページ的なイベントを想像してしまうのは僕だけだろうか。しかしそんなことを口に出すのも気恥ずかしくて言い淀んでしまう。
まぁ結局みなまで言わなくて良かった。
「何をそんなに慌てているのですか、先輩? わたしはただ、友達と遊ぶ予定もないであろう先輩が不憫で、せめてもの夏休みの思い出を作ってあげようと思っていただけですよ? そういう気遣いです」
「……だから言っちゃったら気遣いの意味がないからね?」
言いながらも、一瞬でも期待した自分を呪った。山吹に限ってそんな直截的な言動をするわけがなかったのだ。夏休みに花火大会なんて、そんなベタなこと。
気恥ずかしさを誤魔化すため残っていたアイスコーヒーを一息に飲む。氷が溶けてうすぼんやりとした苦みが舌の上に広がった。
「――……でも、そういう反応をするってことは一応先輩でも意識したりするのですね……―――」
「え、何か言った?」
「いえ、何も」
ぽつり、と山吹が何か呟いたような気がしたけれど、勢い良くアイスコーヒーを啜る音を立てていた僕の耳には届かなかった。
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