第19話 文芸部文集作成会議

 夏休みがついにやってきた。

 

 七月末の期末試験の最中さなかには砂漠の遥か彼方に揺らめくオアシスのように思えたそれも、実際に到来してしまえばただただ暑さに喘ぐ日々である。


 焦がれて、切望して、けれど手に入れた途端に色褪せていく夏休みとは人間の欲深さの本質であるな、などとくだらない想像を巡らせたところでやっぱり暑いのでどうにも無気力な、そんな夏真っ盛りの午後であった。

 

 暑いのならクーラーをつければいいじゃない、という向きもあろうが、悲しいかな、今僕の置かれている状況――文芸部部室にはクーラーがない。これは致命的だ。無気力にもなる。


 本音を言えばとっとと帰ってクーラーの効いた自室で優雅に読書と洒落込みたいところだが、「先輩が文集のことを忘れていたのが悪いのですから、ちゃんと夏休み中も部活に来てくださいね」と山吹菫やまぶきすみれから釘を刺されているためそれもできない。

 

 そう、文集である。

 

 我らが文芸部は毎年文化祭に合わせて文集を作成することになっている。いわば伝統だ。ではなぜ伝統とも言えるものの存在を忘れていたか。


 ……それはまぁ、単純に去年の文集作りに良い思い出がないから。有り体に言うと黒歴史なので忘れたかった。結果、忘れました。ちゃんちゃん。


 ……では許されるわけもなく、貴重な夏休みの時間を割いて文集作りに取り掛かることになった次第である。はぁ。


「……というか、山吹が来ないじゃないか」

 

 ため息と汗と無為な時間ばかり流れる部室で独りごちる。今日は文集の内容についての打ち合わせを予定していたのに、打ち合わせる相手がいないのではどうにもならない。まったく、山吹という奴は、と文集作りを失念していた自分は棚に上げて山吹に対する怨嗟を募らせていると、ようやく部室の扉が開いた。


 どたどたっ、と騒々しい足音と共に視界の中でポニーテールが元気よく揺れる。


「よっ、大将やってる?」


「…………」

 

 神聖なる文芸部部室を呑み屋か何かと勘違いしている口振りで入ってきたのは、もちろん山吹ではなかった。


「えっちょっと、無視はひどくない?」


「……なぜ君がいる、紺青。部員でもないくせに」

 

 あからさまに仏頂面で言ってやると、クラスメイトであり僕の数少ない友人であるところの紺青八重華こんじょうやえかは不満げに頬を膨らませた。


「すごい塩対応じゃん……あっ、菫ちゃんと二人っきりが良かった? だとしたら邪魔しちゃってごめんねー」


「……わざわざ寝言を言いに来たのなら帰れ」


「寝言を言いに来るってヤバいね。寝言ってことは寝ている状態じゃないと言えないし、となると私はここまで寝ながら来たことになるの!?」


「いやホント何しに来たの」

 

 むにゃむにゃと何やら眠たいことばかり言いやがって、こいつは。なんなの、暇なの?


「紺青先輩とはさっき廊下で偶然会いまして。わたしが部活に行くところだと言うとなぜか『一緒に行きたい』と言うので」

 

 紺青の後から部室に入ってきた山吹はうっすら疲労を滲ませる笑みを頬に浮かべている。


 ……そういえば山吹は僕以外の人間には猫を被っているのだったっけ。本性を隠しながら相手をするには紺青は少々難物かもしれない。物理的にも精神的にもグイグイくるからな、こいつは。僕にしては大変珍しいことに山吹に同情した。多分もう二度としないけど。


「菫ちゃん、なんかちょっと怒ってる?」


「いいえ、まさか。ただこんな場末のボロ部室に来たところで紺青先輩も楽しくないのではないかな、と思っているだけです。夏は暑く、冬は寒い、そんな四季折々の情緒をダイレクトに感じられるような部屋ですので」

 

 山吹、それは謙遜が過ぎるぞ。何、クーラーもついていない時代遅れの部室に対する遠回しな文句なの? いいぞ、顧問あたりにもっと言ってやれ。


「そう? 質素でこじんまりしてて、読書が進みそうなところじゃない」

 

 物珍しく部室内を見回す紺青。そんな良いように言っても何も出ないぞ。……じゃなくて。


「それで、紺青は何しに来たんだよ。何か用があったんじゃないの?」


「あ、そうそう! 菫ちゃんに聞いたんだけど、なんか文集作るんだって? 面白そうだから見に来ました!」


「結局野次馬じゃないか……」

 

 呆れる思いで山吹を見遣ると彼女は穏やかな笑顔を浮かべて宙を見ていた。なんだろう、虚無を感じる。

 

 野次馬根性の紺青は何を言っても出ていきそうにないので、とりあえず打ち合わせを始めることにする。


「では、只今より文芸部文集作成会議を始めまーす!」


「……なんでそれを部外者の紺青が宣言するんだよ」


「私のことはオブザーバーとでも思ってくれたまえ!」

 

 さいで。もう勝手にしてくれ、と僕は鞄から去年の文集を取り出した。山吹から以前に作った文集を参考にしたいと言われて持ってきたものだ。


「これが去年作ったものだよ。内容は書評……というか、部員それぞれが面白いと思った本について感想とかお薦めのポイントとかを書いたものになっている」


「なるほど……読んでも良いですか?」


「あぁ……うん」

 

 持ってくる、ということは当然中を読まれるということで、それなりに腹は括っていた。けれど、実際に山吹に文集を手渡す際に躊躇いがなかったとは言えない。


「あ、私も見たーい」

 

 文集を開く山吹の背中から紺青まで顔を出す。肩にかかる重みに一瞬迷惑そうな顔をしながらも山吹はパラパラとページを捲っていく。

 

 無言で読む山吹と、対照的に「あ、この本知ってる」とか「文章うまいなー」とかいう感想を逐一述べていく紺青を僕は平静を装って見守った。内心、僕の書いた部分をいつ読まれるかと気が気ではなかった。


「あ、これ先輩の書いた部分ですね」

 

 ページを捲った山吹の声がワントーン高くなり、僕の緊張もまた高まる。うっ、胃が……。


「どれどれー……って、あー、これは、なんというかー」

 

 釣られて覗き込んだ紺青が珍しく口ごもった時点で僕はやっぱり持ってくるんじゃなかったと後悔した。


「……いいよ、自分でもひどい出来なのはわかっているから」


「あ、そう? じゃあ言うけど、他の人の書いたのに比べて倉井が書いたのだけ内容薄いね。というか、何これ、ほとんどあらすじじゃん。ダメな読書感想文の典型じゃん。と思ったら終盤の方ではなんか気持ち悪い持論を語り出してるし? 『以上、つらつらと述べてきたが、本の面白さ、物語の価値というものは多分に主観的なものである。よって筆者から言えるのはただ一言、「読め」ということだけだ』だって……何これ、最終的に一言に纏めたなら今までの文章はなんだったの? 紙面の無駄じゃん」

 

 情け容赦ない紺青の言葉のメスで僕のか弱い自尊心はズタボロにされた。いや、いいとは言ったけど、普通そこまで悪しざまに言いますかね? もうちょっと気遣いとかないの?


「……だから忘れ去ったままでいたかったのに。というか紺青、君はオブザーバーなんだろう? だったら余計な口を挟んでくるんじゃない」


「へいへーい」

 

 気のない返事をする紺青は捨て置き、先程からやけに静かな山吹にそろり、と視線を移す。


「えっと、山吹? どう?」


 恐る恐る問いかけてみると、視線を文集に向けていた山吹はこちらを見る。


「……そうですね。文集の内容的には去年のものを踏襲する形で良いと思います。問題は分量ですね。去年は部員が五人、一人一冊分の書評を書いていますから、単純に同じ形にすると半分以下の分量になってしまいます」


「あぁ、まぁそうだね……」

 

 てっきり僕の書評もどきに対して痛烈な批判が飛んでくるかと身構えていたのだが、予想外に建設的な意見が出てきたことに僕は少々困惑した。けれどまぁ今この場には紺青もいるから山吹も滅多なことは言えないのかもしれない。それなら鬼の居ぬ間に、ではないが早いとこ実のある話し合いを進めておくに限る。


「分量が問題なら、一人一冊ではなく二冊分の書評を書けばどうだろう? これなら去年との差は十分埋まるんじゃないかな」


「それはそうですが……先輩、ちゃんと書けますか?」


「うっ……」

 

 ぐさっ、と胸の内に痛みが突き刺さる感触がした。なんだろう、いつもの減らず口ではなく割と本気で心配そうな山吹の眼差しが、僕の脆い自尊心にクリーンヒットしたのだろうか。……やっぱり去年の僕の、よっぽどひどかったのか。

 

 虚勢を張る余裕もなく項垂れると、頭の上から山吹のほんのり慌てたような声が降ってくる。


「あっ、その、馬鹿にしようとかそういうつもりではなく、その、先輩は以前言っていたではないですか。好きな本について語ることが――好きな気持ちを言語化するのが苦手だ、って。だから、こういった書評を書くのも大変なのではないですか? 去年のこの文章だって、言いたいことが、書きたいことがあるのに上手く言葉にできないような、そんなもどかしさを感じます」


 存外に真摯な声色に顔を上げると、困ったように下げた眉尻にこちらを慮る色を滲ませた山吹と目が合う。


 意外だった。確かに以前そんな話はしたけれど、山吹がそんなに真摯に受け止めてくれていただなんて。こんな、僕の個人的な――悩みと言うのも憚られるような小さな胸のつかえを、まるで自分のことのように受け止めて、悩んでくれているだなんて。


「……そうだね。正直ちゃんとしたものが書けるか、自信はないよ」

 

 山吹が真剣に向き合ってくれるのなら、僕だって無責任なことは言えない。根拠もなく『できる』だなんて言うのは不誠実だ。けれどただ『できない』と言うのもまた無責任で不誠実だ。

 

 自分の『好きな気持ち』を言語化する術を持たない僕にできること。それを考えなければならないのだ。


「――別に書評じゃなくてもいいんじゃない?」

 

 ふいに能天気な声を上げたのはしばらくおとなしくしていたオブザーバー、紺青だった。


「あっ、そうですよ、先輩」

 

 何かを閃いたかのように、山吹もその尻馬に便乗する。


「書評が書けないのなら、小説を書いてみませんか?」


「…………はぁ?」

 

 珍しく真っ直ぐに目をキラキラさせる山吹には悪いが、僕の口からは気のない、というか乗り気でない低い声しか出てこなかった。いきなり小説とか言われてもね? そんな簡単に書けるものじゃないだろう。

 

 けれど、


「いいじゃん小説! 星新一みたいなショートショートをサクッと書いちゃいなよ」

 

 あろうことか紺青まで唆してくる。サクッと、じゃないだろ。星新一に謝れ。


「そうですよ、先輩。この書評もどきだって内容はともかく文章自体はそれほど悪くないのですから。若干自尊心が肥大しているような、鼻につく言い回しはありますが」


「いやいや、おだてられたって小説なんて――っていうか、後半結構悪口じゃなかった?」


「いえ気のせいですよ。それよりも小説、書いてください、先輩」


「書け、倉井!」

 

 山吹と紺青はグイグイと迫ってくる。なんだ、この謎の結託は……。いつから仲良しになったんだよ、君たち……。


「あーもう、わかったよ。とりあえず書いてみればいいんだろう? でも書ける保証はないからね」


「まだ夏休みになったばかりですから、時間はあります。大事なのは挑戦することですよ、先輩」


「そうだぞ倉井、若人には無限の可能性があるのだ!」

 

 そんな急に熱血教師ぶられてもね? ……なんかもう抵抗するのも馬鹿らしくなってはきたが。


「それでは、わたしが二冊分の書評、先輩が短い小説を書く、ということでいいですか?」


「とは言っても、僕は小説なんて書いたことないし、あまり多くの紙面を埋められるとは思えないんだけど」

 

 結局分量の問題に立ち戻る。僕の執筆力は未知数だ。ろくに書けなかった場合、結局分量の少ないペラペラの文集になってしまう。


「あっ、それなら私も書くよー」

 

 ぅうむ、と再び考え込んでしまった僕らに、これまで単なるオブザーバーであった紺青が唐突に参加表明をしてきた。


「えぇ、でも紺青は部員でもないし……」


「そうですね、さすがに部外者に頼むのは気が引けます」

 

 僕も山吹も眉を曇らせるなか、紺青だけは嬉々とした様子を崩さない。


「いやいや、寄稿だよ、寄稿! 『書店員が選んだ小説』みたいな感じで『図書委員の選んだ小説』っていう枠で書評を書くの! これなら万が一倉井が小説の原稿を落としても分量はそれなりになるんじゃない?」

 

 ……ぅうむ、正直その提案は悪くない。僕の小説が書き上がるかわからない現状、他で紙面を確保しておきたいという気持ちはある。

 

 ちら、と山吹に目配せすると彼女もまだ多少の逡巡の残る表情ではあったがこくり、と頷いた。実際、紺青が言ったような名目をでっちあげれば顧問も文句は言わないだろう。……多分。


「……それじゃあ紺青、頼んでもいいかな?」


「お任せあれ!」

 

 代表して僕が意思を確認すると、紺青はぽふんっ、と得意げに胸を叩いた。その後ろでポニーテールの毛先も頷くように揺れる。


「すみません、紺青先輩。よろしくお願いします」


「いやいや、こちらこそよろしくー」

 

 山吹も丁寧に頭を下げている。……先輩に対して謙虚な山吹というのはなんだかひどく奇異に映るな。


 とりもなおさず、我らが文芸部(他一名)の文集作成の方針は定まった。


「これから忙しくなるね」


「先輩、頑張って小説書いてくださいね?」


「うっ……善処します」

 

 笑顔でちくり、と刺してくる山吹に出鼻を挫かれつつ、文集作成に向けて気持ちを新たに引き締める。


「――では、これにて第一回文芸部文集作成会議を終了しまーす! 次回の会議までに各自、作業に取り掛かるように!」


「……紺青。だからそういうのは君ではなく、部長である僕が言うべきだよな?」

 

 第一回目の文芸部文集作成会議は、部外者であり、オブザーバーであり、最終的には寄稿者となった紺青によって終始仕切られることとなった。ちゃんちゃん。

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