間話 山吹菫の感傷
それに気づいたのは期末試験も差し迫った放課後のことだった。
「もうすぐ夏休みだねー。みんなとも毎日会えなくなるのかー」
机を寄せ合って一緒に勉強をしていた
そうか。中学生までは友達なんていなかったから夏休みなんて特に何も思わなかったけれど。夏休みということは今みたいに毎日学校に来ることもなく、杏や
初めて覚える感覚に、わたしはすっかり動揺した。これがどういう気持ちなのかわからないけれど、お腹の底の方がやけにすぅっと冷えていくような、そんなひどく心許ない気持ちだった。
「……そうだね。一ヵ月以上も休みだし、みんなともあんまり会えなくなるね」
知らず、わたしの口調もしんみりしたものになる。
「うぅ、すみれちゃぁん」
「あんず……」
「いや会えばいいじゃん」
センチメンタルなわたしと杏の空気をぶち壊したのは呆れた様子の鏡花だった。
「え、何をそんなお別れムード出してんの? なんなの、夏休みは友達と会っちゃダメっていう家訓でもあるの?」
「そんなのないけどー」
「でも、夏休みだし……みんな軽井沢の別荘とか、ハワイにバカンスとか行ったりするんでしょう? わたし、パスポートなんて持ってないから、ハワイに飛ばれたら会うこともできないし……」
「いやいやハワイも軽井沢も行かないわ! セレブか!」
わたしが内心の危惧を口にすると鏡花は丸めたノートで頭を叩いてくる振りをした。え、ハワイ行かないの?
「え、でも、ハワイには行かなくても部活の合宿で海に行ったり山に行ったりはするでしょう?」
「あんた以外みんな帰宅部でしょうが! というか海とか山とか遊ぶ気満々じゃないの。合宿ならちゃんとした合宿施設でやるわ。合宿舐めんな!」
「スミちゃん、最近学園物のラノベでも読んだのかな? 夏休みの合宿イベントは定番だもんねぇ」
愉快そうに口を挟んできた手毬は鋭くわたしの図星を突く。確かに今わたしが口にしたイメージはだいたい小説とかで読んだことがあるものだ。え、ああいうものって全部フィクションだったの? じゃあみんな夏休みって何しているの?
わたしの夏休み像が音を立てて崩れていくなか、鏡花は呆れ返った口振りを隠そうともせず枝毛を除去する作業を始める。
「というか、会いたかったら会えばいいだけの話じゃん。すみれは変に考えすぎだよ」
「鏡花ちゃん、頭いい!」
「あんずは考えなさすぎ」
「ひどい!?」
「……そっか。そうだよね」
掛け合いじみた杏と鏡花のやり取りを見ながらわたしは呟いた。
今まで友達なんていなかったから、わたしは鏡花みたいに素直に考えることができない。
会いたい、という気持ちよりも、会うための口実とか理由とか、そういうものばかり探してしまう。
でもきっと、友達ってそういうものではないのだろう。
「そうだよ。というか、あたしは夏休みでもみんなと全然遊ぶつもりだったし」
枝毛探しに熱中しているように素っ気なく言う鏡花だったけれど、さっきから同じ毛束しか弄っていないのがバレバレで。
「キョウ氏、ナイスツンデレ」
「手毬うっさい!」
ぐっ、とサムズアップする手毬をどつく鏡花は、よくよく見ると耳たぶがほんのり赤くなっていた。照れ隠しが全然隠せていなくてわたしの口許もついつい緩んでしまう。
「そっかそっか、鏡花がそんなにわたしたちと会いたいのなら、仕方ないね?」
「は、はぁ!?」
にっこりと微笑みながらわたしが鏡花の顔を覗き込むと、意図した通り彼女は頬まで赤く染めた。
「あたしは別にっ――すみれとあんずが全然会わないみたいなこと言うから、それは違うでしょって思っただけでっ」
「つまり会う気満々だったってことだよね?」
「ぁぁもう!」
「キョウちゃんは墓穴を掘るのがうまいな」
「手毬はうっさい!」
再び手毬をどつく鏡花。わたしは杏と顔を見合わせて笑う。
「夏休みもいっぱい遊ぼうねー!」
そう言って満面の笑みを浮かべる杏だったが、
「いやいや、その前にアンは期末試験を頑張らんとね」
「そうよ、あんず。赤点取ったら夏休み中も補習だからね?」
手毬と鏡花から深刻な学力不足を指摘されていた。確かに成績は結構ヤバめだしな、杏は……。
「え、わたし、そんなに危ないかな? ねえ? なんで目を逸らすの、鏡花ちゃん?」
「……それは」
「残念ながら、もう手遅れです」
「手毬ちゃん!? 嫌だよ、わたしも夏休みをみんなと過ごしたいよ!?」
なんか医師の宣告みたいになっているな。余命は夏休みまでもありません、みたいな。
「アン、君の分まで私たちは目一杯夏休みを謳歌するからね!」
「会えなくなってもあんたのことは忘れないからね、あんず」
「わたしが補習受けるのは決定なの!? 助けてすみれちゃん!」
「はいはい、それじゃ勉強しましょうね」
「するー!」
涙目の杏を宥めて勉強に向かわせながら、もうすっかり普段通りだな、と思った。さっきまで疎ましいとすら感じていた夏休みも、今ではもう楽しみなようで。
この四人でいると、センチメンタルになる方が難しいのだ。
そんな騒々しさが、わたしには不思議と心地良く思えた。
*
「――そういえばすみれちゃん。文芸部って夏休みは活動するの?」
その日の帰り道、隣を歩く杏の何気ない一言にわたしの足はピタリと動きを止める。
部活。そうか、すっかり失念していたけれど、夏休み中の文芸部は何をするのだろう? もしや活動なし?
……そもそも普段の活動からして部室で本を読むだけである。あのものぐさな先輩のことだ、休みにわざわざ学校まで来て本を読んだりするだろうか。いや、しない。
あれ? となると、わたし、夏休みは先輩とまったく会わないことになるのでは? それはちょっと、まずいのでは?
……いやわたしがどうこうではなく、先輩が! 友達の少ない先輩のことだから、わたしまで会わなくなったら孤独死してしまうかもしれない、という不安がなきにしもあらずというか?
わたしも一応旧知の仲であるから、先輩にそんな悲惨な末路を迎えさせるのは忍びない。だからわたしが会いたいというわけではなく、あくまで先輩のためにもなんとかして夏休み中にも会う口実を見つけなければ。
たとえば、ゴールデンウィークの時みたいに本を借りてそれを返すのを口実に呼び出す?
――一回ならまだしも夏休みの間中それを繰り返すのは無理がある。「僕は君専属の移動図書館ではないんだけど?」みたいな文句を言われそう。これは却下。
目まぐるしく思考が渦巻く脳内で、鏡花の言葉がリフレインする。
『会いたければ会えばいいだけの話じゃん』
先輩に「夏休みも会いたいです」と言う自分を想像した。それを聞いた先輩の不可解そうな表情も。……謎のむず痒さで死にそう。これは無理。違う。だって、わたしと先輩は友達ではないし。
ただの部活の先輩と後輩が会うには、やっぱり口実とか理由が必要なのだ。
……と思う。多分。わからない。
やっぱり夏休みも部活動があるのが一番理想的なのだけれど。
明日からそれとなく先輩に探りを入れてみよう。幸いまだ夏休みまでは時間はある。
「……はぁ」
「ずっと黙ってたと思ったら突然ため息!? 何か悩みでもあるの、すみれちゃん!?」
「……夏休みなんてなければいいのに」
「すみれちゃん!? なんか闇が溢れ出してるよー!?」
わたしが気兼ねなく夏休みを楽しめるようになるのは、まだまだ難しそうだ。
零したため息は、翳ってきてもなお暑気を孕む空気の中に溶けていく。
夏が、すぐそこまで来ていた。
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