第17話 雨 Part2

 山吹菫やまぶきすみれは面倒くさい。

 

 何が面倒くさいかというと、こちらの求める反応を引き出すまでにこちらが求めていないワンクッションを挟んでくることだ。むしろワンクッションの後に全然求めていなかった方向へ転がることもざらである。

 

 たとえば、校舎内で夏服姿の生徒もすっかり見慣れてきた七月のある日。梅雨入りも済ませ、しとしとと雨のそぼ降る午後に部室を訪れた僕の「なかなか嫌な天気が続くねぇ」という他愛なさを極めた世間話にも、山吹は聞き捨てならない、というふうに片眉を寄せる。


「嫌な天気、と言いますが先輩。それは先輩が雨を好きでない、という至って主観的な根拠に基づくものですよね? もしわたしが雨を好きだった場合、わたしにとってそれは嫌な天気ではありません。それなのに、自分の好悪をあたかも社会通念的な良し悪しに置き換えるかのような物言いはあまり好ましくないと、わたしは思うのですが」

 

 よくもまぁ、天気の話でここまでペラペラと口が回るものである。僕としては、「そうですね、湿気が多いと髪の毛もまとまらなくて大変です」「はは、まったくだね。こんな日がしばらく続くと思うと憂鬱だ」くらいの平和なやり取りを想定していただけなのに。


「……悪かったよ。以前に傘を差すのがあまり好きじゃないと言っていたから、雨も好きじゃないのかと思って」


「まぁ好きではないですが」


「…………」

 

 それならば先程の反駁にはなんの意味があったのか。僕には時折この後輩が何を思って生きているのかわからなくなる。他人の言葉にはイチャモンをつけなければならない呪いにでもかかっているのだろうか。だとしたら不憫だ。


「というか、今日は随分早いね。僕も今日は真っ直ぐ部室に来たのに」


「……そうですね」

 

 気を取り直して、山吹が僕よりも早く部室に来ていたことを指摘すると今度はいやに素直に頷いた。これはおかしい。


「……どうしたのですか? 何か失礼なことを考えているような顔ですけれど」


「いや、いつもだったら『わたしが早いのではなく先輩が遅いのですよ。仮にも部長なのですから活動場所には誰よりも早く来るべきです。怠慢です。この根暗』くらいのことは言いそうなものなのに」


「……言ってほしいのなら言いますけど」

 

 先程からやたら物憂げな横顔を見せている山吹はため息混じりに零すばかりで、苛烈な返しがくることに身構えていた僕はまたも拍子抜けする。


 いや、別に罵られたいとかではなく、単純に山吹の様子がいつもと違うのがしっくりこないだけですけど。


「……そ、そんなに凝視しないでほしいのですけれど」

 

 どこが違うのだろう、と観察してみるも特に目につく部分はない。若干狼狽えた山吹の横顔が見えるばかりである。

 

 と、そこで天啓がひらめいた。


 目につく部分ではない、目につかない部分にこそ注目するべきではないか? と。


「山吹、何か隠していない?」

 

 瞬間、びくっと山吹の華奢な肩が跳ねた。明らかにクロの反応だ。


「な、なんのことでしょう」


「誤魔化すの下手だな」


「わたしは先輩と違って清廉潔白なことが誇りですので」


「つまり誤魔化そうとしたことは認めると」


「うっ……黙秘します」


「もういい加減に楽になろう?」

 

 この期に及んでなお、山吹の横顔には頑なさが滲んでいる。これは僕が真相をつまびらかにしなければならないようだ。


「山吹、実は部室に入った時から、何かおかしいと思っていたんだ。けれど、その時点ではまだ決定的な違和感ではなかったから僕も黙っていた」


「せん、ぱい……?」

 

 横目でこちらを窺っていた山吹の瞳が驚愕に見開かれる。


「その『何かおかしい』という感覚は話しているうちにどんどんと大きくなって、もはや無視できるものではなくなっていた。……それはなんだと思う?」


「……知りません」

 

 じりじりと追い詰められていることを悟ったのか、山吹の片頬は焦燥に歪む。

 

 ――どうやら僕の推測は当たっているようだ。


「僕がおかしいと思ったのは、山吹――君の横顔だ」

 

 ぐっと声に重みをもたせて言い放つと、彼女の横顔には狼狽と――それから静かな諦念が浮かんだ。


「……バレてしまいましたか」


「そりゃあね、部室に入ってきてからこっち、『片眉』やら『横顔』やら『片頬』といった、顔の半分の描写が多すぎた。どれだけ話を続けても一向に正面から僕を見ないから、僕に見えているのとは反対側の横顔を隠したいのではないか、とそう推理したんだよ」

 

 諦めたようで、それでいてほんの少し清々しい表情の横顔に、僕は自分の推理が正しかったことを知る。


 そう、僕が感じていた違和感とは、山吹の顔を正面から見れないことだった。目につく違和感よりも目につかない違和感は自覚しにくい。それを利用して山吹は『何か』を隠しおおそうとしたのだろう。


「さぁ山吹。何を隠そうとしていたのか、見せてもらおう」


「えっ、ちょ、見るのはダメ――」

 

 僕は断固とした足取りで長机を回り込み、おろおろとした山吹が回避行動を取るよりも早く正面から彼女を見据えた。そして――、


「うぐっ!?」

 

 目に飛び込んできた光景に僕はただただ言葉を失った。


「み、見ないで、って言ったじゃないですか……」

 

 きゅ、と唇を噛み締めて恨めしげに僕を睨む山吹は、それを両手で覆って隠してしまった。けれど時既に遅く、僕の目はばっちりとそれを捉えた後で。

 

 山吹が隠していたもの。

 

 それは、ぴょこん、と変な方向に跳ねた彼女の横髪だった。

 

 湿気のせいか、ままならない横髪を山吹はくしくしと何度もくしけずるが、手を放した途端にそれは元気良くまた跳ねてしまう。


 くしくし。ぴょこんっ。くしくし。ぴょこんっ。


「……くふっ」


「あぁっ!? 笑いましたね、先輩!? 乙女の隠し事を暴き立てただけでは飽き足らず笑いものにするだなんて最低です人間としての品性を疑いますこの根暗」

 

 まなじりを吊り上げて罵倒の言葉を口にするも、その頬はうっすらと朱に色づいている。これではただの照れ隠しにしか聞こえない。


「いやいや、別に馬鹿にしているわけじゃないよ。ただ、山吹も可愛いところがあるな、って」


「――――っ、そんなこと言われても、勝手に見たことは許さないのですよ……」

 

 恥ずかしそうに唇を噛む山吹の手はまだ横髪を弄んでいて、僕はまた口許が緩んでしまうのを手の平で覆い隠した。

 

 窓の外では相変わらずしとしとと雨が降っている。


「それにしても、なかなか嫌な天気が続くねぇ」

 

 窓越しの空を眺めながらそう呟くと、


「そうですね、湿気が多いと髪の毛もまとまらなくて大変です」

 

 なんて、仏頂面で山吹は応える。


「はは、まったくだね。こんな日がしばらく続くと思うと憂鬱だ」

 

 笑いながら返したところで、はて、このやり取りはなんだか覚えがあるような……と思い至る。ワンクッションの後、随分長いこと転がっていたようだ。

 

 遠回りの末、求めていた平和なやり取りを手に入れた僕は改めて確信する。

 

 やっぱり、山吹菫は面倒くさい。

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