第16話 後輩×友達
部室で本を読み終わって伸びをしていると、こちらを物問いたげにじぃっと見る
「……何か言いたいことがあるなら、どうぞ」
無視しようかとも思ったが、そうすると後々苛烈な状況になりかねないので仕方なく水を向けると、山吹は意味ありげに視線を落とした。その先には今しがたまで僕が読んでいた本がある。
「あ、もしかしてこれ読みたいの? でもこれ図書室の本だから、一旦返却してからじゃないと――」
「そこなのですよ、わたしが言いたいのは」
なぜか食い気味で割り込んできた。えぇ、どこなの?
「最近、先輩はいつも図書室で本を借りていますよね」
「それはまぁ、返却する度に紺青が別の本を薦めてくるから――」
「まさにそれなのですよっ」
またも食い気味だった。何、お腹でも空いているの?
「……わたしだって、先輩に薦めたい本くらい、あるのですけど」
それは吐息に紛れるような小さな呟きだったけれど、二人きり、長机に向かい合った距離ではどうしたって耳に届いてしまう。
確かにここしばらく、山吹とは本の貸し借りをしなくなっていて、そうなると必然読んだ本について感想を言ったりするようなこともない。どうも彼女はその点に不満を抱いているらしかった。
……まぁ僕も、山吹とそういった話ができないことに多少の物足りなさを感じていなかったと言えば嘘になる。
「ぅうん……でも、紺青もわざわざ僕の好きそうな本を探して薦めてくれているっぽくて、そうなると断るのも申し訳ないからついつい借りてしまうんだよね」
多分僕は押しに弱い。しかもそれが純然たる好意によるものとなると、どうしても拒む気になれないのだ。けれど僕の言葉に膨れっ面で応える山吹を見ると、そちらにも悪いような気がしてくる。
「えっと、じゃあ、次に読む本は山吹のお薦めの本にしようかな」
そう言うと、ようやく彼女の膨れっ面にもいつものうすい笑みが戻る。良かった。
「わかりました。最近、先輩に読んでもらいたい本が溜まっていたので、覚悟してくださいね」
ふんわりと、恐らく無自覚だろうが口角を緩める山吹に、僕も自然と笑みが零れる。
「あと、先輩のお薦めの本も、教えてください」
すっかり普段通りに戻った山吹に油断していた僕は、さして深く考えもせず、
「あ、それじゃあこれ、面白かったよ」
と、紺青に薦められて借りた本を指さした。
途端、
「……わたしが知りたいのは『先輩の好きな本』であって、『先輩の友達の好きな本』ではないのですけれど」
ひやり、と背筋がうすら寒くなるような低温の笑みを浮かべた山吹が吐き出したのは、氷のように冷たく尖った言葉で。僕は己が無自覚に地雷を踏み抜いてしまったことを悟る。
「いや、読んでみたら僕も面白いと思ったし……」
慌てて言い募るも、山吹の顔にはうすい氷が張るみたいに冷ややかな色が広がっていく。
「先輩、わたしが言いたいのはそういうことではない、ってわかりますよね?」
口振りは丁寧だが、頑なさがその声の奥に見え隠れしている。
「えっと……」
「わからないのなら、わたしにも考えがあるのですよ」
山吹は怪しげな光をその双眸に浮かべる。
多分ろくな考えじゃないだろうな、ということだけは僕にもわかった。
*
「いらっしゃいませー!」
図書室の扉を開けると、受付カウンターの内側から元気な声が飛んできた。図書委員のくせに誰よりも騒がしい
「あ、倉井じゃん。本返しに来たの?」
「あぁ、うん。そうです……」
「? なんか顔引きつってない?」
「まぁちょっとありまして……」
「ほぅ? ――ん、というか後ろのその子は?」
ひょい、とポニーテールを揺らしながら僕の背後を覗き込む紺青。そこにおわすは誰あろう山吹菫である。部室からここまで来る道中も背後から拳銃を突きつけられているような圧を受け続け、僕の精神はすっかり摩耗している。
「こっちは――」
「初めまして。文芸部一年の山吹菫といいます。先輩がいつもお世話になっているようで」
僕の紹介を遮るように上半身だけ覗かせた山吹は実ににこやかに名乗りを上げた。……いや君は僕のおかんか。
「これはご丁寧に。私は倉井と同じクラスの紺青八重華です。こちらこそ、倉井にはいつもお世話に――はなってないか? お世話してますー」
「別にされてないが」
あっははーと笑う紺青に訂正を入れると、彼女は不服そうに肩をバシバシ叩いてくる。
「なんだよー、いっつも一人でいる倉井に構ってあげてるじゃん! お世話してるじゃん!」
「別に頼んでないが」
「もー、反抗期の息子か!」
君も僕のおかんか。
なんてやり取りをしていると背後からズズズズ、と背筋を這うような不穏な空気が流れてくる。
「……随分と仲がよろしいのですね、お二人は?」
にこり、と笑顔を浮かべてみせる山吹だが、これは作為百パーセントの笑顔だ。精巧に作られたマネキンを前にしているような不気味さを感じる。初めて見る表情だが、どう考えてもご機嫌はよろしくない。
そんな山吹の笑顔を額面通り友好の証とでも受け取ったのか、紺青もまたニコニコと「まぁねー。私ってば倉井の数少ない友達だし!」などと嘯いている。……あぁ、山吹の作り笑顔がさらに深く、凄みを増していく。
「知っての通り先輩は根暗で偏屈なので、相手をするのは大変だとは思いますが」
「えぇー、別にそんなことないよー。まぁ根暗ではあるけどねぇ。菫ちゃんこそ、部活で苦労してない?」
「まぁ苦労していないと言えば嘘になりますが。けれどわたしは中学の頃から先輩のことを知っているので、慣れてはいますから」
「へぇー、そうなんだ! 倉井ってばこんな可愛い後輩がいるのに黙ってるんだもんなぁ」
両者ともに笑顔で会話をしている光景は傍目には微笑ましいが、山吹の笑顔の裏に潜む不穏な気配を感じ取っている僕としては冷や冷やしっぱなしである。
この不穏さはあれだ、尖っていた中学時代の山吹を思い起こさせるものがある。今にも紺青相手に寸鉄を突き刺しそうで、僕は気が気ではなかった。あと根暗なのはほっとけ。
「――えっと、紺青、これ返却手続きをお願い」
「ん、はーい」
居た堪れなさに耐えられなくなり、僕はそそくさと手に持っていた本を紺青に差し出す。それを受け取った紺青が手続きをしている間、山吹は手持ち無沙汰になったのか手近な書棚へと歩いていって眺め出した。
山吹の様子を横目で観察しながら、僕は小さく息を吐く。彼女がいったいなんの目的でここまでついてきたのか不明だが、何かを企んでいることは明白である。願わくば山吹と紺青の邂逅が平和に終わってほしいものだ。
「ほい、倉井、終わったよー。この本どうだった?」
紺青の呼びかけに、僕は対山吹用に警戒態勢を取っていた意識をそちらへと向けた。
「あぁ面白かったよ。まさか序盤のあの描写が伏線になっているとは思わなかった」
「でしょー! こういうのが好きなら他にもお薦めの本が――」
「あっ、先輩。この本、面白いですよ?」
うまく僕の意識の隙を突いたのか、意気揚々と推薦図書のプレゼンに入ろうとしていた紺青を遮るように、いつの間にか一冊の本を抱えた山吹が傍らに立っていた。
「あぁ、うん?」
「はい、どうぞ」
気勢を削がれてポカンとしている紺青をよそに、山吹は僕に本を押し付けていった。常に似ず押しの強い行動に僕も若干の戸惑いを覚える。
「――あ、それでお薦めの本なんだけど」
再び別の書棚を物色しにいった山吹と僕を見比べていた紺青が気を取り直したようにプレゼンの続きをしようとしたタイミングで、再び山吹がつつつ、と近づいてきた。そして、
「先輩、こちらもきっと気に入ると思いますよ?」
またも本を押し付けてくる。さすがに二回目となれば偶然ではなく狙ってやっているだろうということはわかった。探るように山吹の目を覗き込んでやると、彼女はうすら笑いを唇の端に浮かべる。僕、気づかれぬようそっぽを向いてため息。
どうやら山吹が図書室についてきた目的は、僕が紺青から薦められた本を借りることを阻止するためらしい。それもかなり力業で。そこまでやるか……とちらりと山吹を一瞥すると既にもう一冊本を抱えて待機していた。何、その行動力。
そんな僕らの様子を見て何を勘違いしたのか、突然紺青は「あっはははは!」と大笑いし始めた。だからここ図書室なんですけど? 君はむしろ注意しなきゃいけない側だよね?
「いやぁ、面白いねぇ、菫ちゃんは!」
見ると、山吹も紺青の奇行に引いているようであった。言わずもがな、僕も引いている。
「面白いって、なんですか?」
ほんの少し憮然とした色の混じる笑顔で山吹が尋ねると、紺青はちょちょい、と彼女を手招いた。山吹は素直に従う。一人蚊帳の外の僕は静観するしかない。
こしょこしょと何やら紺青に耳打ちされていた山吹だったが、次第にそのうすい微笑みが崩れていく。
「――っ!?」
やがて何か決定打があったのか、山吹は頬を赤く染め明らかに狼狽えた。その反応を紺青はしたり顔で見ている。……何を言った、紺青。
「べ、別に先輩はわたしの所有物とかではないですし、取られるとか、そんなこと別に思っていませんのでっ」
赤い顔であわあわと早口で抗議する山吹。それにどことなく慈愛に満ちた感じの眼差しを注ぐ紺青。よくわからないが、所有物とか不穏なワードが気になるところではある。せめて人間扱いはしてほしいのだけれど。
「あの、二人で何を話していたの?」
堪らず尋ねると、
「ぅ、ぁ、せ、先輩が悪いのですからねっ」
いつの間にか僕が悪いことになっていた。なぜぇ。
「……何が悪かったのか説明してください」
情緒が不安定になっている山吹を刺激しないように、とりあえず下手に出るも、
「なんでもすぐ人に訊くのではなく、自分で考えてくださいっ。考えもしないうちから答えを求めるのは怠慢ですっ」
ぷるぷると肩を怒らせた彼女に一喝された。正論ではあるけれど唐突にそんな上司ぶられても困る。
ついに要領を得ない僕に痺れを切らしたのか、山吹は「もういいです」と踵を返して図書室から出ていってしまった。
ふわりと踊る彼女の長い髪が扉に遮られるまで呆然としていると、ポンポン、と紺青に肩を叩かれる。
「……え、本当になんだったの」
「倉井、そういうとこやで」
「えぇ、どういうとこ?」
なぜか鼻で笑われた。嘲笑? 嘲笑なの?
「とりあえず、菫ちゃんの選んでくれた本をちゃんと読んであげなさい」
山吹が僕に押し付けていった本の貸出手続きをする紺青は訳知り顔でそんなことを言う。
「あれ、紺青のお薦めの本は?」
そういえばプレゼンの途中であった、と思い出した僕が尋ねると、紺青はにやり、と含みのある笑みを浮かべる。
「んー、今回は菫ちゃんのいじらしさに免じて勘弁してやろう」
そう言ってパタパタと手を振って追い払われる。いじらしさ、なんて山吹には一番縁遠い言葉な気もするけれど……。
後ろ手に図書室の扉を閉め、部室に戻ろうと歩き出したところで僕は立ち止まるのを余儀なくされた。
「…………」
「……あの、山吹? 何しているの?」
先に戻ったものと思っていた山吹はどこかバツが悪そうに図書室の外の壁に身を預けて佇んでいて、僕の問いかけにもそっぽを向いて答えない。
「えっと、山吹が選んでくれた本、借りたけど」
こっくり、と無言の頷き。
「あの、部室に戻るけど」
またもこっくり。
一向に返答がないので仕方なく歩き出すと、後ろからパタパタと小さな足音が追ってくるのが聞こえた。
しばらく互いの足音しか聞こえない廊下を歩くと、背後で微かに息を吸う音がする。
「……あの、先輩? さっきはその、いきなり出ていったりして、紺青先輩に少し失礼なことをしてしまいました。申し訳ありませんでした、と伝えておいてもらえますか?」
ぽつぽつと零される言葉に、僕はなるほど、これがいじらしさというやつか、などと考えてみたりする。いや、ちょっと違うか。
「うん。でも、紺青も別に気にしていなかったから大丈夫だよ」
「そうですか」
僕の返答に安心したのか、山吹の声がほんの少し跳ねる。
「……でも、先輩はもう少し気にしてくださいね?」
どこか非難するような色がその声に混じる。
「気にするって、何を?」
「自分で考えてください」
素っ気なく、けれど少し楽しそうな声が僕の背にぶつかった。
ぅうん、やっぱり全然いじらしくないぞ、この後輩。
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