第11話 藪蛇

 五月下旬に中間テストを控え、その一週間前からはテスト期間となり原則部活動は禁止である。それは運動部に限らず文化部もそうで、我らが文芸部も例外ではない。


「――それなのに山吹、どうして君は当たり前のように部室にいるんだ。ルールを破るのは感心しないな」

 

 先輩らしく注意をすると、後輩である山吹菫やまぶきすみれはまったく反省の色が見られない不遜な微笑みで僕を見返した。


「わたしは静かな環境でテスト勉強をしたいと顧問の先生から部室の使用許可をもらっているのでルール違反ではないのですよ。むしろなんの許可もなく部室に居座っている先輩こそ罰せられるべきです」


「……ルールってほら、破られるためにあるからさ」


「どの口が言いますか」

 

 呆れた様子で山吹は教科書とノートを長机の上に広げた。僕も自分の勉強へと戻る。

 

 しばらく部室にはシャーペンのカリカリという音やマーカーペンのキュゥゥという音がまばらに響く。ちらりと顔を上げると、山吹のノートが目に入った。いかにも女子っぽくカラフルで小綺麗に書かれたそれを、僕は少し意外に思う。


「……どうかしたのですか?」

 

 視線に気づいたのか、顔を上げた山吹は怪訝そうに目を細める。ちょっと見すぎていただろうか。


「いや、意外とちゃんとテスト勉強しているんだなぁ、と思って」


「意外とはなんですか。失敬です」


「山吹なら『テストなんて普段の授業の復習ではないですか。それなのにわざわざテスト勉強をするなんて馬鹿のすることですよ』くらい言いそうだなぁ、と思って」


「言いませんよ、そんなこと。……というか、先輩はわたしのことをやたらめったらに口が悪いだけの人間だと思っている節がないですか?」


「違うの?」

 

 抗議するような山吹の口調に僕は素で驚いてしまった。だって口の悪さこそ山吹のアイデンディティではないか。


「違いますよ。本当に先輩は物事の一つの側面しか見ることができない視野狭窄野郎ですね」


「やっぱり口が悪いじゃないか」


「今のはわたしの口が悪いのではなく、先輩が悪いのですよ」


「そうかなぁ?」

 

 僕が何を言ったって結局山吹は僕のことを悪く言うと思うのだけど。


「なんですか、いやに懐疑的ですね、先輩?」


「そりゃあね、いつも君の口の悪さには辟易しているんだ。それなのに『自分はただ口が悪いだけの人間じゃない』なんて言われても承服しかねるね」


「む、ではこうしませんか? 先輩の言い分とわたしの言い分、互いに証明し合ってみるというのは」


「ほう、それはどういうふうに?」

 

 山吹の口上に釣られて身を乗り出すと彼女はうすく微笑む。そのままさらさらとノートの端に何かを書きつけ僕の方へ向けてきた。

 

 そこには『山吹菫は無闇やたらに口が悪いだけの人間である』との一文と、『先輩の無神経な発言こそが山吹菫の口の悪さの原因である』という一文が書かれている。


「お互いにこの一文が正であることの証拠を会話の中から見つけ出し相手に提示、そして相手がそれを認めれば証明完了です」


「……なるほど。例えば山吹が僕のことを馬鹿だと言った場合、その会話の中に僕が馬鹿呼ばわりされても仕方ない正当な根拠があれば山吹の言い分の証明となり、逆に正当な根拠がなければ僕の言い分の証明となる、っていう感じかな?」


「そういう認識で問題ないでしょう」


 山吹は頷くと不敵な笑みを以て僕を見据える。


「どうですか、この勝負受けますか?」


 明らかな挑発だが、この際山吹の口の悪さを徹底的に自覚させてやるのも悪くない。


「いいだろう。受けて立つ!」


「あ、その前に。あくまで対象はこれから先の会話で、過去の会話は含まない、ということで良いですか?」


 手の平を突き出して念押しする山吹に僕は頷く。


「そうだね。過去の会話から根拠を引っ張り出しても『その発言はそっちの記憶違いだ』とでも言われてしまえばケチがつくからね。記憶違いでないことを証明するなんて議事録でもなければ不可能だし」


「ええ、その通りです。それにしても今の議事録という観点は良いですね。言い逃れができないよう、今から議事録をつけましょうか」


「うん、その方が確実だろうね。書くのは山吹にお願いしてもいいかな?」


「はい、わかりました。……それでは始めましょう」

 

 ノートの上にペンを構え書記然とした体勢の山吹が宣言し、僕らの証明合戦が始まった。


   *


 証明合戦はひどい泥試合の様相を呈していた。

 

 まず、安易に口を開いてボロが出ないように無言の睨み合い。さすがに五分以上も無言が続いたので「これでは勝負にならない」と仕切り直し。一つお題を提示し、それについて会話をしていくことになった。

 

 一つ目のお題は『好きな教科について』。


「わたしは国語が好きです」


 と山吹が言い、


「僕も国語かな」


 と返したところで会話は終わった。


「さすがに相手の言葉に同意するだけでは会話にならないのでは? 先輩、負けるのが怖いからといってだんまりは卑怯ですよ?」


「事実僕だって国語が好きなのだから仕方ない。これはお題を設定した山吹の不手際だと思うけど?」


「そんなことを言うのなら今度は先輩がお題を決めてください」


「いいとも」

 

 なんかもう普通にお互いを悪く言っている気がするが、証明せよと言うには決定打に欠けるためお題を変更し会話は続行となる。

 

 二つ目のお題は『好きなミステリ作品』を僕が選ぶ。


「ミステリですか。あまり詳しくはないですけど、クリスティのポアロシリーズは好きです。先輩は?」


「僕は……えっと、言っても多分知らないと思うから……」


「隠すならなぜこの話題にしました?」

 

 会話は終わった。

 勝負になったかすら甚だ疑問である。


   *


「――ぅうむ、結局どちらも証明しきれないなぁ」


「そうですね。ここは客観的な第三者の視点がほしいところです」

 

 二人して作成した議事録を前に唸っている。

 

 正直こんな勝負を提案した山吹を悪しざまに罵ってやりたいところだが、仮にも文明人としてはルールに則ってスマートに終わらせるべきだとは思う。


「ん? 第三者…………どうだろう、山吹、ここは顧問に最終的な審判を仰ぐというのは」


 刹那、閃いた僕の一言に山吹はちょっと思案し、他に良い案が見つからなかったのかこっくりと頷いた。


「そうですね、このまま二人でやり合っていても埒があきませんので」


「よし、では議事録を持って職員室へ行こう」


   *


「――なるほど、それで私のところに持ち込んできた、と」


 テスト期間中のため職員室の扉の前で我らが文芸部顧問・若竹女史に事の次第を説明する(主に山吹が)。


 若竹女史は二十代後半かと思われる怜悧な雰囲気の女性で少なくない数の生徒がそのファンであるが、今は割合どうでもいいことなので捨て置く。今ほしいのは公平なジャッジだけである。


「はい。それで先生、この議事録を見てどう思いますか?」


「どう思うか、ねぇ」

 

 若竹女史はとっくりと議事録に目を通した後順々に僕らを見つめてにっこりした。


「簡潔に言うと、『テスト勉強もしないで何遊んでんだお前ら』ってところかな」


「…………」


「…………」


 にっこり笑顔のまま放たれた正論に僕はぐうの音も出なかった。隣を見ると山吹すらも珍しく言葉を失っている。……テスト勉強、それはすっかり盲点であった。


「山吹ちゃん、君が静かにテスト勉強したい、って言うから部室の使用許可を出したの忘れちゃった?」


「……いえ、その、すみません」


 しゅん、とうな垂れた山吹はしおらしく謝罪の言葉を口にする。嘘だろ、あの山吹がこんな簡単に謝るだなんて……!


「ん、わかったならさっさと帰って勉強するように」


「はい」


 ことさら殊勝に頷いた山吹に若竹女史はしっし、と手を振って帰るよう促した。僕もまた踵を返す山吹に続こうとすると、肩にずしり、と嫌な重みがかかる。


 振り返るとそこにはさっきよりも凄みのある笑顔。


「山吹ちゃんには部室の使用許可を出したけど、そもそもお前には出してないよな?」


「……そうですね」


「部員が勝手なことをして怒られるのは顧問である私だよな?」


「……仰る通りです」


「私が何言いたいかわかる?」


「……次からは事前に許可を取りなさいね、とかでしょうか?」


 恐る恐る言うと、


「次勝手なことをしたら文芸部はなくなると思え」


 耳元をドスの効いた脅しが掠めていった。

 ……マジか。


「……先輩?」


 先を行っていた山吹が不思議そうに振り返る。肩の重みが消え、若竹女史の「ほら、二人ともさっさと帰って勉強せい」という気怠げな声を背に僕らは荷物を取りに部室へ戻る。


「……そもそも、どうしてこんなことになったのでしたっけ?」


 廊下を歩きながらぼそりと言う山吹に僕は肩を竦めた。今となっては詮ないことである。


 ともあれ、確かに言えることが一つ。

 ルールとはもちろん、守るためにこそあるのだ。

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