第4話 猫被り
とはいえ、別に「てやんでい、べらほうめ」などと言うわけではなく、言葉遣いは至って丁寧だ。丁寧を通り過ぎて時折文語調ですらある。
では何が悪いのかというと、そのきっちりかっちりした口調と文学少女的豊富な語彙で以て皮肉や嫌味、時にはストレートな悪罵を自在に繰り出してくることである。
小学生の時分、『綺麗な心は綺麗な言葉遣いに顕れる』というような訓示を受けたりもしたが、どうも山吹はその限りではないらしい。
というようなことを言うと、山吹は意外そうに瞬きした。
「なるほど、先輩にはそのように見えているのですね」
などと、しきりに頷いている。なんなのだ。
「いえね、先輩。先輩にはわたしの心根が言葉遣いほど綺麗ではないように見えるかもしれませんが、クラスメイト達からすればわたしは『綺麗な心は綺麗な言葉遣い云々』という言葉を体現しているように見えているだろうな、という話なのです」
いやに持って回った言い方だが、つまり教室での山吹は僕に対するように皮肉や嫌味を言ったり、といった悪辣な部分を隠しているということか。
「……山吹、君は教室では猫を被っているのか」
「それもただの猫ではありません。血統書付きのやつです」
「……随分立派な猫を被っているようで」
僕の言葉に山吹は得意げに胸を張る。偉そうな態度のわりに胸は慎ましやかだな、と思うが言ったら酷い目に遭いそうなので言わない。
「なので先輩、わたしの綺麗ではない心根を見ることができるのは先輩だけなのですよ。特別、なんですからね?」
唇の前で人差し指を立て、山吹は密やかに囁いた。うん、こんな嬉しくない特別扱いは初めてだ。
「……あれ、でも山吹、中学時代は誰彼構わず口を開けば皮肉や嫌味、悪口雑言を吐き散らしていたじゃないか。もしや、高校デビューというやつかい?」
僕の脳裏に、紺色のブレザーではなく、在りし日の白が眩しいセーラー服姿の山吹が去来する。あの頃の山吹は話しかけてくる人間には躊躇わず寸鉄を刺しまくっていて、人間関係に消極的であった僕とは違い、積極的に人間関係をぶち壊しにいっていた記憶がある。
おかげで図書委員の当番でも他の誰もが山吹と同じになるのを嫌い、結局僕ばかりが彼女との当番を務めることになっていた。
高校で再会しても大して変わりはないと思っていたが、そう思い返すと随分丸くなったものだ。
懐かしい記憶が蘇り感傷に浸っていると、山吹はなぜかぷくりと頬を膨らませてこちらを見ていた。突然おたふく風邪に罹患したということもないだろうから、何かが不満なのだろう。
「どうしたの、山吹」
「どうしたのって、……覚えていないのですか、先輩?」
そう言われても何を覚えていないのかすら覚えていない僕に、山吹の頬は益々不満げだ。針で突いたらさぞ小気味良く割れるのだろうな、などとくだらない想像をする。
「ごめん、何が?」
「……わたしが猫を被るようになったのは、先輩が言ったからなのですよ?」
ついっ、と視線を逸らしながら言う山吹に僕は首を傾げる。いくら中学生の僕が人間関係に疎かったとはいえ、後輩女子に対して「お前性格キツいから猫被った方がいいよ」なんて言うだろうか?
……ぅうん、改めて思い返してみると絶対に言っていないと断言できないのが辛いな。それくらい山吹の刺々しさには頭を悩まされていたし、僕が卒業する時はこれから先山吹は一人で大丈夫だろうか、と――――
「――って、もしかして、僕が卒業するちょっと前に話したことを言っているの?」
*
それは、僕と山吹が一緒になる最後の図書委員の当番の日だった。相変わらず口が悪く、僕以外とはろくに話さない山吹に対し(まぁ僕との会話も七割が山吹の悪態だったりしたけれど)、「山吹のその近づく者皆斬り伏せる、みたいな性格が治らないと、心配ですっきりと卒業することができないよ」なんて言ってみたことがあった。
すると彼女はぎろりと僕を睨み据え、いつもの如く寸鉄を急所に抉り込もうと口を開き、けれど出てきた言葉は「……先輩は、わたしが心配、なのですか?」という疑問で、僕はひどく意表を突かれた心地がしたものだ。その声音は山吹という毒舌な少女の常になく弱々しく、迷子のように途方に暮れているように聞こえたのだ。
「そりゃあまぁ、なんだかんだで一番付き合いの長い後輩だからね。傍で見てきた身としては心配にもなるよ」
いつか夜道で寸鉄ではなく本物のナイフ的なもので刺されるのではないか、としばしば懸念していたこともありそう答えると、彼女はしばし無言で俯き、横髪を
そうしてどれくらい経っただろうか、「先輩」と顔を上げた山吹はどこか決意めいた、熱を帯びた瞳をしていた。
「……わたしは別に、自分を変えようだなんて思ったことはありません。たとえ人に厭われようと、これが偽らざるわたしなのだから仕方ないと、そう思っていました」
初めて聞く山吹の自分語りに、中学女子にしてはまた随分と達観しているなぁ、と僕は感心半分呆れ半分の気持ちになったことを覚えている。
「けれど、そんな誰からも嫌われるわたしを、先輩だけは唯一、嫌ったり遠ざけたりしませんでした。そのことについては、感謝とか、していたのですよ」
その台詞は普段攻撃的な言葉しか吐かない山吹が精一杯絞り出した、歩み寄るための言葉、だったのかもしれない。けれど当時の僕は山吹にも人並みに感謝の気持ちなんてものがあるのか、ということにばかり驚いていて、その言葉の向こう側の彼女の気持ちまでは考えられていなかった。
「なので、先輩に心配をかけてしまうのは、わたしとしても本意ではないので……その、善処します、よ」
「……いつになく素直なので、逆に心配だ」
ついそんなことを零すと、山吹は剣呑な目つきになった。いつもの山吹菫口撃モードだ。
「わたしが本気を出せば、根暗な先輩と違って友達なんてあっという間にできますけどね? いつか再会する時があれば、その時はわたしがいつまで経っても友達のいない先輩の心配をしてあげます」
「はいはい、楽しみにしてますよ」
珍しくしおらしいと思ったらやっぱり口の減らない奴だ、と呆れるような――けれどなんとなく、僕がいなくなっても山吹は大丈夫なのだろうな、と安心するような気がした。
この後輩はひねくれてはいても、徒に嘘をついたりはしないことを、僕は知っていた。
*
「――というわけで、高校に入ってからのわたしは品行方正、温厚篤実、八方美人な人気者となったのですよ」
「最後のは悪口じゃないか?」
「間違えました。ただの美人です」
「自分で言うな」
「クラスメイトからもよく言われますよ。『山吹さんは美人で性格も良くて、天使のようだ』と」
「誰だそれ」
「『発言は常に他者への思い遣りに溢れ、穏やかな微笑みを絶やさない聖女のようだ』とも」
「本当に誰だ、それ。僕そんな人知らない」
「……いちいち無粋な横槍を入れないでもらえますか? ――あ、すみません。先輩は友達がいないので会話の作法なんて知りませんよね」
「発言に全然思い遣りがないんですけど? 悪意しか感じないんですけど?」
僕の抗議にも山吹はどこ吹く風だ。こいつが猫を被っている姿なんて想像もできない。
「だから言ったでしょう。先輩は特別なのです。たった一人選ばれたのですよ?」
「選ばれたって何に? 猫被りのせいで溜まったストレスを発散するための捌け口?」
「まったく先輩は、思考まで暗いですね。被害妄想ですよ」
僕が山吹に悪しざまに言われているのは妄想ではなく事実ですけどね?
そんな不満を口にしようとしたところで、下校時刻を告げるチャイムが鳴った。
肩を竦めながら山吹は鞄を手に立ち上がる。
僕もそろそろ帰ろう、と帰り支度を始めた。山吹は部室の扉へと向かう。
だから、続く彼女の声は、背を向けられていたためうまく聞き取れなかったかもしれない。
「……先輩にだけは、本当のわたしを見ていてほしいのですよ」
顔を上げた僕の目の端でふわりと逃げるように髪の先が踊り、部室の外へとすぐ消えていったので、それを確かめることはできなかったけれど。
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