第3話 再会

 特別棟一階の奥まったところ、端から二番目の部屋、そこが文芸部の部室だ。


 ちなみに端から三番目は資料室という名の物置部屋、一番端は普通に物置部屋である。そんな埃っぽい部屋に挟まれた部室は端的に言って学校の辺境だ。関東で言うところの群馬か。

 

 なぜそんな辺境の部室を当てがわれたか、というと我が文芸部が弱小であるという点に尽きる。


 我々には最後まで果たせなかったが、どうか君が文芸部を強豪に押し上げてくれ! と二個上の先輩から卒業間際に託されたが、新人戦もインターハイもない文芸部に強豪たれ、とはちと酷な話ではある。よって今日に至るまで我が文芸部は弱小のままだ。


 去年の三年が卒業し、残されたのは当時一年であった僕のみで、二年に進級した際に自動的に部長の椅子を手に入れた。


 とはいえ、いくらふんぞり返ったところで一人なのでたいした座り心地もない。


 地位や権力というものは手に入れてしまえば存外虚しいものだ、などと嘯いてアンニュイに部室から窓の外を眺める、なんて遊びにも二日で飽きた。


 後輩である山吹菫やまぶきすみれが我が文芸部部室に襲来したのはそんな折であった。


   *


 四月も中旬を過ぎ、新入生の放つふわふわとした空気に当てられ浮つき気味であった校舎にも少し落ち着きが戻ってきた頃、すっかり静寂に沈んでいた文芸部の扉は突如として開け放たれた。

 

 読み止しの文庫本から目を上げると、そこには一人の少女が立っていて。


「あ」


「あー!」

 

 声を上げたのはほぼ同時だったが声量では僕の完敗であった。というかうるさい。

 

 驚きのあまりか僕を指さす(失敬な)その少女は、中学時代に図書委員会で多少なりとも交流のあった山吹菫であった。


 中学時代はそれほど長くなかった艶のある黒髪が今では背中まで伸びて、部室に入り込んでくる彼女の足取りに合わせてふぅわりと踊る。

 

 部室中央の長机に座る僕の目の前まで来ると、彼女はその双眸を緩めて微笑んだ。


「お久しぶりです、根暗先輩」

 

 一瞬、柄にもなくセンチメントな気分になりかけていた僕は彼女の言葉にすっと冷静になる。そうだ、こいつは山吹菫。そのひねくれ具合は高校生となっても健在らしい。


「……久し振りだね、山吹。お変わりないようで」

 

 皮肉を込めた僕の軽いジャブなど蚊が止まる、と言いたげに山吹は艶然と微笑んで、


「先輩は変わりましたね。根暗具合にますます磨きがかかっています。この一年間随分と寂しい時間を過ごしたのではないですか?」

 

 と、久々の再会にも関わらず強烈なフックをお見舞いしてくる。なんだ、それは。暗に「わたしがいなくて寂しかったでしょう?」とでも言うのか? そんなことはない。断じて。


「いやいや、去年はこの文芸部で三年の先輩達と実に楽しい時間を過ごしていたよ。皮肉も嫌味もない会話ってとても心安らぐものなんだね。中学時代、君といた時には気づかなかった」

 

 この一年平穏な会話に慣れきっていた僕の口からは自分でも驚くほどスラスラと嫌味が出てくる。いや、内心では山吹との会話を懐かしんでいたとか、そんなことは全然ないのだけど。

 

 山吹は部室をくるりと見回してから小首を傾げる。


「三年生が卒業して、今の部員は先輩だけなのですか?」


「あぁ、まあね」

 

 僕が首肯すると山吹はにっこりと笑う。うっ、嫌な予感。


「それなら先輩、新入部員がほしいのではないですか? 生徒手帳によれば、部員が一名になってしまった部活はその後一年間部員数の変動がない場合は廃部、とあります。そうなれば先輩は来年唯一の居場所である部室を失い、教室で己の孤独と向き合わなければいけなくなりますからね」

 

 したり顔でのたまう山吹だが、こいつはなぜそんな部活の細則なんてものを暗記しているのだろう。怖い。けれどまぁ事実ではある。ちなみに後半は事実ではなく謂れなき中傷である。


「もし先輩がお願いするのであれば、わたしが文芸部に入部しても良いですよ?」

 

 鞄から入部届を取り出してひらひらさせる山吹。僕の目は無意識にそれをゆぅらゆぅらと追う。


 ……いけない、これでは山吹のペースだ。ぅうん、でも廃部になるのは避けたいところ。なんせ先輩達の『我らが文芸部を強豪に』、との遺言もある。それが果たせないどころか廃部となってはOB・OG訪問なんてものがあった場合に顔向けできない。

 

 山吹は悩む僕の様子をうすく笑いながら眺めている。

 

 しばらくの葛藤の末、僕は手の平を彼女に向けて差し出した。


「仕方ない。山吹、君の入部を認めるよ」

 

 けれど山吹は入部届を渡さない。


「先輩。わたし、先輩がお願いの仕方も知らないような人だとは思っていませんよ?」

 

 言葉は丁寧だが、要するに「頭を垂れて乞いなさい」と言っている。後輩のくせに、ほんと見上げた根性だ。


「……はぁ、山吹さん、どうかこの文芸部に入部してください。お願いします」

 

 これでいいか? と目線を上げると山吹はしばし瞑目した後、こくり、と頷いた。


「良いでしょう。それではこの入部届をお収めください」

 

 大仰な仕草で山吹の手から入部届が渡される。まったく、無駄に疲れた。


 そういえば山吹はずっと立ちっぱなしだったな、と壁際に立てておいたパイプ椅子を一脚持ってくる。まぁ座れよ、と示しながら「改めてよろしく、山吹」と小さく言うと、可愛くない後輩は、


「……! はいっ、またよろしくお願いしますね、先輩」

 

 ぱっ、と花が咲くような、そんな無邪気な笑顔を浮かべた。

 

 まったく、最初からそうやって素直に笑っていれば、僕だって嫌々受け入れることもないのに。

 

 なんて思いながらも、やっぱり素直なだけの山吹なんて想像もできないので、僕らはこれでいいのかもな、などと思ったりする。

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