第2話 イマジナリーフレンド
放課後、文芸部の部室を訪れると後輩である
とはいえ山吹も文芸部員には違いないので、座っていること自体をとやかく言うつもりはない。けれど、いつもなら僕の方が早く部室に来ているため妙に新鮮に思えたのだ。
「あ、先輩。遅いですよ」
扉を閉めて部室中央の長机に近づくと、頬杖をついて文庫本を捲っていた山吹は僕を非難した。上体を起こした拍子に、彼女の背中まで伸びる黒髪が一房、零れ落ちる。
「確かにいつもよりは遅いかもしれないけれど、それで山吹に迷惑をかけたわけでもないよね」
我らが文芸部は基本的に自由参加である。運動部のように練習メニューを組んで活動しているわけでもない。いつも気ままに部室を訪れては本を読み、時には雑談をする。その程度の緩い部活なのでたとえ僕が来なかったところで山吹の部活動には一切支障はない。
「迷惑とか、そんなことを言いたいわけではないのですよ」
ぷくり、と頬を膨らませてフグの如き面相を浮かべる女子高生を僕は不可思議なものを見るように眺めた。
「じゃあ何を言いたいの」
「それはですね、わたしの方が先に部室に来ていたら、まるでわたしが早く先輩に会いたくて先輩が来るのを今か今かと待ち焦がれているみたいじゃないか、ということなのですよ。そんなのは不本意です。遺憾です。むしろ先輩こそわたしが来るのを今か今かと待ち焦がれているべきなのに」
「君のその心配はまったくの杞憂だと思うけどね……今日はたまたま、友達と話していたら遅くなっただけだよ」
「ともだち!」
僕が宥めるように言うと、山吹は突然異国語を話されたように驚愕に満ちた声を上げた。
それから哀れみに満ちた視線で以て僕を見る。
「先輩、空想と現実の区別がついていないのですね。早めに病院に行った方が良いですよ」
「……イマジナリーフレンド以外に僕に友達がいるという可能性はないのか」
「残念ながら」
まるで癌の宣告をする医師のように沈痛な面持ちの山吹。
「だって先輩は根暗ですからね」
根暗だって友達くらいいる。けれど、山吹が『根暗で友達もいない孤独な先輩の相手をしてあげる慈悲深い後輩』という自分に酔っていることは明白なのでそっとしておいた。ここは先輩らしく後輩の期待に沿ってやるのが優しさというものだろう。
「あ、友達と言えば」
唐突に山吹は話題を移す。もっとも山吹が一つの話題に腰を落ち着けるところなど見たことがないのだけれど。
「先輩、友達に求める理想の条件、ってなんですか?」
「友達? そういうのって、普通は恋人で考えるものじゃないの?」
「なんでわたしが先輩の根暗な妄想が爆発した理想の恋人像なんてグロテスクなものを聞かなければいけないのですか? 拷問ですか?」
「なんで僕は話してもいない理想を悪しざまに貶されなきゃならないんですかね?」
しばし視線で斬り結ぶ。が、僕の方が先に根負けして目を逸らした。
「と、いうわけで。理想の友達くらいなら聞いてあげてもいいという妥協案です」
そっちから振ってきたのにやけに上から目線ですね? とは思ったけれど、そもそも山吹が後輩らしく謙虚に振る舞うことの方が珍しいのだ。反論するのも面倒なのでおとなしく付き合うことにする。
「理想かぁ……うーん、やっぱり同じ趣味の話ができると嬉しいかな」
「同じ趣味、というと先輩の場合は本ですかね」
ふんふん、と頷く山吹を横目に僕はしばし黙考する。
「あとは……僕はあんまりしゃべる方じゃないから、少しおしゃべりな人の方がバランスいいかも」
「へえ、先輩は静寂こそを好む、みたいなタイプかと思っていました」
「そうだったら山吹、君はとっくに退部だ」
「ひどい!」
「あとはそうだな……一緒にいて退屈しない人、かな」
「なんだか曖昧ですね。というか先輩、いつもつまらなそうな顔をしていますけど、退屈していない時なんてあるのですか?」
「え、そんな顔してるかな?」
山吹に言われ自分の頬をぺったぺったと触ってみるが、なるほど張りがないような気もする。
「自覚なしとか……これだから根暗は」
嘆かわしい、とこれ見よがしにため息をつく山吹。ほっとけ。
「別にいつも退屈しているわけじゃない。そもそも文芸部は自由参加だし、退屈だと思うのならわざわざ来たりしないよ」
「…………ぇ、ぁ、ふ、ふーん、そうなのですか」
数秒の謎の沈黙の後、なぜか山吹は挙動不審な声を漏らした。しきりに耳の辺りで横髪を
いったいどうしたのだろう、と自分の発言を思い返してから僕もハッとする。
文芸部は二年の僕と一年の山吹、たった二名の弱小である。必然、部室では二人きりだ。その時間を退屈ではない、と言うのは、なんというか、ちょっと直截的すぎたかもしれない。
なんだか暑くなってきたな。窓を閉め切っているからだろうか。
ネクタイを緩めて首元に風を送っていると、うっすら笑っているのだけれど怒っているようにも照れているようにも見える絶妙な表情を山吹は向けてくる。
「というか、先輩。先輩の理想って、なんというか、そのぅ…………結構誰でも当てはまりそうですよね? 例えば、わたしでも」
そういう山吹はいつも通りからかうような笑みを浮かべて見せているけれど、横髪を弄ぶ指の間からはほんのりと朱が差した耳が覗いている。
僕はそれを、全然、見えない振りをした。
「……山吹とは、友達にはなりたくないな」
そう嘯くと山吹は抗議の声を上げる。
「えー、なんでですかー」
「そもそも君は後輩だろう。友達じゃなく、もっと後輩らしく先輩を敬ってくれないと」
「先輩のどこに敬うべき要素がありますか」
ぷくり、と再び顔面にフグを飼う山吹。
「そういうところだよ、友達になりたくないのは」
それからもなお、山吹は文句を垂れていたが僕は取り合わずに鞄から本を出す。
それにしても、山吹が尋ねてきたのが理想の『友達』で良かった。嘘をつかずに済んだから。
僕は山吹と友達にはなりたくない。
これは、本当の気持ちだ。
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