根暗先輩とひねくれ後輩の文芸部活動記録

悠木りん

第1話 雨

 後輩の山吹菫やまぶきすみれはひねくれている。

 

 そう言うと「何を言いますか。先輩の方がひねくれていて、ついでに根暗です」と、反論ついでに罵られた。


 けれどまぁ、ひねくれ者であるとの指摘に素直に頷いたらそれは全然ひねくれていないので、反論すること自体が彼女がひねくれ者であるということの間接証明に他ならない。よって、やはり山吹菫はひねくれている。


「それにしても、雨、止みませんね」

 

 部室の窓越しに山吹が眺める空は灰色で、ぱたぱたと雨の落ちる音が間断なく聞こえてくる。


「先輩は雨、好きですか?」

 

 窓に背中を預け、山吹はやおら問いを投げかけてきた。

 

 僕は読んでいた文庫本を伏せ、山吹の肩越しに空を見る。

 

 雨音は嫌いではない。窓を隔てて聞くその音は、読書のBGMに意外と合う。けれど、体や服が濡れるのは嫌いだ。風邪をひくかもしれないし、なんとなく、雨に濡れると不幸な気分になる。

 

 考えをまとめると、僕は短く答える。


「室内にいる分には嫌いじゃない。けれど外に出なければならない場合は嫌いだ」


「ほうほう、実に先輩らしい、身勝手な人間のエゴが垣間見える回答ですね」


「……君は僕をどんなふうに見ているんだ」

 

 山吹は実に山吹らしい人を小馬鹿にした笑みを浮かべている。


「そう言う山吹はどうなの? 雨は好きなの?」


「わたしですか?」

 

 僕の問い返しに山吹は小首を傾げてみせる。切り揃えられた前髪がさらりと揺れ、そこだけ切り取れば清楚可憐に見えなくもない所作だ。けれど彼女の内面は清楚にも可憐にも程遠いことを僕は知っている。


「わたしは、雨というか、傘というものがあまり好きではないのですよ」

 

 窓の外、校舎とグラウンドの間を通り抜ける色とりどりの傘の群れを見ながら、山吹はどことなく物憂げな色を横顔に浮かべる。


「どうして?」


「傘って、基本的に一人で差すものじゃないですか。傘の内に一人でいるとなんだか、人間は本来的に孤独な生き物だと思い知らされるようで、苦手なのです」

 

 僕は否定とも肯定ともつかない「ぅうん」みたいな声で応えた。まったく、たかが傘一つで随分と面倒くさいことを考える奴だ。

 

 山吹はちらりと僕を見て、「しまった」みたいな顔をする。


「あ、先輩にはこんな話関係ないですよね。だって友達のいない先輩は雨だろうと晴れだろうといつだって孤独ですから」


「余計なお世話だよ」

 

 雨だろうと晴れだろうと、山吹は僕を貶めることに余念がない。それについてはもう「僕は今菩薩だ」と自己暗示をかけることによって平静を保つことができるようになった。

 

 そんな内面菩薩な僕に向かって、山吹は内面が夜叉のくせに菩薩のような慈愛に満ちた笑みを浮かべる。これはもう詐欺だ。


「孤独な先輩に一つ、孤独が和らぐ良い方法を教えてあげます。こんな雨の日に丁度良いものですよ」


「……へぇ、どんな方法?」


「簡単です。先輩は傘を差すだけですから」

 

 得意げに言う山吹に僕はつい反論する。


「さっきは傘を差すと孤独が強調される、みたいなことを言っていなかった?」


「それは、ただ傘を差すだけではそうです」


「傘を差すだけでいい、と言わなかった?」


「言いました」

 

 山吹とのやり取りが禅問答じみてくる。俗物である僕にはさっぱりだ。菩薩には程遠い。


「つまりですね、先輩が傘を差す。一人では孤独だ。それならば、その傘にもう一人入れてあげれば良いのですよ。そうすれば、孤独は二人で仲良く分けっこできますからね」

 

 どうだ! と言わんばかりに山吹は笑みを深くする。というか、深すぎて若干笑顔が不自然だ。その段になってようやく僕は彼女の言わんとすることを理解した。


「つまり、相合傘をしろ、と」


「まぁ、そうとも言いますね」

 

 今思いつきました、みたいな白々しい顔で頷く山吹。もうそっちの魂胆はバレているぞ、と強めの視線を送ってやると、山吹は急に窓の外に興味を惹かれたらしく顔を背ける。


「……でもなぁ、相合傘なんてしてくれそうな人いないけどな」

 

 聞こえるように僕が呟くと、山吹は背を向けたまま言う。


「先輩がどうしても、と言うなら、わたしがしてあげても良いですよ」

 

 その言い方があんまりにも空々しかったので、僕は少し笑ってしまった。釣られたように、山吹も小さく肩を揺らす。


「……山吹、今の話を要約すると?」

 

 僕がそう促すと、山吹は観念したように振り返る。その顔にはいつも通り飄々とした笑顔を浮かべていて、けれど頬はうっすらと赤くなっていた。


「つまりですね……。今日は傘を忘れてしまったので、帰りは先輩の傘に入れてください」

 

 それだけのことを言うのに、どれだけ言葉を費やすのだろう、この後輩は。

 

 やっぱり、山吹菫はひねくれている。

 

 そう思いながらも、僕は帰り道のことを想像する。僕の折りたたみ傘は二人で使うには少し小さいだろう。となると、後輩の女子を濡らすわけにはいかないから、必然的に僕が濡れることになる。

 

 体や服が濡れるのは嫌いだ。なんとなく、不幸な気分になるから。

 

 けれどまぁ、たまにはそれも悪くない。

 

 そう思えてしまったから、雨の日に外に出るのも、存外嫌いではないのかもしれない。

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