2-2  人の波動

 おれに、しっかり想像しろと言って、かをる子さんが、話に小さな間を入れた。

 で、わずかな時間なんだけれど、みるみるうちに、おれの頭の中に、視覚的なイメージができあがってきた。


 水路いっぱいに下水が…しかも、濃厚な…、ウウッ…、黄土色に濁ったドロドロしたようなものが…、ウグッ、流れている…。

 ものを、視覚的に捉えるタイプのおれのこと、そんな具体的なおぞましい情景が、アッという間に強くできあがってしまった。


 臭いまでしてくるような…、ウゲッ!という感じのイメージ。

 あ~あ、嫌だな…、と思った。

 もう、早く消してしまおう、と思った。

 でも、まさにそのタイミングで、かをる子さんの話、次に進んだ。


「そこに、裸で飛び込んで、泳げって言われたら、龍平さん、泳ぐ気、するの?」


 えっ? ここに飛び込む?

 何をおっしゃってるんですか、かをる子さんは…。


 イメージとして完全にできあがった水路…。

 汚物が浮かんで、溶け込んで…、そんなところに、裸になって、ドブン…、なんて、頭の中で想像することだけも、できやしません。


 聞いただけでも、ウグッとする感じ。

 裸でなんて、近づきたくもない。


「いや…、無理。

 絶対に、ダメ。

 それ、ひどすぎますよ…」


「泳ぎはうまいんだから、やってしまえば、泳げることは泳げるんじゃないの?」


「いや、これは、泳げるとか、泳げないとかではありません。

 別の次元の問題ですよ…」


「ね、そうでしょう?

 そういうものなのよ」

 と、かをる子さん、ちょっと身を乗り出して、それ見たことか、といった感じでおれに言った。


「あなた、わたしに、何を言ったのか…、どんなことを言ったのか、わかった?

 あいつらに寄り付くってのはね、そんな感じなのよ。

 できるできないの問題じゃないの。

 そんな気持ち悪いこと、考えるだけでも、いやなことなのよ」


「そんな、もんなんなんですか…」


「ええ、そんなもん、なんですよ。

 マークしているだけだってね…、もう、服に汚物が付いているような、嫌な感じがしているんだからね」


 マークを付けるのだって、本当は、萱津に付けておけばいいんだけれど、この男は、どうしようもなく汚い感じで、付けるということを考えることすらしたくない、と、本当に嫌なんだ、という顔で、かをる子さんは説明してくれた。

 これも、さっきの下水に飛び込むのと同じように、不可能、ということ。


 それで、常に萱津のそばにいる人間の中から、何とか我慢できるものを選んで、必死の思いで付けたんだとか。

 本当に、必死に。

 龍神さんて、やっぱり神のように、心の汚れを嫌う存在らしい。


 いや、本当に、神様…神様とは言っても、いわゆるゴッドGodではなくて、また、人を祀る神ではなくて、もともと日本に、いにしえより存在していた『かみ』そのものなのかもしれない。


 でも、この話を聞いていて、ふと疑問が浮き出てきた。

 かをる子さん、この喩え話で、どうして、下水を例に出したんだろうか、と。


 で、すぐにピンときたのが、この前聞いた、仙台のデパートの地下に、かをる子さんが出現する時の話。


 あのとき、かをる子さんの体を作る材料として、分子レベルにまで分解してからではあるというものの、下水までも使うと考えられたことで、おれ、すごく汚らしいと思うイメージが…ほんの一瞬だけど…できあがった。


 ひょっとして、それを、龍神さん、感じ取っていて、あの時、ムッとしたんじゃないだろうか?

 それで、今回、下水の喩えを使った。


 と、言うことは、その時の、おれの感情の情報が、龍神さんに、いっていたのではないか?と、いう疑問が次に湧いた。

 そして、だから…、そう、おれも、マークされているんじゃないか?

 と、そんな疑問まで繋がる考えが、おれの頭の中で瞬時に流れた。 


 で、すぐにその質問。

「そのマークって…、おれにも、付いているの?」


 かをる子さん、おれが質問を始める前に、もう、ニヤッとしていた。

 今、おれが考えた情報は、すでにキャッチ済みですよ、ってな感じ。

 そして、そのまま…、だから、笑いながら。


「ククククク…。 当たり前じゃないか…。

 ここにいるみんなには、ちゃんと、マークが付いてるよ」


「えっ? わたしにも?」

 横から、あやかさんも、驚いて聞く。


「そうよ。

 それも、当たり前のことなのよ。

 あやかには、生まれてすぐに付けたんだから…」


「えっ? どうして…、生まれてすぐ…なの?」


「あやかの持つ波動は特別なのよ…。

 でも、これに関しては、話さないと決めていることになるので、あとは、秘密になっちゃうんだけれどね」


「秘密ね…。

 で、その…、話さない、と、決めていること、って…?」


 あやかさん、言葉尻をうまく捉えて、搦手からめてからの質問、と言うところかな。

 龍神さん、基本的には、質問に、ちゃんと答えてくれる。

 しかも、話し好き。


 話さないのは、直接秘密にすると決めていることだけだろう、という、あやかさんの読みも入っているんだろう。

 だから、秘密の輪郭だけでもつかみたい。

 今のあやかさん、そんな感じなんだと思う。


「そう…、昔のことなんだけれどね…」

 かをる子さん、やはり、ちゃんと話し始めてくれた。


「人の波動についてはね、わたしは、人には話さない方が良いと、さとされたことがあったの…。

 それで、それに納得したので、それ以来、このことについては、話さないことにした、ということなのよ」


「龍神さんが、諭されて…、え~っ? それで納得したの?」


「そんなに驚くことでもないだろうとは思うんだけれど…」


 いや、やっぱり、この龍神さんが諭されるって、ちょっとした驚きだと思う。

 何を言っても、基本的には、自分の考えを通すように感じていたから。


「その、諭した人って?」

 あやかさん、まず、そちらを聞いた。

 おれも知りたい。

 龍神さんを諭すことができる人なんて…。


「うん…、そうね…、あれは永正年間だったから…室町時代…、いや、戦国時代と言った方がいいのかな?

 西暦の、1500年ちょっと過ぎのことよ」


 かをる子さん、ずいぶん簡単に、古い年号なんかを出してくる。

 多くの知識が、しっかりと整理されているんだろう。


「まったく有名ではなくて…、当然、歴史に名前が残っているなんてこともないんだけれど…、信州のある村の寺に、お坊さんがいてね…。

 わたしから見ると、飛び抜けてすぐれた…、すごい人だったのよ。

 それで、時々だけれど、会って、いろいろな話をしたんだ…」


「ふ~ん、そのような方がいらっしゃったのね…。

 それで、その…人の波動って、どういうものなの?」

 と、あやかさんが聞いた。


 なんだかんだと、核心に迫っている感じ。

 かをる子さん、ニッと笑って…、そう、龍神さん、こっちの気持ち、当然、お見通しなんだけれど、知りたいこと、ギリギリのところまで、開示してくれる。

 これ、それを知らせる笑いなんだと思う。


「フフ…、そうね…、そのくらいは、話してもいいかな…。

 波動って言うのは、指紋のようなもの、人それぞれ、違うものなのよ。

 ただ…、う~ん…、今回の話で、最大のヒントとなるようなことを言っちゃうとね、その波動っていうのは人の魂の持つもので…、だから…、生まれ変わっても、変わらないものなのよ」


 うん? 生まれ変わるって…。

 ちょっと、とんでもないものが出てきてしまったようだ。

 さてさて…。


「えっ? 生まれ変わっても、って…」

 あやかさん、確認するように。


「そうよ。

 それで、前世が誰だったのか、どう生きていたのかが、わたしには、わかるときがあるんだけれど…、同じ波動ということで…。

 ククク、なにしろ長く生きてるからね…。

 でも、そのような話はしない方がいいと言われ、何でなのかと…いろいろなことを話し合ってね、それで、その結果として諭された、ということなのよ」


「そうなの…。

 なるほど…。

 ありがとう、よくわかったわ。

 と言うことは、わたしは、前世でも、龍神さんに会っていた、と言うことなのよね。

 うん、そんな気はしていたのよ…」


 おれにとっては、どう判断していいのかわからない話になってしまったけれど、なんとなく、あやかさんの目に、涙が溜まっているような感じだった。

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