/シアン -11.1
時刻は四時を回る。
枝垂れ柳がさわさわと風に流れる、運河沿いの通りをベアトリスと歩く。
こうして特に理由なく一緒にいることが珍しく、なぜか言葉少なになってしまう。
若干気まずい空気の中、かける言葉を選びあぐねていると、彼女が唐突に沈黙を破った。
「……シアンさんも、抜けているというほどの間抜けではなかったのですね」
「いきなりひどい悪口だな。ほかに言葉はなかったのか?」
「いえ、こう見えても感心しているのです。それに、その決意はお嬢様のことを第一に想ってのこと。そうでしょう?」
揺れる蝋燭を見つめるようなベアトリスの紫瞳が、ぼうと俺の目の奥を覗く。
まるで虚実を検めるように。
だが、以前のような嫌な感覚はそこにまったく感じなかった。
臆することなく頷き返し、口から言葉が自然と繰り出される。
「お嬢とのことを聞いて、自分なりに悩んで考えて出した結果だ。それが最善なのかは分からない。だが、俺にしか出来ない生き方ってやつをしてみようと思ったんだ」
笑いかけると、ベアトリスはしばらく俺の目を見つめてから、炭酸が抜けるような力のないため息をつく。
「はぁ。言っていることは格好がいいのですが、そこにお嬢様のショーツがあると思うと様になっていませんね」
俺の胸ポケットは相変わらずこんもりと盛り上がっている。
中身は忠義の証でもある、お嬢のパンツだ。
「言っておくが、今日のこれはお前が持たせたんだぞ?」
「それは反省しています。……ですが、やはり認めざるを得ないようですね。いいえ、認めましょう」
「なんの話だ?」
「いままでは『好敵手』と書いてライバルでしたが。……これからは『同志』と書いてライバルと読むことにします」
「結局ライバルなのは変わらないのか?」
「当たり前です。あなたは私の永遠のライバル。死ぬまでも、そして死んでからも。ですので覚悟だけはしておいてください」
「そいつは長きに亘る戦いになりそうだな」
「ええ。ですが、戦いと言っても共闘ですので安心してください」
急に立ち止まったベアトリスから遅れ、俺も歩みを止めた。
彼女へ振り返ると、そっとこちらへ手を差し伸べていた。
その真摯な眼差しは、まるで同盟でも組まんとする国家元首のように生真面目な在り方だ。
「共に守りましょう、愛すべき我らが主を。命を賭して」
「ああ、当然だ。俺たちは、お嬢のために在る使用人なんだからな」
大きく頷いて俺も手を差し出し、ベアトリスの白く美しい手を握る。
硬く結ばれた同志の手が、西日の輝きの中に浮かび上がる。夕のオレンジが混じり始めた空の下で、二人そう誓い合ったのだ。
俺たちが館へ帰ったのは、午後四時半を過ぎた頃だった。
玄関の扉を開けたベアトリスに続いて家の中へ入ると、壁に背もたれるお嬢の姿を見つけた。
どうやら今日は早く帰ってきたらしい。迎えられなかったことが不甲斐ない。
心細そうに俯くお嬢の表情は髪に隠れてよく分からない。ややあってこちらへ振り向いたその表情は、少しだけ緊張しているように強張っていた。
「お嬢様、ただいま戻りました」
「うん、おかえりベティ」
壁から背を離してこちらへ歩いてきたお嬢。ベアトリスと顔を見合わせては、なにか示し合わせるように頷き合う。
「では、私は夕食のお手伝いに取り掛かりますね」
革のパンプスから室内履きのスエードに履き替えたベアトリスは、シューズクロークへ靴を仕舞いに行く足でリビングへ向かう。
名残惜しそうにその背を見送るお嬢に視線を注いでいると、気付いたようにハッとしてこちらを向いた。
「お嬢、……ただいまっ」
きっといつもと同じじゃない。なにせ上擦ったのが自分でも分かったからだ。
けれどそれはどうしようもないこと。暗いオーラも悲しい雰囲気も感じない、いつものお嬢が目の前にいるのだから。
気恥ずかしそうに髪を撫でつけながら、
「おかえり、シアン」
とはにかみながらお嬢は言葉を返してくれた。それだけで心は小躍りする。俺の日常がようやく戻ってきたのだと。まともに話せていなかった時間を思うと、今にも泣き出しそうだった。
ふと、お嬢がなにやら手をもじもじとさせ、ちらちらと俺の方を見ていることに気付く。
言いにくそうな雰囲気から慮り、俺はさりげなく促す。
「お嬢? お手洗いなら遠慮せず行ってください。我慢しない方がいいですよ」
「ちち、違うわよっ。勝手に決めないでよね! デリカシーないんだから……」
ポッと顔を赤くしながら否定する。こんな何気ないやり取りも久しぶりだった。
しかしお手洗いでなければ何だろうか? 小首を傾げお嬢の顔をまんじりと見ていると、その可愛らしい口が躊躇うように小さく開かれる。
「あ、あのね、シアン。ちょっと話があって……」
「なんでしょう?」
「今週の金曜日って、なにか用事とかある?」
「金曜日ですか? そういえば祝日ですね。いえ、特になにもないですけど……」
「じゃあ、……わ、わたしに付き合って」
思いもよらぬ言葉に、条件反射的についついテンションが上がる!
「お散歩ですかっ?」
「ん、まあそんなところ、かな。――いい? 行きたいならちゃんと空けておくのよっ」
それだけ告げると、お嬢は居たたまれなそうに銀髪を翻し、足早に玄関から立ち去った。
振り返りざまに見せた顔が、耳まで赤く染まっていたのは気のせいじゃない。
けれど、何故かを疑問に思う前に、俺はお嬢と一緒に歩けることへの嬉しさで頭と胸がいっぱいだった。
お嬢とのお散歩か。一体どこを歩くのだろうと、今から楽しみで仕方がない。
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