/シアン -7

 それはベアトリスを見送ってすぐのことだった。

 それぞれ自分なりの休日を楽しもうと散開した使用人たち。それに続いて、俺もとりあえずなにかしらしようと思い動き出そうとしたところ――。


「シアン、ちょっといいかしら?」


 急にお嬢に呼び止められたのだ。

 踏み出した足とは反対に体を捩り回れ右をし、俺はお嬢に正対する。


「どうしましたお嬢?」

「今日ってなにか用事あったりする?」

「いえ……。せっかくの休みなので何かしようと考えてはみたんですけどね。特に何も決まらず今日を迎えて、持て余しているところです。なんなら休み返上で館の掃除でもしようかと」

「そう。だったらわたしに付き合って」

「お散歩ですかっ!」


 お嬢の言葉につい元気よく反応してしまう。元気にならざるを得ないだろう。なにせ個人的に付き添うことになる頼みごとなのだから。

 ともすればお散歩しかない。今日こそは夕方も――


「アンタね、お散歩以外にしたいこととかないわけ」


 そう零したお嬢の口調はしょうがないわね、そんなニュアンスに聞こえた。

 しかし困った。お嬢としたいことと急に言われてもなにも出てこない。

 頭を悩ませ、うーんと唸っていると。


「本当になにもないの?」

「はい」


 不甲斐なく頭を垂れる。すぐ側で小さなため息が聞こえた。

 お嬢をがっかりさせただろうか? そんな不安が胸を掠めかけたところで、俺はある妙案を思いついたのだ。


「そういうお嬢は、どこか行きたいところとかないんですか?」

「わたし?」

「はい。以前は俺がお散歩をお願いして、散歩コースを提案させてもらったんですけど。お嬢が誘ってくれたのでしたら、決めてくれていいですよ」

「わたしが決めてもいいの? 怒ったりしない?」

「心配しなくても大丈夫ですよ。どこへだって連れて行きますし付いていきます。お嬢と一緒にいられるだけで、俺は楽しいですから!」


 にこやかに笑いかけると、お嬢は少し照れたように目をそらした。まるで誤魔化すように、左腕をぎゅっと抱くようにして考え込む。

 するとややあってから、「あっ」と声を上げた。


「だったら別荘に行きましょ。久しぶりに展望台から景色見たいし」

「別荘ですか? 俺はいいですけど、でもベアトリス抜きでいいんですかね? なんか後から怒られそうな気がするんですが……」

「そんなこと気にしなくていいわよ。ベティにもシアンとどこか出かけるかもって言ってあるから」

「そうなんですか?」


 そうだと確かに頷いたお嬢を見て安堵する。

 それなら安心だ。後から文句を言われなくても済む。


「それにね。前に夕方のお散歩行けなかったじゃない? そのお詫びと、誕生日プレゼントのお礼も兼ねてるから。あっ、勘違いしないでほしいのは、他のみんなにも後日ちゃんとお礼するつもりなんだからね。別にアンタだけじゃないからッ」


 矢継ぎ早に繰り出したお嬢の頬は、やっぱり少しだけ赤いように思う。どこかむきになっているようにも見えて、思わず「ふふっ」と笑ってしまった。


「ん……なに笑ってるのよ。行きたいの、行きたくないの?」


 むっとわずかに眉間を寄せたお嬢が見上げ、拗ねるような声音で尋ねてくる。

 そんなお嬢がかわいくて、愛おしくて。

 俺は今日この一日をくれるすべてに感謝し「行きましょう!」と声を上げたのだ。



 と、館を後にしてまず向かったのは何故か大型デパートだった。

 理由としては、もうすぐ五月一日。来週と差し迫ったその日はベアトリスの誕生日。ちょうど彼女がいないからと、誕生日プレゼントを買いたいと言われたからだ。

 そしてやってきたのは、以前お嬢のクマを予約しに来たぬいぐるみ屋だった。


「――ねぇ、これなんて可愛くない?」


 両手ほどの大きさの、絶妙にブサイクな猫のぬいぐるみを手にお嬢がはしゃぐ。

 棚には可愛らしいぬいぐるみが他にもたくさんあるのに、なぜそれをチョイスするのか……。


「こっちの方がいいんじゃないです?」


 俺はすかさず近くにあった普通のウサギのぬいぐるみを取って尋ねた。

 するとお嬢は「はぁ」と力なくため息を一つこぼす。

「分かってないわね。ベティは微妙にずれた趣味を持ってるのよ、知らなかった?」

「はあ……。でもどうしてぬいぐるみなんですか? ベアトリスならもう少し実用的ななにかの方がいいんじゃ。万年筆とか」

「アンタね、もう少しわたし以外の人間に興味持ったらどうなの?」

「すみません」


 頭を垂れて謝ると、どこからか視線らしきものを感じた。背筋がそら寒くなるような感覚はなんとなく覚えがある。そちらへ目を向けると、以前ベアトリスと来た時に彼女が持ってきたラビデロ君の姿があった。

 そういえば、あの時の様子では自分が好きそうな感じを醸していたなと、いまさら思い出す。


「お嬢。そういえば前に来た時にベアトリスのやつ、あの不気味なぬいぐるみを押してました。あの時はお嬢が怖がりそうだったからやめるよう言ったんですけど」


 指さした方へ目を向けるお嬢は、「デロシリーズね」そういって顎に手を添え考え込む。しばらくし、そしてなにか納得するように頷いた。


「たしかウサギはまだ部屋に置いてなかったはず。……そうね、あれにしましょうか」


 来て早々、ベアトリスの誕生日プレゼントを決めたようだ。受付へ予約しに行くと、展示してある物のほかは、在庫がラスト一点だったらしく。タイミング的にちょうどよかったことを知った。見た目からは想像がつかないが、意外と売れているようだ。

 ちなみに俺は、お嬢が先ほど手に取ったブサイクな猫をあげることにした。

 好敵手に塩を送るわけじゃないが、世話にはなっているからな。これからもお嬢を共に支えよう、そういう意味でのプレゼントもたまにはいいだろう。



 それから車を走らせ、町から遠ざかることおよそ二時間。

 山を一つ越え、その麓に広がる湖へとやってきた。

 陥没カルデラによって出来た湖は水深が深く、水の透明度も非常に高いため、よく晴れた凪ぎの日には水鏡のように世界を映し出す。美しい青の湖レーヴアズィール。

 そしてここは湖畔の別荘地だ。

 夏場は上流階級の人間たちが訪れる避暑地にもなっている。ちなみに少し離れた場所だが、フローレンス家の別荘もここにある。以前、夏休みにお嬢はリディ嬢と遊んだこともあった。

 その頃はあまり面識はなかったようだが、同じ学校へ通う者同士仲良くしようと誘われたのだ。車で十分とわりと近場に小さな町もあって、メインストリートには飲食店やブティックなんかも軒を連ねるため退屈はしなかったそうだ。

 新緑の並木に彩られた道路を抜けて視界が開けると、湖に突き出るようにせり出した岩壁が見えてきた。

 その頂にペンションのような小さな家が建っている。レンガ造りの煙突が誇らしげで、まるで童話の民家のようだ。

 緩やかにカーブする坂を登り切って、門の先の駐車スペースに車を止めた。まず先に車を降り、後部ドアを開ける。


「お嬢、どうぞ」

「ありがとう」


 差し伸べた俺の手を取って車から降りたお嬢は、自然に囲まれた地の風を大きく吸い込んだ。


「すぅー……はぁー……。やっぱりここの空気は美味しいわね」


 そよ風になびく銀髪が陽にきらめく。濃灰色のスカートもはためくように揺れ、白い透かし編みのニットは温かな陽気の中で涼しげだった。薄っすらと透ける黒のキャミソールがまた色っぽい。


「別荘へこの時期に来るのは滅多なことじゃないですからね」

「そうね。だから余計に美味しく感じるのかも?」


 美味しいといえば、そろそろお昼だ。

 プレゼントを買ったついでに、デパートで一応サンドイッチの材料は買ってきたが……。

 ハウスキーパーを雇ってはいるが、今日はあいにくの休み。別荘へ来ることも今日決めたようだし、もちろんその人たちは来ていない。とすればもちろん、俺が作ることになるのだが。

 お嬢がいつも食べているのは、俺も認める美味しさのベアトリスお手製のものだ。お粗末なものを出す気などないが、料理も習ったとはいえそれと比べては味も劣る。

 そんな俺が作ったものでいいのだろうか。助手席に置かれた紙袋を横目にして思う。


「シアン?」

「はい?」

「どうしたの、早く中に入りましょ。お昼にしたいし」

「でも、本当に俺のサンドイッチでいいんですか?」

「なに言ってるの。別に味の心配なんてしてないわよ。以前作ってくれたシアンのだって、十分美味しかったから」


 その言葉を聞いて、すっと嬉しさが心を染み渡っていった。

 腕によりをかけて、ベアトリスよりも美味しくなるよう心を込めて作ることを誓ったのだ。



 木の温もりを感じさせる落ち着いた雰囲気のリビングで、俺はお嬢と昼食をとった。

 心配なんてしていない――。

 そう言ってくれたお嬢は、本当に「美味しい」と笑ってサンドイッチを食べてくれた。

 俺のはライ麦パンで作るBLTサンドと、イチゴにオレンジ、それとバナナに桃と生クリームを食パンで挟んだフルーツサンドだ。

 デザートのフルーツサンドを口にした際。はみ出た生クリームがほっぺたに付着し照れたお嬢を見て、不意に昔のことを思い出した。


 子供の頃、町でクレープを買って帰った時のことだ。お小遣いを握りしめて、お嬢のためにけっこうな値段のするクレープを買いに行ったことがある。

 いまでこそクレープにそんな値段をと思わないでもないが。当時はお嬢の喜ぶ顔が見たくてなにも考えずに買いに走った。

 お嬢もお金の価値なんてまだよく分かっていないような年頃だ。無邪気に喜ぶお嬢の笑顔、今みたいに「美味しい」と言ってくれた言葉がすごく嬉しかった。

 かじりついた拍子にはみ出したクリームが、今みたいに頬に付いたのを一生懸命に取ろうとして、クレープを持っていることを忘れたのだろう。こぼれたクリームで服まで汚れてしまった。お気に入りの服だったのか、お嬢は今にも泣き出しそうな顔をして。

 慌ててそれを拭いてあげると、お嬢は「ありがとう、シアン」と泣きべそをかきながらもお礼を口にしたのだ。


 自分の服が汚れて悲しむよりも、俺にありがとうの一言を届けてくれた。

 最近はそっけなかったり、照れくさそうに言うこともままあるけれど。

 あの頃からちっとも変わらない。お嬢はいつも俺たち使用人にも「ありがとう」「美味しい」などの言葉をかけてくれる。俺達にはもったいないくらいの、素晴らしいお嬢様だ。

 そんなお嬢とこうして二人で過ごす時間はあまりないため、俺にとっては至福のひと時で。

 今日だけはお嬢のことを独り占めに出来る。ついそんな欲深いことを考えてしまいそうになる。分不相応で浅ましい考えだ。


 そこでふと、なぜか寂しい気持ちが波のように胸に押し寄せてきた。

 いつか、いつかは――。

 食後の紅茶を楽しむお嬢を見守る、自分の眉尻が下がっているのが分かる。窓に切り取られた風景を眺めているその横顔を見ているのが辛い。

 理解はしていることだ。ただ考えないようにしてきただけ。そんなこと、口が裂けても言えるわけがない。困らせては駄目だから。

 見つめていたことに気付いたのだろう。こちらへ顔を戻したお嬢と目が合った。


「ん? どうしたのシアン。わたしの顔になにかついてる?」

「いえ……。いえ、お嬢の顔には天使の祝福がついてますよ」

「そんなものついてるわけないでしょ。なにそれ、新手の口説き文句?」

「口説くだなんてそんな、……滅相もないです」


 頭を垂れて小さく首を横に振る。

 失礼だと怒られるだろうか。遠慮がちに上目でお嬢を見ると、静かにでも長く息を吐いて俺を見ていた。ハッとして気付くわけでもなく、ただ当然のことを納得するように。


「そうだったわね」


 呟いて、お嬢はカップの取っ手をつまみ口元まで持っていく。一瞬だけ俺を見て、すぐに目を伏せながらカップを傾けた。


「お嬢?」

「……ねぇ、聞いてもいい?」

「なんです?」


 問うた声と、ソーサ―にカップを戻す無機質な音が重なる。


「どうしてシアンは、わたしの傍にいてくれるの?」

「俺はお嬢の執事ですから。主人の傍に在るのは当たり前のことですよ」

「それだけ?」

「……それはどういう意味ですか?」


 ほんの短い時間。互いの目の奥からまるで真意を読み取るようにして見つめ合った。

 目を丸くする俺と、遊んでいた友達と別れその背を見送るような物寂しい顔をしたお嬢。

 その表情の意味は分からない。けれど、俺はお嬢が目を逸らすまでじっと見つめ続けた。

 先に目をそらしたのはやはりお嬢で。ほっとしたわけではないと分かるため息をつく。


「ふー。……食後のお茶もいただいたし、そろそろ行きましょうか。展望台」


 話を切り上げて席を立ったお嬢。主人が立ったのに座っているわけにもいかず、複雑な思いのまま俺もそれに続いて立ち上がる。

 ふと窓の外を見やると、東の空に灰色がかった雲があるのが見えた。

 前例もあることだし、少し心配になる。


「お嬢、これから天気が悪くなるかもしれません」

「そんなわけないわよ。天気予報じゃ今日は晴れだったから」

「しかし、」

「いいから行きましょ。あそこから湖を見たいの。シアンと一緒に……」


 そんな殺し文句を言われては、強く断るわけにもいかない。俺としても一緒に歩きたいのはもちろんのことだし、それにお嬢の頼みなのだ。俺はそれを叶えてあげたい。


「分かりました。俺も天気予報を信じることにします」

「ええ。じゃあ行きましょ」


 九八パーセントくらいは当たっている天気予報だ。そうそう外れはしないだろう。

「先に外へ出てるから」そういって部屋を後にしたお嬢。

 カップとティーポットを片付けて、しっかりと戸締りを確認してから俺も外へ出る。玄関に施錠をし、そして待っていてくれたお嬢の後ろについて共に歩き出した。

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