/シエル -2
午前十一時半にリディと待ち合わせて、そこからトラムに乗って町へと繰り出した。
リディはショートパンツをよく好んで穿いている。動きやすいから楽なのだそう。パーカーもラフな感じで活発な赤茶のショートカットによく似合うけど、この辺りのお嬢様にはなかなか見ない服装だった。
そんな彼女と町中を少し散策したらすぐに十二時になったけど。
お昼時はどこも混むから、少し時間をずらしてお昼を食べよう。そういう話になり、しばらくお店を見て回ることになった。
ブティックに始まってアクセサリーショップに雑貨屋さん、本屋さんなんかをはしごした。
色々見て回って楽しかったけど、中でも特に収穫があったのは雑貨屋さん。
毎年シアンが誕生日にプレゼントしてくれる、氷みたいなガラス細工『グラキエース』。そのアニマルシリーズを置ける専用の小さなタワー型の台座が売っていた。樹の形を模していて、今までに出た動物全てが置けるようになっている。この先新たに動物が増えたとしても、樹の台座は連結が可能なため対応でき、その場合は森のようになっていくらしい。
もうすぐわたしの誕生日。きっと今年もガラス細工だと思うから、買っておいても間違いはないと思う。でも、今年は気を回してセットでプレゼントしてくれるかもしれないし。そう考えるとなかなか購入までは踏み切れなかった。
二つだなんて欲張りかもしれないけど、もちろん一つでも十分嬉しい。そんなこと、シアンには言わないけどね。無防備に喜ぶ姿が目に浮かぶから。
その時の顔を想像したら、思わず笑えてきた。きっとキラキラした目をして喜ぶんだろうな。
「ふふっ」
「おやおや? なんかシエルご機嫌じゃん?」
「そう? きっとリディと遊びに出かけるのが楽しいからよ」
「それだけじゃない気がするのは気のせいかなー? でもま、そういうことにしとこっか」
わたしたちが大通りに面したカフェに寄ったのは、十三時を少し回る頃だった。リディが町へ来る時は決まってこのお店でお昼を食べるそう。特にパスタが有名で美味しいらしい。
すぐ近くには大きなデパートやトラムの停留所があって、通りは人の行き来が激しくて賑やか。そんな往来を眺められるガラス窓の近くに座って、わたしたちは昼食をとることにした。
リディはカルボナーラ、わたしはポモドーロを注文する。
「それでどうだった、うちのセバスチャンは?」
テーブルに頬杖をついて外を眺めながらリディが切り出す。どうやら料理が運ばれてくるまでの話題は、例の執事交換の件で決まりなようで。
「どうって、ただ気を遣って疲れたわ」
「執事としては?」
「専門学校出てるんだから、別に文句は付けようがないんじゃない?」
わりときっちり教育している学校だという話は聞いたことがあるし。そこを卒業しているということ自体、執事として世に出しても恥ずかしくはないと認められているわけだから。
けれど納得したのかしないのか。リディはよく分からない微妙な顔つきで人の波を横目で流していた。
この際だから、わたしは今日の主だった目的を先に済ませることにする。バッグの中に手を入れて、触れた紙を取り出した。
「はいこれ。忘れないうちに渡しておくわ」
それをそっとリディの目の前に差し出す。
すると彼女は得体の知れない物に疑問符を浮かべるような顔をして小首を傾げた。
「ん? なにこれ」
「なにって、前にリディが言ってたレポートよ。まさか忘れたの?」
「そんなことないよ、覚えてるし」
そう言うリディの目は泳ぎ、やり場のないように視線はまた通りへ投げられる。
なんとなく気まずそうな雰囲気から、もしかしたら持ってこなかったのでは? という気もしたけれど、それを強くは責められない。
かくいうわたしも自分がすべてを書いたわけじゃないから。文字はたしかに自分で書いたんだけど、内容はほぼベティが感じたことをただメモっただけ。
だからリディが持ってきていなくても、おあいこには出来る。
折りたたまれた用紙をチラリと横目にし、何度目かでようやくリディはレポートを開いた。
「思ってたよりも細かいね……」
そう呟く彼女の目は、興味深そうに紙面を走っていた。
B5サイズにびっしりと書き込まれた良いところ、悪いところは、雇い主である彼女にも新鮮に読めるくらいの発見があるものだったらしい。
そうなってくると自然、わたしも気になってしまうというもの。
「それで。そういうリディはどうだったのよ……シアンは。ちゃんと執事できてた?」
尋ねると、「期待はしないでねー」となにやら予防線を張って、リディもバッグから小さな紙を取り出した。
なんだちゃんと持ってきてるじゃない。そう感心し、安心したのも束の間。
受け取って見た紙に書かれていた文言に、わたしは目を丸くした。『わんこ。とにもかくにもわんこ、以上!』ただそれだけ。
「……なにこれ?」
「なにってレポートだよ。見ればわかるでしょー?」
「これがレポート? まとまってすらいないじゃない。しかも一言だし」
「これ以上まとめようがないってくらいまとまってるよ。それと、いちおう句点で区切ってるから二言ね」
「知ってる? そういうのをヘリクツって言うのよ」
期待はしないでね、とはこういうことだったのかと納得する半面。まさかこれだけだとは思っていなくて、わずかばかり期待してしまっていた心の着地点がうまく見つからない。
「だいたい、これじゃあわんこ以外に分からないじゃない」
「だってしょうがないじゃん、ほかに書くことなかったんだからさ。でもそれ以上の言葉が見つからないくらい、シアン君はわんこだったよ。キングオブわんこ、いや、鏡に映したわんこだね。むしろ鑑だよ」
「意味が分かんないんだけど……」
落胆というほどではないけれど、気の抜けた言葉を返す。
「っていうか、そもそもお茶しただけだしねー。彼を執事として試す目的で呼んだわけじゃないからさ」
「たしかにそれが本来の目的だったんだろうけど」
出来れば良かったところくらいは書いておいて欲しかったな。
他人の家で執事をするシアンが、わたしの執事じゃないところでどんな風に人と接するのかを知りたかった。普通じゃ見られないから、第三者目線で感じたことをこれで知ることが出来る、わずかながらにそう思っていたのに。
半ば諦め「ふぅ」と小さく吐息をついて、わたしは話を先に進める。
「それで、リディは見つけられたの? 自分の執事のいいところ」
「まあ、なんていうか。わんこ君はわんこ君で良かったんだけど。シエルもさっき言ったけどさ、やっぱ気を遣っちゃうんだよね。楽しかったけどちょっと疲れたから、一緒にいて気が楽なセバスチャンの方が合ってるのかもって思った。遠慮しなくていい感じ?」
遠慮がない。それは決して配慮がないわけじゃない。過度に気を遣わなくてもいい相手、それが一番楽で落ち着くことを、きっとリディも解ってる。
心配しなくてもそう感じたのか、と彼女にしてはまともな答えに感心していると。
それにね、と付け足して、リディはわたしの目を真っすぐに見つめてきた。
「シアン君、シエルのこと大事に思ってるよ。それは話してみてすごく感じた。だってさ、アタシは世間話とかセバスチャンとの学生時代のこととか聞いてるのに、なにかと『お嬢が』とか『お嬢に』とかシエルが絡んでくるんだよ? いつの間にかシエルの話が多くなってたしさ。もはや惚気かと思うほどだったね、あれは」
「そ、そうなの……まあ、だからなにって話では、あるけど……」
思わぬ言葉が耳に飛び込んできて動揺してしまう。
胸は脈動が聞こえるくらいに高鳴って、心なしか耳が熱い気がする。
にこにこと無邪気に笑うリディから目をそらして、わたしは通りに目をやった。
「この店、少し暑いわね」なんて呟きながら手で顔を仰ぐ。頬を撫でた風がひんやりと感じ、顔まで熱を持っていることにようやく気付いた。
「シエルってかわいいよね」
「なによいきなり、からかわないでよね」
「からかってないよ本心だよ。でも、そっかそっかー」
明るく言って何度も頷くリディ。なにを納得しているのか分からないけど。
「やっぱ、そうだよねー」
そう口にした彼女の横顔は、なぜか憑き物が落ちたような清々しい顔をしていた。
わたしの胸はどうしてだか、もやもやしているけれど。
ちょうどよく話が一段落したところで、ウェイトレスが料理を運んできた。
わたしが注文したのは、新鮮なトマトソースとバジルの香りが爽やかなポモドーロ。チーズのコクがアクセントとなって、オリーブ油の風味が素材一つひとつをうまくまとめている。雑味のあるオリーブ油ではこんなにも美味しくはならない。
家で使用人が作ってくれる物ももちろん美味しいけれど、人気店なだけあってさすがとしか言いようがないくらいに美味しかった。
リディが注文したカルボナーラは、豚トロを塩漬けにして熟成させたグアンチャーレの油と、卵黄が筒状のパスタによく絡んだ濃厚なもの。すり下ろされたペコリーノチーズの風味に粗挽きの黒コショウの辛みがピリリと足され、肉厚なリガトーニにピッタリと合う。
一口だけ交換したんだけど、こちらもすごく美味しかった。今度来たときにはカルボナーラを頼もうと思う。
なにげない話をしながらやがて昼食を終えて、ついでに食後のお茶をすることにした。
「それはそうとさ。執事の交換、してよかったでしょ?」
カップから立ち上る、紅茶とミルクが溶け合ったミルキーな香りに癒されていると、リディが急にそんなことを口にした。小さな角砂糖をシュガートングでつまみ一つカップへ落として、ティースプーンで静かにかき混ぜる。
「まあ、良かった良くなかったで言えば、良かったのかもね」
「素直じゃないなー。大事にされてるって分かったんだから、よかったんでしょうに」
「だから、その話はもういいってば」
食事中もそんな話をされて、照れくさいのか恥ずかしいのかよく分からない感情に翻弄されていた。もちろん嬉しくないわけじゃないし、むしろ嬉しいとは思うんだけど。気持ちのやり場に困るというか、置き場に戸惑っていた。
長く一緒にいると気付かないこともある。執事を交換する話をされた時にそんな思いで了承したけれど。いざ何かを発見してしまうと、それを心のどの棚に置けばいいのか分からなくなった。今までそこにあったはずの物と、まったく同じ別な物を見つけてしまったみたいな。
自分でもよく分からないけど、とにかく複雑な気持ち。
「でもわんこ君に来てもらってよかったよ。セバスチャンの面白い話もいくつか聞けたしさ」
そこでふと、リディのわんこ君といった言葉を耳にして思い出した。
「あっ、わんこって言えば。最近雨が降ったじゃない?」
「あー、月曜日?」
「うん。その時ね、シアンがずぶ濡れで帰ってきたのよ」
「知ってる。セバスチャンが傘持ってなかったって言ってたから。やっぱ降られたんだ」
「うん。でね、わたしが髪を拭いてあげたんだけど。そしたらね――」
そしたら? とリディが食いつくように両肘をついて前のめった。好奇心からだろうか、その瞳は相変わらずランランと輝いている。
その反応に、わたしは少しだけ眉根を寄せた。
「……アンタがわんこわんこって言うから、世話のかかる大型犬を拭いてあげてるみたいな感じになって不思議な気持ちだったわ。どうしてくれるのよ、わんこにしか見えなくなったら」
あの時に感じた困惑を打ち明けると、リディは誤魔化すように頭の後ろで手を組んで仰け反る。
「そんなこと言われてもねー」
こっちは真面目に相談しているのに、当の本人はまるで口笛でも吹くかのような軽さで嘯いた。そのお気楽な態度をむっとした視線で責めると、リディはスッと視線を外して通りを眺める。
「まあ、それはあれだよきっと。もともとシエルもわんこっぽいと思ってたんじゃないの?」
「………………」
わりと的を射た指摘をされ、否定することも出来ずに紅茶の湯気をふーふーして誤魔化す。
「やっぱ図星じゃん。まあでもしょうがないよ。シアン君、ほんとにわんこっぽいし――ってあれ?」
冷ました紅茶を飲もうとカップに口を付けた時、リディが気付いたように声をあげた。
「どうしたの?」
「あれ、シアン君じゃない? ほら、通りの向こう。なんかメイドさんといるよ」
そういって指さす先を目で追うと、たしかにいつもの黒いスーツ姿のシアンがいた。対面に立っているメイドはベティだ。なにやら二言三言交わすと、ベティが丁寧なお辞儀をしてシアンとは反対の方へと歩いていく。
そちら側にはトラムの停留所があるから、きっとこれから帰るんだろうけど。
シアンはベティの背中を見送った後、大通りをアーケードの方へと歩いて行った。
「ねえシエル。わんこ君の後、尾けてみない?」
「えぇー……、いいわよ別に」
「気になるでしょ?」
「ならないわよ別に」
「別に別にも気になる内ってね。ほら、早く行くよ!」
「あ、ちょ、ちょっと――」
強引に腕をひかれ、まだ紅茶が半分以上も残っていたのにカフェから連れ出されてしまった。
せっかくのアールグレイのロイヤルミルクティーだったのに。まあ、「お釣りはいらないから」と男らしくリディが払ってくれたから、わたしに損はないけれど。
でもそのおかげでシアンを見失わずに済んだことも確かだけどね。
歩道を渡って反対の通りへ向かい、ある程度の距離を保ってシアンの後ろをついて歩く。
アーケードには色々なお店が建ち並んでいる。それこそ色々。
カフェに来る前まで見ていた数々のお店とか、花屋さん、パンケーキにクレープ屋さんなどなど。
そんな通りを歩くシアンは、なにかを探しているようにウィンドウを覗き込んだりしている。
その様子をお店の入口の影や柱に隠れながら見守るわたしたち。
シアンの休日の過ごし方なんて、いままであんまり気にしたことはなかったけど。どんな風に過ごしてるのか少しだけ気にはなるかな。
でもプライベートを盗み見るなんて、なんだか悪いことをしている気にもなってくる。
「ねえ、やっぱりコソコソしてるみたいで嫌なんだけど」
「そりゃあ尾行してるんだからコソコソしないと! 探偵ごっこだと思って楽しめばいいよ」
「ごっこ遊びして楽しむような年じゃないでしょ……」
「なにババくさいこと言ってんの。そんな年じゃないでしょーが」
ああ言えばこう返ってくる。リディといると、ほんと退屈しないわね。
もちろん褒めてるのよ。貴重な存在だって。
「おや? わんこ君、花屋さんで立ち止まったよ。もしかしてシエルにプレゼント?」
「そんなキザなこと、シアンはしないわ」
立ち寄ったように見えたのは、どうやら店員の女性に話しかけられたからのよう。明るい茶髪の綺麗な女性。シアンもどこか嬉しそうに薦められる花を見て笑っている。
あれは女性が綺麗だから? それとも花が? 別にどっちであろうとどうでもいいけど、少しだけ胸がモヤっとした。
その後も尾行を頑張るリディに付き合うも。目にする場面はお店の看板娘に話しかけられて立ち止まり、会話に花を咲かせるシアンの姿ばかりだった。
別に誰と話していようとどうでもいいはずなのに、シアンを見ていたらなぜかイライラした。嫉妬しているみたいでひどく自分が嫌になる。そんなに小さな人間なつもりじゃなかったのに。
「もしかして、シアン君ってけっこうモテる?」
苛立ちがより増したのは、リディのその一言がきっかけだった。
興味深そうに建物の影から向こうを覗く彼女。悪気があるわけでは決してない、ただの好奇心からの言葉だったと思う。
でも胸に感じていたモヤモヤと、積もった苛立ちとが言葉をきっかけにして燃焼した。
「おっ、移動するみたい。今度はどこに行くのかなー」
リディが楽しそうなのは何よりだけど、わたしはもうこれ以上続けられそうにない。
シアンを追おうとして腰を上げかけた彼女の背に静かに呟く。
「……リディ、ごめん。わたしもう帰るね」
「えっ、シエル?」
「今日は楽しかったわ。また遊びましょう」
思った以上に沈んだ声で別れを告げて、わたしは一人踵を返した。
「ちょっと待ってよー、わんこ君はー?」とリディに呼び止められたけど、踏み出した足はもう止まらない。足早に急いで、ちょうど停留していたトラムに飛び込むようにして乗ったのだ。
……わたしのことばかり話していたって、そう聞いたのに。
燃えたら立ち消え、燃えカスが澱のように沈んではわだかまる感情が、胸を圧迫して苦しい。
どうしてこんな気持ちにならないといけないのだろう。相手はただの使用人なのに。
流れていく町の景色と一緒に、この感情も綺麗に流されていけばいいのに。そう願わずにはいられなかった。
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