/シアン -4.1
翌日。四月十二日。安息日の午前七時。
昨日約束したとおり、お嬢は俺と朝の散歩に出かけてくれた。メイドのオプションはない。
初めこそ眠そうな目をしていたが。清冽な空気と涼しい風に目が覚めたのか、次第に町の景色を楽しむようになっていった。
「この時間って普段学校に向かう時間だけど。こうして休日に通りを歩いてみるとなんだか違って見えるわね」
街路樹から漏れるやわらかな光に目を細め、微笑を浮かべるお嬢。
ラスクリーネの主要な通りには数種類の木が植えられている。場所によってカエデ、ヤナギ、ケヤキ、サクラ、イチョウ、そしてマロニエなど様々で通りごとに違った趣がある。
中でも高級住宅街の通りにはリンデンが植樹されている。等間隔に並ぶ木々は目に鮮やかな新緑の葉が茂る。枝の仕立て方が大きなフォークのようで見ていて面白い。
花が咲くまでにはいま少しかかるが、夏頃には淡黄色の綺麗な花を咲かせ、通りを甘く優雅な香りで満たすことだろう。
普段こんなにも早い時間に外を出歩くことがそうないため、俺としても景色は新鮮だった。
「そうですね。十時くらいに散歩に出たことはありますけど、さすがに七時台はないですから。休みの日でも用事がない限り、この時間に外を歩くようなこともありませんし」
「執事とかメイドだと、家の仕事もあるしね……」
並び歩いていたお嬢がそう呟いて、急に立ち止まる。
不意の出来事だったため、遅れること一、二歩進んで俺も歩みを止めた。そして振り返る。
後ろ手に組んで少しだけ俯くお嬢の表情は、木漏れ日が影を落とさせてはっきりとは分からない。俺との散歩がつまらないのだろうか、一瞬そんな不安が過ったが。
「――ありがと」
微風がリンデンの梢を揺らすサワサワといった音の中、紛れるように聞こえたお嬢の声は感謝の言葉だった。
「ありがとうって。お嬢、それは何に対してですか?」
「そ、そりゃあまあ、いろいろよ。今日晴れてくれてとか、風が気持ちよくてとか……」
苦し紛れに惚けるような顔をしてリンデンを見上げるお嬢。
その表情の意味はよく分からなかったが、俺もそれには同感だと大きく頷く。
「なるほど! たしかに、お嬢とのお散歩の日に晴れてくれなければ始まりませんしね! お嬢といられるだけで楽しいですが、やっぱりお散歩となると違いますし」
「楽しいんだ……?」
「楽しいですよ! お嬢と一緒に歩けて、なんだか心がわふわふします!」
「ん? わくわく?」
「違いますよお嬢、『わふわふ』です」
「なにそれ?」
「例えるならそうですね。犬が嬉しさ余ってわんと吠える前に先走り、「わふわふ」いってる感覚ですかね」
「ごめん、よく分からないわ」
「とにかく、こうも散歩日和な天気にしてくれて、俺も自然に感謝したいくらいですよ、ありがとう!」
空に向かって礼を述べる。するとタイミングよく小鳥たちの囀りが聞こえ、自然が返事をくれたような気分になった。本当に雨じゃなくてよかった、心からそう思う。
清々しい気持ちで伸びをしたその時、「……ばか」と小さくお嬢の声が聞こえた気がしたが。
丘から一段と強く吹き下ろした花風が、確信する前にザァアアア――とそれを浚っていった。
背中まで伸びる銀の髪と、丈の長いワンピースの裾を抑え風を凌いでいたお嬢。風がやむと乱れた髪をササっと手直し、そそくさと先を歩いていく。
「シアン。ほら、行くわよ」
振り返ってそう手を差し伸べるお嬢の頬は、なぜかほんのりと桜色に染まっていた――。
朝のお散歩は三十分で終わってしまった。
俺としてはもう少しお嬢と歩いていたかったのだが、俺にも館の仕事がある。ベアトリスに怒られない内に帰った方がいいとお嬢に諭され、泣く泣く散歩を切り上げた次第だ。
しかし今日は夕方もお嬢とお散歩に出られる。だから贅沢なことは言えない。それを楽しみに一日頑張ろう。
館の仕事をあれやこれやとこなし、時刻は午前十一時を回った。
昨日言っていたように、お嬢は昼からリディ嬢と出かける約束がある。そのため俺たち使用人は、お嬢をお見送りするために玄関へと集まった。
フリルのついた白いブラウスに紺のロングスカート。足元は黒のパンプスがシックに決め、白黒のショルダーバックを肩から下げている。
春風にも負けない清楚なお嬢の姿に、ほっとため息がこぼれた。
「そろそろ行くわね。お昼はリディと適当に食べてくるから」
「分かりました。お嬢様、お気をつけていってらっしゃいませ」
「うん。あんまり遅くはならないと思うから、心配しないでね」
「お嬢! 帰ったらお散歩ですからね!」
「分かってるわよ。じゃあ、いってきます」
そう言ってドアを開けたお嬢の背中に、「いってらっしゃい!」と言葉をかけて見送る。
ドアが閉まり、お嬢の存在が消えた館は一気に華やかさを失ったような感じがする。いつものことだから気になりはしないが、寂しいものだ。
さりとて、お嬢がいなくなった途端に仕事へと戻る真面目なメイドたち。なんだか俺まで急かされている気になってくる。まだまだ一日はこれからということだ。
「さて、掃除でもするかな」
気持ちを切り替えて踵を返し、そうして俺は窓拭きへと向かったのだ――。
丘の上から鳴り響く教会の鐘が、ラスクリーネに十二時を告げる。
俺は自室で一人、午後の予定表を眺めながらサンドイッチを頬張っていた。
昼食を終えたら庭の芝の手入れと花壇の花がら積み、ガゼボと彫像の清掃。その後は掃除を終えた部屋の家具の位置戻し。そして今日は夕方にお散歩がある。
お散歩、お散歩と頭の中で復唱する。その度にBLTサンドのレタスを咀嚼する音が、小気味よくシャキシャキと鳴った。
ちなみにこのサンドイッチはベアトリスが用意してくれたものだ。
普段お嬢がよくお弁当として学校へ持っていくものと同じ。機嫌がいい時にはこうして俺にも出してくれるため、ベアトリスの今日の機嫌は上々だと分かる。
唯一作れるという料理に舌鼓を打ち、あまりの美味さに一気に平らげる。その他の料理は壊滅的だが、サンドイッチだけは一級品だ。タマゴサンドも付けて貰えればなおよかったが……。
変わったメイドさんだなとホッとした息に乗せ、食後のカフェラテを一口含む。
と、――ガチャッと突然部屋のドアが無遠慮に開かれたのだ。
「――失礼します。シアンさん、いまお暇ですか? どうやら暇なようですね」
「待て。断りはしたがノックもなしに入ってきて、いきなり人を暇人扱いするんじゃない」
「お暇じゃないのですか? 忙しそうにはとても見えませんけど……」
たしかにメイドたちに比べれば忙しない日々を送っているとは少し言い難いだけに、大して言い返す言葉も見つからない。
ぐぅの音も出ないところをなんとかひり出し、「失礼な奴だな」とだけ反抗して、「それで、なにか用なのか?」と気を取り直して先を促す。
「ええ。折り入ってご相談したいことがありまして。もう少しでお嬢様のお誕生日じゃないですか。今年もプレゼントされるんですか?」
「そりゃあするだろう。なんたってお嬢の誕生日だぞ。けどお前には教えない。というより誰にも教えない。当日のお楽しみだ」
お嬢の誕生日は四月二十日。もうあと八日と迫っている。お嬢がこの世に生まれた奇跡を感謝する日でもあるため、当然プレゼントにも気を遣うというものだ。
お嬢の照れ笑う顔を一人想像し、幸せな気分で微笑を浮かべる。
「なんですか一人でニヤニヤして気持ち悪い。まさかショーツをプレゼントするだなんてことはないですよね?」
ジトッと目を眇められ、意味の分からないことを言われて一瞬目を丸くする。
「パンツ? そんなもの俺からあげてどうするんだ」
「お気に入りのハンカチを得るために?」
「馬鹿を言え。それこそ不義不忠というものだ。お嬢が選んだお気に入りを使うからこその忠心なんだろう」
「忠心という言葉の意味を、ちゃんと辞書で引くことをおススメします」
はぁ、と呆れ返ったようにため息をこぼすと「でもそうですか」とベアトリスは呟いた。
「ああ。けどなんでそんなことを聞くんだ?」
尋ねると、彼女は楚々として部屋の中へと入ってくる。机に肘をかけてそれを眺める俺の元までやってくると、エプロンのポケットから折りたたまれた紙を取り出して机上に置いた。
おもむろに手を伸ばして開いてみると、そこには要件が書かれていたのだった。
あれからすぐ。俺とベアトリスは町の大型デパートへ向かった。
お嬢の誕生日に、お金を出し合って使用人みんなからのプレゼントをしようという、ベアトリスの気の利いた提案によるためだ。ほかのメイドも皆それに賛同し、お金は預かってきた。
毎年個人では贈っていたが、みんなでといったことは今までしてこなかった。
正直に言って、いいアイデアだと思う。個人では贈り物の値段や大きさなどにも限界があるため、あまり大層なものは渡せない。
その点みんなで出し合えば多少の限度くらいはどうにかなるだろう。決して値段や大きさで価値が決まるわけでもないと思うが、みんなで贈るのなら少しくらい大きくても良いと思うのだ。
ちなみに俺は、毎年小さなガラス細工の動物をプレゼントしてきた。それらは今でもディスプレイケースの中に飾られていて、大切にしてくれている。
今年は別の物を、と思っていたが。考えていた物がみんなで贈る物と被ってしまったため、自分のプレゼントは一先ず置いておくことにした。
そうしてやってきたのはデパートの五階。主にぬいぐるみを取り扱っている店だ。
もこもこしたヒツジや、人気のクマシリーズ。他には昼寝も出来るくらい大きなライオンなど、種類も大きさも用途も様々なぬいぐるみがひしめき合うようにして陳列されている。
「シアンさんはどれがいいと思いますか?」
「そうだな。俺が考えていたものになるけど、やはり安定のクマじゃないか? コレクターもいるくらいだし」
棚からテディを一つ取り上げる。ミルクティー色をしたかわいらしいクマだ。大きさにしてだいたい三十センチといったところで、なんとなくしっくりくる大きさだった。
首から下げられていた札には、『プレゼント用にお名前の刺繍お入れします』と書いてあるし、贈り物としても上等だと思う。
しかしベアトリスは違ったようで。
「あなた、センスないですね」
ため息交じりにそう呟いて、一人店の奥の方へと歩いて行った。
テディを棚に戻していましばらく悩んでいると、「――お待たせしました」と言って彼女が戻ってくる。
振り向き、その腕に抱えられていたものを見て唖然とした。
「なんだそのモンスターは……」
「モンスターではありません。デロシリーズの新作、ウサギのラビデロくんです」
ラビデロくんと紹介されたぬいぐるみは異様な姿をしていた。
頭は大きく耳が尖り、目には歪で大きなボタンがあしらわれ、口からは長い舌がだらしなく飛び出している。体系はずんぐりとしていて少し腹が出ており、手足はひょろりと長い。
可愛さアピールなのか、尻尾は小さなポンポンが付いているだけだった。
はっきり言って、不気味だ。
「ちなみにデロシリーズは他にもありまして。ライオンのレオデロ君、ヒツジのラムデロ君、パンダのパンデロ君、シマウマのゼブデロ君、バクのバクデロ君、サーバルキャットのサーデロ君、ベンガルトラのトラデロ君、マントヒヒのヒヒデロ君など種類が豊富に発売されています」
「途中途中で微妙な名前が混じっていた気がするが、なんで急に饒舌になるんだ……。というかそんなものプレゼントしたらお嬢が泣くだろ」
「そうですか? 少なくとも惚けた顔をしたクマよりは可愛いと思うのですが」
「お前の可愛いと世間一般の可愛いを同じメジャーで測るんじゃない」
そう指摘すると、ベアトリスはぼーっとした眼差しを向けてきた。
数瞬の後。なにを思ったのか抱えていたぬいぐるみを持ち上げて顔を隠すと、「ダメですか?」と腹話術のようにかわいい声を出してウサギを揺り動かす。
それに合わせて長い舌がデロデロと動き、やわらかいビーズが入っているせいか表情も幾分変化した。
不気味に恐怖が乗算され、今夜夢に出てきそうなくらいにコワい。
「駄目です」
すげなく断ると、ベアトリスは諦めたのか再びぬいぐるみを抱えてうな垂れる。
「そこまで言うのなら分かりました、今回は諦めることにします」
「お嬢のためにもそうしてくれ」
「はぁ……」
元気のないため息を一つこぼし、踵を返したベアトリス。ぬいぐるみを戻しに行くその背中を見つめる。
余程ショックだったのだろう。いつもは凛々しい感じのベアトリスも、少しだけ背中が丸くなっているように見え、小さく感じた。
しかしここはお嬢のためだ。ベアトリスには悪いが我慢してもらわないと。
それからしばらく、ああだこうだと意見を交わしながらも、お嬢の誕生日プレゼントを二人納得した上で無事に決めることが出来たのだった。
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