/シエル -1
小高い丘を中心に築かれたラスクリーネは、石畳と蜂蜜色のレンガと木組みの町。
長いからみんなは単に『丘の町』とか、愛称として『ラスク』って呼んでいる。
丘の頂にはランドマークの教会広場があって、朝昼夕のお告げの祈りの時間と正時に鐘が鳴らされる。その荘厳な音色は丘を下り、家に居ても聞こえるくらいに響き渡る。
お父様はこの町のために国王が作らせた特別なものだって言っていた。
そんなお父様は町の考古に興味を持っていて、いろいろなことを調べていた。それこそ人の家の歴史や名前、丘の起源や町の建築物などにもすごく造詣が深かった。
もちろん教会にも飽きずに何度も通ったり、距離によってどれだけ鐘の聞こえ方が違うかなんて、あまり役に立たなそうなことも一生懸命調べていたことを思い出す。
うちは敬虔な教徒じゃないからあまりミサなんかには参加したことないけど、食事前には一応お祈りする習慣はあった。要するに、中途半端な信者ってところかしら。
丘には他にも建物があって、それらは主に公共施設で占められている。役場に図書館、公園に学校。なるべく町の景観を損なわないよう配慮して、色味も落ち着いているからどこも綺麗。
麓からその先は放射状に商店街や繁華街、住宅街とかがいろいろ建ち並んでいて、比較的に背が揃っているからか、丘の上から見る景色はまるでモザイクアートみたい。本当に絵になる美しさ。
観光客にもポストカードは人気みたいで、そういうわたしもコレクションしていたりする。
そんな贅沢な景色を眺められる、丘の中腹に建っている聖マリアンヌ女子学園。
二百年以上の歴史を持ち、幼稚舎から大学までが同じ敷地にあるいわゆるお嬢様学校。もちろん外部受験も可能で、外からも多く受け入れている高等部は全校生徒二五〇名を有する。
入学式を終えて間もなく、新鮮味を失わない空気感がまだ校内には残っていた。
初々しい女生徒たちの「ごきげんよう」と挨拶を交わす声が、より一層それを実感させる。
桜舞い花薫り華やぐそんな学園の、高等部二年A組の教室、窓際の席にて。
ガランガランと響く祈りの時間を告げる正午の鐘を聞きながら、思わずため息がこぼれた。
「……はぁ」
机の上に広げたベティが作ってくれたお弁当も、ため息を吸って不味くなるんじゃないかってくらい、今日はそればかり。
せっかくのサンドイッチも、これじゃあ可哀そうね。
新鮮なレタスとトマトにベーコンのうま味が足されたBLTサンドと、スタンダードなふわふわタマゴサンドに目を落とし、「ふぅ」と意図せずにまた一つため息が。
するとそこへ、
「シエルー、そのため息、きょう何回目ー?」
視界の端。机の隅に手が置かれ、突然頭上から声が降ってきた。
ため息ではない吐息をついて、声の主を見上げる。赤茶けたショートカットの活発そうな女の子。クラスメイトのリディ・フローレンスだ。
白と黒を基調にした制服はポイントで十字の意匠が施されていて、背中側の腰元にはリボンがあしらわれている。揺れるミニスカートも元気な彼女によく似合っていた。
「そんなのいちいち数えてないわ」
幼稚舎からマリアンヌに通っているけれど、リディとは今年初めてクラスが一緒になった。
でも互いに面識はあって何度か話をしたことがあるからか、仲良くなるのにそう時間はかからなかった。それはひとえに、リディの誰とでも仲良くなれる社交性の高さのおかげかもしれないけれど。
「もしかして、恋煩い?」
「見当外れもいいところね。そんなんじゃないわよ。ただちょっと、悩んでるだけ」
「その理由は?」
「……別に大したことじゃないわ」
ほんと、大したことじゃない。自分以外の人間にとってみれば取るに足らないことだし。それに、他人に話せるような内容でもないし。
「でもさ、アタシ数えてたけど、今日十七回もため息ついてるよ? お昼まででそんなにしてたら幸せも逃げちゃうじゃん。相談には乗れないかもだけどさ、話くらいは聞くよ?」
話を聞く。その言葉で一瞬救われそうになったけれど。リディのにやけた表情を見るに、明らかに楽しもうとしているのが見え透いていた。
主にお嬢様が通う女子高といえど、好奇心の塊のような子はやっぱりいるのね。
でも、オブラートに着色して誤魔化せば、なにかアドバイスなりもらえるかもしれない。
そう考え、わたしは「詳しいことは伏せるけど、」そう前置きして話すことにした。
「最近、っていうかそれは以前からなんだけど、ある出来事があったのよ。それに関して注意をしたんだけど、一向に直さないわけ。なんでかって聞いたらね、その原因はわたしのせいでもあるって開き直られたのよ。これ、どう思う?」
「どう思うって、モザイクどころかオブラートが黒と灰のまだらで分かんないよ?」
「しょうがないじゃない、ほんと他人に話せるような内容じゃないんだから」
目の前で困惑顔を浮かべられ、思わずわたしも渋面を作った。
これはアドバイスも期待できないな、そう思って頬杖をついて吐息をつくと――「ふふっ」とリディが噴き出して笑った。
「ん? わりと真剣に悩んでるんだけど、なにかおかしかった?」
「あっ、ごめんごめん、そうじゃなくてさ。ちょっと思い出したことがあってねー」
「悩み事の相談してる時に思い出し笑いなんてしないでよ」
気持ちむっとしてみせると、「ごめんってばー」と泣きつくように抱きついてくる。
肩に当たるやわらかな膨らみに、わたしよりもちょっと大きいことをまざまざと思い知らされる。その少し体温高めな体を、「重いわよ」とやんわりと雑に押し戻す。
「じゃあさ、アタシがその悩み事の元凶を当てたら許してくれる?」
「許すもなにも、別にこんなことで怒らないけど。いいわよ、どうせ当たらないだろうし」
「ふっふーん……ズバリ! あのわんこ君でしょ!」
「わんこ君?」
「シエルんとこの、執事」
「シアンのこと? でもなんでわんこなの?」
「えー、みんな言ってるよー? あれは主人に従う忠犬だよねーって」
忠犬、ねぇ。たしかに、わたしに対して従順なところが多いけど。
基本的に頼み事は断らないし、買い物が終わるまでずっと待っててくれるし、傘を忘れたら学校まで届けてくれるし。
嬉しそうに成果をいちいち報告してくるし、どうしてか休みの日にはお散歩に出かけようって頻繁に誘ってくるし。褒めると喜ぶけど少しキツめに怒ると涙目になったり、なにかといえば「お嬢!」って……。
ほんの一部だけど、考えてみればそれっぽいところはある気がする。
でも、従順なところばかりじゃないし。
むしろ問題点の方が大きかったりする。
多くはない、けど補って余りあるくらい大きいのが難点なのよ。
「それで、元凶はまあ当たらずも遠からず、というか当たりでいいけど。まさかそれで当てたとか言わないわよね?」
「もちろん! んで悩みの種はー――」リディは一瞬だけニヤリと意味深に笑って、わたしの耳元に口を寄せた。「さしずめ、パンツをハンカチにでもされている、とかかな?」
周りに聞こえないよう声を潜めているところがすでに確信的だ。
わたしは顔から火が出るんじゃないかっていうくらい、耳まで一気に発熱した。
「な、なんで知って……っ」
「あ、本当だったんだ。前になにか面白い話してって無茶ぶりしたらね、うちの執事がそんな話をしたんだよー。養成学校時代の話だったから冗談半分で聞いてたんだけどさ、シエルがそんなに悩んでて、わんこ君に原因がありそうだったからって考えたんだけど。やっぱ聞いてみるもんだねー」
「執事が、なにって?」
言っていることを理解しようとするも、頭が混乱してうまく話が入ってこない。
そんな時、「これでも飲んで少しは落ち着いたら?」リディが高級紅茶の紙パックにストローを刺してこちらへ寄こしてきた。
それをじゃっかん震える手で受け取り、紅茶をすする。
苦手なストレートの渋みに目が覚めた気がし、ようやく言われた話に理解が追いついた。
「って、なんでリディの執事がうちの事情を知ってるわけっ?」
「あれ、知らないんだ? うちのセバスチャンとシエルんとこの執事って、養成学校で同期だったみたいだよ。それだけじゃなくて、寮でも一緒の部屋だったって聞いたけど」
なんで話してるのよ、あのバカ。こんな黒歴史、他人に知られたくなかったのに。まったく、主人の気持ちを慮らないダメ執事ね。
小一時間くらいお説教してやろうかしら、それともお散歩を一か月くらい拒否してやろうかしら。いずれにしてもなにかしら考えないと。
「……あの、シエル?」
「なに」
「顔恐いよ?」
「そりゃあ怒ってるんだから恐くもなるでしょ」
「やっぱ怒ってるじゃん!」
「アンタにじゃないわよ」
「そうなの? ならよかったー」
そう言って胸を撫でおろしホッとするリディ。けれど、わたしの腹の虫はしばらく収まりそうになかった。
すると「あっ」と思い出したように声を上げて、リディが肩に手を添えてきた。
「ねえシエル。当てたご褒美っていうかさ、ご褒美欲しいんだけどー」
「ご褒美でしかないじゃない。まあ無茶なものは無理だけど、聞くだけ聞いてあげるわ」
とりあえず予防線を張っておいて先を促す。
リディは急にもじもじとしだして、頬をほんのりと赤く染めた。
「あのさ、一日でいいから執事、交換してみない?」
言いにくいことだろうと予感はしていたけれど、あまりにも予想の斜め上の内容だったから唖然としてしまう。
「リディって、ほんとたまに突拍子もないこと言うわね」
「ダメ?」
「別に無茶でも無理でもないけど、理由くらい聞かせなさいよ」
尋ねると、「それがさー」とどこか辟易したような口ぶりでリディは語りだした。
聞くところによると、リディの前では礼儀正しい執事が、リディがいないところでリディに対する愚痴をこぼしたりしているのを偶然知ってしまったらしい。
それはそれでショックだったらしいのだけど、他の家の執事がどんなものなのか。セバスチャンしか知らないリディはとても興味があるのだという。
「でもこの町じゃ、どこのお家も基本的に執事は一代に一人しか知らないんじゃない? 特別な事でもない限りは」
「そういうシエルは二人目じゃん!」
「うちはあれよ、ある意味特殊だから」
「それにさ、わんこ君ってけっこうかっこいいじゃん? ちょっとお近づきになりたいなーとか思っちゃったりするわけだよ」
「えぇ……かっこいいかなぁ」
「かっこいいよ!」
ランランと輝く瞳で眼前に迫るリディ。その様子を見てああ、なるほどと合点がいった。
なんだかんだ理由付けはしたけれど、結局はそれが核心だったってこと。
「それにさ、ちょっと離れてみれば自分の執事のいいところとか再確認できるかもしれないじゃん?」
「それは一理あると思うけど……」
「別に執事を交換しちゃダメとかいう決まりもないんだしさー、試しに一日だけ! ね?」
「ん~……分かった、考えとく」
押しの強いリディに絆されたわけじゃないけれど、よその家に行ったシアンがどう行動するのかは正直気になる。
なんで気になるかとか聞かれても分からないけど、なんか気になる、癪だけど。
わたしの家に来なかったら、もしかしたらよその家の執事になっていたかもしれないわけだし。出逢ってからもう十三年。シアンが三年制の養成学校から戻ってきて二年。実質的に十年。
いることが当たり前になっている現状、新たな発見といっても日常に見出すことは難しい。
リディの言う通り、少しだけ離れてみればそれが見つかるかもしれないし、試みとしては面白いと思うから。
「日にちはシエルの都合で決めていいからね、決まったら教えてー。それと一応レポートにまとめよ。表向きはお互いの執事のいいところを見つけること、だからね」
「うん、分かった」
得体の知れない一抹の不安を感じながらも生返事し、サンドイッチをかじる。
シャキシャキとしたレタスの小気味よい音が、「楽しみだねー」と上機嫌なリディの心待ちにする声をかき消した。
了解したはいいけれど、この胸の疼く感覚はなんなのだろう。
その答えはいますぐには出なさそうな、そんな気がした。
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