第3話

 突如出現した置き手紙。それから謎の鍵。

 ぼくは書き置きを何度も読み返し、その果てに呆然と立ち尽くした。机の上に無造作に置かれていた合鍵を、薬品に触るかのように掌に載せて見つめる。様々な疑問が頭の中を渦巻いていた。

 真っ先に浮かんだのは、誰がここに侵入したのか、ということだ。室内は昨日、ぼくが家を出たときの通りであり、荒らされた形跡は微塵もない。推理小説の並んだ自慢の本棚だって、以前の配置と変わりない。ただ、よくよく確認すれば、机の紙切れやペンといった細部は違っていた。誰かが侵入したことに間違いはなかったのだ。見も知らない人間が、一人暮らしの自宅に侵入したという事実に肌が粟立った。

 そもそも、犯人はどうしてこの家がわかったのだろう。

 とそこでぼくははっとした。同時に拍子抜けし、胸をなで下ろしたのだ。

 この家に入ってこられる人間。それはこの家の鍵を拾い、かつこの家の場所を知っている人間だ。それに該当するのは、数少ないぼくの友人しかいないではないか。

 その犯人という友人は、酔い潰れたぼくを差し置いて、拾った鍵を利用してここに侵入し、こんないたずらを残しておいた。そうしてから鍵を交番に届け出たというわけだ。なんという薄情な人間だろう。こんなやつには仕返しをしてやらねば。

 息巻いたぼくは安いパイ生地を手に提げ(もちろん、これは顔にぶつけるやつだ)、例の合鍵を手に、友人の家に向かった。心当たりのある人間は広く見積もって十人であった。ぼくは胸を躍らせながら、おのおのの玄関に鍵を差し込んでいった。

 ところが、十人が十軒とも扉は開かなかったのである。そもそも、鍵が差し込める家はたった一件で、それも到底、解錠しそうにはなかった。ぼくは納得のいかない思いで、自宅に引き下がるよりなかったのである。

 知り合いではない?

 徐々に胸中に黒雲が湧き上がってくる。犯人=知り合い、というのは希望的観測だったのか。

 この時、ぼくが最も恐れていたのは合鍵という言葉である。貧乏学生のぼくが住むマンションは安いことが売りで、セキュリティ面が緩いことは否めない。防犯カメラはなく、玄関の鍵も一般的な代物で、易々と合鍵が作れてしまう。たとえ、不法侵入者が何も盗んでいなくとも、鍵を交番に届け出る前に合鍵を複製しておけば、ぼくの家にはいつでも侵入できることになるのだ。ぼくは震え上がった。

 こうなったら、合鍵の主を探し出すしかない。いつやってくるかもわからない侵入者に、一週間の安眠を妨害されるのはごめんだった。

 ぼくはゴールと刻まれた合鍵を眺めた。なるほど、しゃれたロゴだ。一日の仕事から解放され、自宅の鍵を開ける瞬間こそ一日のゴールなのである。ぼくの変哲のない鍵と比べれば雲泥のセンス差だ。

 けれど検索に掛けてみたところ、これもかなり一般的な鍵であることがわかった。広く使われている分、その適合宅を探し出すのは手強そうであった。

 ぼくは捜索方法に頭を悩ませた。まさか市内の住宅一つ一つの鍵穴に挿して回るわけにはいかない。学生の街、京都市。その市内の住宅を数え上げてみれば一体どれほどの数になることだろう。仮に一万軒と仮定して、各宅に一分という時間で間に合わせたとしても、ちょうど一週間がかかる計算である。それに実行した場合、周囲の視線をかいくぐって事を運ばねばならない。万一、見つかったとしてどのように言い逃れようか。あまり多くのリスクを冒すべきではない。片っ端から家を調べるのは到底無理な話だ。

 そこでぼくは行き詰まるのである。一体、どのようにして何万分の一を引き当てることができるのか。というか、そもそも手紙の差出人はどうしてここがわかったのか。たった数時間で、どうやって……。

 妙案は思い浮かばない。だが、一つ気になることがあった。

 この犯人に直接会ったことのある人間が、一人だけいる。

 ぼくは立ち上がった。

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