微笑みを数える日

@chauchau

明日からはまた一年かけて贈り物を準備する


 年代物のロッキングチェアが揺れる度に出す音と、暖炉の薪が弾ける音とが支配する小さな部屋の中で一人の老人が静かに本を読んでいる。

 窓の外から見える光景は荒れ狂う吹雪であるのだが、不思議と雪風の音はまったく部屋へ侵入してこない。厳しい自然とは対照的に老人の表情は優しく暖かいものであった。


「おやっさんって毎年今日だけは嬉しそうな顔するよね」


「ああん?」


 絵に描いた好々爺であった老人が、一転して赤鬼へと姿を変える。気の弱い者であれば失神を免れないほどの圧を受けながら、それを平気で受け流し一人の青年が湯気香るコップをお盆に乗せて部屋へとやってくる。


「誰の許可を得て入って来てんだ、てめぇ」


「女将さんからホットミルクの差し入れ。そろそろおやっさんが飲みたくなる頃だからって」


「……ふん」


 青年へと向けられていた殺意の視線が外される。長年連れ添った相方の勘は正しかったものの、それを素直に認めることが出来ない程度には老人は頑固で気難しく……、面倒くさい性格の持ち主であった。


「置いたらさっさと出て行け」


「昨日あれだけ人を酷使しておいてその態度は無いんじゃない?」


 寒さのためか赤く腫らして鼻をすんっ、と啜りながら青年は座る老人の傍の机にお盆ごとホットミルクを差し入れる。


「三度目はねえぞ、俺は今忙しいんだ」


「なにこれ。大人の写真ばっかりじゃん」


「あ? ……おぃ、てめッ!!」


 青年がめくる本に老人は見覚えがあった。なにしろ、ついさきほどまで自分が手にしていた本なのだから。

 慌てて手を伸ばそうとも、青年はいつの間にか距離を取る。消えるように移動する彼を捉える術が老人にはなかったため、観念したのか皴だらけの手で自分の顔を覆っては大きなため息を零した。


「見たところ、昨日行った家の大人ばかりみたいだけど……、どうして大人なの? 子どもたちのほうが気にならない?」


「ガキは、」


「嫌いだ。なんて見え透いた嘘は止めてよね。おやっさんがちょっと引くくらい子供たちのこと好きなのは反吐が出るほど理解しているよ」


「…………」


「だから余計に気になるんだよね。そんなおやっさんがわざわざ大人の写真を見ているなんて」


 大人は俺たちのことなんか忘れているのに。

 青年が漏らした最後の言葉に、老人は彼を馬鹿にするように軽く鼻で笑いを返した。


「なにさ」


「拗ねるなよ。そういう仕事だ」


 青年が老人へと本を放り投げる。図星を突かれましたと行動で語る彼に老人はますます悪人のようなどす黒い笑みを深めた。


「だからだよ」


「え?」


 逃げようとしていた彼の背中へ老人は言葉を投げる。

 投げ返された本を再び開けば、そこに写るのはとても優しい微笑みを浮かべる大人の姿ばかり。


「馬鹿で喧しくて糞生意気なガキ共が、いっちょ前に大人になりましたと恰好つけやがる」


 めくり続ければ、様々な大人たちの写真。多種多様な彼らに共通しているのは、皆、目の前の何かを愛おしそうに眺め微笑んでいる様子であることだった。


「生まれてしまった社会のルールに縛られて、自分を殺して生きているあいつらが今日この日は一様に同じ顔をしやがるんだ」


 めくってもめくっても終わりが見えない不思議な本に写る大人の顔を、老人は一つひとつ大切に指でなぞる。


「てめぇの仕事に誇りが持てるってもんだろう?」


 子どもが泣き出しそうな老人の恐ろしい微笑みに、


「でも、子どもの居ない大人だっているけどそれは放置?」


「そういうこと言ってんじゃねえんだよ馬鹿野郎!!」


 余計なことを言う青年の顔面へ、老人が投げた本の角が突き刺さるのであった。

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