「近づいてくるもの」
人気のない夜の病院。
そのロビーはまるで嵐が
過ぎ去ったかのように荒れ果てていた。
壊れたソファや受付用のパソコンが
フロアのあちらこちらに転がり、
壁や天井にはひどい匂いのする
赤茶色のシミも点々とついていた。
「…何?ここ。」
ハンカチで口元を押さえながら、
不安そうな声をあげるユウリ。
「なんでこんなにシミだらけなのかしら。
塊みたいなのものもへばりついているし、
気味が悪いわ。」
そして、みんなが一歩踏み出した時だった。
ターンッ、タターンッ、
遠のく音と近づく音が同時に聞こえる。
気がつけば、一階の売店側の廊下から
一体のカンガルーの着ぐるみがやってくるのが見えた。
ぐったりと顔の見えない子供を
車椅子に乗せてゆっくりと進む、
一つ目をした一体のカンガルーの着ぐるみ。
その大きく開けた口の中には
人の顔がくっついていて…
『ルール、その1:
この建物にある無機物は、
すべて重力が逆転する。』
流れてきたのは、
病院のフロア全体にひびく声。
瞬間、ゴウンッというすさまじい音がして、
周囲のソファやパソコンがぶわりと空中に浮かんだ。
いや、浮かんだだけじゃあない。
それは、勢いよく天井に音を立ててはりついていく。
それは、あのカンガルーが言った言葉。
重力が逆転した結果なのだと、
僕はすぐさま気づき、身がまえる。
「あ!俺のスマホ!」
すると、隣にいたやっちんが大きく叫んだ。
みれば、僕らの持っている
スマホやキューブでさえも宙に浮き、
天井へと逃げていこうとする。
「ちょっと、まだデータも撮っていないのに!」
空をつかむユウリの顔はあせっていて、
スマホは早くも天井の半ばまで逃げてしまっている。
僕は上着のポケットから踊りだし
宙に逃げていくスマホをあわてて押えつけるも、
まるで鉛みたいに重たい感じがした。
その時、再びフロアに再び声がひびく。
『ルール、その1:
この建物にいる人間は、
残らず壁にはりつけになる。』
瞬間、体がすさまじい勢いで横に引っぱられ、
僕はとっさに近くの柱をつかみ、
壁にたたきつけられないよう必死にこらえた。
みれば、ユウリとやっちんも同じように、
近くにある柱や床の出っ張りに必死にしがみついている。
そして僕は病院内の床や壁にできた
シミを思い出し…唐突に理解する。
…おそらく、あれは、
もともと病院にいた人だったのだ。
そう、あのカンガルーが口にした
ナンバーずの口にした言葉によって
壁や床に叩きつけられてしまった、
人の成れの果ての姿だった…
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