【バレンタイン番外編】天然系美少女山本さんは、あまりに無防備すぎるから、ときどき無邪気が僕を巻き込む

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 暖かい日が続くなあ。

 風呂を終えた僕は、自室の畳に身を任せ、ぼうっと天井を視界いっぱいにしている。

 そういえば雪も全然降ってないよなあと、目をカレンダーに移す。

 ああ。もう今年に入って二ヶ月半になるんだ。

 

 あれ?

 気づくと何やら甘い匂いが漂ってきている。

 なんだろう?

 僕は立ち上がり台所へ向かう。

 

 ちょっと覗いてみると、エプロン姿の山本さんが立っていた。

 エプロンの下には白と水色のボーダーのルームウェア。

 ブラウンのショートボブの髪を耳にかけている。

 頬をほんのり染めながら、色白の腕をまくって出し、一生懸命に作業をしている。

 

 この距離だと手元は見えない。

 

 でもこの季節に甘い匂いといったら、まあ、あれだよな、チョコレート的なやつだよな。

 ……やっぱり僕に義理的なやつをくれたりするのかな?

 

 そんなことを思うと、気づかないほうが良いのかもという気がしてきた。

 

「あ、ゆーとさん」

 引き返そうと思ったとたん山本さんに見つかり声をかけられた。

 首だけこちらに向け、手には泡だて器を持っている。

「えへへー。バレンタインデーが近いですからねー」

 

 引き返すのもなんなので、台所に入ることにする。

 

 山本さんは身体ごと振り返り、正面を向いた。

「甘い匂いで幸せですー」

 と、にっこり微笑む。

 

「ゆーとさん、楽しみにしてくださいね。頑張って美味しいの作りますから」

「あ、ありがとうございます」

 

 エプロンは汚れの無い綺麗なままだ。

 もう何度も使っているのに汚れが全然見当たらない。

 アイボリー地に細かい花が散らしてあり、薄い緑色のラインで縁取られた、オーソドックスなエプロンだ。

 きっと汚さないように気をつかってくれているのだろう。

 そのエプロンは元々亡くなった祖母にプレゼントしたものだ。

 といっても、祖母は一度も使わずに亡くなってしまったけど。

 

 山本さんが急に真顔になる。

「ゆーとさん、ほっぺたがむずむずするのですが、何かついていませんか?」

 

 うん。

 そうでしょうとも。

 

 頬にはチョコレートが付いていた。

 エプロンは綺麗なのに。

 

「左の頬にチョコレートついてますよ?」

 と、言うと、

「わたし失敗しちゃってました」

 なんて、照れ笑いのような表情を浮かべた。

 

「いや、料理の最中ですし、そういうこともあるでしょう」

 僕は下手なフォローをしてみる。

 

 すると、山本さんは、

「ゆーとさん、すみませんが、取ってもらえませんか?」

 と、とたとたと近づいてきた。

 

「え?」

 急に距離が近くなって慌てる僕に、

「その、わたし今、手袋しちゃっていますので」

 と、頬を出してきた。

 

 チョコレートの甘い匂いとは別の良い香りがやってきた。

 山本さんは、ほんのり赤くなっている左側の頬を向け、下からのぞき込むようにしている。

 

 山本さんは、

「むずむずします……」

 と、言うと、

「んぅ。ゆーとさん……はやく……お願いします……」

 と、目を閉じた。

 

 おーぅっ!?

 

 目を閉じる!?の!?

 何故に!?

 至近距離でそれはまずくない!?

 

 山本さんが更に頬を寄せてきた。

 

 雰囲気に導かれるまま、僕は右手人差し指を山本さんの頬にあてた。

 山本さんの長いまつげがかすかに揺れる。

 

 ぷに。

 

 おーぅぅっ!?

 

 や、や、やぁわらかぁい。

 艶やかで、しっとりしていて、滑らかで。

 

 ぷに。

 

 や、や、やばい。

 ちょっと押すと静かに沈むのにまた浮きあがってくる弾力。

 

 ぷに。

 

 や、や、やみつきになる。

 どこかにトリップしてしまいそうになる。

 

 なんだ?この安らぎ癒し物質は。

 ……やめられないっす。

 

「ん……んふぅ……ゆーとさぁん?」

 と、山本さんは目をゆっくり開けた。

 

「え」

「あの、ゆーとさん、その、ちょっとばかり、くすぐったいです」

「あ、ご、すみません!」

 

 僕は慌てて手を引っ込める。

 

 少し身を引いた山本さんは、うつむいて顔を赤らめている。

 

「いいえ。わたしこそすみません。せっかく取ってもらっているのに、くすぐったくって」

「いやいや、僕のほうこそ。その、あの、なかなか、とれなくて」

 

 とっさに誤魔化す僕。  

 誤魔化すことに罪悪感が無いわけではないけど。

 ……本当の事を言ったらもっとまずい気がするし。

 

「そうですよね。それなに、わたしったらすみません」

 罪悪感が増します……。

 

「せっかく、ゆーとさんが一生懸命取ってくれようとしているのに、我慢できなくて」

 罪悪感が増し増しです…………。

 

「ちゃんとしますから……お願いしますっ」

 と、今度は正面から顔を近づけてきた。

 そしてまた目を閉じる。

 

 正面から?

 で?

 目を?

 閉じる?

 

 おーぅぅぅっ!?

 

 目を閉じる!?の!?

 何故に!?

 

「や、山本さん?」

「はい?」

 僕が声をかけると、近づいた山本さんは目を開けて少し下がった。

 

「な、なんで目を閉じるのですか?」

「なんでというか……。閉じないほうが良いですか?」

 山本さんは不思議そうな表情をして小首をかしげる。

 

「いや、その、どっちでも良いんですけど、その……」

「わかりました。開けたままにしますね」

 

 山本さんはまた僕に近づき、

「では、お願いします」

 と、今度はあごの下あたりで、細い指をからませて両手を組んだ。

 

 いや、それはそれで、くるものあるけど……。

 

 僕は雑念を振り払い、山本さんへと右手を伸ばした。

 幼さを残した大きな二重の目は開いたままだ。

 そしてゆっくりと、頬に指を近づけた。

 

 人差し指を動かし、頬に付いた乾いたチョコレートを取る。

 

 かり、かり、かり。

 山本さんは真正面から僕を見ている。

 かり、かり、かり。

 山本さんの目が僕を映す。

 かり、かり、かり。

 視界をふさがれた山本さんの視線は、僕を捉えたまま動かない。

 

 この至近距離でただただじっと見つめられている。

 

 確かに。

 確かにですよ。

 ……これはこれで気まずい。

 

 僕は、視線を感じないように緊張を悟られないように、作業を進めた。

 

 と、右手の人差し指にチョコレートが移る。

 

「取れました」

 山本さんから少し離れて指先のチョコレートを見せる。

 

 ぱく。

 

 ……?

 …………?

 ………………?

 ……………………?

 …………………………?

 

「甘いですー」

 と、山本さんは満面の笑み。

 

 え?

 

 僕は山本さんの幸せそうな声で意識が戻る。

 

 おーぅぅぅぅっっ!?

 何?

 何が起きたの?

 

「美味しいですー」

 と、山本さんは無邪気に笑顔満開になっている。

 

 ……僕の指先からチョコレートが消えている。

 

 おいおいおいおいおいおい。

 まてまてまてまてまてまて。

 

 どうしました?山本さん?

 肉食獣ですか?山本さん?

 ちょっと無防備が過ぎませんか?山本さん?

 

 あれ?

 ふと、甘い香りの他にほのかに別の匂いが漂っているのに気づく。

 

「……山本さん、チョコの他に何か入れました?」

「はい~」

 と、山本さんの表情がさらにゆるくなる。

 

「香り付けにちょっとだけお酒を~」

 表情だけでなく、全身に柔らかさがまわっていく。

 

「山本さん?」

「大丈夫ですよ~。ちょっとだけ気持ち良いです~」

 と、足元へとゆっくり下がっていき、山本さんは眠りの世界へと渡っていったのでした……。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 そんな昨晩でした……。

  

 そして、今、僕らは昼休みの教室だ。

 うちの高校はそんなに厳しくないので、あちこちでチョコのやり取りをしている。

 中には本命というものもあるのかもしれないけど、みんな平穏に楽しんでいる。

 

 もちろん僕には、本命などという都市伝説のような仕組みとは無関係だ。

 もてたりしないのは自覚しているけど、うかつにもてて運貯金が減ったらもったいないし。

 

 山本さんも大忙しだ。

 今朝早起きして仕上げたチョコレートブラウニーを配っていた。

 

「友チョコですー。これからも宜しくお願いしますー」

 と、丁寧に説明しながら渡している。

 

 一か所にとどまらず、教室のあちこちに出向いて話に華を咲かせている。

「香り付けにお酒をちょっと使っているのですが、お酒に弱くて昨日はいつの間にか寝てしまいました。作っている途中からの記憶が無くて……」

 なんて失敗談を交えながら、楽しそうに配っている。

 

 そうだよなあ。

 確かに昨晩はちょっと雰囲気違ったし。

 

「だから今日の朝頑張ったんですっ」

 と、包み隠さず話しては自分でも食べたりして、クラスメイトと仲良く笑い合っている。

 

 山本さんは、少し昂っているのか頬がちょっと赤い。

 声も少し大きめで、いつもよりテンション高めだ。

 

 バレンタイン効果なのかな?

 楽しそうな山本さんを見て、僕もどういうわけか嬉しくなる。

 

 山本さんは、また違うグループのところへ行った。

 一つ一つ男女問わずクラス全員に渡すつもりらしい。

 

 たくさん作っていたもんなあ。

 一生懸命に作っていたもんなあ。

 

 どこにも交わらず席に座りきった僕のそばに、山本さんがやってきた。

 

 「ゆーとさんっ」

 手を後ろに回してのぞき込むように僕に話しかける。

 「ゆーとさんにも、渡していいですか?」

 

 こんな間近で直接訊かないで欲しいです……。

 

 僕は照れ臭いのもあり、それに答えず別の話をする。

「そういえばイギリスでもバレンタインはチョコレートを渡すのですか?」

 無知っぷりが露呈してしまうけど、まあその通りだから仕方ない。

 

「イギリスでもありますよ。ただチョコレートとは決まっていませんが」

 山本さんは僕の隣の席なので、自分の椅子を近づけて座った。

 

「そうなんですか?」

 僕は普通に訊き返す。 

「はい。男女どちらからとか関係なく、愛する人にプレゼントをする日なのです」 

 ふむ。

 なるほど。

「でも、好きな人だけではなく、みんなにチョコを渡すっていうのも素敵だと思いますー」

 と、山本さんは、後ろの窓に広がる暖かな冬空を背景にして笑った。

 

 うん。

 山本さんはイギリスにずっといたから、こういう日本っぽい慣習も新鮮なんだろう。

 日本式のバレンタインという日を目いっぱい楽しんでいるようだ。

 クラス全員分を作るくらいの張り切りようだし。

 

「でも、みんなの分って、たくさん作るの大変じゃないですか?」

 僕は無粋かなとも思いながら訊いてみる。

 

 すると山本さんは、

「いえいえ。作るのも楽しいですよっ」

 と、言って、

「昨日の夜は、いつの間にか寝てしまいましたが」

 なんて、恥ずかしそうに笑った。

  

 すると山本さんは真顔になった。

「イギリスにこだわるよりも、ほら、あるじゃないですか、ことわざで」

 

 ん?

 

「郷に入れば郷にしかられ、ですよ」

 怒られちゃうの?

 

「あれ?郷に入れば郷にしたたれ?」

 なんか水が漏れてない?

 

「あれ?郷に入れば郷にしばかれ?」

 それは痛そうだなあ……。

 

「あれ?郷に入れば郷にしやがれ?」

 億千万!?

 

「なんて。知っていますよー。郷に入れば郷にしたがえ、ですねー」

 と、楽しそうに大きく笑った。

 

 お?

 山本さん、テンション高いというより、違わない?

 

 うん?

 いつもは白い頬だけど、またちょっと赤いよね?

 

 朝、作っていたから?

 それとも、自分でも食べたから?

 

「山本さん?」

 僕は、ちょっと不安になって名前を呼ぶと、

「もう、ゆーとさんにも、ちゃんとありますからー」

 と、噛み合わずに笑った。

 

 山本さんがさらに近づいてきた。

「でも、ゆーとさんには、いろいろお世話になっているので特別なものですよ」

 と、口に手を添えて僕にささやいた。

 

 おうっ!?

 

 山本さん?

 特別な気持ちはありがたいけど、ちょっと近すぎやしないですか? 

 変な噂が立つと大変じゃないですか?

 

 周囲を見渡して誰も僕を見ていないことを確認してしまう。

 

 山本さんは全く気にしないで、 

「はい。特別なチョコです」

 と、丁寧に僕の手へと渡してくれた。

  

 見るとそれは、他のものとは違うラッピングが施してあった。

 

「山本さん、その特別だなんてすみません。ありがとうございます」

 自分の手にあるチョコレートを見ながら、僕はお礼を言う。

 

 すると、山本さんは、

「わたしも、ゆーとさんから特別なチョコをもらいましたし」

 と、ちょっと照れたように言った。

 

 え?

 

「すみません。何もバレンタインプレゼントしてないですよね?」

 全く身に覚えがないぞ?

 

「いただきましたよー」

 

 なに?

 

「秘密ですー」

 

 秘密?

 

「どういうことですか?」

 話の見えない僕は、改めて訊きなおす。

 

 それを聞いた山本さんは、

「えへへー」

 と、ゆるい表情で笑うだけだった。

  

 ??? 

 

「山本さん?」

 僕はもう一度訊きなおす。

 

「内緒ですよ」

 山本さんが僕の耳元に近づいた。

 

「特別にゆーとさんにだけ教えてあげますね」

 山本さんが自分の口に手を添えた。

 

 そして、

「夢の中の……ゆーとさんの指が……チョコレートで……とても美味しかったのです」

 と、甘い匂いをさせながら、嬉しそうに、くすぐったい声でささやいた。

 

 

 

 

 

 山本さん!? 

 ……それは夢の話?なのでしょうか?







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