第11話 「ねぇ……あの子と付き合うの辞めたほうが良いよ」


 別の世界に迷い込もうと、喋る刀を拾ったとしても、日常はただただ流れる川のように進んでいく。とは言っても2ヶ月前の日常とはだいぶ様変わりしてしまったけど。


 3:57 p.m.学校、教室。現在休み時間である。

 恋詩は、自分の机で、左側に広がる町並みを見ながらぼけーっと黄昏れていた。考えているのは、今日までのことだ。


「……」


 いつの間にか、影静が人間の姿になってから一ヶ月ほどが過ぎた。

 以前と違うのは、学校から帰れば、狭間を通り反対側の世界に毎日のように訪れている点だろう。そこで、なにをしているかと言えば、一に修行二に修行、三に修行である。


 修行の内容は、基本的に実戦形式であり、あの洞窟でできた修練場で影静がどこから連れてきたのかわからない怪物を放り込み戦わされる。怪物は、多種多様で、腕がいくつもある1つ目の巨人、身体に岩石をまとう虎や、シンプルに熊であったり。毎日、擦り傷は当たり前で、命こそあるものの身体はズタボロである。


 狐の面を被った影静は、厳しい。口答えなどをすれば、即殴られ吹き飛ばされるくらいには。修行の厳しさは、時をたつごとに激しさを増す。


 だが、それでもまだ修行を続けているのは、狐の面をつけていないときの影静は、誰よりも優しく、本当に別人のように甘やかしてくれるという点と、なんだかんだで初めに「影静に恩返しがしたい」という理由をきちんと持っていたからなのであろう。いや、修行は本当にキツイけど。まじで毎晩泣いてるから。


 ただ、まだ影静の探しものは見つかる気配がない。


 影静も、それに関しては何も言わない。

 まだ手がかりすら見つかっていないのだろう。


「マジでなんなんだろうな……」


 小さな声で呟く。影静は”誰かが持っている気がするんです”と出会った頃に言った。影静の記憶と力を。だが、記憶を持つとはどういうことなのだろう。誰かが、以前の影静を知っているという意味なのか、それとも電子データのように何かに保存されているのか。影静もわからないようだった。実際に妖刀があり、現実も結構ファンタジーだったのだ、何があっても不思議ではないと恋詩は思った。


(これ以上、考えても仕方ねぇか)


 俺の足りない脳で考えても、特になにも浮かびそうにないと、恋詩が考えることを辞め、次の授業までの時間を確認するために黒板の右側に掛けられてある時計を見た。恋詩の高校の休み時間は、10分間で、時計を見れば、まだトイレに行くくらいの時間はありそうであった。


 教室を見渡せば、半分ほどの生徒が机に突っ伏して寝ていた。

 食事時間であり、昼休みが終わった後の授業が今さっき終わったというのもあるが、さっきまでの授業は、現文で、その講師は居眠りをする生徒などがいれば、怒鳴りつける講師であった。授業は、単調に進められ、正直に言えば他の授業に比べて”面白くない”授業であった。なのでほとんどの生徒が必死に睡魔を堪えながら授業を受けていた。その授業が終わり、チャイムが鳴ると事切れたように、大多数の生徒が睡魔に身を委ねた。たった10分とは言え、仮眠を取るのと取らないのでは、本当に違うということを恋詩は理解していた。


 静かな教室だった。


 恋詩は、後ろのロッカーから近い席の林道柊子も机に突っ伏して寝ていることに気づいた。青いフレームのメガネが頭の横でたたまれており、寝るために外したのだろうとわかった。


 柊子は、以前と比べて変わった。


 具体的に言えば、ベタベタするようになった。以前の柊子は、サバサバしており、恋愛漫画を見て、よく「ハッ」と鼻で笑っていたのだが、最近は、なんか……こう、そう女らしくなった。そんな表現がしっくりくると恋詩は思った。


(ま、高校生だからな……多感なのだよ、男も女も)


 「フッ」となぜかハードボイルドな顔をした恋詩は、席を立ち、教室を出た。これを柊子が聞いていれば、「なにそれ、誰目線よ」と突っ込んだだろう。それほど達観した目を恋詩はしていた。


 


 

 教室の外に出れば、他クラスの賑わいが聞こえてくる。

 恋詩は他の生徒たちとすれ違いながら廊下を進んでいく。


 どこに向かってるかというと、1学年フロア中央に置いてある冷水機の場所へ恋詩は向かっていた。いつもは、水筒を持ってきているのだが、今日は体育もあった影響か、もう空になってしまった。古い学校というのもあるのか、恋詩たちの高校では、未だに冷水機”ウォータークーラー”が現役であった。


 そんなとき、中央から幾人かの女子生徒たちが談笑しながら向かってきていた。


(うわ……)


 その女子生徒たちの集団の中に、1人の少女を恋詩は見つけた。

 御堂朱里。2ヶ月前に別れた恋詩の元恋人であり、今ではもう、関わりがなくなってしまった少女。


 恋詩は、別れた当初は、何度か朱里に話しかけようとしてたが、彼女は、そんな恋詩を見るたびに無視し避けていた。そうしていると、恋詩の悪評はさらに高まり、いつのまにか恋詩も、話かけることを辞めた。今では、むしろ苦手意識すらあり、恋詩のほうが朱里を避けていた。こうした廊下ですれ違う時には、絶妙に視線をずらし、できるだけ見ないようにするほどには。というか、朱里がいなくても、女子の集団ってめちゃくちゃ怖いわと恋詩は思っていた。


 だから、いつものように恋詩は身体を縮こませ、その方向を見ないようにしながら無言で通り過ぎようとした。だけど、今日はいつもとは違った。


「……待ってよ」


 小さな声が聞こえた。その声を恋詩が聞き間違えるはずもなかった。

 朱里の声。朱里は足を止めており、それは恋詩に言っているのだと理解できた。


(え……)

 

「……」

「みんなちょっと先行ってて」

「あーちゃん大丈夫なの?」

「うん、大丈夫だから」


 朱里は取り巻きの生徒を先に帰らせ、恋詩に向き合う。

 その表情は、なんの感情も浮かんでなく、何を考えているのか恋詩にはわからなかった。


「少し話をしようよ……昔みたいにさ」

「……」

「ついてきて」


 恋詩は無言だった。何を言っていいのか、わからなかった。


 朱里が向かったのは、1年の学生フロアからもう一階上のフロアだった。恋詩たちの高校は、1年生の学年のフロアが他の学年よりも一番高くなっており、1学年フロアから上は、多目的教室や、コンピューター室などしかない。なので、一階上がれば、時間帯によって、人通りどころか人の気配すらない。


「……元気だった?」

「ああ、そっちは?」


 恋詩は自分に驚いていた。思ったよりも、いつものように声を発することができた。静かな水面のように、波一つない心だった。


「私は、まぁ、普通だよ……」

「……それで用件は?」


 朱里はそれを聞いて、少し悲しそうにした後、口を開いた。


「私たちたった二ヶ月前までずっと一緒にいたのにさ、もう何もなくなっちゃったね」

「まあ……そういうもんなんじゃねえの?別れた男女って」

「……他人事みたいに言うんだ」


 そりゃあそうだろと言い返そうとしたが辞めた。

 沈黙が場を支配する。

 恋詩は、気まずく早く教室に帰りたい一心だった。


「ねぇ……あの子と付き合うの辞めたほうが良いよ」

「何の話?」

「柊子ちゃんだっけ?、あの眼鏡かけた目つき悪い子」

「別に付き合ってねえよ、そういう関係じゃない」

「彼氏彼女じゃなくてもさ……あの子の噂聞いたことある?」


(また噂か……)


 噂という言葉は嫌いだ。火のないところに煙は立たないと言うが、あれは嘘だと恋詩は思った。朱里と別れた後、流された噂で、友達も失い、見知らぬ生徒からも指を指される生活だった。少しの悪意があれば、作られたものであっても簡単に噂は広がっていく。恋詩はそれを身に沁みて理解していた。


 いや、今にして思えばあれはまだ本当の友だちではなかったのだろうと恋詩は思った。あの噂が流された後に簡単に自分の側を離れた斎藤と大山を思い出す。斎藤と大山は、高校でできた友達で、まだ何ヶ月ほどしか付き合いがなかった。まだ、彼らは自分に心を開いていない部分があったし恋詩自身、そこまで斎藤と大山に心を開いていなかったのだろと自分に問いかけた。誰が悪いわけじゃない。時間が足りなかったのだ。そこを噂という刃が、つながり始めていた友情を切った。


「あの子さ、結構裏でやってるらしいよ」

「……」


 恋詩が素直に聞いていると思ったのか、朱里の話す口調は少しずつヒートアップしていく。


「ほら、3年の東山さんっているじゃない?あの、茶髪で、不良の。あの人ともよく遊んでるらしくて」

「……」

「噂では、前、退学になった6組の美波いたの覚えてる?、あの子も、柊子ちゃんに嵌められたって言ってて」

「……」

「ああいう、自分サバサバしてますとかいう感じの女の子ってさ、むしろそういう子のほうが陰湿で男と遊んでてさ」

「……それで?」

「え……」


 これ以上聞いていられなかった。

 

「それで?その噂が事実だとしてだからなんなんだ?」

「それは……」

「俺は、柊子のことを友達だと思っているし、そんな噂で付き合いをやめるほど軽い付き合いじゃねえよ」

「……」

「用がそれだけなら、俺帰るぞ」


 恋詩は踵を返す。朱里に背を向けた。

 ダメだ……もう。別に、知らない人間が、クソ野郎でもただ「クソ野郎」としか思わないけど、誰よりも一緒にいた彼女が、歪んだ笑顔で楽しそうに人を貶すのだけはもう見てられなかった。


 以前の、朱里は少なくともこうやって裏で誰かの悪口を言うような子ではなかったし、言いたいことがあればその人の目の前ではっきりと意見を言う子だった。


 誰よりも真っ直ぐで優しかった彼女。

 恋詩は彼女がもう、変わってしまったのだと知った。


「待ってよ……なんでわかってくれないの?」


 そんな声が後ろから聞こえた。

 背を向けたまま、足を止める。


「あの時もそうだった、だから私はッ」

「……」


(わかんねぇよ……何も)


「……あんたなんかと付き合わなければよかった」


 最後の一声は、小さな声だったのにも関わらず、恋詩の耳に妙に大きく聞こえた。


 恋詩はそれに何も言わず、ゆっくりと階段を降りた。

 



 朱里はどこかやつれた顔で、恋詩の後ろ姿を見送った。

 話しているとき、恋詩の顔を見て理解した。

 もう、彼に気持ちはない。


(私が壊したんだから……当たり前よね……)


 彼の太陽のように明るい笑顔を見ることも、いつも繋いでいた手の温もりも、もう感じることはできない。もう永遠に。


「アハハ……なにやってるんだろ私」


 フッたほうが未練タラタラなんて笑えると自嘲した。

 こんな関係になるのならば、最初から付き合わなければよかった。

 こんなに胸が引き裂かれるような痛みを覚えるならば。


 わかっていただろう?いずれこうなることを。

 それでも、少しでも近づきたかったから、一緒になったのだ。

 

「……」


 朱里が持っていたスマホ小さく震えた。

 通知。さっき下で別れた友達からのものだった。


 ”大丈夫?”


 大丈夫、何もないよと返信を返す。


「……」


 朱里の指は、会話アプリを閉じて、自然とフォトアルバムへ向かっていた。薄暗い中、スマホの光だけが、朱里を照らしていた。


 アルバムの中から出てきたのは、数え切れないほどの写真。

 恋詩と一緒に写っているツーショットの写真、恋詩と一緒に遊びに行った場所など、二人一緒に変顔で写っている写真もある。


 朱里は、まぶたを閉じて目の辺りを強く抑えた。

 そうしないと涙が止まりそうもなかった。








 5:04 p.m.

 授業が終わり、各々の生徒がそれぞれの場所に向かった。

 部活、アルバイト、恋人や友達と遊びに。

 恋詩は、特に今日予定なかったよなと考えながらカバンを背負って教室をでた。


「おーい、佐藤」


 そんな時、声が聞こえた。振り向くとそこにいたのは、山ちゃんと呼ばれる恋詩たちの担任であり、太っているが妙に愛嬌があると生徒から言われている先生だった。


(うげ……これは面倒ごとの予感)


「なんすか、先生」

「いやー、お前が残ってくれて良かったよ。実はさ、明日学生総会があるだろう?、それで椅子を並べなきゃいけないんだけど」

「あれ?、もう並んでませんでしたっけ?」

「それがなあ、手違いがあって、あと50席ほど必要らしくて」

「50!?……それで」

「そのすまん!、できれば手伝ってくれないか。本当は、行事委員にお願いするんんだが、もう誰も残ってなくてな、頼むっ!」


(まぁ……特に用もないからいいか)


 修行は、遅れることになるけれど、この理由なら影静なら納得してくれるだろう。


「いいっすよ、どこから運べばいいんですか?」

「おっ、引き受けてくれるか?、ありがとう!」


 先生は俺の手を取り、感謝を述べた。

 そして、俺はしばらく先生たちを手伝った。








 7:30 p.m.

 気がつけばこんな時間だった。

 手伝いは、ただ椅子を運ぶだけでは終わらず、扇風機の用意であったり、追加された50人分の配布資料の作成であったりと思った以上に時間がかかってしまった。


「ま、いいか」


 と、恋詩は帰り道を歩く。

 あたりはすでに暗く、街頭の明かりだけが歩道を照らしていた。

 

 車が数台通れる大きな路地を抜け、小さな小道に入る。

 小さいとはいっても先程の大きい道と比べてであるが。


 小道に入った恋詩の数十m先には、1人の女性が歩いており、その服装から仕事終わりなのだろうと恋詩は思った。


「?」


 そのとき、一瞬視界が歪んだ。

 前を歩いていた女性が、力を失ったかのように倒れた。


 大丈夫ですか?と駆け寄ろうとし、恋詩は気づいた。

 反対側の住宅の塀が、円状に黒く染まっていた。


「おいおい、嘘だろ」


 狭間へと繋がるその闇は、唐突に前触れもなく、その門を開いた。そして門が開けば異形が出る。


 最初に出てきたのは腕だった。

 まるで、蟹の甲殻をまとった人の腕。


 そして顔が見えた。

 その顔は、鼻から上は普通なのに、鼻から下はまさしく異形と呼べるものであった。


 口が開く。縦に広がるのではなく、横に。

 

 身体が狭間から抜けた。

 その身体は、ムカデのようにいくつもの脚があり、巨大であった。


 上半身は人の体躯。だが、下半身は巨大な百足のような異形。


 そして、その異形の腕は左右非対称であった。

 最初に狭間から出てきた人の腕に蟹の甲殻を纏わせたような右腕。

 

 左腕は、右腕の数倍の大きさで、なにより奇妙なものを纏っていた。

 とてつもなく巨大な錨。船が流されないように海底へ沈めるアンカー。それを、腕から飛び出たタコの腕のような触手が巻き付き、固定していた。


 ソレが咆哮する。

 近くにあった住宅の窓が一斉に割れた。


「今日、まじで厄日じゃねぇか」


 恋詩は、カバンを異形とは反対側の方向に投げ、制服の第一ボタンを外した。そして、何かを握ろうとして気づいた。


 今は影静がいないのだということを。

 たった1人で、この化物を倒さねばならぬということを。






 

 


 

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