第2話 古びた寺の奥には、一本の刀が祀られていた


「なんだよアレ! 何だよアレ!!!」


 何かを考えるよりも先に身体が動いていた。

 俺は、あの化け物を見て、すぐさま逃げた。


 頭の中の生存本能が、一目散にここから逃げろと司令を発していたのだ。


 木、木、木。

 そこには木しかなかった。


 走る。ただ走る。

 だが、すぐに脇腹が痛くなり、息が苦しくなった。


 さっきまで、ずっと街中を走っていたのだ。

 当たり前であった。


 後ろから、アレのうめき声と、木をなぎ倒すような音がした。

 振り向く。


 アレは追ってきていた。

 俺はあまりの恐怖に意識が飛びそうになった。


 走れッ!、走れッ!


 恐怖に、顔を引きつらせながら、そう身体に言い聞かせた。


 ピシッピシッと走るたびに身体のどかが枝で切れた。

 鋭い痛みがはしる。


 だけど、そんなことはどうでもいいくらい、ただ逃げるのに必死だった。


 なのに

 横にアレの姿があった。


「は?」


 いやお前さっきまで30mくらい後ろにいたじゃん。

 は?え。


 衝撃。


「カハッ」


 背中に感じるあまりの痛みに一瞬、息が止まり、意識すら消えた。

 だが、一瞬。すぐに自分が吹き飛ばされたことを理解した。


「あ、アァァ」


 すぐに立ち上がろうとしたが、急に脚から力が抜け、立つことができなかった。脚はもう限界だった。


「はやく、はやく、はやく」


 脚が震えを止めるように何度も脚を殴った。

 だが、足はただ震えるだけであった。


 アレはゆっくりと近づいて、俺の前に立った。


 そして、右手に持っていた斧を高く掲げた瞬間。

 俺は、ポッケに入っていたスマホをやつに投げつけた。


 別になんの意味もない、ただ何でもいいからと投げただけだ。

 スマホは、いつのまにかボタンに触れたのか、起動状態になり光っていた。


 もう、終わりか。と、俺が生命の終わりを感じた瞬間。

 やつはバァンと後ろに飛んだ。


「あ、え」


 やつは、まるで警戒するかのようにこちらを見ていた。


「スマホに驚いてんのか……?」


 よくわからねえが、逃げるなら今しかない。

 いつの間にか、足の震えは止まっていた。


 俺は走った。

 ただ脇目も振らず走った。

 

 アレが追ってきていなかったのかわからないが、いつの間にか、アレの姿はなかった。







「はぁ、はぁ、はぁあ」


 俺はゆっくりと山の中を歩いていた。

 どこかもわからない場所。


 虫の鳴き声と、木々を揺らす風の音。

 それ以外には何も聞こえない。

 それが更に不気味だった。


 いつアレがまた襲ってくるかわからない。

 そう考えると、足を止めることはできなかった。


「……どこだよ、マジで」


 ここは本当にどこなのだろう。

 わからない。あの視界が黒く塗りつぶされるような現象の後から全てがおかしい。


 明らかに人間でない化け物。

 さっきまで遠くで聞こえていた電車や車の音も聞こえないどころか、街の影も形もない。遠くに見えたのは、藁と木でできた集落のようなもの。


「スマホは……そうだった、投げたんだった」


 せめてスマホがあれば位置情報でなにかわかるかもしれなかったのに。だが、見る暇はなかった。

 これに関しては仕方がない。なんだかわからないがスマホがなければ俺の生命はなかった。


「どーっすかな」


 余裕があるように呟いても俺の声は震えていた。

 当たり前だ、死ぬほど怖いのだ。

 あの化け物に背負われたもの、あれは間違いなく人間の死体だった……と思う。


「ドッキリってせんは……ねえな」


 それは、俺の右手にべっとりとつく血が証明していた。

 あれは確かに殺意のある一撃だった。

 ”偶然”周囲を確認し振り向こうとしなければ間違いなく俺の頭は飛んでくる斧によって半分にかち割られていた。


「……怖ぇ」


 思わず本音が漏れた。

 言ってしまったら、もっと恐怖が強くなりそうで言わないようにしていた言葉が。


 怖い。怖い。怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……怖い。


 怖くて頭がどうにかなりそうだ。


「……帰りてぇ」


 誰もいなくて、寂しいだけのあの部屋に。

 こんなにも帰りたいと思うのは初めてだった。


「あ……」


 ずっと歩いていると、木々が切り取られた空間に飛び出ていた。


「……ヤツは……」


 周りを確認する。

 どうやらいないようだ。


「寺?」


 そこには小さな寺があった。

 古びて、年季が入っていそうな寺だった。

 天井には蜘蛛の巣がいくつも張っていた。


「! 誰かいませんか!!」


 俺は、叫んだ。

 もしかしたらここで叫ぶことによって、あの化け物に見つかるかもしれないということは考えなかった。

 ただ、恐ろしかった。あの化け物が、自分の身に起きたことが。


 はやく、人間の姿を見たかった。

 助けてほしかったのだ。


 だが、何も聞こえない。

 人っ子一人の声さえしない。

 しんと辺りは静まり返っていた。


「ッ」


 俺は階段を登り、襖をあけて寺の中にはいった。

 声はしなかったが、誰かがいると期待して。


 だが


「いない……」


 正直に言ってわかっていたことだったが、寺の中には誰もいなかった。だがそれでも期待せずにはいられなかったのだ。


「なんなんだよ、もう……」


 彼女にフラれたことが、たった数時間前なのにはるか昔のことのように思える。これが現実なのか、夢なのか、俺にはまったくわからななかった。

 もしかしたら痛みを感じる夢だってあるのかもしれない。


 だって現実的に考えておかしいじゃないか。


 いきなり別の場所に移動して、明らかに人間じゃない鬼のような化け物がいて、死体がたくさんあって。


 頭はもう完全にパニック寸前であった。


「ふー、落ち着け」


 自分で自分にいいいかせる。

 パニックになったところでなにも始まらない。

 現状が悪くなるだけだ。

 俺は俺にできることをするだけ、そう考えよう。


「それにしても、古い寺だな」


 寺の中は外以上にボロボロだった。

 歩くたびに床がぎしぎしきしみ、今にも床が抜けそうであった。


「……刀?」


 古びた寺の奥には、一本の刀が祀られていた。


「……これがあれば」


 あの化け物にも対抗できるかもしれない。

 今の俺には何一つ自分を守るすべはない。

 足だってもう限界に近い。

 今、アレに出逢えばそのときこそ俺の生命が終わるときだろう。


 それがわかる。

 だから必要なのだ。

 少しでも自分の生命を守る武器が。


 ほこりを被ったその刀の柄と鞘の部分には、白い帯のようなものがぐるぐる巻かれていた。

 よく見ると、その白い帯のようなものには、文字が描かれている。


 峰ー悪――悪―人――封醜――天。


「読めん……これ漢字か?」


 それは、まるで古文書の字のようで、俺はまったく読むことができなかった。そして俺はその文字の意味を深く考えないまま刀を手にとった。


 そして抜こうとし、力を込める。


「抜けん、やっぱこれ取らないとダメか……」


 白い帯が、柄にも鞘にも巻き付き固く刀身が抜けないようになっていた。俺は、何も考えず白い帯を解いていった。今はただ少しでも身を守るものが欲しかったのだ。


 しゅるりしゅるりと帯が床に落ちていく。


 奇妙な文字が書かれた白い帯は思ったより長く5mはあるのではないだろうか。内側にまかれていた帯にも、同じように漢字のようなでも見たことないような文字がびっしりと刻まれていた。


 帯で、鞘や柄のほこりを拭いていく。

 ほこりの下からでてきたのは、美しい漆黒の鞘と、鮮やかな朱色の柄。


 ゆっくりと引き抜く。


 中から出てきたのは、サビ一つない美しい白銀の刀身。


「……」


 こんなときだというのに、俺はその刀の美しさに目を奪われていた。


 白銀の刀。それはまるで汚れ一つない雪の結晶を俺の脳裏に浮かばせた。


「誰……ですか、私を目覚めさせたのは」


「……」


 それは美しい女の声だった。

 暗闇を照らす一筋の光のような。


 俺はそのとき、一瞬で現状を認識することができなかった。

 そして5秒後。


「うわっ」


 俺は慌てて刀を離した。


「は、え、なにいまの、どっから聞こえてきた? 俺の聞き間違いじゃなければこれから聞こえ」


「そうですよ、あなたの目の前にある”物”が言葉を発しています。名も知らぬ少年よ」


「……まじか」


 やっと俺はこの古びた寺の中で起こっていることを理解した。

 間違いなく、目の前の刀から声は発せられていた。


 いきなり知らん場所にきたと思ったら、化け物に襲われて今度は喋る刀ときた。もうどうにでもなれという気分である。

 今の俺ならもうどんなことが起きてももう驚かないかもしれない。


「ふー、よし大丈夫、落ち着け俺」


「……あまり、驚かないのですね」


「十分、驚いてる。けどさっきから今までの人生では考えられなかったことばかりなんだ、俺の名前は佐藤恋詩、刀さんは?」


「私の名は……影静 えいせいとでも呼んでください。恋詩は何故私を目覚めさせたのですか?」


「目覚めさせた? いやただ武器が欲しかっただけだ、そのまさか喋るとは」


 俺は、さっき合ったことを喋る奇妙な刀に話した。

 人間じゃない存在と喋っているというのに一周回って俺の心は落ち着いていた。


「黒い空間?……そんなまさか」


 話を聞いた刀は、少し黙り込んでいた。

 何かを考えているようであった。


 というか、どうやって思考しているんだろう。

 どう見ても無機物だし、どうなってるんだ。

 というかそれを考えだしたらどうやって喋っているんだろう。

 16年生きて培われた常識がなんの意味もなしてなかった。


「恋詩……信じられませんがあなたは裏の世界の民なのですね」


 なんか中二ワードきた。

 あれ、これホントはどっきりとかじゃないよね。

 実はシリアス顔で会話する俺を見てみんな笑ってるんじゃないよね。俺、頭の横から血でてるけど。


「裏の世界? というと? 世界っていうのはいくつもあるのか」


「いえ、世界は2つ存在します。重なり合って。表と裏、陰と陽のように、世界が2つで一つなのです。そしてあなたは裏の世界、いえ、あなたにとって見れば表の世界から、なんの因果かこの世界に迷い込んだ、本来はありえないはずなのに」


「ありえない……でも現に俺は」


「……その服や靴を見ればそうとしか思えません。鉄の箱が馬ごとき速さで道を翔ける世界です、すべてが石でできた家、巨大な建物、あの世界」


「鉄の箱? ああ車のことか、巨大な建物、ビルのことか……」


「恋詩、さきほど私が言ったのはこの世界に迷い込むことがありえないと言ったのではありません」


「……え」


「ありえないと言ったのは無事に正常のまま世界を渡ることです、恋詩、あなたは黒い空間に一瞬いた……と言いましたね」


「あぁ、地面も曖昧な、ううん、すべてがおかしい世界だった」


「あれは、狭間なのです。世界と世界の狭間、世界を渡るにはあの空間を通らないと行けない。ですが、本来あそこには生命あるものが通れば、狂うのです」


「くる……う?」


「はい、この世界に迷い込む恋詩の世界の住人は少なくありません。私も何件か知っています。……ですが、それは人間としてではありません」


「人間としてじゃないって……」


「混沌と呼ばれるあの狭間は、正確な時間も空間もありません。全てが狂っているのです。なぜだかはわかりませんが本来、生命あるものがあの場所に入れば、確実に知性を失い元とは違う存在になります。ただ近くにある生命あるものを襲うただの化け物に」


「そんな、でも俺は」


「運がいいとかそんな話ではないのです、ですが恋詩はあの世界から迷い混んで今も意識がある、恋詩あなたはなんなのですか?」


「えぇぇ、そんなこと言われても、普通の高校生の男だよ、彼女に振られたばかりの」


「……」


 それから5分、刀は黙り込んだ。

 また何かを考えているようだった。


「……恋詩、あなたは元の世界に帰りたいですか?」


「ッああ。帰りたい、帰れるのか」


 やっと刀が言葉を発した。

 しかもその内容は俺にとって見逃せないものだった。


「……私のちからが少しでも戻れば、人為てき、いえ刀為てきに世界を移動することができます」


 刀は俺が帰りたいと言った後、また少し考え込んで俺に言った。


「力が戻れば?」


「はい、私のちからが戻れば恋詩を元の世界に返すことができます」


「どうやったらその力って言うのは……「恋詩、何かが来ます」


 俺は言葉を最後までいうことはできなかった。

 刀がそう言った瞬間、轟音と共に衝撃が俺を襲った。


 次に見たのは、半壊した寺と、あの鬼のような化け物だった。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る