彼女にフラレて山を彷徨ってたら妖刀拾った

きつねこ

一章

第1話 鬼


「だから、その……私と別れて」


 幼馴染でもあり、2年間恋人でもあった彼女、御堂朱里みどうあかりは俺の目の前ではっきりそう言った。朱里は俯いていて、その表情は見えない。ただ、いつも真面目な彼女が、制服を少し着崩しているのが妙に印象に残った。そんな彼女の肩には、横にいる金髪イケメンの手が置かれていた。


「マジ?」


 俺の口からでたのはそんな間抜けな声だった。


 そこから先は、朱里が何を言っていたのかも理解できなかった。ただ、その男との出会いとか、どんなところを好きになったとかそんな内容だった気がする。よく覚えてないけど。ただ、朱里が俺に向かって何かを喋っていた後、男が朱里の顔を振り向かせキスをしていた光景だけは目に焼き付いていた。朱里はそのキスを拒まなかった。


 キス。キッス。接吻。チュウ。まうすとぅまうす。


 愛する恋人同士がする行為。

 俺は、それでやっと自分が振られたのだと理解した。いや、させられた。


 いつのまにか、朱里と男はいなくなっておりあたりには俺だけが取り残されていた。雲ひとつない晴天。頭上に浮かぶ太陽がこんなにも忌々しく見えたのは初めてだった。


「せめて、こんなときくらいは引っ込んで雨降らせろよ……」


 俺はお天道様に向かって毒づいた。










 俺、佐藤恋詩さとうれんじは、ぼうっと街を歩いていた。

 なんで振られたんだろう……。その言葉が脳裏を支配していた。


 顔か、身長か、性格か、頭脳か、金か、それとも何か大事な日を忘れたとか。


 顔。確かにあの男はイケメンだった。金髪で、顔は整っていて、女慣れしてそうで。


 対する俺は、少し髪が赤みがかっているだけで至って平凡な顔だ。

 立ち止まって、確認するように、近くにあった路駐している車のガラスに映る自分の顔を見る。


 平凡。というかバカそう。


「……」


 顔で完全敗北したことを再確認した俺は、車のガラスを見るのをやめた。


「身長は……」


 身長は、俺が173センチ。あの金髪イケメンは、俺より2センチくらい高そうに見えた。2センチ。たった2センチ。されど2センチ。ていうか、身長175って、一番いいくらいの身長じゃん。俺、どこかの雑誌で彼氏にしたい身長ランキングで、175センチが一位とっていたの見たことある。え、なに女子にとってその2センチは実はすごい大切な要素なの? 2年付き合っていた彼氏振って新しい男とるくらい……?


「……」


 たった2センチの差で、俺は彼女に振られたのか? もちろんそうとは決まっていない。というかそれだけで振られたらまじで嫌なんだけど。


 意気消沈した俺は、道に四つん這いになった。

 隣を歩いていた、サラリーマンらしき男が「なんだこいつ」みたいな目で俺を見ていた。


「だ、だ、だけど、人間いちばん大事なのは性格だから……」


 性格。あの金髪イケメンの性格は悪そうであった。なんというか、表面上は柔そうな顔をしているのに、瞳の奥には、こちらを見下すような感情が読み取れた。というか待て、そういう俺の性格は良いのか? 俺は良いやつなのか? というか、ぱっと見ただけで「性格悪そう」とか思うのってその時点で性格悪くないか?


 性格について考えるのはよそう。

 というか、今更ながら振られた理由なんて単純だ。


 俺よりあいつのほうがすごいやつだった。または相性。それだけ。


「……」


 人間、生まれ持ったもので勝負するしかない。

 顔の優劣、身長、才能、すべて生まれた時点でほとんど決まっている。それはもしかしたら努力で変えられるのかもしれないけど、そんなことがわかっていても現実はどうしようもないことがほとんどだ。


「……死にてえ」


 ああああ、と猛烈に叫び出したい気分だった。

 最悪の気分だった。


 トボトボと、街中を歩く。

 俯いていた顔をあげて、前に視線を移す。


 いつも通り長閑な街だ。

 生まれてから16年間、まったく変わっていない雰囲気。


 朱里と一緒に育った街。


 やべえ、なんだか泣きたくなってきた。

 やめよう、もう考えるのは。


 明日考えよう。


 これ以上はマジでメンタルにくる。


 そうは言っても、脳裏に浮かぶのは、生まれてからずっと一緒だった朱里の笑顔だけだった。


「……つれえ」


 そんな気分のまま、歩いていると前方に、ベビーカーを押した若い女性の姿が見えた。ベビーカーの足元には、まだ5才くらいだろう、やんちゃそうな少年の姿があった。お母さんらしき若い女性は、足元にいる小さな男の子を叱っている。どうやら、いたずらして叱られているようだ。男の子は、目に涙を浮かべわーわーと泣いていた。


 若い女性は疲れ切ったような表情で、ベビーカーを止めてしゃがみこみ、男の子と同じ目線になり何かを語りかけた。


「育児、大変そうだな……」


 まだ高校生の俺にでもわかるくらい、その母親の表情は疲労感を滲ませていた。


 だからだろう、母親がそのことに気づかなかったのは。


 母親と小さな男の子の後ろにあるベビーカーが、少しずつ車道のほうに転がっていくるという事実に。


「やべえ」


 そのとき、ブ―と重低音を鳴らしながら、道の奥から大型のトラックがやってきていた。時速は60ほどだろうか、比較的大きな道だからトラックの速度は、結構速かった。そしてトラックと、ベビーカーの対角線上には、歩道に植えてある木があり、おそらくトラックの運転手は、車道に流れていくベビーカーに気づいていなかった。


 そして、コツンとベビーカーが段差から落ち、中にいた赤ちゃんが車道に放り出された。大声で泣きわめく赤ちゃんの声でやっとお母さんも状況に気づき、顔色を変えた。


 トラックとの距離、あと13mほど。


 母親が赤ちゃんを守るように、車道に飛び出す。そして母親は赤ちゃんを抱え込んで丸まった。そのとき、大きなブレーキ音が街中に鳴り響いた。でも、だめだ。あれでは間に合わない。


「……ッ」


 俺の脚はとっくに動き出していた。

 トラックが見えた瞬間から。


 怖いとか、死ぬかもれないという考えは出なかった。

 助けなきゃ、ただそれだけ。


 あと――m、きっと瞬きするうちにトラックは赤ちゃんとお母さんを轢く。

 それが馬鹿な俺でも理解できる。


 あと――m。

 俺は、とっくに車道に降りていた。トラックの運転手と目があった。トラックの運転手はこれから起こる惨劇に恐怖していた。


 あと1m。


 そして、静かな住宅地に轟音が鳴り響いた。











 俺の胸の中には、母親らしい若い女と元気に泣きわめく赤ん坊がいた。


「あっぶねー……マジで死ぬかと思ったぜ」


「あ、あ」


 母親は赤ちゃんを胸に抱きながらまだ放心していた。

 トラックは軽く電柱にぶつかり停止していた。


「大丈夫……っすか」


 首を何度もふる母親。

 そしてその後、数十分なんども頭を下げられ、警察に事情を聞かれた後、俺はフラフラした足取りで帰宅した。










 オンボロアパートの一室。

 そこが、俺、佐藤恋詩の住処である。


 扉をあけると、コンビニのカップラーメンやらなんやらで散らかった室内があった。


 俺に一緒に住んでいる家族はいない。

 珍しい男子高校生の一人暮らしだ。


 理由はそんなに複雑なことじゃない。

 ただ幼い頃に母親が死に、母親を心底愛していた父は俺を放って仕事にのめり込むようになった。金だけは、あったから、高校進学を機に、一人暮らしを許可してもらって今現在である。


「……」


 俺はボフッとベッドに倒れ込んだ。

 なんだかもう今日は疲れた。


 くるりと身体を反転させ、仰向けになった。

 奇妙な模様にも見える天井が、いつものようにそこにはあった。


「そっか、別れたんだよな、本当に……」


 天井を見ていると、さっきまでの朱里との会話が脳裏に浮かんできた。「別れて欲しい……ごめん」という言葉が頭の中でずっと反響していた。


「……スマホ取らなきゃ」


 もっていた小さなカバンからスマホを取り出す。

 いつものように、充電しようとして、俺の動きはそこで止まった。


 スマホが、いつのまにか点灯しその画面を俺の瞳に映していた。


 別に何かとんでもない通知が着ていたとか、そういうわけではない。

 何もいつもとかわない待受画面。


 それは朱里が満面の笑顔でピースしている写真だった。


 いつの間にか、スマホの画面に、丸い水滴が落ちていた。

 その写真を見て、俺は泣いていた。

 悲しみが心のそこから濁流のように湧き出ていた。


「うぅう、うぐッ」


 男が泣くとか恥ずかしいとか、そんなことも思ったりしたけど涙が全然止まらなかった。


 俺は、部屋を飛び出した。






 そして走った。

 ただ走った。


 悲しみを原動力に、ただ街中を走ったのだ。


 すれ違う奴らは、俺をヤバイやつとでもいうように俺を振り返ったけど、そんなことは知らなかった。


 この心の奥底から溢れ出る悲しみを、何かで発散させないと本当に気が滅入りそうだったのだ。









「はぁ」


 目の前には眩い限りの夕焼けが眼前に広がっていた。

 ここがどこかというと、近所の小さな裏山である。


 なぜこんなとこに来たのか、それは俺にもわからない。

 ただ右も左もわからずに走っていたらついたのだ。


 全力疾走していたので、もう息もあがり、脇腹もとてつもなく痛い。


「でも……さっきよりかはマシになったな」


 悲しいときは走るに限る。

 さっきまで感じていた悲しみが幾分かマシになっていた。


 嘘だ、やっぱり辛いもんは辛い。

 でも、少しだけ気持ちが前向きになったのは本当だ。


「明日、もう一度朱里に話を聞こう。やっぱり納得いかねえし」


 それで、ダメだったら仕方ないと諦めよう。

 朱里にとって俺は所詮そこまでの男だったってだけの話さ。へッ。


 そう、俺は思った。


 そして、

 俺が帰宅しようと踵を返した瞬間。


 視界が黒くなった。

 夜とか、そういう次元ではない、完全な闇。

 見渡せば、さっきまで踏み締めていた大地も、夕焼けの空も、街も、すべてが黒に染まっていた。目を閉じているわけではない。間違いなく目はひらいている。


 なんだ、これ。


 それは”よくわからない”間であった。

 と、次の瞬間、視界は戻っていた。


 周りを囲む木々。


 木々?


 さっきまで、こんな木はあっただろうか。

 街の方向を見る。


 そこには、なかった。

 いや、人の住んでいそうな場所はあったが、それは街ではなかった。


 見下ろした先にあったのは集落だった。

 まるで遥か昔にタイムスリップしたような集落。


「は、え」


 理解ができなかった。

 思わず、ほっぺをつねる。


「痛てえわ」


 どうやら今、俺が見ているのは現実らしい。


「あ?」


 それは”偶然”だった。

 あまりの意味不明さに脳がパニクり、視線を右往左往した瞬間。


 頭の数ミリ近くを何かがかすめた。


 頬に触れる。見てみるとべっとり赤い血がついていた。

 現状を理解できずに、放心したまま後ろを見る。


 そこにはいた。


 3mはあるだろう巨大な体躯。

 筋肉隆々の血管が浮き出た肉体。

 その頭からは2本の角。


 鬼。


 そんな単語があたまに浮かんだ。


 ソレは何かを背負っていた。

 まるで、薪を背負うかのように。


 肌色の何か。そして理解した。

 それは人間だった。

 何人もの人間の死体が、横に重なってまるで薪のように背負われていた。


 ソレは、俺を見て邪悪に笑った。

 まるで新たに獲物を見つけたとでもいうように。


 こちらを見て笑っていた。






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