02.変わらぬ姿のお兄さん

「お兄……さ、……」


 掠れるあたしの声に、お兄さんがこちらを向く。


「すみません、もし知っていたらお聞きしたいんですが……。この店っていつから閉店してるんですか?」


“あの日” と同じ、サンタクロースの赤い衣装を着たお兄さんがあたしに尋ねる。

 二十年前と少しも違わない姿。


「ゆ、幽霊…………?」


 後退りするあたしを見て、怪訝な顔で首を傾げるお兄さん。


「裏口は開いてるかなあ……。けど、親父もお袋もいなさそうだよなあ」


 赤い三角帽子の上からがしがしと頭を掻きながら、店の脇から裏手に回ろうとするお兄さんに、あたしは咄嗟に声をかけた。


「あのっ、そのお店は一年前に閉店しました! オーナー夫妻は二年くらいかけて日本全国を旅行するって言ってましたよ」


「一年前? ……ってことは、“あの日” の直後に親父は店を閉めたのかな? けど、それにしてはシャッターも随分と錆びついてるなあ」


「お兄さんは、この『パティスリー・エトワール』の関係者の方ですか?」


 ぐるぐると頭の中をめぐる疑問を晴らすべく、あたしは思いきってそう尋ねた。


 クリスマス・イブの “あの日” から、もう二十年が経とうとしている。

 それなのにお兄さんは、当時と全く同じサンタクロース姿で、二十代半ばと思わしき変わらぬ容貌で、あたしの目の前に現れた。


 いくら『また会いたい』って願ったからって、こんなことは有り得ない。

 お兄さんの従兄弟とか、他人の空似に決まってる。


 でも……でも……!


“あの日” 以来、あたしがずっと『そうであってほしい』って妄想していたとおりのことが、もしもお兄さんの身に起こっていたとしたら?


 息を飲んで答えを待つあたしに、お兄さんは何の躊躇いもなく言い切る。


「俺はこの店の息子なんだ。訳あって、ちょっとを留守にしてたんだ」


「やっぱり……!」


 その言葉を聞いて、あたしの疑問はすとんと腑に落ちた。


 🍰


 毎年『パティスリー・エトワール』でクリスマスケーキを予約していた我が家。

 二十年前のクリスマス・イブの夕方、五歳だったあたしは母に連れられ、クリスマスケーキを受け取りにこのお店に来たのだった。


 店内は溢れるほどのお客さんでごった返していて、店頭の長机が出張カウンターになっていた。

 そこにはサンタクロースのコスプレをした “お兄さん” が立っていて、注文済みのケーキをお客さんに受け渡す係をしていた。


 製菓専門学校を出た後に両親のお店を手伝い始めたというお兄さんは、あたしがお店に立ち寄るたびに「おまけだよ」と焼き菓子の切れ端をくれた。

 子ども心にも割とイケメンに見えていたお兄さんがあたしは大好きで、『パティスリー・エトワール』に用がある時には必ず母に連れて行ってもらっていた。


“あの日” ────


 クリスマスケーキを受け取る私に「落とさないようにね」と微笑んでくれたお兄さん。

「クリスマスだから、今日はのえるちゃんに特別なプレゼント!」

 そう言って、ふわふわと宙に浮く風船を一つ手渡してくれた。


 サンタクロース姿のお兄さんからのプレゼントが嬉しくて、ふわふわと踊る風船を見つめていたあたし。

 だけど、その後の記憶は断片的で────


 歩道に乗り上げて突進してきたダンプカー。

 絹を裂くような叫び声。

 目の前を遮る赤い影。

 突き飛ばされて、歩道に尻もちをついて大泣きする私。


 そこから先の記憶はぷっつりとなくなっている。


 後から母に聞いた話では、ハンドル操作を誤ったダンプカーが歩道に乗り上げてきて、轢かれそうになったあたしを咄嗟に庇ったお兄さんがはねられてしまった。

 すぐに救急車を呼んだけれど、お兄さんは病院で息を引き取ったとのことだった。


 でも、ダンプにはねられたお兄さんの姿も、救急車に乗せられていくお兄さんの姿も記憶に残っていないあたしには、大好きなお兄さんがあたしを庇って死んでしまったなんてことは全く信じられなくて。


『パティスリー・エトワール』の前を通るたび、お兄さんのいないお店に入るたび、頭ではその事実を理解できるようになっても、心ではやっぱり受け入れられなくて。


 いつしかあたしの中で、お兄さんはきっとダンプカーにはねられて異世界へと転生したんだと、この世界じゃないどこかで楽しく幸せに暮らしているんだと、そんな風に妄想するようになったんだ。


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