19:「真意」(2)
「そうして、自分の身の回りのことを自分で出来るようにすることと、もう一つ。私には覚えなければいけないことがありました。家の外に出ること。
どうにか歩けるようになっても、私は外には滅多に出ませんでした。お話したとおり、ここに来て私は大きな騒ぎを2度も起こしてしまいましたから。見苦しい姿をさらして、誰彼となく悪態をついて、あげくは危うく人殺しまでしそうになって!村のどなたにもまともに顔向け出来るわけがありません。それと。
私はやっぱり……自分の姿を恥じていたのです……かつて誰よりも自分の美しさを誇っていた私が、この村に来てからの自分のこの姿を受け入れるのは難しかった……人に見せたくなかったのです。
でもそれではいけないと、ケイミーさんは思われたのでしょう。ある時から、私を誘って頻繁に外出するようになりました。買い物などの時もありましたが、大抵は。
『用?別に無いよ。お散歩お散歩。歩かないと足に力が付かないでしょ?さぁ!』
そう言って。私に抵抗が無かったと言えば嘘になります。事実やはり……最初は村の皆さんの私を見る視線は芳しいものではありませんでした。異様なものを見るような……一様に『白い目』。はっきり敵意や反感を表す方もいらっしゃいました。多分私に悪罵された方だったのでしょうね。でも私の方ではどなたにどんなひどい事を言ってしまったのか、まるで覚えていないのです。『手当たり次第』でしたから。この際それがいっそう肩身が狭くて……自業自得というものですね。
けれど私の隣にはいつもケイミーさんがいて、怖気づく私の手を引いて、ニコニコ笑いながら、通りすがる方に挨拶されたり話しかけたり、私のことを紹介したり……
よりによって、私に殺されかけた、当の本人が!!みんなそれを見て、毒を抜かれてしまわれたのでしょうね。内心はともかくも、露骨に嫌な顔をされる方はどんどん減っていって。中には、挨拶を返して下さる方まで現れ始めました。
それで私もやっと、考え方を変えなければと思ったのです。この村の人はみんな、敢えて悪い言葉で言えばみんな『怪物』。であれば。私が『怪物』になった自分を『恥じる』ということは、裏返せば他の皆さんを『蔑んでいる』ことに等しいのだと……隣で手を引いてくださるケイミーさんのことまでも!それは許されないことだと、それこそ恥ずべき傲慢であると。姿を見られる痛みを、たとえ消すことは出来なくても、耐えることはできるはず、そうしていかなければならないのだと。あの方の態度が、私にそう思わせて下さったのでした。
考えてみれば家にこもり切りだったのは前の世界でも同じ。でもあの頃は私はあの不安や恐怖に勝てなかった。誰も私を叱って責めてくれる人がいなくなってしまったから。でももうそんなひねくれた回りくどい救いは必要ありません。何があっても私を支えて下さる方が、傍にいるのですから。そしてもし、なおも自分に罰が必要だと感じるなら、その時は。私自身のこの姿が、私を罰し続けてくれる!罰の痛みに耐えさえすれば、あの方が全て許して、受け入れて下さる!もう『自由』におびえる必要は無い!そうして私は少しづつ、一人でも出歩けるようになりました。
思えばその頃から私は、前よりもよりよい自分になっていったのです。あの方と、この村のおかげで」
オーリィの語る、奪われ破壊され失われた自身の魂の再生と、新たな獲得。彼女の顔にひたひたと湧いてくる希望。
「始めて市場に店を出したのはその頃のことでした。蛙捕りはもう少し前から、あの池を教えていただいて、自分の分は自分で捕るようになっていたのですけれど。
私がよりこの村に、村の方々に馴染めるように……ケイミーさんは、頃はよしと思われたのでしょうね、市場で蛙を売ってみようとおっしゃって。天秤棒も網付きのタライも、みんなあの方が考えて下さった商売道具。地面の借り方を教えてくださって、使用料を立て替えてくださって、そして——
——傍についていてくれたの。出歩くことが出来るようになったといっても、商売となれば、今度は直接お客様と相対しなければいけない……しかも奉仕する側として。もちろんわたしにとっては全く初めてのこと。不安だったわ……それに、買い物に来た人たちにとっても意外なことだったのね。テツジさん、見てもらってわかったでしょうけれど、この村の『臨時市』というのは生活に必須のものを売り買いする本式の商売の場じゃない。長老様の言う『みんなの楽しいお買い物広場』。ちょっとの小銭を使って、それをきっかけに売り子や他の客と出会いや会話を楽しむ一種の娯楽、社交場なの。だからこそケイミーさんは、わたしが人馴れできるように店を出させた。でもお客様にとっては!まさか『あの』わたしが市場に店を出すなんて!みんなぎょっとして、怪訝な顔で通り過ぎていく……案の定、最初に店開きをした日は、誰も立ち寄る人はいなかった。わたしもどうしたらいいのかわからなくて、タライを見つめてずっとうなだれたままだった。それでもケイミーさんはずっと客引きに声を出して下さって。愛想をふりまいて。帰りにこう言ったの。
『何でも最初は上手くいかないって!まずはアナタが蛙売りを始めたって、みんなに覚えてもらう。今日は顔見世よ、次の水の日も頑張ろう!』って——
——でもその次の時。最初のお客様が現れたんです。それは……仕立屋のメネフさん。最初の日はお見掛けしなかったのですが、あの方は早耳でいらっしゃるから。噂を聞きつけられたのでしょうね。
『よう……変わった商売を始めたんだな。干蛙なら売ってる奴はちょいちょいいるが、生きた蛙をそのまま売るなんざ珍しいぜ』
あの方の顔を見忘れるはずがありません。私がケイミーさんの次にあくどく、手ひどく侮辱してしまった方。広場で見たあの時の、あの方の屈辱と怒りに震える形相がまざまざと思い出されて。会ってはいけない方に会ってしまったと、今度は震えるのは私の方でした。謝罪をしようにも、臆病で卑怯な私は舌が強張って声も出せなかったのです。ところが。
『やれやれ、そうオドオドすんなって……まぁ仕方ねぇか……あん時は済まなかったな。手加減はしたつもりなんだが、大丈夫か?あざが残ってたりしてねぇか?』
困った顔をして、あの方の方が謝ってきたのです。驚いた私に、今度はケイミーさんが言いました。
『あのねオーリィ、あたしがね、いちばん最初にアナタにあげた生蛙、あれはこの人が捕ってくれたんだよ』
『おいケイミー!それは黙ってろって言ったろ、黙ってお前の手柄にしとけって!』
『そういうワケにいかないよ。それに、オーリィにアナタのことも知ってもらいたいし……この人はね、ガラが悪いのは口だけだから。優しくていい人なんだよ』
『チッ……んなこたいいから!ホラ、一匹寄越せ』
照れくさそうに、いっそう困った顔で、私に小粒を渡して。
『オレの得手は魚なんだが、蛙も水のもんだから食える……旨いな……!活きがいい。ここの蛙はすぐ落ちちまうもんだが、どうやって捕ったんだこいつは?』
『フフ~ン、すごいでしょ?オーリィの蛙捕りは特別よ。素手でシュバって、あっという間に捕まえちゃうんだから。だから蛙も弱らないし新鮮なの!』
『素手でシュバっと?ハハハハハ!そうか、あの突き!あれはそのためのもんだったのか!!そいつはいいや……これからも、そうやって使うのが一番だぜ、な?』
さりげなく私をそうお諭しになると、今度は。
『蛙は一匹一粒ガマは二粒……めんどくせぇな、要するに20ありゃ足りるか……釣りは開店祝いだ、とりあえずよりどりみどりで10匹もらうぜ。さてと!
……よう大将!いいとこに来たな、オレのおごりだ食ってけ!!』
あの方は村の名物男、お顔も広い。だから前は通りすがるだけだったお客様達が、あの方に釣られてなんとなく立ち止まっていたのです。その中のお一人に懇意な方がいらっしゃったのですね、そう言ってガマを一匹放り投げて。
「なかなか乙だぜ、コイツの捕った蛙は!そら、あんただったら一口でガッと!な?旨いだろ?気に入ったら次は買ってやってくれ。さぁあと9人!そうだな……水鳥の兄さん!あんたはなかなか食通だそうじゃねぇか?試してみろよ。どれがいい?赤?オーリィちゃん、この兄さんが赤一匹ご所望だ、渡してやんな!さて次は……」
そう言いながら。その場に居た方、後からつられて集まった方を次々捕まえては、買った蛙を自分で配ったり、私から受け取らせたり。おろおろしている私に、またケイミーさんが。
『多分ね、お詫びのつもりなんだよ。メネフさん言ってたから……オレはあの時、アイツを騙したって。ありがとうを裏切ったって……いい人でしょ?』
なぜあの方が私に詫びなければならないのでしょう。逆のはずです。私は居てもたってもいられなくなりました、何か言わなければ、と。10匹全部を配り終えて、相変わらず照れたような顔で私に振り向いたあの方。そして、その場の皆さんの視線が私に集まるのを感じた時、思わず立ち上がってこう言ってしまったのです。
『あの……皆様!お、お買い上げ、ご賞味ありがとうごさいました!次の、次の水の日もまた参ります。お気に召して頂けましたらまた…お立ち寄り下さいませ!』
もっとお礼らしいことを申し上げたかったのです。でも緊張のせいでしょうね。ただ自分の商売の宣伝文句になってしまって……でもあの方は。
『いい売り口上だ、上出来だぜ!やればできるじゃねぇか。それでいいのさ、そうやってな?生まれ変わったところをみんなに見てもらやぁいいんだ。
……そういうことだろケイミー?でもどうせなら。この商売、繁盛るといいな』
そういって、あの大きなハサミで私の肩を軽く小突いて去って行かれたのでした。
——今、私の蛙屋の常連になってくださっている方々、その時のお客様が沢山いらっしゃるの。そうして少しづつ人付き合いを覚えたわたしはね——」
ここでオーリィは、我に返ったかのように一息吐いた。
「——申し訳ありません。話が細かくなりすぎましたわね」
語っても語っても語り尽くせない思いを、しかしテツジの問いに対する答えの説明にとっては回りくどいと思ったのだろう。オーリィはやや改まった口調に戻って仕切り直した。それをテツジはむしろ残念だと感じていたのだが。
「そうしてようやく、一人前の『大人』として働きに出ることになりました。ケイミーさんに連れられて、農場のりんご園に。
よだか婆ァ様は、とても厳しい方でした。今もそうですけれど。つきっきりで何度も怒鳴られて……最初はとても怖かったものです。けれどあの方は、私が何度同じ間違いをしても、倦まず弛まず仕事を教えて下さった。婆ァ様にあれ程お手をかけさせたのは私だけだそうですけれど。
その頃の事は、またいつか詳しくお話できるかも知れませんが、今は……
ともかくお陰様で、今では私は私専門のりんごの樹を、一本まかせていただいています。そう、私は一人前として認めていただけたのです……『あの』婆ァ様に。
そしてとうとう……
私が『お隣さん』に選ばれて、あなたという方をお迎えすることになりました——
——このわたしが!『あのオーリィが今は』!!」
これまた、テツジが市場で何度となく耳にしたその言葉。彼にもその含む意味が、重みがようやくわかって来た。
「あんなに、あんなに未熟な子供だったわたしが、『今はこんなに立派になって』!
……親馬鹿なの。みんな、みんな、とってもひどい親馬鹿。自分の子供が可愛くて、良い所しか目に映らなくて、誰彼かまわず褒めて自慢したくなる——
——この村の皆さんには、私の両眼や鱗の醜さなど、まるで目に入っていないのです。見えてはいても、もはや感じていないのです。皆さんにとってのこの私は……
『皆で育てた、自慢の、村一番の美女』なのです。可愛い自分たちの娘だから!!
テツジさん。あの言葉には、そういう意味で。嘘偽りは一つもないのです。
私にとっては……ええ、正直に申し上げましょう。傲慢でわがままな『わたし』を心の中に残したままの私には、『美女』というあの言葉に、確かに痛みはあります。決して軽くはない鋭い痛みが。けれど、それはいつもあっという間に癒されて、あとにそれ以上に大きな喜びがもたらされるのです。あの言葉の力で、むしろ今、私は支えられて生きているのです。だからあれは、決して。
あなたのおっしゃった『味方の裏切り』などではないのです。私にとっても。
テツジさん、いかがでしょう?あなたの『一つめの問い』に対する答えは、これで充分でしょうか?」
「……?」
充分だった。そして、『言葉にすれば簡単だが、納得させるのは難しい』その真相を納得させるために、理屈だけではなく胸に迫る真実として感じさせるために。オーリィはあの長い長い、時に血を吐くような痛ましい身の上話を続けたのだと、テツジはその時そう悟ることが出来た。
だが。
(問いの……『一つめ』?しかしあの時俺は……)
「テツジさん、あの時あなたは。もっともっと大きなことを!大切なことを!私に問われたではありませんか?……そう……
『人の世に愛はあるのか』と!!あなたは私に、そうお尋ねになった——
——そうでしょう?!違うの?!いいえ、確かにあなたはわたしにそう聞いたのよ。だからこれはわたしとあなたの『戦い』だと言ったの。わたしは、わたしの全てを賭けて、『この世に愛など無い』と言ったあなたを、打ち負かさなければならない!!もう一つの答えを返さなければならない!!さぁよく聞いて頂戴!!」
それこそが、テツジには思いもよらなかった、オーリィの真意。
その激情の爆発に、彼はただ戦慄するしかなかった。
「この世に、愛は、あるわ!!」(続)
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