20:「再会」(1)
この世に愛はある、と。そう喝破したオーリィではあったが、すぐに目を閉じ歯を食いしばり、苦し気に顔をしかめた。彼女の心中で、また「私」と「わたし」が争っている、テツジにはそう見てとれた。やがて再び話し出した彼女は、抑制の「私」。
「——市場であなたは、バルクスさんのお声かけに、むしろとても警戒心を高めていらっしゃった。そうでしたね?『おだててこき使うつもり』と私がカマをかけた時、不意を突かれたあなたは一瞬とても驚いてギクリとされていました。本当に一瞬でしたけれど。私は、あなたが最初に役場にいらっしゃった時に長老様が仕掛けた「探り」のまねをしたのです。同じお顔でしたわ……でももちろん、あの時すぐにはあなたの心にわだかまる物がなんなのかはわかりませんでした。
かつて、囚われ人として度々耐えがたい苦痛、苦難に苛まれたというあなたのお話を、市場からの帰り道で伺って、私はようやく腑に落ちたのです。
その経験から生まれた警戒心。あなたは、この村を再びご自身を拘束し支配し踏みにじる『牢獄』なのではと、疑い恐れていたのですね?
『それは誤解です』と……そう一言で申し上げるのは簡単ですが……
実際、この村に来たらもうどこにも出られませんものね。あの荒れ地の先に何があるのか、いいえ、何も無いのかすら誰も知らないし、何かがあったところで行きつく術もございません。ここで生きていくか、でなければ再び死を選ぶか。二つに一つを否応なく迫られる、そこには自由はありません。この村は突き詰めて見れば……確かに牢獄なのでしょう。けれど、単純にそれだけでもなくて……
あなたのそのお疑いは、テツジさん……無理からぬことなのです。あなたが牢獄と思ってしまうような、そんな雰囲気をこの村は確かに持っている、それにはもっと深い根拠があるのです。
この村の成り立ちを長老様がご説明された時。あの方はいくつか、重要な事を隠していらっしゃいました。あまりに推論に過ぎると思われたのか、あるいは、ここに来たばかりのあなたを、怯えさせ疑いを深くさせるのは良くないと思われたのか。
思い出して下さい、長老様のお話を。この村を、あの山を造った者。それは私たち来訪者ではなく、かつてここに存在したらしい先住の知的生命体であると。そこまではお聞きになりましたね?でも。
ではなぜ?何のために?彼らはこの村を、あの山を、長老様のお言葉をお借りするならこの『システム』を造ったのでしょう?そして私たちは、何のためにここに呼び寄せられたのでしょう?
長老様は、こんなに大切で、だから心に浮かんで当然の疑問に触れることを、わざと避けられた。『文明』のお話をちょっと強引に持ち出して、あなたの意識をそこからそらしたんです。
……本当のことはわかりません。何の記録も伝承も無いのです。『遺構』を調査すればわかったことなのかも知れませんでしたが、かつて長老様はそれを断念せざるを得ませんでした。全ては憶測、それも、他の事より一層あやふやな憶測にすぎないと前置きされた上で、以前長老様から伺ったこと……いくつかの状況証拠と、そこから推測される結論。
まず最初に。
ねぇテツジさん。この村には「子供がいない」。その理由を、長老様は「生まれないから」だとおっしゃいました。それは嘘ではありません。でもあなたは見落とされてはいませんか?私たちの元居た世界でも、病気や事故や様々な理由で、子供たちもたくさん、子供のまま死んでいたということを。
でも。この村には子供は……「来訪者として出現しない」!山はどうやら、呼び寄せる者を選別して、「子供は避けている」のです。
つまり山が欲しいのは、既に十分な活動力を持っている、大人のみ。
例外中の例外であるコナマさん。ただ、長老様は逆にあの方の存在も重要なカギになり得るとおっしゃっていました。コナマさんは、とてもとても聡明で、意思も行動力も強い方。『知的な指導者として、長く村人を統制する役」として選ばれたとするなら、あの不思議な体は極めて有用なのでは、と。
次に。私たちのこの体。
この村の人達はとても丈夫です。頑健なまま、しかも長生きをします。大きな病気もありません。たまさかの事故にでも遭わなければ、ほとんどの場合老いて自然に亡くなるだけ。その上になお、それぞれに『獣の力』という逞しい能力を備えている。
……素晴らしい『労働力』だと思いませんか?」
(そうか……なるほど……!)
テツジにも、オーリィの話の結論が見えた。背筋に走る冷たい感覚。
「最後に『糧の飢え』。姿のことを別にすれば、これさえなければ。私たちにこんなに優れた肉体を与える術を持った山が、『先住者』が、どうしてこんな手落ちをしたのでしょう。いいえそれは……手落ちではなく意図の通りなのかも知れない……呼び寄せたよそ者たちに、『決定的な弱点』を植え付ける……支配し使役するために……
『先住者』が存在した頃の『来訪者』は……奴隷として狩られた人々だった……!」
オーリィが語る、長老の「推測」。
(それが真実だったとしら……)
【死者を再生・改造し、奴隷として使役する】という、その想像のおぞましさ。テツジは大顎を砕けんがばかりに噛みしめ、額に不快極まりない汗を浮かべていた。オーリィの表情にも同じ不快と共に、彼に対する惻隠の情がありありと浮かんでいた。
「震えていらっしゃいますわね。恐ろしいですか?お怒りですか?不愉快でしょうか?あなたには、きっと誰よりもそうでしょうね……すべては推測、長老様は一応そうおっしゃいましたが、仮にもあの方が言ったこと。その他にも思い当たる証拠をお持ちなのだと思います。あるいは、口にするのもためらわれる何かをご存じなのかも……長老様が『遺構』の調査を断念されたこと、万一『遺構』の活動が止まってしまってはこの村は破滅するからとおっしゃいましたが、それだけでしょうか?もしや……何かを発見されて、それで……?私にはそう聞こえてなりませんでした。
第一この話をされた時の、長老様のお顔と声!今のあなたと同じくらい苦々しいお顔、そしてあの方からは他で聞いたことが無いような、侮蔑に満ちた吐き捨てるようなご口調!
ああ!!この村は元は……咎無き者が墜とされる、呪われた流刑の地!——
——けれど、けれどテツジさん、信じて!!」
オーリィの抑制は破られた。彼女の中で湧き上がる感情の起伏が、みるみると表情に現れ出る。しかしこの時は、それは激情として燃え上がりはしなかった。
さざなみが押し寄せるように。頬が、唇が、肩が震える。
それは切々とした懇願。
祈りを捧げるかのように、彼女は胸の前で両手を組み、テツジの目をひしと見つめ、震える声で語り掛けた。
「今のこの村は。便利な道具も乗り物も無い、豊かな食べ物も無い、美しい風景も無い、何にも無くて、ただ厳しい生活があるばかり。だけど……
恐怖も暴力も支配も無い。平和で穏やかで、そして優しい人ばかりが住んでいる。そういうところよ、今のここは……そしてね?
そんな何も無いこの村だからこそ、ここの人達は、『一番大切なもの』を一途に探し求めて、それを見つけて、育んだの。
わたしが『村一番の美女』なのは、みんな『親馬鹿』だから。そう言ったわ。
でもそれは、わたしに対してだけではないの。みんなみんなお互いに、少しづつ『身内贔屓』をしているの、心の底から、自然に、ね……
『お隣さん』と『新入りさん』。あの『しきたり』でつながれて生まれる『親子』同士のような気持ち。それを使って、村人全員が網の目のように心を通い合わせる。それぞれバラバラの世界からやってきて、それぞれ怪物になり果てたお互いを、認め合い、信じあい、助け合うために。
この村の人達がいつの昔からか作り上げ身に着けてきた……これが!この村だけの人の愛し方、この村の特別の『愛のかたち』……
この世に、ここに。愛はあるの、あるのよ……」
湧き上がる感情が、言葉を紡ぐのをさえぎりがちになっていく。オーリィはここで言葉を切った。あるいは再び抑制の「私」にバトンを渡そうとしたのかも知れない。だがもはやそれは出来なかったようだ。息を継ぎ直し、かろうじて語り始めた彼女の言葉は、いっそう震えていた。
「今のテツジさんのお住まい、そこには元々ケイミーさんが住んでいらっしゃった。でもある時、あの方は出て行ってしまった……『しきたり』には続きがあるの。
『新入りさんが村の生活に馴染んだら、独り立ちさせなくてはならない』。
どちらかが出て行って、別の住まいに移る。思い出してください、新入りさんがいるということは、その少し前に誰かがお亡くなりになったということ。つまり出ていく先の住まいは必ずあるの。わたしたちの場合は、この家の方が森の池に近いからという理由で、ケイミーさんの方がそちらに出ていかれることになった……あの方がご自身でそうすると言ったの。
わたしは……わたしはね……嫌だった……一人になりたくなかった、あの方とずっと、お隣同士でいたかった、お傍でいつもお顔を見ながら暮らしたかった……
だってそうでしょう?あの方にとってわたしが娘のようなものだとしたら、わたしにとっては!あの方は母のようなものよ。
思えば前の世界では。わたしは『鳥の巣に間違って孵ってしまった蛇の仔』だった。みんなのようにさえずることも羽ばたくことも出来なくて。蛇の姿を見せては忌み嫌われて、でもそれしか出来なくて。そしてみんな結局わたしを捨てて違う巣に飛び立ってしまったの。でもあの方は、自分は鳥のままで、蛇であるわたしを愛でて育てて下さった。わたしの優しい、百舌のお母様……ああ!
ずっと同じ巣で暮らしていたかった!!
だけど。あの方は言ったわ。
『こんな小さな村だもの、いつでも会えるよ、でしょう?あたしはね、しきたりだから、そう決まってるから出ていくんじゃない。なんでも言いなりのあたしはもうやめたから。自分でそう決めたの。
ねぇオーリィ、あたしはね?アナタを助けることが出来て、本当にうれしかった。アナタのおかげで、動く案山子から今の自分になれた。わかったんだ……人を助けるとね、その人に自分も助けられるんだよ。アナタにはまだ……なんだか寂しい陰がある。それはあたしじゃなくて、アナタが自分で!誰かを助けて!きっとそれで晴らせる!あたしはそう思うの。
今度はアナタがお隣さんになるんだよ。あたしが出て行ったあと、今度ここに来た人を、アナタが助けてあげて……アナタがもっと幸せになるために!出来るよ!!』
そう言ったの……だからわたしは……とっても寂しかったけれど、お引越ししていくケイミーさんを見送って。それからずっと待っていた……やがてお隣に来る新入りさんを……
最初にあなたをこの家にお招きした時。わたしはお茶を淹れて、そして『隣の掃除をする』と言って出て行ったでしょう?おかしな話……お客を招いてお茶の途中で中座して掃除ですって?流石のあなたも、あの時ばかりはずいぶんキョトンとしてた。
ええ、掃除なんて……とっくに全部終わってたわ。あなたが来ることは、わたしが『お隣さん』になることは、何日も前に告げられていたんですもの。あの時わたしは、あのお家にお別れに行ったのよ。例え誰も住んでいなくても、空っぽでも!あそこには、ケイミーさんと暮らした思い出がいっぱい残っていた。でもこれからは!あなたがあの家に!だから最後のお別れをして、そして勇気をもらいに行ったの。わたしなら、やがてここに来る人を助けてあげられるって、出来るって、ケイミーさんのあの言葉を思い出しにいったの。あなたこそ!あの方がわたしに託された方、それを心に刻みにいったの!!
そう、テツジさん、わたしはね……あなたを。あなたを待っていたのよ……」
自分を「待っていた」という、オーリィのその言葉に。テツジは動揺した。彼の胸の中心に食い込んで動かなかった何かが、その時激しく揺り動かされた。その感情が歓喜なのか畏怖なのか、彼自身にもわからなかったが。(続)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます