19:「真意」(1)

「私は、そうしてこの村に『生まれた』んです。この村の……『末の娘』として」

「末の……娘……?」

 自身の過去を語り始めてから、初めて見せる穏やかで温かい口調と表情で。彼女はその奇妙な言葉を口にした。

「そう。たくさんの兄弟姉妹の中で、一番ひ弱で幼くて、そのくせききわけがなくて!育てるのに手のかかる赤子……この村の方々にとって、私はいわばそういう存在だったんです。私に対して皆さんが口々におっしゃる『村一番の美人』、どうして私をそう呼ぶのでしょう?それは——

 ——それはね、実は言葉だけなら一言で言える、とっても簡単で単純なことなの。この村の人はみんな……『親馬鹿』。とてもとても親馬鹿だから。そういうこと——

 ——市場の帰りにあなたに問われた時、もうこの答えは私の中にあったのです。でもこれだけではとてもお分かりいただけないと思いました。そして詳しくお話しようにも、私にはあなたに隠しておかなければならないことがありましたから。『お隣さん』と『新入りさん』を繋ぐあの『しきたり』、その真ん中に横たわる『糧の飢え』。その意味をお伝え出来なければ、あなたへのお答えはすべてあやふやなものになってしまう……だがら待っていただくしかなかった……

 でもようやく、私もお約束を果たすことが出来ます。これで!ようやく!」

 オーリィは決然とした顔でそう言うと、目を閉じ、軽く天井を仰いだ。彼女の中にある思いを、最後にもう一度胸の中で言葉に編み直しているのだろう。その様子を、テツジも固唾を飲んで見つめていた。

(ついにこの時が来た。オーリィさん、あなたは一体何を、俺に……?)

 しばしの沈黙の後。オーリィの言葉はまたもや、新しい問いかけから始まった。

「テツジさん。この村の『お隣さん』という『しきたり』、あなたはどう思いましたか?奇妙だと、理屈に合わないと思ったのではありませんか?」

 オーリィの問いは相変わらず唐突ではあったが、またしても、テツジの心中を見抜くようであった。最初は「不用心」だと思った。何か裏があるのではと、彼はずっと勘ぐっていた。そして今まさに彼を窮地に立たせている「糧の飢え」という深刻な事態が、むしろ彼の最初の疑念をいっそう深くしていた。この村の新入り誰もが必ず、これほどの危機にさらされるというなら、その世話は猶更、最初から手慣れた専門の者に任せるべきだ。最前、オーリィが語った彼女自身の救済の物語。それは確かに彼の頑なな心にも響くものがあった。しかしその点だけは納得がいかなかった。村には最初からコナマを筆頭に経験豊富な老婆達や、元の世界で専門的な看護技術を身につけた者などがいたというのに。

 なぜオーリィの命が、当初、まったくの素人のケイミーにゆだねられたのか。

 なるほど、ケイミーの純粋な献身あってこそなされた、オーリィの救済ではあったろう。しかし現実にそれだけでは足りなかった。多くの村人の助けが必要だったではないか。

 そしてなぜ、自分は、オーリィに?

「私は見ていました。あなたを初めてこの私の家にお招きして、そして私が隣の掃除をといって出て行った時。あなたは小首をかしげて怪訝な顔をされていましたわ——

 ——すれ違いざまに見たの。わたしのこの左の虫の眼で。池でちょっとだけ言ったはず、この眼は一度にたくさんの方向を捉えることが出来るって。いろんな景色が全部いっぺんに頭の中に飛び込んでしまうから、村に来たばかりの頃はグルグルめまいがして真っ直ぐに歩けなくて。とても困ったものだったけれど……今はね、見たいものに気持ちを集中させることを覚えたからなんともないの。だけれど、もちろん!今でも『顔が向いている向きとまるで違う方向も、はっきり見ることが出来る』……そうしようと意識すれば、よほど真後ろでもなければ。だからあなたはあの時、わたしに表情を読まれたことに気がつかなかった。そうよ、あの時だけじゃないわ。わたしはそうやって、今までずっとあなたの顔色を盗み見ていた。他人からは視線が読めないこの左眼で——

 ——ああでも!その話はあとできちんと……お詫びいたします。今は『しきたり』の話をさせて下さい。それがあなたの『問い』への私の『答え』に繋がるのですから。

 この村に訪れる『来訪者』。新たな住人となるその人たちを私達村人は『新入りさん』と親しく、でも少し子供っぽく呼びます。何故でしょうか?いえ、そもそも。

『来訪者』『新入りさん』とは、村人にとってどういう存在なのでしょうか?

 思い出して下さい。この村には、この村で『生まれ育った』人は誰一人いません。みんな『来訪者』だったのです。自分が本来生まれ育った別々の世界から、死をきっかけにして、あの山の力で呼び寄せられた……誰もが元は『孤独な囚われ人』。

 しかもその身に押された醜く恐ろしく、そしてそれぞれに違った獣の刻印!

 不安だったのです。恐ろしかったのです。寂しかったのです。誰もが!——

 ——わたしもそうだったわ。わたしのあの、無様で、みじめで、思い出す度に浅ましさで身が千切れる気がするような狂態。怖くて、寂しくて、悲しくて、だから泣き叫ぶしかなかった——

 ——テツジさん……今、あなたは如何ですか?そうでは……ありませんか?」

 またも図星を突かれる思い。

(そうだ……確かに俺も。俺が『あいつら』を憎む気持ちは嘘じゃない。だが、それを俺は確かに……自分の心が壊れてしまわないように、防壁として使っていたのだ。あの怒りで心を鎧わなければ、恐怖に、孤独に耐えられなかったから……!)

 知らぬ間に、自分が最も忌み嫌う物だと言ったはずの「嘘」で自分を守っていたのだと。その卑怯さに、テツジは自らを恥じ悄然とした。その顔色を、オーリィは慰め、むしろ称えるかのような表情で見つめながら、言葉を続けた。

「……その気持ちを。この村の人達は誰もが自ら体験し、理解しているのです。

 そして。

『来訪者は、誰かの死とバーターでしか現れない』。この村で共に暮らしたかけがえのない同胞の忘れがたみ。

 そして。

 どんなに逞しく健やかに見えようとも、『糧の飢え』という逃れられない落とし穴のために、救いの手を差し伸べなくては失われてしまう、脆く儚い命。

 ああ、そして!

 子供の産まれない、『新しい家族と結ばれる機会を奪われた』この村の人達!!それが出来さえすれば、どんなにかお互い、孤独に慄く心を癒せるのでしょうに!!

 だから。

 この村の人達は、いつしか。『来訪者』を、『新入りさん』を、あの山から村にさずけられた自分たちの『子供』と見なすようになったのです。庇護し、いたわり、慈しんで……新たな仲間として『育てる』べき存在として!

 ならばこそ。その子の『親』になって『子供を育てて、新しい家族を得る』という、『得難く喜ばしい機会』は……村人誰もに平等に与えられなくてはならない……!

 それがこの『しきたり』が出来た大元の理由なのです。

 ……テツジさん。では私は、この村の皆さんにとって、どんな『子供』だったでしょうね?

 そう……私は『育てるのに特別に手のかかる赤子』だったのです。泣いて、ぐずって、いやいやばかりの……ようやく大人しくなっても、そこからまた皆さんに別のご苦労をお掛けしました。弱り切った私の体は、本当に死の淵の一歩手前にあったのです。そう簡単には元のようには戻りません。なんとか一命をとりとめてから一人で立って歩けるようになるまで、おおよそ一月もかかったでしょうか。その間、寝たきりの私をケイミーさんやコナマさんや、他の方々が引き続きお世話してくださって……それこそ、おしめも何度取り換えていただいたことか。

 更にその後も。裕福な家に生まれ大勢の使用人にかしづかれ、何一つ自分で自分の身の回りの事をしてこなかった私、わがままで誰の言うことも聞かず何も学ぼうとせずいつも贅沢に遊び惚けていた私。例え体力を取り戻しても、厳しい暮らしのこの村ではただただ無能で無力な存在というしかありませんでした。

 体ばかり大きな、何も出来ない子供。

 そんなわたしの手を取って、ケイミーさんはありとあらゆることを教えてくださった。掃除、洗濯、火の起こし方と後始末、針仕事に水汲み……それこそ雑巾の絞り方から、いいえ、『拭き掃除をする時は雑巾は絞る』、それを教えるところから!

 ただお料理は……ふふふ、お料理だけは——」

 語るにつれ。オーリィの頬に柔らかな赤みがさし、口元に微笑みが浮かんできた。

(この人のこんな顔は、見たことがなかった……)

 これが本当に彼女なのかと、テツジは目の覚めるような思いを持った。

「——ケイミーさんはね、お料理だけは苦手だったの!あわてんぼうなところがあるあの方、生焼けにしたり焦がしたり、下ごしらえで必要な味付けを忘れてしまったり……そもそもその調味料を用意していなかったり!

『あたし、元の世界でもあんまり料理やらなかったんだよね、なんかいつも買って済ませちゃってて。それにこっちに来てからは兎でも鼠でも生で食べるようになっちゃったから、ここのお料理の仕方、イマイチ覚えるの身が入らなくて……アハハ!』

『笑うとこじゃネーヨ!ケイミー、だから言っただロ?こういう時に困るんだゾ!

 ……オーリィあなた、ここに来たばかりの時意地を張って何も食べなかったけれど、案外正解だったかも知れないわね。何を食べさせられていたことやら!あなたには私から教えてあげるけど、ケイミー、あなたもそばに居て一緒に覚えて頂戴』

 って。そう!私にお料理を教えてくださったのはコナマさんだったの——

 ——テツジさん、あなたに褒めていただいた毎日のお料理も元はみんな、あの方に教えていただいたものなんです。狭いお台所に、三人肩を並べて……

 死んだ兎が怖くて触れない私をコナマさんがなだめたりすかしたり、そうしている間にお腹がすいたケイミーさんが急につまみ食いを始めて。

『お料理実習に使うのはお肉ですよね?食べたのはモツだけ、モツだけですから!』『そういうモンダイじゃネーヨ!!いきなり兎の腹を食い破るとか、オーリィが貧血起こしちゃったゾ!……あらあら大丈夫オーリィ、しっかりして頂戴?!』——

 ——いつもてんやわんやで、賑やかで、楽しかったわ……あれが私の学校。お茶目な担任の先生と、小さな校長先生……」

 うっとりと思いを馳せるその顔には、テツジにも見覚えがあった。

(市場で、狐狩りの相談といって去って行った二人を、見送っていた時の顔だ)

 あの時、二人の背中にオーリィが見ていたもの、そしてあの、彼にとっては悪ふざけとしか思えなかった三人の会話の中で彼女が感じていたもの、その思いが、テツジにもこの時ようやく胸に迫ってきた。

(『大切な人達』……か……)

 テツジもオーリィも、かつてそれをすべて失い、しかし彼女は新たに得た。

 そんなものはもう必要ないと、あの時あざわらった彼は、しかしこの時。

 感じるのを拒み続けた自らの孤独を、目の前に突き付けられた。そして彼女をうらやむ気持ちに抗うことが出来なかった。

(そうだ、この人と俺は、やはり似ている……いや、似ていたのだ……)

(続)

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