終章:「共生」(2)

 カズマは内心の緊張を隠しつつ、激昂したクロエを冷ややかにいなす。

「どれもいい芝居だったということさ、熱がこもっていてな。さっきの腑抜けた負け犬の遠吠えとは訳が違う。そういうことだ」

「フフ、わたしにもこんなご贔屓がいたのね、知らなかったわ。でも……

 大層なお褒めを頂いて恐縮だけど、見る目もないのに評論家気取り?バカバカしくて聞いていられないのはわたしの方よ、このにわか通!!

 お芝居……お芝居ですって……アハハハハ!そうよ、お芝居、お芝居みたいなもの、わたしの人生なんて、存在なんて!!観劇のお供にポップコーンはいかが?それともご自宅のプロジェクターでカウチポテト?ご自由にどうぞ!ピザでも何でもつまみながらお気軽に楽しんで下さいな……そして忘れて頂戴!!

 どうせ節穴のお前の目にピッタリの、くだらないお芝居ばかりだったのだもの!!

 お前の御託はまるで逆よテツジ……いいえ、カズマ!

 確かに私はまだ弱い。言ったはずでしょう?私には『出来なかった』のよ!それを褒めるだなんてよくも……よくも!!

 でもこの村に来て、ケイミーさんやみんなが私を受け入れてくれた。今はみんなが支えてくれる。お前がさんざん褒めてくれたもの、あんなもの!私が育っていけば、いつかわたしの代わりに私が全部やってくれるわ、きっともっと、ずっといい方法で。

 でも、でもよ!わたしが私の傍にいたら、またいつか必ずみんなを裏切る、悲しませるわ。梢で朽ちる死神の姿こそ、わたしの物語の終わりにふさわしいのよ!!」

「ほう?それで勝手にエンドマークか?ここで幕を引く?『そしてオーリィという名の動く案山子は一生静かに何事もなく暮らしましたとさ』、つまらんオチだ。クロエ、そんな台本はとっとと竈にでも放り込んでおけ。

 言った通りだ。あんたは自分の事が、自分の『本質』が全く見えてない。だから道を誤ったんだ。だから今苦しんでいるんだ!」

 すかさず、相変わらずの無表情で、しかしカズマは断固としてそう言い放った。

(次に虚を突いて懐に引き込む。そのためには……)

「動く案山子……何のこと?『本質』?わたしの?」

(ここからだ。俺も、あの頃に戻るぞ。これが……)

「……そうですよクロエさん。僕が本当にあなたに言いたかったのはそのことなんです。聞いていただけますか?」

「……え?」

 その時、テツジは完全に「カズマ」に姿を変えた。二度目の不意打ち、そしてこれが、彼が決戦のために用意していた、しかし切りたくなかった切り札の一枚。

(『人が別人に化ける』、この人になら必ず【この手が効く】はずだ。必ず俺の話に引き込める!無論、化けるといってもこの人には付け焼刃では通用しない。そもそも俺にろくな芝居など、もとより出来はしない。だがな……)

「最初に、考えていただきたいことがあります。僕とあなたの違う所。あなたが前におっしゃったとおり、僕とあなたの生き方はよく似ていた。だけどとても違うところがあるんです。おわかりですか?」

 ただの兵士としてではなく、国家を支えるべきエリートとして、教養、礼節、品位をも同時に徹底的に叩き込まれた男。それがかつてのテツジ、すなわちカズマ。上品で丁寧な紳士的物言いは、これまでの無頼で野性味のあるテツジのものとまるで違う。そしてもちろん。それはテツジが捨てたい過去、忘れたい自分の姿であった。

(あいにくこの姿は……芝居じゃない。勝手知ったる本物の俺自身。これなら!

 それに、俺は昔の名前でこの人を呼んだ。その無礼に詫びをするのにも、この手しかない……俺も己が身を切るしか!)

 そしてそれは図に当たった。険しさはそのままだったが、クロエの表情から小馬鹿にするような様子が消え、カズマになった彼の一挙手一投足を食い入るように見つめている。顔色に映るのは、驚愕と、『好奇心』。

「僕はね……あなたの言い方をお借りすれば『鳥の巣に生まれた鳥の仔』です。父にあこがれて、素直に、必死に同じように羽ばたこうと、同じように鳴こうとしていたんです。父の言う通りに何でもしてきました。父の望み、『国一番の勇士』……それを目指して。そしてそれが自分の喜びでもあったのです。前にお話しした通りです。ですが、ですが。その結果……僕は……

 俺はどうなった!!このザマじゃないか!!俺に何の落ち度があった?あんなに言うことを聞いて来たのに!こんなに手ひどく裏切られたんじゃないか!!

 いいかクロエ!!」

 そして爆発。

「あんたは『人の言うことが聞けなかったから不幸になった』と言ったな?蛇の仔だから嫌われたのだと……関係ない!!俺を見ろ、俺を見ろ!!わかるか?!そんなことは関係ないんだ!!」

「あ……」

 クロエは息を呑み絶句していた。これまで固く信じこだわってきたものに、初めてひびが入った。だがその感覚にだけは覚えがあった。

 ケイミーのあの突然の怒りに触れた時の、あの天と地が裏返るような衝撃。

 一方。カズマはテーブルの上で拳を固めたままそんなクロエを矢で射るように凝視しながら、もう一度冷静さを取り戻していた。

(そして素早く足を払う……これがね、クロエさん、オーリィさん……俺が三つの時から親父に叩き込まれた戦いの駆け引き、武道の呼吸ですよ……あの親父にね……)

 皮肉な思い。苦笑いが漏れそうになるのを抑えて、彼は続けた。

「いいですかクロエさん。だったら逆に、そんなまるで違う僕たちが、どうしてこんなに同じ境遇になってしまったのでしょうね?

『別のところ』が似ているんですよ。だからです。

 僕は……父の、周りの言う通りに生きてきました。何の疑いも持たなかった。つまり、『自分が無かった』んですよ。空っぽだった。動く案山子だったんです。

 あなたはどうでしょう?あなたは『周りにわざと逆らって生きてきた』、でもそれは、『周りにあわせて』から『逆を行った』んでしょう?あらかじめ周りが何を自分に期待しているか、一生懸命読み取って、『顔色を伺いながら』ね。それはあなたの『自分の意思』と言えますか?」

 一呼吸。その問いに、クロエの顔から猛々しさが消えた。

「つまりあなたも動く案山子だったんですよ。動く案山子には、そもそも自由なんてありません。人が操る通りに動くしかない。ご家族を失って、名を捨てて家を出られたあなたが、どうして自由におびえたのか?孤独におびえたから。あなたはそう言いました。なぜそんなに孤独が恐ろしいのか?誰も叱ってくれないから、指図してくれないから。そう、あなたはそこまでわかっていたはずじゃないですか。僕は同じことを、あの晩あなたの口から聞きましたよ。でもあなたは結論を誤った。

『人と同じことが出来なかったから不幸になった』

 そこが違うんです。あなたに、いいえ僕らに必要だったのは『人が何と言おうと揺るがない、自分だけの信念、理想、価値』……そういうものたっだんです。それがなければ、いつまでたっても操り人形のままですよ。

 僕だってそうでした。名を変えて、死ぬのがわかっているような戦場に行った。座敷牢から、父から逃れるには、確かにあれしか無かったのです。それで僕は、父を騙したつもりでした。ただ一旦あの大混乱の激戦地に行けたのであれば、今度は自分の軍から脱走することだって出来たはずでした。実際沢山いたんですからね、脱走兵は。そして第三国に亡命して生きる……それはそれで困難な道です。でも、僕が是が非でも生きていたいという意思を持っていたのなら、自分に生きる意味があると認めていたのなら、試す価値はあったはず。

 思いもよらなかった。あの時僕は、ひとえに自滅だけを願っていた。結局それは父の思うつぼだった。騙せてなんかいなかった。父はむしろ、僕がそうするとわかっていたのかもしれません。僕が結局は、自分に逆らえないことを知っていたんですよ。

 そうです。動く案山子のままでは、呪いからは逃れられない。

『鳥の巣に生まれた蛇の仔』、鳥の真似をしても上手くいきませんよ。でもそれでいいんです。蛇として生きればいいんです。蛇はどう生きたら蛇として自由に誇り高く実り多く生きられるか、むしろそれを探して貫くべきなんです。

 そしてね、クロエさん。あなたは自分で気づいていらっしゃらない。

 ……出来ているんですよ。あなたはこの村で、もうすでに誇り高い蛇として生きている。あなたにはそれが見えていないんです。そしていつまで経っても自分は鳥の真似事が何もできていないと嘆いていらっしゃる。

 失礼ながら、「愚か」と言うしかありませんでした。無礼をお許しください」

 カズマの言葉が進むにつれ。ただ茫然としていたクロエの表情は再び歪み始める。だがそれは、最前の侮蔑や否定の苛立ちとは違っていた。困惑と、何かを求めるがゆえの焦燥。

「でも、でも……だって!ケイミーさんはあんなに優しくて、にこやかで、素直で……わたしは私にあんな風になってもらいたくて……」

「そうですね」カズマは自分が一度卓上に置いた白のブローチを手に取って、それとクロエを交互に見比べながら答えた。

「これを手に入れるのに、一緒に選んでいただくのに。今朝あの方と初めてじっくり話しました。『海のように深い母の愛』、月並みな形容句ですが、あの方にぴったりだ。あなたがあの方に憧れるお気持ちはよくわかる。お手本にしたい、あんな女性になりたい。わかります。ですがクロエさん、勘違いなされてはいけません。あの方はあなたに、『あたしのようになりなさい』と、一度だって言いましたか?」

 クロエの明らかな反応を見て、彼は先を続けた。

「言いませんよ、あの方なら。あの方は、あなたの全てを受け入れて愛しているんです。あなたがどんなあなたでも、きっと認めてくれる。そもそもあなた自身が、あの方のそういう無条件の愛に触れたからこそ、あの方が差し伸べた救済の手を信じることができた、すがることが出来たのではなかったですか?僕はあなたからそう聞いたつもりです。違いますか?どうして忘れてしまったんですか?それが案山子の呪いなんです。目を覚ましてください。仮にあの方があなたに望んでいることがあるとすれば、それは『あなたがあなたらしい幸せを掴むこと』、それだけです。これ以上あなたが鳥の生き方の猿真似を目指すだけなら、それはむしろあの方への裏切りだ。

 いいでしょう。人の優れたところを真似るのは良いことです。敢えてそうしないのは別の意味で愚行です。ただし、ゆるぎない自分を持って、それを磨くための糧にするなら、ですがね。誰も他人には入れ替われない。あなたはあなたのままでいるべきだし、そうするより他にない。あなたがあなたのまま、より良きあなた自身になる……

 そしてもう一度言います。あなたは実はもう、それが出来ている!

 磔の死神は、虫の息ですがどうやらまだ生きている。あなたを案山子の呪いで、操り糸で操ろうとしている。でもその糸も殆どは切れた。残っているのは一本。あなたの眼をあなた自身の今の、真の姿から背けさせている、その一本だけだ。

 ……断ち切って下さい。ご自身で。見るんです、今のあなたの姿を!」

「わたしの、真の姿……?」

「『あの山は皮肉家、誰もがそう言う』。そうでしたね?僕も聞きましたよ、東の荒れ地で仲間がそう言うのを。でも皮肉が皮肉になるのは、真実の一部だけを拾って茶化すからですよ。つまり、皮肉はゆがめられてはいても、真実を含んでいる。

 山があなたに与えたその姿。どんなあてこすりなんでしょうね?あなたは、美を誇る自分へのからかい、懲罰だと捉えられた。そうかも知れません。でも、僕の意見は違う。あの山はもっと皮肉家ですよ。もっと人の『本質』をからかいに来る。

 あなたのその両眼……」

「ひぃっ!」

 クロエの喉笛から、はっきり聞こえる悲痛な悲鳴がほとばしった。

(申し訳ありません……ですが聞いて下さい……)

 テツジはその言葉を飲み込んで、カズマとして断固先を続けた。

「右の蛇の眼。暗く深い水の底を、どこまでも見通すことが出来る。

 左の虫の眼。様々な方向を、角度を広く一度に見渡すことが出来る。

 あなたの見ている世界は、きっと誰にも見えないあなただけの光景。余人には見えない、わからない美を切り取ってくるその眼。でもそれは、多分あなたがこの世界に来る前からそうだった。

 ……芸術家の眼です。あなたはきっと、生まれついての芸術家なんだ!誰にも見えない自分だけの美を、この世に顕現させる!それがあなたの本質なんだ!

 あなたの、異常なまでの美に対するこだわり。

 かりそめの自由を手にした時、あなたが最初に訪れたもの、絢爛豪華なオペラ。

 幼い日。与えられた服にハサミを入れた。もっと可愛くしたい、その情熱。

 歌のレッスンで替え歌を作った。人の作品に対する対抗心。

 僕が先ほど、あなたの行動を芝居に例えたのは、からかうためではありません。いかなる時にも、いかなる事にも美を求め、美によって表現するのを忘れない、本能的にそうしてしまう。あなたの生き様そのものが芸術家、表現者のそれだからです。そしてだからこそ、僕はさっきのを猿芝居と評しました。役者が演じることの価値を否定して何になりますか?ただの心無い空台詞にしかならないではありませんか。

 矛盾したことを言うようですが、『ケイミーさんのようになりたい』?いいでしょう!あなたに限ってなら。真似でも、芝居でもそれならそれで構わないのです。いいえ、大いに演じるべきだ。ただし!『それが真似であること、芝居であること』を恥じてはならない、その価値を否定してはならない。演技を演技として認めながら堂々と演じぬけばいいんです。それが逆に、あなたをあなたとして生かす方法なんです。

 あなたは歌手だ。役者だ。そして台本作家で演出家で音楽家なんだ!

 ……それでいいんだ!!」

 カズマは、テツジに返った。昂ぶりを抑えられなかった。抑えてはならないと思った。オーリィがクロエになる、その時のように。

「あんたは『所詮は芝居』と言った。所詮?芝居は、芸術は所詮くだらないものか?違う。だったら何故、大昔の人間は洞窟に壁画を描いた?古代の演劇が今も廃れず読まれ演じられているのは何故だ?何故子供は砂浜に絵を描く?美を求めるのは人間の本質の一つだ、だがそれを捉え表現するのは誰にでも出来るわけじゃない。あんたは本当の意味で美に選ばれたんだ!!

 この世界を、この村を見ろ!この殺風景な何も無い世界。ここにあんたが現れた。

『村一番の美女』。そうと呼ばれる理由、あんたは皆が親馬鹿だからと言った。それは無論間違ってない。だがそれだけじゃないんだ。あんたの、世界に美を呼び寄せる力を、この空っぽの世界に生きる皆が感じて、求めているからだ!!」

「芸術家……世界に美を呼び寄せる力……わたしが……?」

 テツジの、カズマの言葉に動揺し戸惑いを見せたクロエ。だが、どうやら彼女の核心を打ち抜けてはいなかったようだ。

「でも?だとしても?その自惚れでわたしは、結局私を巻き添えにして死んだわ。そうではないの?」

「『戦う相手を間違っていた』んだよ。いや、あんたの場合は『台本選びを間違ってた』。なぁクロエさん……」

 テツジの言葉が、声がまた変わっていく。粗暴ながら、同情と親しみのある響き。

 それは荒れ地で働く彼の仲間たちの話し方だった。

(今度はあいつらの言葉を、話し方を借りる。俺を何の苦も無く受け入れ、自分たちの色に俺を染めてしまったあいつら。あれもこの村の流儀なのだ。愛のかたちなのだ。この人より新参者のこの俺が、この人を変えるには。俺にはこれより他に思いつかなかった。俺の二枚目の切り札。だが通用してくれるのか……?)(続)

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