21:「幕間劇」(3)

「お帰りなさいケイミーさん、今日はちょっと遅かったですね。お夕食どうなさいます?籠の兎と鼠、どちらを絞めましょうか?」

 それは、オーリィとケイミーがまだ隣同士で暮らしていた頃のこと。

 

 りんご園から先に戻っていたオーリィは、食事の用意をしつつケイミーを待っていた。ただしケイミーの分は用意といっても、いつもパンと野菜スープだけ。彼女のメインディッシュはあくまで生の動物。狩りをした中から売り物にならない大きさの兎や鼠を、籠に入れて飼っておき、食事の度に絞めるのが常だった。だがその晩は。

「ただいま……ええと……ゴメンね、今日はなんだかあんまり食欲無くて。落ち蛙の生干しがあったら、ちょっと分けてもらえるかな……?」

「えっ!そんな、ケイミーさん、『食欲が無い』なんて一体どうなさいましたの?!」

 オーリィは本気で驚いた。共に暮らし始めてから早数ヶ月、あの鳥を体に住まわせているケイミーに、食欲が無いなどという事態に遭ったことがなかったからだ。あらためてケイミーの顔を見れば、なるほどすっかり意気消沈して物憂げ。

「あのね……それがね、今日農場で監督にめっちゃ叱られちゃって……

 あたしの狩りはさ、木の上から畑に飛び込むわけじゃない?いつも多少麦が痛むの。だけど大抵の場合一発で仕留められるから、兎なり大鼠なりを放っておくよりは全然害が少なくなる。だから許してもらってるわけ。だけど今日はね……うっかり外しちゃって。でもそれですぐ『仕方ない』って切り替えて逃がしちゃえばそれだけで済んだんだけどね。なんか今日は頭に血が上っちゃったというか……たまたまその時鳥の食いしん坊が出ちゃって、ムキになって追いかけまわしちゃって……その畑を超えて隣の小っちゃい畑まで。つまりさ、さんざん麦を倒しちゃったり踏んじゃったり……おまけにね?

 その小さい畑って、普通のじゃなかったの。監督がこの2~3年、『この村の環境に合った、より乾燥に強い麦を作るのだ!』ってね、長老様と一緒に品種改良してた研究用の畑だったのよ……それをあたしがメチャンコに!

 ……もうね……監督が今まで見たことないぐらい真っ赤になって怒っちゃって……すっごい怒鳴られちゃってさ……」

「まぁ……」

「でもね、怒られるのは仕方ないの。自分でもわかってる。だけどね……

 さんざ怒鳴ったあとさ、今度は監督、すっごくがっかりしちゃって……しょんぼり座り込んでいつまでもダメになった畑を見てるのよ……あんな顔も見たことなかった……悪いことしちゃったなぁって思ったんだけど、後の祭りよね……はぁ……」

「そうでしたの……お気の毒でしたわね、ケイミーさん、あなたにとっても。人間ですもの、カッとなることもうっかりする時もありますわ。それで開き直るようなら話は別ですけれど、ケイミーさんは今、食が細るほど反省なされているんですもの、もうそれは仕方のないことかと。それでももし、申し訳ないという気持ちが消えないのなら、明日もう一度謝りに行かれたらいかがでしょう?お見せ出来るだけの誠意をお示しになれば……バルクスさんもあんなにご立派でもののわかった方ですもの、きっとお許しいただけますわ。それと、出来ましたら長老様にも。お聞きした話ではお二人がご一緒に育てられていた畑、バルクスさんも長老様に対して責任がおありになる、それで今回は特に厳しく叱られたのでしょう。長老様にはもうお話は届いていると思いますけれど、だからこそなおさら、ケイミーさんご自身で役場に出向かれてお詫び申し上げるべきです。

 お二人がお許しになるかはお二人の胸の内にあるとしても……いえきっとお許しいただけると思いますけれど……それでも!そうなされた方が、なによりケイミーさんご自身のお気持ちが清々しくなると、私は思いますの。

 ……偉そうに申し上げましたけれど、『きちんと謝る』、前の世界で私がちっとも出来なかったことです。結局私はそれで不幸になりました。あなたが同じ轍を踏んではなりませんわ。ね?」

「そうだね……監督にも長老様にも、『いつでも謝りに行ける』んだものね……

【あの子】と違って……

 ありがとオーリィ、そうするよ。あたしなんだか少し落ち着いた感じ」

 すると、オーリィは続けて妙なことを言い出した。

「でもやっぱりしょんぼりしていらっしゃる。何かお慰めして差し上げたい……

 そうですわ、あの、『膝枕』などいかがでしょう?」

「……?!」

「お慰めするのですわ。私の膝をお貸しして、ケイミーさんを『いい子いい子』して差し上げます!さぁ!」

 先ほどの情理兼ね備えたアドバイスに打って変わった、突拍子もない誘い。一瞬ポカンとしたが、ケイミーはすぐ照れ始める。無論まんざらでもない様子で。

「ええ?何それ?ウフフ、ちょっと困っちゃうなぁ、どうしよ……いいの?」

「もちろん。ささ、こちらにどうぞ」

 寝台の無いケイミーの家。オーリィは床の上に手早く、部屋の隅に丸めてあった毛布を広げると、その端に足を長く投げ出して座った。そして両腿を手で軽く叩いてケイミーを促す。

「えへへ、なんか恥ずかしいけど、お言葉に甘えちゃう!えい!

 ……はぁ……オーリィあたしね、眠る時も寝転がらなくなったじゃない?こんな風に横になるの久しぶりだよ……ふぅ……はぁ……う~ん?」

 自分の膝の上で、ケイミーの頭を「いい子いい子」していたオーリィだが、相手が次第に怪訝な顔色になるのに気付いた。

「……?あの、ケイミーさん?お気に召しませんか?」

「あのねオーリィ、気持ちいいんだけど、なんかこうちょっと違うというか惜しいというか……う~ん何だろう、なんでかな……あっ!そうだわかった!!」

 ケイミーが跳ね起きて言った。

「逆だよ逆!あたしが、オーリィに膝枕させてあげたい!!」

「ええ?だってこれは、ケイミーさんをお慰めするという話では……?」

「いいのいいの!その方があたし、絶対『慰まる』から!ハイハイ早く!」

 珍妙な言葉を勝手につくりながら、今度はケイミーが膝を叩きだした。

「そうおっしゃられるのでしたら……お言葉に甘えて……」

「そうそう!……うん、そうよこれよ……こういうのを求めてたのよ……アナタの素敵な横顔を、良い感じの距離で見下ろしてぇ、このツヤツヤでとっても綺麗な髪をサーっと撫でてぇ……はぁ癒される……慰まるわぁ……」

「フフ、おかしなケイミーさんですこと。こうして寝転がっているだけでお役に立てるなんて。でも私もなんだか、気持ちがゆったりしてきましたわ……お母様……」

「ぴゃっ!」

 それが、ケイミーの聞いた最初の「お母様」。床に座った姿勢のまま、まるで電撃をくらったかのように、ケイミーの体がギクリと跳ね上がった。そのただならぬ悲鳴と衝撃に、オーリィも思わず起き上がって慌てて問うた。

「ケイミーさん!どうかなさいまして?!」

「おか!」

「???」

「おか、おかかかかかかかか、お母様!オオオオオーリィ、それダメ!ううんダメじゃないけどすっごくうれしいけど!シゲキ強すぎ……背骨にビリビリ来ちゃう!

 なんだろコレ?『母性が刺激される』っていうのかな?気のせいだけど、あたしなんだかおっぱい張ってきちゃったみたいな?」

「ええ?!」

「あ、あのね?ホラあたしすっごい庶民の子だからさ、『お母様』はちょっとロマンチック過ぎちゃって……言ってもらうなら「お母さん」くらいがいいかな……?」

 と、最後は催促になるケイミー。オーリィもほっと溜息をつくと、微笑みながら再びケイミーの膝に頭を横たえた。

「まぁ、おかしなケイミーさん。そうですか、では……お母さん……」

「ぴゃぁぁぁ!」

 ケイミーの反応は最前より激しかった。

「ぎゃ、逆効果だったぁ!聞き慣れた言葉の方がもっとしびれちゃう!これキケンだわ、もしかしてあたし、オーリィをもう一人産んじゃうかも??」

「もぅ、大げさですこと!ふふふ、でもなんだかうれしい。ケイミーさんが私に妹を産んでくださるなんて。でしたら……二人でこうしてお膝をお借りして。

 右のお膝で私が『お母様』、左のお膝で妹が『お母ぁさぁん』……いかが?」

「ぴゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!はふ、はふ……い、癒されたというか充電された!すっごい元気出て来たよ!!もうこれで明日は、きっと監督が百人いても謝り切れる!ありがとオーリィ!!」

 そうして二人は笑いあいながら、しばしそのままでくつろいでいたが。

「う~ん……」

 なぜかまた、ケイミーの表情が曇ってきた。最初の憔悴とはまた違うかげり。

 迷い。

 気付いたオーリィはそっと体を起こし、ケイミーの目をじっと見つめて問うた。

「どうなさいましたの?他に何か困ったことやお悩みがあったらおっしゃってくださいな?」

「あのねオーリィ……あたしね、アナタのことが本当に可愛い。あたしはもちろん結婚したこともないし、子供を産んだこともないけど、『お母さん』ってこういう気持ちだと思うの。不思議だけど、この気持ちは絶対嘘じゃない。ホントにあたしはオーリィが可愛くて可愛くて……だけどさ?

 ホントはアナタの方がちょっぴり年上だよね?それにアナタはこんなにエレガントで立派な大人のレディなのにさ?赤ちゃんみたいに可愛い可愛いだなんて……

 オーリィ、アナタはどう?嫌じゃない?恥ずかしかったりしない?だったらあたし頑張って直すよ?」

 オーリィはケイミーの手を取って、両手でしかと握りしめた。そして。

「ケイミーさんそれは……むしろつれないお言葉というものですわ。私はこの村であなたに新しい命を頂いて、育てていただいたのです。それこそおしめだって、何度替えていただいたことか。

 私もあなたのことを、母として。お慕いしております。この気持ちも決して嘘ではございません。先ほどの最初の『お母様』も……あなたのお膝の上に抱いていただいて、本当に心安らかになって……そうしたら、自然に喉の奥からあふれてしまった言葉。一切作り事ではないのです。ですからケイミーさん。

 こんな体ばかり大きくて可愛げのない、私でよろしければ……いつまでも!

 ……あなたの娘でいさせてくださいませ」


「……いやもうそれ聞いてさ、あたし嬉しくって!あの子の胸に嚙り付いてわんわん泣いちゃったのよね。まったく、どっちがお母さんだかわかりゃしない……」

 そう言うケイミーは、軽く涙目になっていた。その時の気持ちを思い出していたのだろうか。

「それがホントのあたし。オーリィと二人だけで会う時はさ、あたし今でもデレデレママのままなんだ。でもね、一応考えたのよ。他の人がいる時に、あたしみたいな変な小姑が可愛い可愛いやってたら、やっぱりあの子の株が下がるんじゃないかって。でね、オーリィとも話し合って。外で人目がある時は、『対等のお友達』として付き合おうねってことにしたんだよ。ところがどっこい!

 あたしやっぱりオーリィが可愛くてさぁ……気を緩めるとすぐにデレデレベタベタしそうになっちゃうんだよね。だから『キリっとしてキリッとして!』って自分に言い聞かせてるんだけど、それがいつも力入り過ぎて、アナタが見た『教育ママゴン』になっちゃうというワケ。オーリィもその辺わかっててくれててさ。『外では親身に叱っていただいて、それもうれしいですわ』なんてさ……ああ可愛いオーリィ!!」

 市場で最初にケイミーと会った時。テツジには彼女とオーリィの関係が難解で仕方がなかった。それらが今、様々に氷解して腑に落ちる。

(なるほど。あの時の俺ではとてもわかるまい。これもまた、この村の『愛のかたち』か……)

 一方ケイミーは、ここまで語ってまた黙りそうになった。何かに迷っている。だがすぐに頭を左右に激しく振り、両頬を掌で軽く叩くと。

「……ああもぅ!言うって決めたんでしょあたしったら!ねぇアナタ、あたしね。

 今言った通りオーリィが可愛くて、大好きで!『どういう意味で好きなんだかわからない』くらい滅茶苦茶に好きになっちゃってね……あたし……

 オーリィとね……結婚しようかって思ってたんだ、最近まで……!」

「?!……しかしあんたは……」

「女、だよね……おかしいかな?うん、変かもね。だけどね……」

 どうやら、ここからが彼女の話したかった本題らしい。テツジは少し緊張してケイミーの顔を見返すと、ケイミーもまた、きっと彼の目を見返した。

「アナタもさ、何度か聞いたことあると思うの。「私は汚れた女」だって、「自分を進んで汚した淫らな女、愚かな女」だって、オーリィが言うのを!でしょ?!」

 テツジは重々しく頷いた。オーリィが心に抱える消せない陰。そしてケイミーの言葉は激しさを増していく。逆立つ髪の羽毛、明王の形相。

「でもあたしは嫌なの。オーリィにもう、そんなこと言ってもらいたくないの!

 あの子は……あの子は!あたしが知ってるあの子は何から何まで、心の底からとってもキレイだもの!!あたしの可愛い我が子なんだよ!!わかるよね?!」

(これが、オーリィさんを救ったこの人の、もう一つの貌……!)

 もう一度、さらに力強くテツジは頷いた。彼女がほめたたえるオーリィのこともさりながら、その時彼には、ケイミー自身の純真が胸に突き刺さって痛いほどであった。

「あの子がどうやって生きてきたか、聞いてるよね?うん、オーリィが自分で話したって言ってたよ。確かにね、あの子にもいけないところはあった。人としてやっちゃいけないよ、人をおもちゃにして楽しもうだなんて。それで結局、自分の方がもっと悪い人に騙されて、おもちゃにされて。だけどさ……あの子はさ……寂しかっただけなんだよ……誰かと一緒にいたかった、それだけだったんだよ!

 ……あの子がいつも着てるあの鼠色の服。アナタどう思う?あんなもの!!この村で一番粗末な服!よっぽどのお婆ちゃんだって、あれで出歩いたりしない!だけどオーリィはさ、昔の贅沢に遊び歩いて男の人をたぶらかしてた自分を、もっと恥ずかしがってる。だからきっと、シスターみたいに暮らそうと思ってるんだよ、ここではね。

 ……おかしいよ!今のあの子の、何が恥ずかしいって言うの!!!

 あたしはそのことは何度も言ってあげた。それだけは本気で叱ったよ!もう自分をいじめちゃダメだって!!だけど治らない……だったらね、だったら。

 言葉で叱ってわかってくれないなら、納得できないなら、体ごと。

 あたしは確かに女だけど、あの子は何もかもキレイなんだって、誰よりもそう思ってる。だから、お婿さんになってあげて、心も、体も!まるごと認めて愛してあげることだってできるって!!そう思ってた!!

 だけどね……それは諦めたんだ。やっぱり違うって思ったんだよ……」

「何故だ?」テツジは即座にそう返していた。

「女同士の恋、あるいは結婚」。テツジのいた世界でも無い話ではなかった。ただし彼の生まれ育った国は戦時下。風紀にやかましい反面、「産めよ殖やせよ」が何十年も国是とされていた。すなわちそうした結合は眉を顰められる行為。テツジ自身、もし捕虜となる前の彼がこの話を聞いたとしたら、そうしていたに違いない。

 だがその祖国に裏切られ、一時すべての価値感を粉粉に粉砕されて、この村で新たなそれを獲得したテツジには、不自然は何もなかった。

(俺の国にあった、ただ殺し合いをさせるために結ばれる契り、増やされる命……馬鹿げている!!それに比べて、この二人なら……)

 それもまた、一つのあるべき愛のかたち。オーリィの悲しみとケイミーの純真、共に知った彼にとってはむしろ当然の結合だと、素直に思えたのだ。

 しかしそれだけに。逆に「諦めた」という言葉が不思議でならなかったのだが……

「うっわ……ちょっと!本気で呆れたわ!もぅ!!」

 ケイミーが、テツジの脛を蹴飛ばした。

「『何故だ』ってさぁ!よりによって、アナタがそれ言っちゃうかな?そこまでカタブツ?鈍い?ホントにもぅ……先が思いやられるかな、こりゃ……

 あのね、テ・ツ・ジ・君?最近ね、オーリィと会うとさ、あの子、アナタのことばかり話すんだよ?『テツジさんが』『テツジさんの』『テツジさんと』!!

 うん、わかるんだ。あの子を助けられて、仲良くなれたばかりの頃ね、あたしも会う人会う人みんなにオーリィのことばっかり話してたもん。わかるんだ……

 それにね、もしあたしがホントにオーリィと結婚したいって思ってたらさ?

 ……妬くよね?嫉妬でメラメラしちゃうはずじゃない?それが違ったの。

『良かったね、良かったね、いい人に逢えてよかったね』ってさ……思っちゃってたんだ、自然にさ。だからわかったんだよ。やっぱりあたしはあの子のお母さん……

 あの子を愛してあげるってことを、あたしが独り占めしちゃいけない。いろんな人にいろんな風に愛してもらって、あの子もいろんな人をいろんな風に愛して!その方があの子もずっと幸せになれるって。あたし、それがわかったんだよ……

 いい、テツジ君?」

 母親が、娘のボーイフレンドに語りかけるようなその口調。

「最初に会った時はさ、よくあるご挨拶程度に言ったんだけど。今度は本気で言う。オーリィみたいな、あんないい子を逃しちゃダメ。しっかりアタックして!

 そういう事に鈍くって、コチコチのカタブツだけど!アナタはとってもきれいな目をしてる。今日会って話してよくわかったよ、あの子にはアナタみたいな人がいい。

 わかる?アナタはね、あの子の母親であるあたしの、公認のお婿さん候補なの!!こんなアドバンテージ、他にある?グズグズしたら承知しない。それに、ライバルは沢山いるんだよ……ここにも!いいわね?!

 あたしが話したかったのはそうゆうこと!!ホラ、人が減ったみたいだから、オーリィに挨拶してきなさい。買い物行こう。あたしは先に常設市の入口で待ってるからね!!」

 クルリと踵を返して立ち去って行くケイミーの、振り向き際の目に光る物があったのをテツジは見逃さなかった。母としての、ある葛藤の決着の証。

(ありがとう)その後姿に軽く頭を下げると、彼もまたオーリィの元へ。

(そうだ俺にも、オーリィさんに伝えなければならないことがある……)

(続)

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