17、「誕生」~百舌の目覚め~(3)

 その日から。コナマとその一団の老婆達は忙しく働き始めた。ある者は掃除、ある者は洗濯、ある者は水汲み。老いてはいても、コナマの選んだ老婆はみな活動的で仕事の手際が良い。そして顔ぶれが毎日のように変わる。中にはほんの少しの時間をわざわざやって来ては、忙しく仕事を済ませてあっという間に帰る者もいる。それをこれまた適所に差配するコナマ。

 そしてもう二人、二日目のこと。

「コナマさん、私たちにもお手伝いさせていただけませんか?」

 それは、女を山で出迎えた時に助役達に着いて来た、あの二人の女だった。

「あの人のことは、山に迎えに行った時から気になっていたんです。私たち二人とも、元の世界で看護師でした。お役に立てて下さい」

「あらあら!これは頼もしいわ、是非お願い!……みんな、お若いお二人が来てくれたわよ!……でもどうして?」

「実は長老様が」

「あらモレノったら!ホホホ、よっぽど婆ァ様のお叱りで冷や汗をかいたみたいね」

 実際この二人は重宝だった。弱って寝台から動けない女の体を拭いたり、特に下の世話はコナマとしては少々人選に困ると思っていたところへ、元プロの体力と技術はうってつけだったのだ。

「やっぱり看板が立派だと、いい人が集まってくれること……流石婆ァ様」

「フン!座ってるだけでいいも悪いもあるもんか!大体人集めなんぞ、コナマ、お前の顔でも充分務まってるじゃないか、馬鹿馬鹿しい!!」

 口ではそう言いながら、よだか婆ァは最初の日からケイミーの家にずっと泊まり込んでいた。朝になるとケイミーと共に隣の女の家に赴き、女の寝ている寝台の傍に二人、椅子を並べて座り、それから夜更けまで彼女を見守る。この毎日。

 合間に三度三度コナマが台所に立ち、作った食事を運んでくると、それはケイミーと二人、あるいは皿を持ちあるいは匙を取って女に与える。もっとも相変わらず女は何一つ食さない。意地を張っているのか、気力が尽きているのか。『糧の飢え』の進行でそもそも受け付けないのかも知れなかった。それでも粘り強く、献立を考えなおしながら与え続ける。ある時コナマはケイミーを少し女の元から離れたところに呼んでこう言った。

「ケイミー、最初に言ったけれど、あの子の様子をよくみてあげてね。大切なのは、『何か変わったことが起こった時すぐ気づけるようにしておく』って事よ。『糧の飢え』が進んで人の力が弱まると、いままでそれに抑え込まれていた獣の力が表に現れてくる。あの子の中の獣は死にたいとは思ってないから、必死で生きようとして、何か今までと変わったことを始めるはず。それがあの子を救う大切なヒントになるの。でもそれに気づくには、いつもそばにいてあげないと……でしょう?とくにあの子の場合は……時間がないの。結局は同じ一つの体に住んでいるんですもの、獣の力にも限りはあるわ。一回サインを見落としたらそれっきりになってしまうかも知れない。わかるわね?抜け目なく、最後の最後まであきらめないことよ!」

 こくりとうなづきながらも。しかしケイミーの表情は硬い。

(どうしてみんなあんなに……強いんだろう?わたしには……)

 相変わらず悄然とした様子のケイミー。コナマは思う。

(抜け目なく、そしてあきらめない……それは私が自分に言い聞かせることでもある。きっかけさえあれば、この子は必ず目覚めてくれるわ。それと、)

 コナマはその並外れた嗅覚の鼻をスンと軽く鳴らした。

(あっちもちょっと、ケアが必要かしらね……)


 再びケイミーを女の元へ戻すと、コナマは戸口を出て、家の裏手に回った。

 壁にもたれて立っていたのはメネフ。

「もうコソコソする必要はないわよ、顔を出したらいいじゃない?」

 ケイミーの告白を聞いたあの日。長老とメネフはいつの間にか姿を消していた。長老が去ったのはよだか婆ァにあれ以上絡まれるのを敬遠してのことだろう。それはコナマにも想像がついたし、まるで気にしていなかった。むしろその後、元看護師のあの二人を急いで手配してくれたことが、転んでもただでは起きない彼らしさだと感心し感謝もしていた。だがメネフは?

 彼はそれからずっと毎日、ケイミーと女の家の近くまで通い続けていた。だが決して誰とも接触しない。見つからないように遠目で見守るだけ。

「あんたの事だ、オレがうろちょろしてんのはとっくに嗅ぎつけてたんだろう?だったらほっといてくれ。今更……どのツラ下げてノコノコ出しゃばれって?」

(不器用な子ね)

 だがコナマには、彼のその不器用さが愛らしかった。

「坊や、いいえメネフ君。わたしはあなたに謝らなきゃいけないわね。グノーに話は聞いたし、あの胸のあざも見せてもらった。余計なことをしゃべった上に、足手まとい扱いして、なのに結局そのあなたに助けられた。あの時あなたが駆けつけてくれなかったらどうなっていたことか。申し訳なかったわ」

 頭を下げるコナマを横目でちらと見て、すぐ目を伏せる。怒っているという顔ではない。謝っているコナマに対して、それ以上の「面目なさ」がそうさせているのだ。

「よしてくれ。それに坊やで構わねぇよ……実際ガキだからな、このオレは。比べんのも可笑しい話だが、旦那にも長老にも、それにあんたにも。とても敵わねぇ。

 あんたがオレを邪魔にしたのは、当たりだよ。オレはケイミーの事を何にもわかっちゃいなかった。よく考えてやりもしなかった。挙句にあんなことまで言っちまう。最初からオレが絡んでたら、もっとろくでもないことになってたろうぜ。

 ……オレもこの村で少しはまともに、マシになれたかと思ってたが、なんのこたぁねぇ、相変わらずぶん殴るだけが取り柄のチンピラさ」

「そうかしら?わたしはそうは思わない。人には誰でも出来ることと出来ないことがあるわ。私たち年寄りは長生きした分、小賢しい知恵をため込んでいるだけ、それでも役に立つかどうかはその時次第よ。現に私もモレノも、あの子の危険さを読み誤った。でしょう?あの場を無事に乗り切れたのは、あなたの機転と行動力、それに優しさのおかげ。わたしはね、あなたにも!ケイミーのそばにいてもらいたいの。

 ……前は邪魔者扱いして、勝手なことを言うようだけれど」

「いてやったところで……」ほろ苦い自嘲のため息。

「オレに何ができるもんか。あの女も、今度こそ悪さは出来ねぇだろ。あん時より大分弱っちまってるみてぇだからな。あんた達がいるならオレは用済みだ」

 ならばどうして毎日ここに来るのか。コナマは敢えて問わなかった。ケイミーに会いたくても会わせる顔がない、彼のその気持ちは聞かずとも知れている。二度も彼のプライドを傷つける愚を、コナマは避けた。その代わり。

「ねぇ坊や……ごめんなさい、やっぱりこう呼ばせて頂戴。この村で、一番ケイミーの気持ちがわかっていなかったのは、ひどい事を言ったりしたりしたのは、あなたじゃないわ。わたしよ。だって……ケイミーはきっと……」

 コナマの表情に表れたのは、深い悔恨。

「子供が怖かったに違いないから。子供の姿を見るのがつらかった。でしょう?あの子がわたしに会うと見せるあの強張った笑顔、わたしはね、今ようやくその意味がわかったの……今頃よ……!」

「いや婆さん!でもそりゃ、あんたのせいじゃ……」

 慌ててコナマをかばおうとするメネフ。彼のその実直な顔に、コナマは親しみのこもった穏やかな微笑みを返して、みなまで言わせなかった。

「だからこそわたしは、今出来ることをケイミーにしてあげたいの。坊や、それはあなたにもある……きっとある!いいわ、今は無理にお願いはしない。でも『その時』が来たら。ケイミーに力を貸してあげて。ね?」

 メネフは黙っていたし、コナマもまた、返事を待たなかった。クルリと彼に背を向けて家の中に戻っていく。

(彼は必ずやってくれる。そう信じるだけ……抜け目なく、そしてあきらめない!)


 幾日目かの夜。ケイミーは彼女の家の壁にもたれ、毛布に体を包んでじっと座っていた。眠ろうとしていたのだ。ケイミーの家には寝台が無い。その身に鳥の命を宿した彼女は、その鳥の求めるところなのであろう、普段から体を横たえて眠ることをしなくなったのだ。座った姿勢の方が熟睡できる……

 だがその夜、彼女は寝つけなかった。

(いいのかな……これで……これでいいのかな……?)

 ここ何日か、彼女はコナマに言われるまま、女を看取っていた。とはいえ、実際はコナマとその一党の老婆、二人の元看護師たちが何もかも世話を受け持って、自分は本当にただ見守るだけ。そして彼女たちの献身にもかかわらず、状況は変わらないどころか、女はますます弱っていくばかり。

(やっぱり私は……何も出来てない……)

 自分に何が出来るのか、何が足りないのか。ケイミーの中に湧いてくる焦りと疑問。

(コナマさんは『あきらめるな』って言った。だけど……)

 折れそうになる。投げだしそうになる。何か支えが欲しい。

(あの時コナマさんは……この人から学べ、って……)

「うるさいね。眠れないのかい?」

 よだか婆ァと目が合った。来て最初の日、寝台の無いケイミーの部屋によだか婆ァが運ばせたのは一本の大きな丸太。それが彼女の寝台、というより眠るための止まり木なのだ。その晩も丸太の上に腹ばいになっていたよだか婆ァが、その姿勢のままでケイミーを睨んで話しかけたのだった。

「あたしゃね、寝つきの悪さじゃ誰にも負けない。本当は昼間に寝たいのさ。よだかだからね。夜の方が目が冴えるんだ。ただりんご作りが仕事だからそうはいかないが……人間の暮らしに合わせるのは面倒なもんさね。さっきからお前のゴソゴソが気になって仕方ないんだ。聞きたいことがあるなら早く言いな」

 その日まで、確かにケイミーとよだか婆ァは毎日椅子を並べて女を見ていた。しかし挨拶以上のきちんとした会話をしたことは無かった。長老すら恐れをなす村のヌシ、気軽に話しかけることは当然ためらわれたし、かつまた。ケイミーの中でも何を言い何を問うべきなのかまるでとりとめがなかったからであった。だが面と向かってそう言われれば、今度は否が応でも何かを問わなければならない。

「あの、婆ァ様……人間は、何のために生きるんでしょう?」

 口から思わず出てしまったのがそれ。自分でも大げさで唐突で曖昧な問いだと思った。しかし、それを問いたいという気持ちに嘘は無かった。慌てたせいもあったのだろう、迷う暇が無くなったが故にかえって根本的なことを問うてしまったのだ。

「『何のために生きるか』だって?ひよっこのくせに!随分大きく出たもんだね?知るもんかそんなこと!!……と言ってやりたいところだが、お前の目、昨日今日それを思いついたわけじゃなさそうだね。いいかい?じゃぁ逆に聞くがね、『何のために生きるか』、それが見つからなかったら、わからなかったら、お前は死ぬのかい?まぁいいさ、例えば何か見つかったとしようや、でもそれが『叶えられない物』だったら?『叶えることに失敗した』ら?やっぱりお前は死ぬのかい?えぇ?

 ……ああそうだね、コナマに大体は聞いたよ。お前は一度そうやって死んだんだ。今のお前の答えは『だったら死ぬ』だろう?違うかい?」

 ギクリとしたケイミーに、よだか婆ァは畳みかけた。

「だからひよっこだと言うのさ。人間生きてて、何か思い通りに叶うことなんて滅多にありゃしないのが本当なんだ。考え方が逆なのさ、逆に考えるんだよ。

 役場で水牛の青二才が、毎日帳面に何かつけてるじゃないか。聞いたことがあったがね、ありゃあ金の出入りを勘定してるんだそうだね。こっち側に入って来た分、反対側に払った分、足したり引いたりして勘定を合わせる。そうだね?

 生きるなんてのも同じさ。こっち側に『出来たこと』『上手くいったこと』、向こう側に『失敗したこと』『やらかしちまったこと』。ちくちく帳面につけて、足したり引いたりして。死ぬまでそうやって勘定して、死んだときに何か残る。

 ……その『残った物のため』に、そいつは『それまで生きてきた』んだ!!

『何の為に生きてきた』かは、『命の最後に証を立てる』ものなんだ!!

 わかるかい、だからあたしゃさっき『知るもんか』と言ったのさ、お前の勘定はまだしまっちゃいないんだよ!!そうやって生きてるんだから!!

 ……なぁお前、あたしはどうだい、綺麗な女だと思うかい?」

「…え?」

 よだか婆ァのあまりに唐突な問い。無論本当のことを言うのはためらわれるが、お世辞が通用する場合とも相手とも思えない。絶句したケイミーに、婆ァは口元にニヤリと笑いを浮かべた。

「フン、聞くまでもないか……だがね、これでも今のあたしゃ昔よりずっと綺麗なんだよ。あたしゃね、生まれつき兎口だったんだから」

「で、でもそれって……確か……」

「たいして珍しいもんでもない、子供のうちにちゃんと手術すれば、わからなくなる……そうらしいね。この村に来てそう聞いたよ。でもね、忘れるんじゃないよ、あたしが生まれたのは140年も前の時代さ。おまけにあたしの生まれたところは、貧しい国の貧しい村だった。金も無かったが、それ以上に医者もいなけりゃ、学問のガの字も知ってるやつがいなかった。どいつもこいつも迷信ばかり信じてて……化け物の祟りの子供だって……あたしゃ見世物に売られたんだ。そう聞いたのもいいかげん大きくなってからだがね。

 まぁあとは、言わなくたってわかるだろ?ろくでもない一生だったよ、前のはね。おまけに最後は悪い病気で死んだ。伝染されたんだよ。おかしなもんだね、さんざん化け物化け物と言いながら、抱いてオモチャにしたがるヤツもいたってことさ……

 あの畜生どもめが!!

 あの山で生き返って。あの『鏡』を見せてもらった時。あたしゃ泣いたよ。

 今のあたしのこの嘴が!その兎口を隠してくれたんだ!!

 そして迎えに来たのはどいつもこいつも化け物ばかり、だがね、ここの連中は、初めてあたしを人間扱いしてくれた。パリッとした新しい服をくれた。降りる道中ずっと、寒くないか足は痛くないかっていたわってくれた。村に降りたら茶と菓子でもてなしてくれて、あげく家までくれると言った!みんなおんなじ化け物だから!!

 いいや!あっちの人間とここの化け物、どっちが本当の何だい?えぇ?!

 だからあたしは人間の名を捨てた。山を降りて初めてこの村に来て、その時分の長老様にね、聞かれたのさ、名前をね。あたしゃ聞き返した。『あたしは何の鳥に見えますか』って。よだかじゃないかって、教えてくれたね。だから答えたんだ。

『でしたらあたしは一匹のよだかでございます。これからは、よだか、よだかと、ただそれだけで呼んでください、あたしはそれで充分でございます』ってね。

 要するにあたしの前の一生は『何にもないどでかい大穴』さ。帳簿は穴をあけちまったら赤い字でつけるんだってね?そうさ、真っ赤な大穴だよ。前が50年、こっちで90年、しめてこれまで140年……半端は忘れちまったから150年かも知れないが……この村に来てからこっちの90年で、ようやく少しは穴の底が見えてきた。ジタバタもがいてため込んだからね、そんとき出来ることを手当たり次第に!それでも埋め切れるかどうか……ただね、」

 と。終始峻厳極まる婆ァの言葉に己の言葉を失ったケイミーの目を、それまでよりいっそう強く睨みつけながら、よだか婆ァは最後にこう続けた。

「だからといってさ、『下には下がいる、お前の苦労なんて知れてる』とは言わないよ。さすがのあたしも……は、無い!!

 お前の帳面の大穴!あたしにだってとても埋め切れるもんじゃない。『何のために生きるか』だって?くだらない!お前にはね、何か残るかどうかだって怪しいよ、そんなこと悠長に考えてられるほど、お前の命は長くない!!わかってるのかい?!

 開き直りな!どうせ大赤字なんだ、あがいてもがいてジタバタするしかないんだよ。

 一つだけ良いことを教えてやろうか?あの女……あれも相当でかい穴をあけちまった口だね。でも多分、お前の穴なら大きさじゃ負けないよ。丁度いいじゃないか!四の五の言わずにあいつをあいつの生き様ごと、丸ごとおまえの穴に叩き込んで抱いてやれ!そうすりゃけっこう埋まるんじゃないのかい?

 あいつに『敵う』のはお前だけだ。コナマが言ったろう、お前にしか出来ないことがあるって。そう思って、明日からは頭ァからっぽにして、ジタバタもがいてみるんだね、このひよっこ!!」

 そう言い捨てると、よだか婆ァは持ち上げていた首をパタリと落として丸太にあごを乗せ、黙って目を閉じ、眠りについた。

(何が残るか……開き直ってもがく……あの人を丸ごと抱け……)

 その晩。ケイミーの中で、よだか婆ァの言葉は大渦となって回り続けた。(続)

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