17、「誕生」~百舌の目覚め~(2)
ケイミーの口調は終始、驚くほど淡々としたものだった。だがそれは、喜びも、つらいと思うことすら奪われた空虚な心の表れ。良心の呵責に鞭打たれ続けた罪人の姿。
「なるほど」しばしの沈黙を破って長老が口を切った。重い扉を開けるような口調。
「話はあらましわかったよ。そういうことならケイミー、彼女の『お隣さん』は。
……引き続き君にやってもらおう、聞けメネフ!」
ここまでが一息であった。急き込んで抗議しようとするであろうメネフの先手を取って、何も言わせないつもりだったらしい。
「他の人間に替えるのは簡単だ、だがその場合、死人が確実に一人出るぞ!お前にはそれがわからんのか!!」
ある時は道化ある時は学者、だがいずれの場合も長老モレノは、飄々と物事を風に受け流すようなムードを保っているのが常。彼がこれほど激するのは極めて珍しい。
(本当はケイミーに聞かせるつもりなんだわ。多分厳しい言葉も使わなきゃならない、だから坊やをダシに使って。やるわね)
にやりと小さく笑うコナマ。我が意を得たりと言わんばかりの顔は、長老がこれから言わんとすることもあらかた察している様子。一方、気を呑まれてたじろいだメネフであったが、それでもすぐには引かなかった。
「そりゃぁどういうこってす?ケイミーを降ろしたら、あの女が死ぬとでも?だがそいつは……」
「いいや。彼女が死んだら、死人は二人になる。そうかすまんなメネフ、わしの言い方が少々違っていた。死人はもうすでに一人いるんだよ。そこにね」
チラリと目線を移す長老。その先にケイミーがいた。再びメネフに向き直ると。
「今のケイミーは……抜け殻だ!動いて喋る案山子だ!こんな『物』は、生きているとは到底言えん!!だがしかし、だ。彼女は機会を得た、自分で掴もうとしているんだ。自分の魂の再生の機会をね。メネフ、お前はそれを奪うつもりなのか?彼女を永久に殺す気か?ここでもう一度挫折したら、今度こそチャンスは無いぞ!!
……いいかねケイミー」
返す言葉を失ったメネフから目を捨てて、長老はあらためてケイミーに向き直った。表情はあくまで峻厳なまま、しかしさざ波のような静かな口調に変る。
「まず厳しいことから言おう。覚悟して聞きたまえ。君は教え子を見捨てて死なせた贖罪のために、彼女を救おうと思った、そうだね?しかしそれは傲慢というものだ。
君がその教え子にしてやれることは、もう何も無い……何一つ無いんだ。死んだ者に何かしてやれると思うのは自己満足に過ぎん。ましてそれで許されると思うのは、卑怯と言うものだよ。逃げている。むしろ罪に罪を重ねるだけだ。益々重くなるだけさ。それではいずれ背負いきれなくなる……君はその罪をずっと背負っていくしかない。だったら重荷はせめて一つにしたまえ。そしてむしろ君に必要なのは、その罪の重さに耐える力だ。軽くしようとするんじゃない、重いままで耐えられるようにするんだ!
ではその力はどこから生まれるか?
誇りだよ。自らが世界にとって他人にとってそして自分自身にとって、有意な存在であるという確信。誇りを持ってこそ堂々と罪も背負える。罪人こそ、むしろ誇り高くあるべきなのだ!そのためには。
人間を、すなわち!他人とそして自分自身を愛し助ける訓練、試練が必要だ。
君があの彼女を救おうと思ったこと。贖罪という動機は捨てるべきだが、その決断自体は極めて正しい。そして……優しい。君はね、本当は彼女を純粋に助けたかったんだよ。当然だ!彼女もおそらく自分の世界から見放され、自分で自分を見捨てた存在だ。君が共感しない、共感出来ないはずがない。ただ君は、自分の罪の後ろめたさのゆえに、自分に優しさという価値がある、そのことを認めるのを許さなかった。だからそれを贖罪だと間違って捉えたんだ。もうそんなことは止めなくてはいけない。
『彼女を救う』これこそ、同時に『君の魂を救う』ための絶好の課題だ、機会だ!そして君はそれを選んだ!その道を捨ててはならん!!
ただし。もう一つ厳しいことを言おう。彼女を救うのは、現実問題としてかなり難しい。甘い話ではない。君一人では到底無理だ。
……コナマ?」
「ホホホホホ!」コナマは弾けるように笑った。
「まったく、何よそれは!格好いい事言って、久々に惚れ直してあげようかと思ったのに、結局最後は私まかせなの?あきれてしまうわ!」
言葉の上ではなじっているようだが、その顔は満足げな笑みがこぼれている。ケイミーに対する長老の諭しはいちいち彼女の肯綮に当たっていたし、かつまた。モレノが自分を厳父の役として厳しい事を言う嫌われ役に置いて、慈母としてのコナマの出番に花を持たせるという「演出」であることが彼女には伝わっていたからだ。
(いいお芝居だこと!乗ってあげるわ。私はここはあくまでカラッと明るく!)
「……言われるまでもないわよ!私はずっとケイミーに力を貸してあげたいと言っていたのに、止めてたのはどこのどなただったかしらね?
さぁケイミー、こんな口だけ爺さんのお説教はここまでよ。これからは私と一緒に頑張りましょう、ね?それに……!」
ケイミーの手を取って、優しく励ますコナマ。微笑んでいるその顔が、ここで更にいたずらっぽく笑いを強めた。
「用意してあるのよ『援軍』を!もうとっくに声はかけてあるの。みんな私の号令を待ちかねているわ!モレノ、坊や、ここでもう少しケイミーと居てあげて頂戴、すぐに『みんな』を呼んでくるから。待っててねケイミー!!」
そう言って脱兎のようにどこかへ駆け出していくコナマ。
(『援軍』とは?わしは何も聞いていなかったが……さて何を見せてくれるのかね?実に楽しみだよコナマ。それに……)
長老はケイミーの表情を伺った。うっすらとだが、先ほどまでの虚無の表情ではない、なにか希望の色が浮かんでいると彼は見た。
(それでいいんだ。ここからもう一度やり直したまえ。そして今度こそ!)
しばらくして。ケイミーの家で待っていた三人の元に、一人の老婆が訪ねてきた。
「こんにちは長老様。おや、私が一番乗りのようですね?ええ、コナマに頼まれてまいりました。『お隣さん』の仕事を助けて欲しいって」
丁寧な挨拶だったが、見たところ年齢は長老より上。かなり古株の村人らしい。だが言葉遣いも足腰も実にかくしゃくとしている。
やがて次々に現れる老婆たち。およそ5~6人集まったところで、コナマ自身が駆け込んできた。
「お待たせしたわね皆さん、今最後の方に声をかけてきたから、じきにいらっしゃるはず。集まってくれて本当にありがとう。このケイミーに力を貸してあげて頂戴!」
「コナマ、あんたに頼まれちゃ嫌とは言えないさね。任せておおきよ。ああそれと、これはテレーズ婆さんから。あたしから今度のことを話したらね?あの人はもう脚が弱っちまってここには来れないけど、目と手はまだ動くからって。『おしめ』を縫ってくれたんだよ、ホラこんなに沢山!」
「まぁ!有難いわ、あとでお礼を言いにいかなくちゃ。それにあの方は本当にお裁縫がお上手ね!見てごらんなさいケイミー、この村の粗末な針でよくもこんなにきれいに!ケイミー、この人たちはね……」
ことの展開に驚いたのか、ややポカンとした顔つきのケイミーの背中を押し出して、コナマは後ろから語り掛けた。
「暮らしの厳しいこの村で長年生きてきた、村のお母さん達……歴戦の勇士よ!みんなあなたにお力を貸してくれる。どう、頼もしいでしょう?」
最初に現れた、皆より少々年嵩と見える女が引き取って言った。
「ケイミーちゃん、だったわね?どうやら新入りの子は大変な娘らしいけど、大丈夫。私たちに何でも言っておくれ。よろしくね。それにコナマ……『あの方』も呼んだんだって?こりゃぁあたしたちもうかうか出来ないってもんさ!」
「フフフ……何事もやるなら万全に、人集めも念入りよ」
「『あの方』……?」
一人現れては自分に挨拶する老婆達に、自分も頼もしそうな顔でにこやかに愛想を振りまいていた長老の顔色が急に変わった。
「コナマ、まさか君、あの方ってひょっとして……」
長老の口調は何故かやや狼狽気味。彼のこんな顔も珍しい。ケイミーとメネフが思わず顔を見合わせたその時。
「おいコナマァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
怪鳥のようなガラガラ声、しかも部屋の壁が揺れると思う程の大声だ。
「言われて来てみたが、どうなってんだ?!これだけの雁首、ちゃんと揃ってるじゃないか!!この上この年寄りにまで何をさせようってんだい、ええ?!」
もう一人老婆が現れた。どの老婆より一際年嵩で身の丈は子供の体のコナマより小さい。だが、杖をふりまわして怒鳴るその声も体も精力に満ち溢れている。皺としみだらけの骨のゴツゴツした顔立ちはお世辞にも美しいとは言い難かったが、そのかわり迫力と威厳は恐ろしいばかりだ。なにやら居心地の悪そうな長老と、思わずビクリと怖気づく若い二人に対して、怒鳴られたコナマ自身はいけしゃぁしゃぁと不敵。
「年寄りだなんて、そんなにお元気ですのに?ご謙遜も過ぎると嫌味ですからどうか程々に。ちゃあんと御用は用意してありますよ、【よだか婆ァ】様?」
「コナマ、君ね……よりによって婆ァ様まで呼ぶとは」
「なんか言ったかいモレノォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」
「たはは、やっぱりこっちに回ってきた……はい、よだか婆ァ様!」
「このガキめ!何が長老だい?!お前がしっかりしないからあたしなんかが引っ張り出されるんだよ、いつまで経っても……だらしがない小僧だ!!何だって先代はお前なんかを長老にしちまったんだろね?まぁ先代なんぞも先々代に比べりゃ大したこたァなかったが……わかってるのかい!!」
「いやその、まったくもってごもっともで、ここはどうかひとつ……穏便に……」
「ゴニョゴニョ言ってんじゃないよ、まったく!!」
【よだか婆ァ】。村の最古老、齢およそ百四十歳。その前ではモレノ長老もまるで子供扱いだ。女達が多く働くりんご園の長で、農場全般を管理するはずのバルクスなどもこの老婆にはまったく頭があがらない。
村の女達のヌシで、生ける伝説。その名の通り、身に宿った獣はヨタカ。人の名前は捨ててしまったと言い放ち、使わないので今では誰も知らない。
「で、コナマ?あたしゃ何をすりゃいいんだ?」
「とりあえずそこの椅子にでも掛けていただいて、私たちの働きぶりなどのんびりご覧いただければ」
「何だそりゃ?!」
「私がお借りしたいのは、婆ァ様のお顔です。あなたをお味方に語らっておけば、今ここにいる方達だけじゃない、交代要員がいくらでも募れますから。いざという時は、その気になれば……村の女全員をいっぺんにでも動かすことが出来る……!
つまり婆ァ様は私たちの旗印。黙ってそこに居てくださるのが御用です」
「……コナマお前、人を何だと思ってるんだい!!!」
「お分かりになりませんかしら?平たく言えば求人の看板ですよ、広告看板」
「チィィィィィィィィィィィィィィィ!!」
青筋を立てて怒るよだか婆ァだが、コナマはものともしていない。しかも見れば、集まった老婆たちもクスクス笑っているではないか。
「また始まったよあの二人、面白いねぇいつもながら」
「ホントにねぇ。仲がいいったらないわ」
「そりゃぁそうよ、何と言ってもあの二人は……」
「お前達何か言ったかい?!」
よだか婆ァに怒鳴られてもこちらも平然。ペロリと舌を出しておどける者もいる。要するに皆慣れっこらしい。そしてなるほど、カンカンに怒っている顔はしているものの、よだか婆ァは「帰る」とは言い出さない。コナマの身も蓋もない言い草にもかかわらず、言われた椅子に言われた通り、小さな体をストンと乗せてふんぞり返っている。どうやら「広告看板」の役を真面目に果たそうとしているらしいのは、奇妙を通り越して一種滑稽な光景ではあった。
「ケイミー、こちらにいらっしゃい。婆ァ様にご挨拶よ。お顔とお名前は存じ上げてるわね?」
コナマに手招かれて、ケイミーは婆ァの前にやってきた。知らないはずがない、農場で狩りをする時、その威容を何度も見かけていたし、噂も聞いていたから。だが直接話したことは一度もなかった。緊張してペコリと一つ頭を下げたケイミーが名乗る前に、婆ァが問いかけてきた。
「お前かい、コナマが今度世話してるのは。名前は?」
「はい、あの……ケイミーと言います」
「そうじゃないよ、人の名前なんざどうだっていいんだ、くだらない。聴きたいのは『獣の名前』だよ。見たところあたしと同じで鳥の類だが、何の鳥だい、お前が体ン中に飼ってるのは?言ってみな?」
「あの……まだよくわからなくて……」
「無いのかい?まだ付けてないのかい『獣の名前』を!何だいこの娘は、まるで卵の殻が取れてない!ひよっこにも程があるね……コナマ!目をかけてやってる割には躾がなってないじゃないか、お前らしくもない!」
「それはこれからおいおいと」
「フン……じゃ、さっさと手分けでもしな!遊びで集めたんじゃなきゃね」
「それでは婆ァ様ごゆっくりどうぞ。メリザ、あなたにはお掃除をお願いしたいわ。マヤさんはお買い物と水くみ……それから……じゃぁ、まずはこの手筈で!」
コナマは一人一人に要件を依頼しながら、ケイミーに老婆達を引き合わせた。ケイミーがおずおずと挨拶すると、あるいは手を握りあるいは肩を叩き、口々に彼女に励ましの声をかけた。ケイミーの表情は、泣き笑いのような複雑なもの。老婆達の思いやりが嬉しい反面、とまどいも隠せないといった具合だ。
(今はそれでいいわ。そのうちにきっと慣れるはず。さて……)
最後にコナマ自身がケイミーの手を取って言った。
「そして私たちは!主にあの子の食事の世話をしましょう。何と言っても『糧』探しは大切だから。それは本来の『お隣さん』であるあなたと、この場を仕切らせてもらう私の仕事よ。ただし、それもおおむね私に任せて頂戴。ケイミーいいこと?あなたにはもっと大切な仕事があるの。つまり私たちが集まったのは、あなたにその仕事をしてもらう時間を持ってもらうため。そう思って頂戴」
「もっと大切な仕事……ですか?それって一体……」
穏やかさは保ちつつも、コナマはここで少し真剣な顔になった。
「彼女のそばに居てあげること。私もね、あなたの話を聞いてあらためて思い知ったこと、思い出したことがあるの。ただ命を救うだけじゃだめなんだって。今までもね……『乗り越えて』助かったはずの人が、その後でまた自分の命を断ったり、荒れ地に向かって出て行って帰って来なかったり、そういうことは度々あったわ。
……心を救わないと意味が無い。
でもそうは言っても、簡単に出来ることではないし、決まったやり方がある訳でもないでしょうね。でもね?あの子は今、独りぼっちなのよ。誰かそばにいて、寄り添って見守ってあげる人がいなければ……ね?これだけは他の誰にも、わたしにも代わりは務まらない、あなただけに出来ることだと、わたしは思うの」
「私にだけ……わかりません。そんなこと、私に出来るんでしょうか?」
ケイミーの顔色は不安と懐疑。彼女があらゆることに自信を喪失しているのはコナマにも当然わかっていたこと。「心を救う」は、当のケイミーにもあてはまる課題なのだ。だがコナマにはそのための処方箋を用意していたらしい。ケイミーに耳を貸すように言う。そして小声ながらきっぱりとした口調でこう言った。
「よだか婆ァ様」
「え?」
「ケイミー、わたしの『援軍』に、あの方は最初は入ってなかった。あなたの打ち明け話を聞いてお呼びしようって決めたの。さっきは看板だなんて言ったけど、本当はね。あなたにあの方を知ってもらいたかった。あの方はね、この村で誰よりも『生きる』ということを厳しく見つめて来られた方よ。あの方にも、あなたと一緒に、あの子のそばにいてもらう。不安なら、あの方から学びなさい。きっと力になって下さるから……お口が悪いのが玉に瑕だけど。それは我慢するのよ?」
最後にまたおどけた調子を取り戻すと、一際強くケイミーの手を握りしめて、コナマはにっこりとほほ笑んだ。
「さぁ始めましょう!」(続)
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