17、「誕生」~百舌の目覚め~(1)

「ケイミー、降りてらっしゃい。モレノが……長老が話を聞きたいって」

 気を失って自分の家に運び込まれたケイミーは、目覚めるとまず隣の家に駆けこんだ。まだ目を覚まさないあの女は、山から降りてきたあの時そのままに、これで三度目の簀巻きにされて寝台に横たわっていた。それを見たケイミーは、虚脱した表情でそのまま屋根の上に登って目を閉じ、じっと座り込んでいたのだった。彼女のトレードマークの髪飾りのような羽毛が、雨に打たれたようにしょんぼりと塩垂れている。

 軒先から見上げているのは、声をかけたコナマと、長老そしてメネフ。

 コナマの声を聞くと彼女は目を開けて、うつろな表情のままストンと飛び降りてきた。青白い顔をうなだれ、押し黙っている。

「君がここに来たばかりの頃、」長老が話しかけた。

「よくああして屋根の上に登って遠くの空を見ていたね。覚えているよ。あの時と同じ顔だ……つらいのかね?」

 ケイミーは黙ったまま、それでも小さくうなづいた。

「今まで放って置いて勝手な言い草だが、わしは君のことはずっと気にかけていた。君が生き返った日、あの山から降りて役場に案内されて来た君は、とても静かで大人しかった。何を言われても『はい』と答えて言われるがままに皆に従っていた。それは今でもあまり変わらないが……わしはそれをおかしいと思っていた。例えばあの彼女。あれ程荒れ狂うというのも珍しいが、しかしどちらかと言えば、彼女の方が自然だ。こんな怪物ばかりのいる荒れ果てた世界に、しかも自分も恐ろしい姿になって甦る。それで動揺しないというのは、余程何かに自分の心を奪われているとしか思えない。普通ではないよ。

 ずっと聞きそびれていた。あるいはもっと早く声を掛けるべきっだったかもしれん。だが君があんなにも熱心に、頑強に!彼女の『お隣さん』を志願したのを見て、わしはようやく機会が来たと思ったのさ。君の気持を知る機会がね。だから任せた。その結果あんなことになってしまったが……まずそれを詫びなければならない。

 本当に済まなかった。あれはわしが物事を軽率に都合よく考えすぎていたせいだ。

 ……この通り」

 長老は深く首を曲げ頭を下げたが、それでも長い脚のせいで、小柄なケイミーより顔の位置は高い。言われた彼女はむしろ、顔を上げながら首を横に振り返事をした。

「いいえそんなこと……私がいけなかったんです。出来もしないことを安請け合いして。長老様、お願いがあります。私を……役から降ろさせてください……」

「無論、君がそれでいいのなら。しかし、だ。それでいいのかね本当に?」

 長老は詫びで頭を下げていた時より更に深く首を曲げ、うつむいているケイミーの顔をじっと覗き込んだ。

「君のその顔。清々しく諦めるという顔色では無いと、私にはそう見えるが?」

「いやちょっと待ってくれ長老、もういいじゃねぇかそんなこと!」

 メネフが割って入った。

「オレは最初からそう思ってた。自慢する訳じゃねぇけど……あの女は手に負えないって。せっかくこうしてコイツが降りる気になったんだ、そこは四の五の言わずに辞めさせてやってくれ!大体……」

 彼の口調は、ここで少しためらい気味になった。「ありがとう」、あの顔が目の前にちらついているらしい。しかし、言うだけのことは思い切って言わなければならない、そんな調子。

「オレも含めてこの村の連中は、いろんなもの抱えてここに来ちまって、それでも歯ァ食いしばって生きてるヤツラばっかりだ。長老、あんただって。それに比べて!

 前の世界で何があったのか知らねぇがよ……アイツは元々自分で死んだヤツだ。今でも死にたがってる。だったら、そもそも生かしてやる意味あんのか?冷てぇことを言うようだが……放っておいても構わねぇくらいだ。自分で死にたがるヤツの事なんざ、少なくともオレにはわかりゃしねぇ……!」

 若さも手伝ってか、自然極端な物言いになる。だがその時。メネフを見返したケイミーの表情はほんの一瞬だが、氷のように厳しかった。それはすぐに最前からの悲しみと諦めに包み隠されたが、その場にいた誰もがそれを見逃せなかった。それほどに皆の心を刺す異様な顔色だったからだ。

「そうですね……」ケイミーが語り始めた。

「『自分で死ぬ人の気持ちなんてわからない』、みんなはそうなのかも。でも私には……私も、自殺でここに来たから」

 そう、彼女がここに来る前の自分の身の上を語るのは、誰に対してもこれが最初だったのだ。ピクリと眉を吊り上げ緊張する長老は、何かあわてて言いつくろうとしたメネフをその目で制した。

「私がここに来た時、『門の広場』にメネフさんはいませんでしたね?だから見ていないんだと思います。私の体の、酷い傷跡……長老様には皆さんのお話で伝わってらっしゃると思いますけど……列車の踏切に……飛び込んだんです……!」

 その日、確かにメネフは珍しく、別用で出迎えメンバーから外れていた。彼女に初めて出会ったのは山を降りてきてから、すなわち彼女が衣服を与えられたあとで。傷の話は事がデリケートなので、他の助役達も、直接に見ていない彼に伝えるのはためらわれたのであろう。寝耳に水のことであった。

 一方、これまた確かに長老には報告で伝わっていた。ケイミーの、顔以外の全身に残る無数の、大きく深い傷跡。全身をズタズタに引き裂かれたのを、山がその力でつなぎ合わせたとしか思えないというもの。

「何らかの事故死……かなりの高所からの転落か、爆死、あるいは轢死……ただし転落だと真っ先に頭や顔が傷つく。若い娘が爆死というのはちょっと?故郷で戦争にでも巻き込まれていたなら話は別ですが……轢死が一番ありそうですね」

 当時のバルクスの報告がそれ。結局ケイミー自身は何も語らなかったので、真相は今まで誰にもわからなかったのだが。

(つまりケイミーのあの娘に対する執着は、『自ら死を選んだ者同士のシンパシー』だったということか。なるほど『轢死』は自殺とは切っても切れない。わしもうかつだった、そこに考えが至らなかったとは……となると?いや、だがそれだけか?)

 重要なデータを得たことで、脳内の計算機が一斉に回りだす感覚。長老モレノは冷たい人間ではない。だが、共感や同情はそれはそれとして、感情を傍らに置いて状況の分析をする彼の習慣は止められないのだ。そんな自分を因果なものだと思いながら、その薄情さはせめて、考えて得られた結果を彼女のためによりよく使うことで詫びようと思っていた。

(どうしてそんな大切なことを……今まで言ってくれなかったの?!)

 コナマの顔は蒼白。そして表情は一見、恨みがましいものであった。だがそれは、例えば迷子になった子供が見つかった時に、心配に暮れていた親がするようなあの顔だ。すなわち愛ゆえのいらだちと怒り。

(何てこった……)

 メネフの顔色も青かったが、彼の場合は狼狽と後悔。ケイミーのためにと思って言った言葉が、むしろどれだけ彼女にとって残酷なものであったか。罪悪感で胃の腑が凍る思いがする。

 ケイミーの次の言葉を、固唾をのんで見守る3人。やがてポツリポツリと、消え入るような口調で彼女は語り始めた。


「私は、学校の先生だったんです……ほんの少しの間でしたけど。子供のころから先生になりたくて、ずっとそのために勉強して、そして夢を叶えることが出来ました。

 ……そう思ってたんです。でも……

 私が赴任したのは、私の住んでいた町から離れた、私立のお金持ちの子供たちが通う学校でした。成り立ての新米がそんなところにいきなり、でも丁度その時は急にその学校の先生に空きが出来て。あるクラスを一時的に教頭先生が兼任で担任していて。私はその副担任として、見習い半分のお手伝いとして雇ってもらえたんです。私はそれを幸運だと思っていました。ここで頑張って一人前の先生になるんだって。はりきっていたのを覚えています。

 最初はすごく順調でした。先輩の先生がよく教えてくださって、クラスの生徒とも馴染んできて。そして、教頭先生は兼任で元々忙しかったのですから、私が慣れてくるとだんだんクラスのことは私に任せてくれるようになりました。

 …だけど…

 ある時、私は一人の子がいじめにあっていることに気づいたんです。大人しい、言い返すことが出来ない子で、元々一人でいることが多い子で。それでも私が来た頃は静かでしたけどニコニコ笑って学校に来ていたのに……ある時から、その子の顔色がすっかり暗くなって。休みがちになって。気になった私は話を聞いたんです。

 クラスのあるグループにいじめられているんだと。その子が話してくれるまでには大分かかりました。とっても口が重くて……でもきっと、私を信じて、助けてくれると思って。だからようやく話してくれたんだと思います。

 私はいじめをしているグループのリーダーに注意しました。今後はそういうことはしないようにって。

 …そしたら…

 急にクラス全体が荒れ始めたんです。授業中も誰もちゃんと席につかないし、しゃべったりボール遊びを始めたり。私が何を言ってもダメだった。そして。

 前は隠れてやっていたはずの、あの子に対するいじめが、私の目の前で堂々と行われるようになったんです。

 私は困り果てて、教頭先生や先輩に相談したんです。初めは私の話を聞いてくれる様子でしたが、いじめの話と、いじめグループのリーダーの名前を出したら!

 ……急にみんな、黙ってしまって……

 後でわかったんです。そのリーダーの子の親は地元でも有数のお金持ちで、役所や議会の偉い人にも顔が利いて、地元では誰も逆らえないような人だったんです。学校にもたくさん寄付をしていて……!

 そして。クラスみんなが急に私の言うことを聞かなくなったのも、リーダー格の子がクラスの子たちをお金で買収したからだったんです。『あんな先生の言うことをきいたら、どんなことになるかわかるよね』っていいながら。そして、逆恨みで親に私のことを言いつけて、その親が、他の子の親から親へ、半ば脅迫めいた口調で『あんな教師は辞めさせるべきだ』って触れ回って。

 ……私には誰も味方がいなくなりました……

 いっそその学校を辞めようか、当然そう思いました。でもそれも出来なかった。いじめられていたあの子がいたから。誰も私の言うことを聞いていない、騒々しい教室の中で、あの子はひどいいじめを受け続けて。そしていつも私の顔を訴えるように見ていたんです。助けてあげたかったんです。本当に!でも私には何も出来なかった……ある日、私はみんなの態度よりもむしろ、その子の視線が辛くて、耐えられなくて。教室から逃げてしまった……

 ……次の日……

 ……いじめにあっていたその子が……

 ……踏切に飛び込んで……

 ……とっても暑い日のことでした……

 私は学校を辞めました。いいえ、先生を辞めました。子供の頃からのたった一つの夢だった先生を、半年もしないうちに。『辞めさせられた』のかも知れません。ただもう、それは私にとってはどちらでも関係ない話です。どのみち私はその時にはもう、誰に逆らう気持ちも尽きていましたから。それからの私が何をしていたか、まるで覚えていません。いったいどれ位の間だったんでしょうね?何日?何か月?何年?コナマさんみたいにここでうんと若返った人もいます、もしかしたら何十年?頭の中はすっかりからっぽで。何も考えられなくて。たった一つだけ。

 ……あの子の最後の、悲しそうな顔だけが、眼の奥に焼き付いて……

 ……そして……

 やっぱりその日も、凄く暑い日でした。私はどうやら、外を歩いていたんだと思います。太陽が照り付けて、頭の先から溶けていまいそうな……だったら!

 こんな私なんて、溶けて消えてしまえばいいのにって!そう思った時。

 私は通りかかってしまったんです。あの子の死んだ踏切に……

 遮断機の根元に枯れた花束が一つ……ちょうどカンカン音が鳴り始めて……

 あの子が呼んでるような気がして……そのまま私も踏切に……

 あの山で初めて目を覚まして、この村に降りてきた時。私は『地獄に堕ちた』んだと思いました。恐ろしい人たちに囲まれて、自分もこんな姿になって、景色はどこも荒れ果てていて。確かに怖いと思いました。でも。それ以上にほっとしていました。

 私はここで償いをするんだ、させられるんだ……償いが……出来るんだって!

 だけどそうじゃなかった。ここの人達はみんな私に優しくて。いろんな物を私にくれて、いろんな事を教えてくれて。何にもないところだけど、ここの暮らしはのんびりしてて楽しかった。狩りを覚えて兎を捕って、市場で売るとお金が貰えて。ガラス玉のオモチャみたいなお金だけど、ちゃんとお買い物も出来る。合間に農場でお手伝い、麦を刈ったりトマトをもいだり……コナマさんとお芋を掘ったり……とっても楽しくて……

 楽しかったんです、本当に!だけど……そう思う度に、目の奥にあの子の姿が浮かんできて……『先生だけ、どうして?』って言われてる気がして……

 私がお隣さんになるはずのあの人が、自殺でここに来たって聞いて。私はとうとう、この時が来たんだって思ったんです。これで償いが出来るって、今度こそって!……やらなきゃいけないんだって!

 だからコナマさんが助けてくれると言った時。私はそれは素直に聞けませんでした。これは私の償いなんだからって。私がやらなきゃいけないんだからって……

 だったらどうして『あの時』私を助けてくれなかったのって!

 あれはコナマさんのせいじゃないのに……意地になってしまって……

 だけど、ダメでした。さっきあの人を見てきました。山から降りて私の隣に来た時と同じ、縛られて……何も変わってない。私は何もしてあげられなかった。

『死にたい人の気持ちがわかる』、私はそう言いました。あの人がどんな事情で死んだのか、それはわからなくても、その気持ちならわかるって。

 でも、だからこそダメなんです。『死にたい』という気持ちがわかってしまうから。私には……あの人に心の底から『生きよう』って言えない。自分でもそう思ってないのに、人に言えるわけなかった、私にはそれがまるでわかってなかった……」

(続)

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