16:「誕生」~魔女の狂宴~(3)

(チキショウ、あのガキババア!余計な事を言いやがって……クソッ!!)

 メネフの腹立ちは収まる気配もなかった。役場にいても自分の仕事場でもすっかり苦り切って心中、悪態ばかり。

 女が村に降りてきたあの日、ケイミーに渋々女を預けて役場に報告に戻ると、長老から早速釘を刺された。迂闊に動くな、と。

 それはいい、仕方がない、と彼も思った。確かに不満でもあり心配でもあったが、長老の意図するところを聞けば、それもケイミーのためだと彼にも思えた。

(いつ見てもシュンとした顔してやがるからな、ケイミーのやつ……)

 もとよりそこが、彼に彼女を意識させたところだった。とび色の瞳の大きな美しい目、小柄ながらスポーティで俊敏なスタイル。樹上から兎を狙って飛ぶ彼女を初めて見た時、そのはつらつたる姿にうっかりときめいてしまったのだが。

 しかしその表情を見れば。何を憂いているのか、いつも灰色に曇っている。

(だって似合わねぇだろうが!あいつなら、ニコニコ腹の底から笑う顔が見れたら、どんなにか……オレも確かにそいつは見てぇ。だからいい、手を出すなってんなら、我慢しろというなら……それがあいつのためになるんだったら……けどな!!)

 話をややこしくしたのは、またもやバルクスであった。

(監督はなんだってああも……隠し事ってやつが下手くそなんだ?)

 長老もグノーも他の役場の人間も、コナマのあのいささか心無い暴露についてはメネフに悟られないように伝えようとしていた。ただコナマに任せてあるから動かないように、と。ところが。

「まぁその……メネフ?エヘン!……君が彼女を心配する気持ちはな、みんなわからんでもないのだ。コナマさんが言っておったし……その、何だな、君がいつも農場でケイミーを見ていることやら、その、ゴホンゴホン!!ああいや、何でもないぞ!」

 長老はじめ他の一同の射るようなとがめだての視線に、バルクスがようやく自分のうっかりに気付いた時はすでに遅し。

(チキショウ、あのガキババア!余計な事を言いやがって……クソッ!!)

 と、彼の腹立ちは同じところに帰ってくるのだった。

 誰しも自分の秘めたる思いをに人にバラされたら、いい心地はしないものだが。

 本当は違う。彼のいら立ちは、ケイミーのために何もしてやれない自分の不甲斐なさが原因。傍にいてやりたい、まして昨日のようなことがあっては猶更だった。だが、同じく彼女のことを思えばそれは言えない……

 その焦燥をコナマにぶつけているだけなのだと、それは彼自身にもわかってはいたことだった。

「やれやれ。相変わらず機嫌が悪いようだなメネフ。どうだ、憂さ晴らしに一つ……わしと一勝負してみんか?ん?」

 役場でくさっているメネフに、グノーが声を掛けてきた。テーブルに右ヒジをついて手招き。言わずと知れた、腕相撲のポーズ。

「……からかうのはよしてくれ、爺さん。そんな気分じゃねぇ」

 メネフは普段は敬意と親しみを込めて彼のことを「旦那」と呼ぶ。「爺さん」呼ばわりは余程のことだ。苦笑いしながらも、なぜかグノーはからみ続けた。

「そう言うな、ものは試し……それとも何か、このじじいに負けるのが怖いか?」

「チッ……なら相手になってやる。年寄りの冷や水でくじいたって知らねぇぞ!」

 彼の胸のむかつき具合は限界だった。自分でも本当にグノーの腕を折ってしまうのではと思いつつ、挑発してきたそっちが悪い、とすっかりやけくそ気味だった。

 だが、いざ勝負となると。

(何だ……全然動かねぇ……強ぇ!)

 メネフの渾身の力の前でも、グノーはどこ吹く風の余裕しゃくしゃく。

「おやおやそんなもんかい、もう少し手ごわいかと思ったが……そりゃ!」

 気合一発。メネフの手の甲はテーブルに叩きつけられた。唖然とする彼を、いたずらっぽく見つめてグノーがこう語り始めた。

「老いたりとはいえこの『恐竜男のグノー』、鍛冶仕事は今だ現役だ。この腕は長年ハンマーとやっとこでみっちり鍛えられておる。力だけなら、まだまだお主のような若造の細腕に負けはせんわい。

 ……だがな?」

 と、急に彼の表情が険しく変わった。テーブル越しに身を乗り出し、メネフの額に自分のそれを合わせんばかりに詰め寄る。そしてこう続けた。

「わしのこの腕をもってしても、あの娘の羽交い絞めは振りほどけんかった……!」

「……!」

「いくらなんでも負け惜しみが過ぎると思うてな、皆には言えなかったが。あれは女の力じゃない。あやつの体に宿った獣の力だ。そもそも、胸倉を掴まれた時もだ、わしにはあの娘の伸びてきたはずの手がまるで見えなかった。恐ろしく速い!

 そしてこれだ。最後に胸を突かれて倒された時……見てみい、これを!」

 グノーはそう言いながら、服の胸をはだけてみせた。するとそこに。

 鮮やかに赤黒い、くっきりとした手形のあざ。

「旦那……こいつは……!」

「まだ消えんのだ、まだ痛む!骨をやられなかったのが不思議なくらいだわい。ふいを突かれて踏ん張れずにそのまま後ろに倒されたのが逆に良かった……

 あの娘は危険だ。多分わしの時は、自分の力を知らず知らず無意識に使っておったのだろう。だがもし、あの時使い方に気づいたとすると、今では!

 メネフ、ケイミーの傍に行ってやれ。守るんだ!」

「いや、でも旦那、それは……」

「お主が言われたのはな、『下手に動くな』だろうが?だったら!『上手く動け』ばいい。『便利屋メネフ』、そういう立ち回りは得意だろ?それにコナマが……

 ありゃあ、口八丁手八丁、海千山千の狸ババアだ。普通の娘相手だったら、何の心配もいらん。あれに任せておけば大概かたはつく。だがな、あれにも弱みはある。

 あれは、コナマは体は子供のままだ。獣の力も、匂いを嗅いだり隠れたりは得意だが……戦ったり身を守ったりは到底おぼつかんのだ。あの小さな体で……」

 彼は自分の胸のあざを指さした。

「こんなものをくらったら!ひとたまりもない!……のうメネフ。男に生まれてだ、惚れた女を守れんのでは甲斐がなかろう?さっきはお主を力で負かしたが、所詮あんなのはただの腕相撲、なれ合いのお遊びだ。わしも皆も知っておる……

 本当の修羅場でなら、お主には誰にも劣らん『技』がある!お主が村で一番だ。

 ケイミーを守ってやれ。そしてだ。ついでにコナマのやつもな。お主にはさぞかし気にいらん婆さんだろうが、わしにとっても長老にとってもあれは古い馴染みだ。失いとうはない……頼む」

「チッ」メネフはまた舌打ちした。だがその気持ちは最前とはまるで違った昂ぶり。口元の不敵な笑みに、自分を解き放ってくれたことへの感謝の意が浮かぶ。

「旦那にそうまで言われちゃ仕方ねぇや……世話になってますからね……せいぜいやってみますよ……!」

 言うが早いか、決然と席を立って去るメネフを、グノーは目で追いながらひっそりとひとりごちた。

(今のお主には飲み込みにくいだろうから、敢えては言わなんだが。

 ケイミーを守る、ついでにコナマを守る。そしてな、『ついでのついで』でいいんだメネフ……あの娘も守ってやってくれ。余計な罪を犯さんように、止めてやるんだ。

 わしはな、あの娘が『鏡』を見て気絶した時の、あの悲鳴が忘れられんのだ。

 いくらなんでも……むごすぎる!!誰か味方になってやらねば……頼むぞ)


「ケイミー、もう意地を張るのはやめなさい。この子の世話は一人では無理よ。昨日あんなことがあったでしょう?何をしでかすかとても目が離せないし、つまり、一人ではあなたももうどこにも行けない。それでは何も出来ないわ。わかるでしょう?」

 ケイミーの心中の動揺を推し量って、コナマは彼女の説得に一晩の時間を置いた。あまり追い詰めても……だが残りの時間はわずか、これ以上は待てない。何故ケイミーが一人で女を救うことにこだわるのか?大切なことだが、それを問えば話は確実にこじれる。敢えて今はそこを問題にせず、単純明快な事実と理をもって説得することを、コナマは選んだ。確かにそう問われれば、ケイミーには返せる言葉はなかった。しかし、彼女のその「こだわり」はなおも彼女を引き留めた。

「でも私は……私が!」

 思わず知らずケイミーは後退り、寝台の上で半身を起こしていた女の傍まで来ていた。いっそ縛っておくべきか、コナマは悩んだものの。昨日の騒動で力を使い果たしていると考え、拘束はしないでおいたのだ。確かにそれまでうつろな顔色で身じろぎもせず、ぐったりと顔を伏せていた女が……だがその時。

 突然あの早業の右手を延ばして、ケイミーの襟首を掴んだ。

「……捕まえたわ、この、うるさい小鳥さん……!!」

 女はそのままケイミーを自分の懐に引き込むと、すかさず左腕でケイミーの首を羽交い絞めた。

「……ケイミー!!」

「よせ婆さん、どけ!!」

 女の繰り出してきた、あの見えない右手突き。駆け寄ったコナマにそれが届くあわやの瞬間に、割り込んで遮るメネフ。

「……坊や、どうしてここに?!」

「話は後だ!クソッ!!」

 グノーに諭されたメネフは、昨日のうちからケイミーの家の周りで見張りについていたのだ。

(あの婆さんは鼻が利く、バレないようにするのはちょいと難しいが……一応風下には立たないように、最悪床下だ。あとはそん時の話次第!)

 そして運よく、ケイミーを説得するコナマの口調が熱くなるのを、注意がそちらに集中するのを見計らって、戸口の傍まで来ていた。間一髪だったがそれが功を奏したのだ。女の突きを止めた、メネフの左腕。彼のそれは巨大なザリガニの腕、厚く硬い殻で覆われている格好の「盾」だ。だが。

(俺のこの腕が、突かれて痺れるだと……!なんて突きだ、それに確かに速ぇ!ド素人で一直線の突きだから止められたが、まるで見えなかったぜ……旦那にあらかじめ言われてなかったら……!)

 女はかえって無事では無かった。速い強いと言っても生身の手、メネフの硬い腕の甲羅を全速で突いてしまったのでは堪らない。痛めたのは指か手首か、顔をしかめて右手を引く。これなら二撃目はもう無い、そう踏んだメネフ。だがケイミーを捉えた左腕はまだそのままだ。彼は女の懐に駆け寄り、ケイミーへの絞めを外そうとした。しかし女の腕は万力のようにこゆるぎもしない。

(だがこっちも旦那の言う通りか!チキショウ、こんな細ぇ腕で、なんて力だ!!)

「……フフフ、残念ねザリガニさん、こうなったらもうこっちのものよ。わたしの言うことを聞くことね、さもないとこの小鳥さんがどうなるか……この左手の力は、まだまだこんなものではなさそうよ、もっと力が入る気がするの。こいつの首が折れても、いいえ、ちぎれても知らないわよ!わたしから離れなさい!!」

 なすすべもなく、歯がみしながら退くメネフ。それを満足そうに確認すると、女は捉えたケイミーにこうささやき始めた。

「……さぁ小鳥さん、わたしの言うことを聞いてね……大丈夫、大人しくしてくれれば、案外早く放してあげられるかも知れないから。いいこと?これからわたしを、人のたくさん集まる広い所に連れて行って……そうね……さっき目に入ったっけ……あの花壇のある広場、あそこがいいわ……綺麗なお花がたくさんあった……」

 一歩下がって固唾を飲んでいたコナマが、メネフに駆け寄って教える。

「きっと役場の前の広場のことよ!」

「婆さん、こうなったら行かせるしかねぇ。俺が見張って着いて行くから、先回りして役場に、長老と旦那方に知らせてくれ!」

「わかったわ。でも坊や、無茶はしないでね。頼んだわよ」

「ああ、そっちこそ頼むぜ……ケイミー!必ず助けてやるから、落ち着いて……今はそいつの言うことを聞いてやるんだ!」

 女がケイミーの背に寄りかかりおぶさって来た。言われるまま、女を背負うようにゆっくり歩を進めるケイミー。女の足が寝台から滑り落ち、床に爪先立つ。だがガクガクと震える女の両足は、どうやら自分の体重をほとんど支えていない。その体力が女にはもう無いのだ。ただ左腕だけが恐ろしい力を発揮してケイミーの背に、首にかじりついているだけ。

「ねぇこれ……ご覧なさいな……鳥さん、あなたのいない隙にね、取って隠しておいたの……」

 女が取り出したのは、一本の刃物。小さなナイフか包丁のようなものだった。

「大丈夫……あなたに使うためのものじゃないから……綺麗ね、ピカピカしてる。これならよく切れそう……ウフフ……これなら、これなら……さぁ行って、進んで!」

 最初に戸口から一目散に駆け出すコナマ。次に女とケイミーに目を張り付けながら、後じさりで出るメネフ。そして最後に。

 女を背負い、その足先を引きずりながらケイミーが家を出て進み始めた。

 高所からの跳躍と着地を得意とするケイミーの強靭な脚力をもってすれば、女を支えて歩くことそれ自体は、本来ならさまでの苦では無い。だが。

「アナタ、どうしてこんなことを……何をするつも……ぐぅっ!!」

「余計な事をお聞きでないわ、この汚い鳥!!黙ってとっとと歩くのよ!!」

 道中事あるごとに、女は締め付けを強めた。絞められる度に、ケイミーの頬が蒼白に変わる。それによってケイミーを急かすつもりなのだろう。だが、度々呼吸を妨げられることでケイミーの体力は削られ、かえって歩みが遅くなっていく。そして。

「おいよせ、緩めろ!息が本当に止まっちまう!」

「あら、ごめんなさいね……なんだかだんだん、加減がわからなくなってきてるの……そうね、ザリガニさん、あなたも肩を貸してくれないかしら……?」

 どんなに小癪に思っても、今のメネフは女に逆らうわけにはいかない。怒りの声を噛み殺しながら自分の左肩を女に貸して進んだ。

 やがて。広場に近づくごとに村人が周囲に集まってきた。三人のただならぬ光景は、誰にも一目で不穏なものとわかる。中には声を掛けて何事か尋ねようとする村人もいたが、その度にメネフは首を横に振り、必死に目でそれを制した。

(今コイツを刺激するのはまずいんだ……頼む、俺たちに構ってくれるな……!)

 しかしその彼の心中の焦燥を読んであざ笑うがごとく。

「うふふ……ねぇ鳥さんザリガニさん、大分見物のお客様が集まってきたようよ?

 だんまりでパレードなんてつまらないわね……

 さぁ!右に左にお集りの化け物の皆さん!これから楽しいショーが始まるわ!ご一緒に広場まで……お越しくださいな!!La-lalalalalalala……

 ご覧あそばせ、ご覧あそばせ…La-Hah-!!」

 音程もリズムも歪み切った、聴くに堪えない奇怪な”歌”。だがその声は異様に通りがよく、人を集める効果だけは充分過ぎた。通りすがる家々から驚いた人々が次々と顔を出し、遠巻きに三人に着いてくる。

(なんてヤツだコイツ……イカレてやがる、まったくもってイカレてやがる!!

 このままじゃどうにもならねぇ、早くコイツを止めないとケイミーが……)

 ついに広場が見えてきた。役場の戸口には、コナマと、彼女の知らせを受け、息をのんで事態を待ち受ける長老たち。三人について来た村人は元より、広場にも異変を察知したのか、すでに大勢の村人が集まっていた。

「あの真ん中の……花壇のところに……行って!!」

 役場前の広場。何も無いこの村にせめての憩いの場をつくろうと、そこには小さいながらも美しい花壇が、村人によって丹精されていた。一面土壁とレンガの道ばかりのこの村にあって、もっとも美しい場所。

 女はケイミーとメネフに命じて、その花壇を背に、多くの村人の眼前に立ってその姿をさらすと、こう言った。

「お待たせしたわね、この村の……誰彼みんな化け物のみなさん!!今日は私があなたたちに素晴らしいショーを観せてあげるわ。これを見て!!」

 手にしていたあの刃物を高々と掲げ、

「さぁ、この中の誰でもいいわ、早い者勝ち!このナイフで私を……殺して!!

 さもないと、先にこの鳥を絞め殺す!!本気よ!!!」

 ざわついていた広場が、その言葉で途端に静まり返った。

「どちらにしても人が死ぬ、それが観られる……どぅ?素敵なショーでしょう?

 だけどどうせなら誰か、私を殺した方が楽しいわよ?あなたたちの仲間、この鳥を助けるためですもの、わたしを殺しても誰も責めない。人を堂々と殺せる機会なんてめったにないわ、そうでしょう?!

 さぁ……誰かいないの!これで、これでわたしを殺して!!早くしないと……この鳥の首をへし折るわよ!!」

(『人質の命が惜しかったら、自分を殺せ』だと?!

 ……人質ってのは、普通は盾に使うモンだぜ……こんな脅迫、聞いたこともねぇ!!ぶっ壊れてやがる……いったい……)

 どんな生き方を、そして、どんな死に方をしたらこんな風になってしまうのか、と。女に対してメネフの中に、初めて。怒りと嫌悪以外の感情がわずかに芽生えた。

 憐憫。

 だが感傷に浸っているわけにはいかない。女がすべてにおいて自制が利かなくなっているのは火を見るよりも明らか。このままでは先にケイミーが死ぬ。

 ついにメネフは何らかの意を決した。

「わかった。いいぜ……こうなったら付き合いついでだ……

 オレがお前を殺ってやる!!監督!あんたがいい!オレの代わりに、この二人を支えて立たせておいてくれ!!」

「む、むぅ、しかし!!」

「メネフの言う通りにせい、バルクス!」

 躊躇するバルクスを、グノーが一喝した。そして素早く小声でささやいた。

「何のためにお主を選んだのか……彼奴は【あれ】をやるつもり、それをわしらに知らせておるのだ。怪しまれてはならん、早く!」

「なるほど……よし!」

「待って坊や、バルクス!いくらなんでもそんな……」

「落ち着くんだコナマ!……大丈夫」

 今度は長老がコナマを制した。

「君にはまだ子供に見えるかも知れないが、こういう時の彼は…メネフはプロだ。

 いかにケイミーを慕っているとしても、私情をはさんで逆上するような男じゃない。彼に任せるんだ!」

 蹄をズシズシと踏みしめながら、バルクスが速足で三人に近づいた。背後に回ると、巨漢の彼は両手を広げ、女とケイミーの両方の肩を抱えるようにして支えた。素早く抜け出すメネフ。

「あら大きな牛さん、ご苦労様……あなたもわかっているわね?妙なことをしたらこの鳥がどうなるか……じゃぁあなた、ザリガニさん……よろしくお願いするわ……」

「その前に聞かせろ。なんだってこんな面倒なことを……テメェで勝手に死にゃぁいいじゃねぇか?」

「出来ないのよ……試したけど、出来なかった。死のうとすると、勝手に両手が動かなくなるの。舌も噛めなかった」

(獣の力、か……コイツの中の獣は死にたがってるわけじゃねぇからな)

 それでこんなことを、と。メネフは軽くため息をつくと、女に向かって今度は。

「まずその刃物を捨てろ。オレはテメェを信じちゃいない。うっかり近づいてブスリとくらうなんざ御免だからな。そんなものは要らねぇんだよ。これを見ろ!!」

 言うが早いか。メネフは花壇の柵を左手のハサミで掴んだ。それは木の太い丸太で出来た柵だったが、彼のハサミは、それをいとも簡単に挟み潰した。

「普段はろくに使い物にならねぇオレのハサミだが、物をぶっ壊す時だけは……

わかっただろう、テメェを殺すのはコイツで充分、その首をちぎり飛ばしてやる!」

「きれいね……」

「……?!」

 メネフが砕いた花壇の柵、それを見ていたはずの女が、そう言った。

 その表情。子供のような微笑みと、寂しく、どこか夢見るような憧憬。

「わたしね……きれいなものが大好きだったの……見たこともないお花ばかりだけど、ここのお花もとってもきれい……最後にこれが見られてよかった……うれしい……」

 女の手から、刃物がポトリと落ちた。

「これでやっとおしまい……これで……お願い……ありがとう……!」

(……こいつ……クソッ、なんて顔しやがる!!)

 メネフは女に駆け寄った。左手のハサミを振り上げ、女の首めがけてそれを繰り出した。だが。

 それは首には食い込まなかった。女の顎先で空を切る。そして次の一刹那。

 反動で、逆回転。右手の拳によるボディブロー、正確無比!女の鳩尾の急所にするどく突き刺さった。

 女はその一撃で意識を失い、声もなく崩れ落ちた。ケイミーの体も巻き込まれて倒れそうになったが、あの羽交い絞めは解けている。背後のバルクスがそれを受け止め、二人をそっと地面に寝かせた。

「監督!ケイミーは?!」

「む!……安心したまえ、気を失っているだけのようだ。二人ともな。

 それにしても……相変わらず見事なものだな、その技……食らった者でなければ本当にはわかるまいが……」

「ま、棒立ちの動かねぇ的ですからね、大したこたぁありませんよ。もっとも今回は死にぞこないの女相手、手加減の方が難しい。【あんたの時】と違ってね、監督」

 自分の腹をさすり、顔をしかめながら、それでも安堵の表情でうなづくバルクス。

 農作業と農業経営の知識を買われ、村の重鎮となったバルクスだが、この村に来てからは実は比較的日が浅い。かつて、この村に来てすぐの時、逆上して暴れ狂った彼を止めたのが、実はメネフの同じ一撃だったのだ。すなわち。

 暴徒鎮圧・治安維持・要人警護。平和なこの村にあるべからざる事態に備えて。いまだ若年のメネフが、村の中核メンバーに名を連ねている理由はここにあるのだ。

 その本来の使命を果たしたメネフ、しかし、その表情は複雑。

(オレはここじゃぁ、この村じゃ……陽気でお気楽な便利屋で、【カタギの】仕立て屋でいたいんだ……いくら役目でも、こんな修羅場はホントは勘弁してもらいてぇや。

 いくらあんなヤツだからって、女を殴るなんざ後味が悪すぎるぜ。それに。

 あの顔!土壇場で……あんなしょんぼりした顔しやがって……気に入らねぇ、あれじゃまるで、オレがだまし討ちしたワルモンじゃねぇか……

 ……『ありがとう』だと?目ぇ覚ましたら、オレを恨むんだろうな、あいつ……)

「何をしょぼくれた顔しておる?」

 背後から肩を叩かれた。

「旦那……?」

「ようやった。女三人、よく守った。胸を張らんか」

(……三人?……なぁるほど、)メネフはほろ苦い微笑みを浮かべて独り言ちた。

(勝てねぇのは、腕相撲だけじゃねぇってことかよ……)(続)

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