21:「幕間劇」(1)
「オーリィさん。本当にありがとうございました。俺もこれでやっと……ここの人間になれました。ですが、まだ当分あなたのお世話にならないと。ここでの暮らし方、覚えなきゃならないことが沢山ありますからね。ここの字の読み書き、買い物の仕方、メシの作り方に、水汲みの場所……ご苦労をおかけしますが、どうかよろしくお願いします。ただしこれからは。
俺に出来そうなことは何でも言いつけて下さい。『遊んで食わせていただくだけ』は、もう卒業です。メシにしても、作り方はここのやり方をこれから教えていただかないとなりませんが、配膳や皿洗いなら今すぐにでも出来ます。掃除や洗濯も、兵学校の寮で交代制でさんざんやりましたよ。どうか使用人か何かのつもりで、あごで使って下さい。その方が俺にとっても、体慣らしにも勉強にもなるのですから。
それと、俺はこの通りの体です。背も高いし力もある。重い物を扱ったり高い所の用事は是非お任せください」
「頼もしいですわ。私とは大違い。けれどいくら何でも昨日の今日ですもの、もう2~3日ごゆっくりなされてはいかが?」
「いやいや!もう調子が悪くなる前から、暇で退屈でたまらなかったんです。確かにまだ少々だるさは残っていますが、ここまで治れば!これ程ひどかったのは今度が初めてでしたが、元々俺は飢え死にしかけるのは慣れていますから。大体わかります。今の調子、この程度で動けなくなるなら、あの収容所からは逃げきれませんでしたよ。もう大丈夫!何かやらせて下さい」
「まぁ……フフ、本当に手の掛からない方ですこと。こちらこそ、是非よろしくお願いいたしますね。でもご無理は禁物、なるべく軽いことからですわよ。そうだわ、テツジさん、でしたら早速お願いしたいことがあるのですけれど……」
「何です?なんでも言って下さい」
「昨日風が少々強かったでしょう?表に干しておいた手ぬぐいが飛ばされてしまって、木の枝に引っ掛かってしまっているんですの。あなたなら手が届くのでは……」
「ハハハハハハ!わかりました、お安い御用です。では仕事初めに一つ!」
それは、あの朝日が午後の日差しに変わった時分。寝ずに一夜を明かしてしまった二人が、ようやく落ち着いて少々の仮眠をとった後の会話。
意気揚々と戸口をくぐって出て行ったテツジは、ほどなく、一本の手ぬぐいを誇らしげに捧げ持って戻ってきた。その凱旋をにこやかに笑って迎えるオーリィ。
穏やかな日々の幕開け。
(あと少し……いいわその調子……そこよ!!)
跳躍。そして一瞬の後、狐はケイミーの爪に首元を捉えられていた。この世界に紛れ込んできた狐はどうやら三匹、そしてそれが最後の狐。
そこは麦畑の真ん中。ケイミーが樹上で待ち構え、コナマがそこに追い込むという作戦は三度とも図に当たった。まだ青いが、みっしりと実りをつけた麦の穂の群れの中から、コナマがひょいと顔を出してケイミーの元に走り寄った。
「ヨッシ!!ケイミーやったナ、さすが、百発百中だヨ!!」
「でしょでしょ?さっすがあたし……と言いたいとこだけどさ、アンタがいいとこに追い込んでくれたからよコナマ。あれで外したらヘボどころか、猟師廃業……このすばしっこいヤツをあんな自由に追い立てるんだから、さすがはアンタの方よ」
「だロ?さすがアタイ!とケイミーだナ。へへ、いつもケンカばっかりだけどサ、アタイらがいったん力を合わせればざっとこんなモン!
……ヤヤヤヤヤヤヤヤ?!どしたケイミー、なんで泣いてんだヨ?!」
「あ……その……ごめんなさいコナマさん。急にこんな泣いたりなんか……
この間、市場で一緒にオーリィに合ったでしょう?『お隣さん』頑張ってるなってうれしくて……それで……今コナマさんが『力を合わせれば』っておっしゃったのと、あの子の顔が浮かんだのと……あの時も、コナマさんにすごく助けてもらったなぁって思ったら、つい……ホントにごめんなさい、恥ずかしいな、メソメソしちゃったりして……」
涙ぐむケイミーの顔を下から真っ直ぐに見上げながら。コナマは彼女の前では久しぶりの慈母の顔に返って、微笑みながら言った。
「そうなの……いいのよケイミー。今のあなたのその涙、その泣き顔。決してメソメソした弱虫の涙じゃない。オーリィを、人の魂を救った優しい涙。それにわたしだけじゃない、あなたを助けてくれた沢山の人に感謝する尊い涙。とっても綺麗。あなたのそんな顔が見られてわたしも、あの時あなたに力を貸してあげられた自分が誇らしく思える。ありがとう、ケイミー」
「そんな、やだなぁ……コナマさんにお礼を言われるなんておかしいですよ」
「……でも一つ!言っておかなきゃいけないことがあるわ、ケイミー」
「え?」
コナマが急に真剣な面持ちになる。照れながら泣き笑いしていたケイミーも一瞬ギョっとしたのか、神妙な面持ちに変わる。だが。次の瞬間コナマはまたいたずらっぽい笑顔を見せた。
「そんな綺麗な顔はね、私みたいなおばあちゃんにじゃなくて!男の子に見せてあげることね!今のあなたみたいな【勝ち気で活発な娘】が、そんなピュアでキュートな顔で泣くところをみたら、どんな男の子でも、グッときちゃうわよ。
……誰かそういう良い人いないの?」
「……もぅ!何かと思ったら、コナマさんはすぐそれなんだから!!
その……良い人は、いたんですけどね……フラれちゃいました」
「ええ?!」
「他に気になる人は、いないわけじゃない……んですけどね……」
ケイミーの視線が、誰もいない麦畑の遥か先に移った。いや。彼女の目は、その遥か先に人影を捉えているのだ。
(私には見えないけれど、でも向こうは風上。この匂いは間違いなくあの坊やだわ。でも?彼が『他に』なの?とすると、ケイミーには他に好きな人がいたのかしら?おかしいわ、この子にそんな人がいたなら、私が気が付かないはずはないと思うのだけど……?)
キョトンとするコナマに、今度はケイミーがいたずらっぽく微笑み返す、何故か少しほろ苦いその笑み。
ケイミーとコナマ。姿は姉と妹、心は娘と母。もの言わぬ麦に囲まれた二人は、しばし同じ風に吹かれて彼方を見ていた。
「やっぱり昼飯は松の木に限るぜ。いいヤニが乗ってやがる」
「……美味い」
東の荒れ地。水浸しになった北の耕地に代わり、新たな耕地を切り拓く工事人夫達、午前の仕事を終えて昼食を取りながらの昼休憩の最中であった。村中から選んで集められた頑強な男達が、乾いた地面の上にムシロを敷いて車座になり、各々持ち寄った弁当を頬張っているその中で、一際目立つその二人。いや、目立つというより耳につくと言った方が正しいのだろうか。
一人は大人の腕の太さもありそうな木の丸太を端から齧っている。バリバリと軽く小気味よい音。村の大工、「木屑食いの」ゾルグ。宿した獣は、シロアリ。
そしてもう一人は、手にした頭陀袋から次々と小石を取り出しては大きな口に放り込む。ゴリゴリと重い音が頬を通して聞こえてくる。
テツジだった。死の病から生還した彼は、オーリィから村民生活のイロハをレクチャーされながらも、早くも働きに出ていたのだ。「養われるだけはもう終わり」、それには自分の稼ぎがなければ……自分の過去の卑屈を忘れるためにも。そのために、忌まわしい記憶を呼び起こしかねない「開拓」を、自ら進んで村での手始めの職とした。やや悲壮な覚悟を胸に秘めつつ。
仕事の内容は確かに過酷であった。低い灌木がわずかに繁るだけの村はずれには木立の一本もなく、日は容赦なく照り付ける。「山」の力の恩恵をわずかに外れた荒れた大地には雨が降らず、地面は岩のように乾き固まっている。耕すのも水路を掘るのも容易なことではなかった。だが。
「どんなに辛くても……」と勢い込んでいた彼は、ある意味肩透かしを食らわされた。彼を囲んで働く同僚たちは、皆呆れるほどの能天気さ。腕っぷしを買われて集められた男達らしく、少々ガサツで乱暴、時には野卑でもあったが、その分裏表のないカラリとした性格の者ばかり。仕事以前に村そのものの新入りで、右も左もわからぬテツジを屈託なく、あっという間に受け入れた。そして息を合わせて頑固な大地に挑むその顔は、いつも大汗に濡れながら皆陽気で不敵。
いつしかテツジの表情も、同じ色に染まっていたのだった。
「しっかしテツ、いつもながらまったくスゲェもんだな、お前のその歯!俺ゃ歯の硬さじゃ村で誰にも負けねぇと思ってたが、お前にゃとても敵わねぇや」
「ま、木屑食いの歯自慢もここまでってこったな、ゾルグ。お前の丸太齧りにもずいぶん驚かされたモンだったが……」
「ていうかよ?大工が材木食って仕事になんのかよって、そうも思ったけどな!」
人夫たちの飯時は軽口が飛び交うのが常。シロアリ男が石を食すテツジの姿に驚くのを、仲間たちがすかさず混ぜ返すと、彼も笑いながら負けじと言い返す。
「バカヤロウ!『木屑』食いって言ってるだろうが。『建材』は食わねぇよ、こちとら仕事は誠実一筋だ、手抜きもつまみ食いもしねぇ!ただな、切ったあとの端材だの鉋屑だのを取っといてな、旨そうなところをいただくのよ。ゴミも減るしメシ代もケチれる、ありがてぇ話さ。ま、確かにここに来たときゃ、大工の俺がシロアリとは、あの山のヤロウずいぶん嫌味だと思ったは思ったがな。そもそも『シロアリ』なんて名前がイメージよくねぇや。だからごまかしが効くように『獣の名前』にはその言葉は入れなかったんだ」
「いやお前、『ごまかし』なんぞ大して効いてねぇぞそりゃ?」
「……ダメか?」
とぼけた顔でおどけるゾルグ、そして皆の哄笑。釣られてクスリと笑ったテツジだったが、すぐになにやら考え顔になった。そういう反応を逃す仲間たちではない。
「ん?テツ、どうした妙なツラしてよ?」
「ああ、いやその……そうだ、いっそみんなに聞いてみよう。教えてくれ!実は俺も、そろそろその『獣の名前』というヤツを自分につけてみようと思っているんだが……それはどうやってつけるものなんだ?どうして?何か付け方に決まりでも?」
「ああ?そうかテツ、まだお前つけてなかったのか。そうだなぁ、どうしてつけるのかって言われりゃ……これといって決まってるわけじゃねぇよ。ただな……ここに来てみんなこんな妙な姿になっちまってよ?そりゃ何て言うか、色々思うだろ?ショックだし、自分の事だって飲み込むのも大変だ。だからいっそ、『開き直って自分で名乗っちまうか、バケモンの名前で、自分を』ってな。みんなそう思うんだよ。それでやっと、他の連中と仲間になる、なれるってな、そういう……なぁお前ら、そんな感じだろ?」
仲間の一人がこう説明した。確かにそれは彼個人の勝手な意見だったようだが、異論は出なかった。皆神妙な顔でうなづいている。
「でまぁ、付け方にも決まりなんてものはねぇな。一番簡単なのは『見た通り』つける、これだ。トラ男、ゾウ男、ヤギ女……」
「それなんだ」テツジがここで重ねて尋ねた。「俺もそれが簡単だと思うんだが……でも俺は、俺の獣はこれは一体なんなんだ?俺は俺のいた世界で、石なんてものを食う生き物を見たことが無い。誰かこんな生き物を見たことがある人はいないだろうか?」
「やっ、こいつは困ったな?さあてね、確かに俺も見たことねぇ。お前は?そっちはどうだ?……う~ん、誰も知らねぇみてぇだぞ、テツ」
「だったらよ」再びゾルグが切り出した。「持ってる力とか、得意なこととかよ?そういうのでつけりゃいいんだよ。見ての通り俺は、木が食えるから『木屑食い』。そういう感じでよ?」
「じゃぁ『石喰らい』とでも……いや何か、二番煎じくせぇな。他に何か……」
「そこでだ!テツのこったから……『穴を掘る』ってのはどうよ?『穴掘り』!」
ゾルグのこの意見に、皆がほうと言って感心した。
「なぁるほど、『穴掘り』ねぇ!確かにいい。なんつったってテツの穴掘りはとんでもねぇからな!」
「まったくだ。最初見たときゃ驚いたぜ、力もスタミナもとんでもねぇ!まるで重機みてぇだもんな……掘ればショベルカー、均せばブルドーザー、運べばダンプ!!」
「じゃぁ『穴掘りのテツ』かなぁ?いや、何かしまらねぇぞ?やっぱり『穴掘りナントカのテツ』じゃねぇと……」
「おいおい!その『ナントカ』がわからねぇからテツが困ってるんじゃねぇか。話を初めに戻すなよ!」
「いやそうでもねぇ。要するにあだ名なんだ、『穴掘り』で充分テツらしさは出てるんだから、ナントカは『雰囲気ちょっと似てる』くらいでいいんじゃねぇの?例えば『穴掘りゴリラ』とかよ?」
「なるほど。だが『ゴリラ』はねぇな。ゴツゴツしてるから…『穴掘りサイ』?」
「なんかノロマな感じだぜそりゃ?例えば歯がスゲェところを入れて『穴掘りザメ』はどうだ?」
「いやサメは違うだろ!それならワニはどうだ、『穴掘りワニ』!」
親切と言えば親切、他人事だと言えば他人事。飯時の雑談に格好の話題を提供されて勝手に盛り上がる仲間たちにいささか苦笑顔のテツジだったが、この時。
こそりと、つぶやく声がした。
そこに居たのは「だんまり羊の」ベン。荒くれ者の集まりであるこの工事人夫たちの中では珍しく小柄で大人しい男だった。そしてしゃべらない。彼は吃音がひどく、しゃべるのに非常に困難を伴うのだという。テツジも彼の声をその時まで聞いたことがなかった。
しかし見た目や謙虚で落ち着いた態度とうらはらに、流石にこの仕事に選ばれただけの事はあった。どんなにきつい作業が回ってきた時でも、いつも平然と黙々と、しかも手際よくこなしてしまう、体力と忍耐力と器用さの持ち主だった。そしてさっさと自分の仕事をこなして手が空くと、他で苦戦している現場や班に率先して無言で手伝いにいく。そういう仕事熱心かつ親切で気が利く男でもあった。だから仲間も彼に一目置き、決して粗末にはしない。こうして昼飯時ともなれば必ず輪の中に誘ってやる。そうすると、騒がしい仲間たちの戯言を聞いて、いつもただ無言で、だが楽しそうにそれをニコニコ笑って見ている。そういう男だった。
しかしこの時、どうやら珍しく話題に興が乗ったのか、彼も自分のアイデアを小声で呟いていたのだ。彼の思う、テツジにふさわしい名前。
それを、耳ざといテツジは聞き漏らさなかった。
「ベンさん!今……何か言いませんでしたか?おっと、こいつはいけない。驚かせてすみません、俺は顔がいかついものだから……いや、怒っているわけじゃないんだ。今あんたがとてもいいことを言ってくれた気がして。もう一度言ってくれないか?」
テツジの勢いに面食らったベン。だが新入りの懇願を聞くと、根が親切な男だけにそれにキチンと応えてやろうと思ったのだろう。いつもの顔でニコと笑うと、まわらぬ口をもぐもぐと動かしながら、彼としては精いっぱいの大きさの声でこう言った。
「あ、ああ……あ、穴掘り……お……鬼……」
「『穴掘り鬼』…『穴掘り鬼』か!これだ……みんな、今のベンさんのこれをどう思う?『穴掘り鬼』!!」
思わず会心の笑みを浮かべて皆に尋ねるテツジ。
「……なあるほど、『鬼』か……こいつはいい!威勢がいいや!!」
「押しが効いて漢っぷりに箔が付く!」
「なにしろ強そうだしな!ていうか実際テツは強ぇからピッタリだぜ!」
「しっくりきやがる。一文字違いだが、俺のワニとは大違いだ。一本取られたぜベン!普段黙ってるやつは、口を開くと言葉に重みがあるな……」
「ようし!」テツジは立ち上がった。
「『穴掘り鬼』。ゾルグさんベンさん、それにみんなが一緒に考えてくれたこの名前、俺は気に入った。使わせてくれ!今日から俺は、ただのテツジ改め……
『穴掘り鬼の』テツだ!!」
その場の仲間全員から、どっと歓声が上がる。しゃべれないベンは、拍手と口笛。
やがて昼飯もそろそろ終わる時間。
「よっしゃ仕事だ……頼むぜ、穴掘り鬼!!」
テツジは仲間たちに背中をどやされながら、再び荒れ地に向かっていった。(続)
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