18:「誕生」~聖母とみどり児~(1)

 百舌の名を自らに冠したその日から。ケイミーは見違えるように変わった。

 コナマ達と共に女の家に戻ると、あらためて一人一人に挨拶し、これまでの助力に感謝し、さらなる助力を自分の言葉で懇願し直した。そして、出かける者には「お買い物お願いします!」、戻って来た者には「水汲みありがとうございます!」と一々礼を言い感謝の言葉をかけるようになった。その晩から夜の見守りをよだか婆ァに一任することになったのだが、ケイミーは女の家から帰らなかった。

「私は座って眠りますから、隅っこに居させて下さい。この人の傍にいてあげたいんです。何かあった時にすぐに起こしていただけますし」

 そして朝は以前より早めに起きて夜の見守り役のよだか婆ァに挨拶し、夜間の女の様子を熱心に問うた後(とは言えあまり状況には変化は無かったのだが)交代前に茶を入れて振る舞い、やがてやってくる援軍達の分も用意しておく。またひとしきりお願いしますの雨を降らせた後、女の傍に座ると。

 以前はただ黙って座って見ていただけのものが、女の手を取り、あるいは髪を撫でながら様々に話しかけるようになった。「頑張って」「元気になって」「気分はどう?」と。女からは返事も反応も無かったが、微笑みかけるその態度には迷いもゆらぎも無かった。

 一際変わったのが、二人の看護師と一緒に女の直接の体の世話をするようになったこと。体を拭き、シーツや寝間着を換え、床ずれのあるなしを確認し姿勢を動かし、下の世話まで教わって手づから行う。やはり様々にいたわりと励ましの声をかけながら。

「お買い物とかお掃除とかと違って、体のお世話は「見守る」ことと一緒に出来ますから。ただ見てお二人にやっていただいてた私、甘えてたし、この人にも冷たかった。私に出来そうなことを教えていただきたいんです。なんでもします!」と。

「ケイミーさん、変わりましたね。とっても明るくて熱心で」

「お世話も上手。それによく気が付くんですよ。別人のようです」

 二人が褒めてそう言うのを、コナマは嬉しそうにうなづきながら。彼女には別の思いもあった。

(別人……ではないのかも。きっとこれが、成り立ての新米先生として夢とやる気にあふれていた頃の、この子の『本来の姿』だったんだわ)

 一瞬はそんな温かい気持ちに包まれたものの。しかしコナマの顔色は一転憂色を帯び、真剣なものに変るのだ。

(でもこうなったら……何が何でも彼女を救わないと!)

 ケイミーの献身にもかかわらず、状況はまるで好転しない。青白くこけた頬、カサカサの唇、浮いたあばら。女はあいかわらず一切のものを口にせず、衰弱がいよいよ目に見えて現れるようになっていた。

(私の『糧』の見立て、間違ってはいないはず。体のあの鱗、彼女の『獣』は何かの爬虫類。もちろん草や果物を食べるトカゲ、海藻を食べるイグアナなどもいるけれど、あの子の動き……すばやく伸びる右手と絞めつける左腕。あの攻撃性は捕食者のものよ。多分、蛇。だったら『糧』になりそうなものは限られてくるわ。思い込み過ぎは禁物だけど、だからといってもう一度総当たりで試す時間もない。いくつかは絞り込んでみた。特にいつも用意してある『あれ』、あれが当たりであって欲しいのだけれど。ただ……)

 ここからがコナマのもっとも悩ましいところだった。

(あんなに弱っているのに、彼女の獣は何の合図も送ってこない……普通だったらありえないのに。体は弱っても、彼女の人の心が弱っていない、自分が衰弱していくことに不安も恐れも何も無いから……むしろ何としても死のうとしている!だから獣が出てこれないんだわ。なんて頑固な子なの?)

 いかなる失意か絶望の故か、コナマの知り得るところでは無かったが。女が自らを滅ぼそうという「負の精神力」、その絶対値はこの村で海千山千とまで言われたコナマの経験をも超えていた。いっそ彼女の心を折ることが出来れば。だがコナマは自分の思いの矛盾に焦燥を募らせていた。

(あの子の心はもうバラバラに砕け散っている。これ以上どうやって砕けと?)


 だが。


(どうして……?)

 今日もまた。何故かあの「鳥」は自分の手を取り、親し気に話しかけてくる。

(どうして……?)

 あの「鳥」は自分の背を撫でながら体を拭き清める。

(どうして……)

 あの「鳥」はあきらめもせず、自分の口に匙を運ぶ。

 ケイミーのあの時の凄まじい怒りの爆発は、すべてを無と感じていた女の心に、一本の楔を打ち込んでいた。元々見ず知らず、出会ってからは自分から数々の罵詈雑言を浴びせられ皿を投げつけられ、そして挙句に自分の手で危うく絞め殺されるところだったはずのあの「鳥」、しかし。

(どうしてあんなに怒ったの……?どうしてわたしに……優しくできるの?わたしのため?どうして……?)

 女の胸中に浮かぶ、数えきれない「どうして」。一本の楔から、ひび割れは少しづつ大きくなっていく……(続)


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