14:「散華」~煉獄~

「好きな人が出来た」、オーリィのその言葉。だがテツジには、その先の彼女の物語に禍々しい予感しかしなかった。彼女が今この村にいるという事実、それは、この物語の結末が彼女の「死」であることをあらかじめ教えているではないか。いずれ幸福な恋の物語で終わるはずもない。そしてなにより。

 その言葉を口にした時の、彼女のこれまでになく沈んだ顔つきが、彼の予感の正しさを裏書きしているのではないか。テツジにはそうとしか思えなかった。

「——あの人と出会ったのは、いつもと変わらない『狩り』の最中でした。ひとしきり表通りを歩いて回った私は、頃合いを見計らって人気の少ない裏通りに入って、建物の陰で一休みしていたのです。一休み……というのは半分は文字通りなのですが、半分は。そうした場所の方が声を掛けられやすいからでした。表通りで自分を見せびらかして気を引いておいて、物陰に隠れて誘いながら待つ。誰か後をつけて来てもそれならすぐにわかる。他に人がいない方が交渉もしやすい。その頃にはそういう悪知恵も働くようになっていたのです。ですが」

 話し出したオーリィの口調は思いのほか淡々としていた。ただし、暗く沈んだ表情は、落ち着きというより、なにか大きな「諦め」とそれによる「虚脱」。

「『ねぇ君』と。あの人に初めて声を掛けられた時、私はちょっと驚きました。不意を突かれていたからです。いつもならそんなことはありません、獲物は無きやと心のアンテナを張っているのですから、誰か着いてくるならすぐに気配でわかったはずでしたのに——

 ——猫みたい、そう思ったわ。忍び足もそうだけど、声も見た目もちょっとした仕草なんかも、みんな猫みたいな人だった、柔らかくて気取ってて。一見地味な服装だったけど、そう見えるのは自然なおしゃれが板に付いているから。そして多分わたしより年下。少し薄気味悪さも感じたのだけれど、『狩り』の最中のわたしは大胆不敵。すぐに獲物がかかったと思って気持ちを切り替えたの。珍しい客種ね、そう思って。

 どちらかと言えばいつものわたしの客は、脂ぎって偉そうにしてる年配が多かった。もちろんそういう客のみっともない姿を見てやろうというのがわたしの商売、それが楽しかったというのはあったのだけれど、その時は。

 ……こういうキレイなコを目茶目茶にしてやるのも悪くないかも、そう思ったの。

『こんなところで、一人で何をしてるのかな?』

『別に。歩き疲れたから休んでいるだけよ。何か御用でも?』

『良かったら場所を変えようよ。ここじゃぁ、ちょっとね』

 ……まるで『君は僕と話をするのが当然』って言わんばかりだったわ。そこに迷いがまるで無いの。慣れたものね生意気だこと、ちょっと小癪、それならちょっと驚かせてやろうって、そう思ったわ。

『ならこれだけ頂戴。泊まり代込みよ』

 ってね。いきなり吹っかけた。もっともそれはわたしにとってはいつものこと。商売にならなくても、男達の驚く顔がまず見たい……それがわたしのやり方だったし、逃げられても別に構わなかった。いつもはね。でもこの時は、値切ってきたら応じてあげようと思ってたの。そんなこと今まで無かったのだけれど。自分でも不思議だった。一応ね……自分で理由らしきものはこしらえたの。

『今回は違う台本でいこう、吹っかけたあとで渋々値段交渉に応じる。なんならタダでもいい。本当なら味わえないような貴重な快楽を、あわれな若者にお情けで与えてあげる慈悲深いわたし、それを演じるんだ』って。それも面白そうだからって。

 でもどうして……彼にだけそんな気まぐれな気分になってしまったのか——

 ——ところが。彼はこう言ったのです。

『ふうん、じゃ、僕は君に用は無いな』と。

 驚きも怒りも何も無い真っ白に白けた表情、あきれた顔もしませんでした。

『僕はお金が欲しいのさ。だから無駄遣いはしない。君に払える分は無いよ』と。

 カラリと晴れた、それでいてとても冷めた声でそう言ったのです。そして。

『タダで遊んでくれるコなら、困ってないしね。別に君じゃなくたって』と——

 ——許せなかったわ!わたしよりもお金、わたしよりも他の娘!わたしが何よりも誇るわたしの美しさを、これほどまでに侮辱するなんて!!何が何でも一泡吹かせてあげる、そう思ったわたしは、こう言ってしまったの。

『だったら……わたしが!貴方を、買うわ!』と。『今夜一晩、いくらなの?!』

『そうだね、お金は欲しいけど安売りはしないよ。せいいっぱい勉強して……』——

 ——彼の言い値は、私のそれと二桁は違いました。高級車が軽く買えてしまう程の。唖然としている私を、相変わらず冷めた目で見返す彼。そして。

『僕は、君には過ぎたものさ。身の程は知っておいた方がいいね』……

 私は言葉を失いました。あの時よく手が出なかったものだと、今でも思います。暴力を振るおうにも、あまりの怒りで体がすっかり硬直していたからなのでしょう。私が息を調え、再び話が出来るようになるのに必要だったのがおよそ数分。その間二人ともお互いから決して目を放しませんでしたが、視線の温度差はまるで、燃えたぎる太陽と、それを包む暗黒の宇宙空間程に違っていました。

『払う!払うわ、払ってあげるわよ!!だけど……今急には無理……明日の晩、またここにいらっしゃい!絶対よ!!』

『明日の晩、またここで。オーケイ、じゃぁね』

 あの猫のような足取りで静かに去っていく、彼の背中。私は悔し涙をぬぐおうともせずに、それが見えなくなるまで見つめ続けていたのでした。

 次の日。私は銀行で言われたとおりの額の現金を用意しました。いきなりの高額でしたので、行員とかなりゴネなければなりませんでしたが、強引に押し切って。

 そして待ち合わせの場所に行ったのです。

『さぁ、わたしのものになってもらうわ。着いてきて!』

『その前にさ、お金は?』

『あんな大金、持ち歩けるわけがないでしょう?!だからホテルに置いて来た。嘘は言わないわよ、これを見て!!』

『おやおや預金通帳とは……なるほど、確かに今日、お金をおろしたことはおろしたんだね。ただそれで君を全部信用するのもどうかとは思うけど……キリが無いか。いいよ、とりあえず信じてあげる。案内して』

 その晩のために用意した宿。二人で部屋に滑り込むと、私は無言でベッドを指差しました。大金入りの鞄をそこに投げ出しておいたのです。彼は早速中身をあらため始めました。そしてその間に私は服を脱ぐ素振り……彼の視線がこちらに戻ってくるか試そうとしたのです。が、一向に駄目でした。

『ふうん、凄いや、本当に用意したんだね、こんなお金。いくらなんでも……怖じ気づくかと思ったんだけど。そこは誉めてあげるべきかな』

 札束を数えながらニヤニヤと笑うばかり。私の姿になど目もくれないのです——

 ——まるで路傍の石!他人からそんな扱いをされたのは初めてだった。わたしは素振りじゃなくて本当に服を脱ごうとしたわ。何がなんでも、彼をわたしの美しさで誘惑して、屈服させたかったの。でもね、そう焦れば焦るほど今度は指が思うように動かなくなって。袖のボタンが外せなくて、背中のファスナーが裏地に噛んで。歯軋りしながらジタバタもがくわたしの醜態を!

 彼はここぞとばかりに見て言ったわ。

『何を慌てているのかな?』と。

『確かに、お金は貰ったよ。だから今夜は……君が僕の女王様さ。急ぐ必要なんてないじゃないか。どっしり構えてさ、万事僕に、家来に奉仕させたらいいんだよ。

 ……まずはお召し物をお取りになるのが、ご所望で御座いますか?』

 そう言いながら、あの猫の足さばきで近づいてきて、わたしの服を滑らかな指使いでするすると取り去って、そして……そして——

 ——その一晩のことで、私はすっかり、彼の虜になってしまったのでした。

 その後何度逢瀬を重ねたものかはわかりません。ただし、いつでも私が彼を求めるだけ、逆は無いのです。

 私も彼も、お互いの連絡先を教えあいはしませんでした。というより……私がいくら言おう伝えようとしても、彼は聞く耳を持っていませんでした。

『僕は別に、君になんて興味ないからね』、そう言うのです。

『面倒なのは嫌なんだ。会えた時に、遊ぶ。それでいいよ、僕はね』

 それでいて。必ずこう付け加えることだけは忘れませんでした。

『もちろん、会うなら?貰うものは貰うけど』と……

 ですから、いつでも私が何の約束も会える保証も無しにお金を用意して、宿を用意して、初めて会ったあの裏路地でただ待つ。彼は。

 来る時も、来ない時もありました。実に気まぐれなのです。天国に行けるのか、奈落の底に落とされるのか、いつも!その時にならなければわからないのです。会えた時の安堵と喜びが、会えなかったときは何倍もの失意と絶望になって帰ってきて、会いたくて堪らなくなってしまう……深みにはまる一方でした。

 私は。自分が『騙されている』とは思っていませんでした。

 そもそも、彼は私を愛しているなどと、最初から一言も言っていないのですから。それどころか。興味が無いと、お金目当てに遊んでいるだけだと、はっきり言っているのですから。

 それでも、私は自分が愚かなことをしているとは思いませんでした——

 ——だって!私の毎日には!彼と会う前から、何かかけがえのない意味のあるものなんて一つもなかったのだから!!

 父から譲り受け、叔父から半分は取り戻したはずの財産。私が自由を得るための……

 自由?そんなもの!どこにあったというの?!わたしが手に入れられたのはからっぽの毎日の時間だけ、どうせ何もかも無意味なら、彼のために、ひと時の歓びのために使い果たして何が悪いの、どこが損なの?!……と——

 ——あれ程莫大だった父の遺産が、そうしてまたたく間に無くなっていったのです。もちろん家財道具や宝石類なども売れるものは全部売って、使用人にも暇を出して……そんなことでは所詮、焼け石に水でしたけれど。やがてとうとう最後の日がきました。私にその時残されたのは、ほんのわずかのお金と、ちょっとの着替えの入った鞄と、もう一つ。

 屋敷の権利書。

 その前に彼にあった時。私はそれを彼に告げました。そして最初で最後に、彼にこう懇願したのです。

『あなたに渡せるのはそれだけ。次でもうおしまい。もうあなたには会えない。だから、最後のその一度だけ……私の屋敷に来て欲しい。屋敷をあなたに渡したなら、私はもうそこにはいられない、そうよね?だから、次の日の朝、私は出ていく。

 それを……せめて、見送ってほしいの……』

『いいよ』彼は言いました。『最後だもの、そういうのも悪くないね』と。

 まるでカフェで、いつもの紅茶の代わりに今日はコーヒーにしようか、そんな調子で。あの人らしく。

 テツジさん。私はあなたに、『好きな人が出来た』と言いましたね?でも。

 私が彼に対して抱いた気持ちは、思いは……愛だったのでしょうか?恋と呼べるようなものだったのでしょうか?

 わかりません。自分でもわからないのです。私は——

 ——わたしは他に恋など、したことがなかったから——」

 真っ黒な泥沼の中でもがくような、オーリィの『恋』の物語。

 確かにそれは欲望に汚れた泥沼であった。しかしそうであったにせよ、彼はそこに、彼女の一輪の白蓮のような純真を垣間見た。「見送って欲しい」、その一言に。

「——いつものように、いつもの場所で。彼と待ち合わせた私は、車を雇って彼を屋敷に招きました。そして最後の歓を尽くして……次の日の朝のことでした。

 私は約束の通り、鞄一つで出ていこうとしました。ですが、彼はこう言ったのです。

『ねぇ君、これで最後って……ちょっと寂しいね。この屋敷だけど、一晩分だとしたら貰いすぎだな。君はいいお得意様だったし、特別サービス。

 ……もう一晩遊ぼうよ。それでホントの最後。どう?』

 私に否やがあろうはずもありません。しかもまさか、『寂しいね』、彼からそんな言葉を聞くなんて思いもよりませんでした。有頂天になって駆け戻った私を、またもやいつもの彼らしくもない抱擁で受け止めると。

『ただね、今日はこれからどうしても会わなきゃいけない人がいるんだ。一旦僕は帰る。そうだね……午後三時。三時になったら戻ってくるよ。それでいいかい?』

 それは、びっくりするほど優しい笑顔でした。去っていく彼を、私はうれし涙に震えながら見送って、彼の戻りを待ったのです——」

 オーリィの表情に一瞬浮かんだ甘い憧憬。だがそれは。次の一言と共にかき消されたかと思うと、替わりにどす黒い絶望で見る間に包まれていった。

「——ああ!愚かな女、愚かな女!!なぜ待ってしまったの!!あのまま待たずに立ち去ってしまえばよかったのに!どのみちわたしは野垂れ死にしたにせよ!!あんなもの見ずに済んだのに、あんなもの、あんなこと!!!——

 ——あの人はその日、とうとう私の屋敷にやって来たのです。ですが彼は一人ではありませんでした。そのときの私にとって意外な、あまりにも意外な人物と一緒に。

 私の……叔父と」

「……何だって!!」

 それまで沈黙を保ってきたテツジ。耐えがたい体のだるさもさりながら、オーリィの話の腰を折りたくない気持ちがそうさせていたのだが、この時は思わず知れず声が口からほとばしった。

「オーリィさん、それは一体どういう……」

「叔父は」オーリィの瞼が、頬が、唇が一斉に痙攣し始めた。

「『彼』の肩を、背中から親し気に抱いていました。肩越しに叔父の顔を振り返る彼の顔つきは、甘い媚びに満ちていました。そして、叔父は私に言ったのです。

『久しぶりだなクロエ……いや違った、君は娼婦のオーリィ君だったね。失礼、よく似ているものだからつい。なるほど、いい屋敷だ。小ぢんまりしているが造りが実にいい趣味をしている……バカンス用の別荘にはもってこいだな。

 君が私の行方不明の姪から奪った財産は、この彼を通じて返してもらったよ、あらかたね。この屋敷の権利も、法的に完全な形で今は私のものだ。私は姪の後見人だからね。あの子が返ってきた時のために備えなくちゃならないのさ。

 しかしクロエは!一体どこに行ってしまったものだか……オーリィ君……

 君は何か知らないかね……え?』と……!」

 テツジの体は震え始めた。「糧の飢え」による体の震えはすっかり止まっていたが、今度はまったく別の感情、驚愕と怒りが彼の体を震わせたのだ。

「そして、叔父と彼は……私の見ている前で……肩越しに唇を交わして……

『オーリィ君、彼はね、私の長い馴染みのお気に入りなんだよ。君と同業、つまり男娼というやつさ。姪の財産を君から回収する、金に目がくらんで私を裏切る人間にはまかせられない仕事だったが、この可愛いやつは、わたしにぞっこんだからね。

 なぁお前……いい仕事だったぞ……本当に可愛いやつめ……』」

 テツジは、両のこぶしを振り上げ、床に叩きつけた。その抑えがたい嫌悪と怒り。

(……悪魔!悪魔とその弟子!!こいつが、こいつらのことか!!)

 オーリィもまた、かつてのその情景を思い出しているのであろう。全身の痙攣は、如何ばかりの怒りの故か、あるいは悲しみか絶望か?そして彼女は録音機のように、彼女の叔父と、自分の恋人だったはずの男の会話を口から吐き出し始めた。自分を追い出してからっぽの機械にならなければ、語り続けることが出来なかったのだろう。

「『あなたが僕にくれるのは、お金だけじゃありませんからね……お金だって沢山くれますけど。だから彼女に貰ったお金は、あなたに一旦お預けする、そう思えば、ね……フフフ……いずれ返ってくるんだし。あなたのご贔屓とお顔の広さで紹介していただいた他のお客様もたくさんいらっしゃいますから、お金はそちらからもいただける。あなたを裏切ってネコババなんて、長い目で見たら馬鹿馬鹿しいですよ。

 第一、こうして可愛がっていただくのはお金じゃ買えませんから。

 そう、自分で言うのも何ですけど、僕は頑張りましたよ?僕に女の相手をさせるなんて、ひどい人ですよあなたは。ご褒美はたっぷりいただかないとね?』

『ハハハ、がめついやつだ!いいともいいとも、たっぷり上げようじゃないかご褒美を……【両方】な、たっぷりと!』

『うれしいなぁ、楽しみですよ。これだからあなたとは離れられない……

 何?どうして君の正体が僕にわかったのか、って?大して難しい話じゃないよ。

 君のお客様の中の一人にね、僕の上得意の方がいらっしゃったのさ。隣の国で大変な娼婦に合ったって、そう話を聞いてね。商売敵だもの興味はわくさ。お手並み拝見と思って、遊びついでにこの国に偵察旅行。簡単に見つかるとは思ってなかったから駄目元のつもりだったけど、そこは君の運の悪いところさ。そしてね。

 君の顔を見て驚いたよ。前からこの人に聞いていた姪御さん、写真を見せていただいて顔も知ってた。その家出のじゃじゃ馬娘にそっくりじゃないか!

 こんなチャンスは逃すわけにはいかないよ……これこそ商売冥利ってやつ。

 そもそもね、僕が【君を見つけた日】は【君に初めて声を掛けた日】よりずっと前。君が知らなかっただけさ、僕は君をずっと観察してた。この屋敷だって、場所は知ってたんだ。以前君の後を付けたんだから……知らなかっただろう?だから連絡先なんて聞く必要無かったのさ。

 だってこの人が言うんだもの。【中途半端に捕まえて連れ帰ったところでまた面倒を起こすだけ、それより、こちらの正体を隠して近づき、息の根が止まるまで何もかも吸い尽くせ】ってね。そりゃぁ流石の僕にだって時間がいるさ、準備に。

 何処に何時ごろ、どのくらいの割合で現れるのか、どんなふうに客引きして交渉してどんなサービスをするのか、逆に……どんなことを言われたら、どうされたら喜んでいたか!全部調べた。

 そんなことどうやって調べたんだって?そりゃぁこの人のお力を借りればね、ホテルのボーイを賄賂で釣って偵察させるもよし、盗聴器だって隠しカメラだって仕掛け放題。だけどこの人に頼り切りじゃ僕の沽券にかかわるから。主に……インタヴューだよ。君の取ったお客様方から、この僕が、ベッドの上で、ね……!君と遊んだ後のお客様を尾行したこともあったし、探そうと思えばそこは蛇の道は蛇。この商売を真面目にやっていればそんな噂はいくらでも掴めるんだ。そして。

 情報をいただく代わりに、格安でご奉仕させていただいたから、皆さん喜んでお話してくれたよ。事は大仕事、損して得取れ……いやそうでもないか、おかげで新しいお得意様になっていただいた方が何人もいらっしゃるし!アハハハハハハ!!

 もちろん、この人にも君の性格やら弱点やら、ちゃぁんとレクチャーしていただいたよ。天邪鬼で高慢ちきで負けず嫌い……だったら挑発すればいい。簡単さ。

 そこから先は僕の腕次第だけど、一応ね?この商売の基礎知識として、女性のお客様のお相手をするやり方も一通りは心得てるんだ。そういう時、僕が本当は女に興味が無いのが実は強み……どんな相手でも冷静に反応を観察出来る。医者のように、生物学者のように、徹底的に解剖出来る!その効果がどれ程のものかは、君がその体で!一番よく知ってるはずだね?ただ僕にとってはあれはただの作業、ちっとも楽しくないんだよ。だから、本当の例外サービス。

 僕は君には……いいや、【女には】過ぎたものなのさ!

 あれはそういう意味だったんだけど、まんまと勘違いしてくれたよね、君は。

 あとは、ベッドの上で君のペースに巻き込まれないようにすればいいだけ。その点だけは凄腕だってのは聞いてたし。先手を打たせてもらった。

 ……受け身になれば案外初心なんだなって、最初の晩はけっこう驚いたよ……

 いや驚いたのはね、君が「出ていく」と言ったのもそうなんだけど!そうは見えなかっただろう?ポーカーフェイスには自信があったけど、内心ヒヤリとしてたんだ。逃げられたら、また姿を消されちゃなんにもならない。この人に伝えて君を引き渡さなきゃいけなかったから。だからもう一日引き留めたんだ。

 普段は使わないような、あんなつくり顔まで見せて、ね。

 ねぇオーリィ、ちょっと気の毒な気もするけど、君が甘かったのさ。体を売って生きるってことは、こういうことなんだ。君のような遊びじゃないよ、僕のはね』

『大体君はだ、少々派手にやりすぎた。これに君の話を聞いて、私も自分で調査したところがだ。君はあの頃にはそろそろ裏社会のお歴々に目を付けられていたんだ。自分たちに無断で勝手に商売する野良娼婦……制裁を加えられるか、最悪始末される寸前だった。そういう意味では君は私とこれに感謝してもらいたい。彼らにはよく話を通して、君に手出しはしないという約束になっている。ただし同時に……彼らに君の監視だけはお願いすることにしたがね。

 さてオーリィ君、今後の君についてだが……ここを出ていけ、とは言わない。君は私の姪の行方を知っているらしい唯一の人間だ、また雲隠れされたら面倒、私の目の届くところに置いておきたいからね。もっとも今言った通り、君は見張られている。逃げようにも逃げ場は無い。だから無駄なことはあきらめて今まで通りここに住めばいい。そうだな、この屋敷は私のものだから、一つ管理でもしてもらうつもりで……それなりの給金は出してあげよう。贅沢好きの君では足りないかも知れないが、そう思ったら。

 ……今度はもう少し真面目に身を入れて、体を売ってみたらどうかな?ハハハ!

 裏社会の彼らだって、君がキチンと上納金を納めれば文句は言わんだろう。いい稼ぎ手が出来て喜ぶかも知れん。そうだな……そう言えば!この屋敷は娼館として使うのにもピッタリだ。いっそ他にも女を置いて、まるごと彼らに提供すれば。今は君の監視をお願いしているから謝礼を払っているが、今度は逆に私が分け前として家賃くらいは要求出来るかも知れん。せっかくの資産だ、遊ばせておくのは勿体ないか。

 どうかねオーリィ君、私がそう話を取り持ってやってもいいぞ?

 なぁお前も、ちょっと商売のノウハウでも教えてやったらどうだね?』

『やれやれ、それはちょっと困りますよ、いくらあなたのお望みでも。こんな世間知らずの偽娼婦、仕込み直すなんて骨折り損です。もっとも……

 ベッドの上での技だけは、超一流でしたけどね、彼女は。僕が勉強になったくらいです。誰から仕込まれたのやら……たいした雌猫ですよ。

 どうです?……あなたは女もいける口なんですから、一度、彼女の体をお試しになったら?それとも?姪御さんに似ていては気がひけますか?』

『いいや、似ていると言っても、それだけさ。彼女は娼婦のオーリィ、その身分は法的に完全に証明済みだ。どこにどう言い立てようと、もう私の姪とは認められんよ。

 ふむ……確かに!二度と逃げ出す気など起こさないように、私が直々にベッドできっちり躾けておくのも悪くはないかも知れんな。考えておこうか。

 だが今日のところは……フフフ、私はこの可愛いやつに褒美をやらなければならん……長居は無用だ。これで失礼するよクロエ、いや、娼婦のオーリィ君。

 あとは好きにしたまえ。君に何か出来ることがあるのなら、だがな』」

 そして、オーリィの姿をした録音機は、音声の再生を停止した。テープが切れたかのごとく、電源が落ちたかのごとく、彼女はがっくりとうなだれ動かなくなった。

(続)

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