16:「誕生」~魔女の狂宴~(1)
「さぁ……誰かいないの!これで、これでわたしを殺して!!早くしないと……この鳥の首をへし折るわよ!!」
全裸のその女は広場で、右手に持った刃物を高く掲げ、そう叫んだ。女は別の女の首を、背後から左腕で挟むようにして締め上げていた。
遠巻きにする大勢の村人達。だがあまりのことに、誰も近づけない。
締められているのは、ケイミー。顔は既に土気色に近く、声すら出せない。
締めている女は、右半身を鱗で包み、右の目は蛇、左の目は虫。
「早く……誰か……わたしを殺して……わたしを殺してよ!!」
「……旦那方、待ちかねたぜ!狼煙の通りです。女ですよ新入りは」
『山』の頂、『門の広場』近くにある見張り小屋。そこにここ数日、泊りがけで来訪者の出現を監視していたメネフは、駆けつけた他の助役達にそう確認した。黒なら男、赤なら女。彼が上げたのは赤の狼煙だった。
「すまん、少々遅れた。この2人にも来てもらったのでな……」
そう言うバルクスの背後に、いつもの助役達に加えて、さらに女が二人。どちらも中年の、落ち着いて物慣れた様子の女だった。
「女の新入りは、わしらだけではなにかと都合が悪いからの。二人ともよろしく頼みます。メネフ、今月の月当番はお主だが、『声掛け』はわしがやろう。女は難しいから。女か……いつもながら、女の新入りを迎えるのは気が重い」
そう言ってため息をつくグノー。
「頼んます、グノーの旦那。嫌な役を引き受けていただいてすいません。おっと、どうやら……もうじきですぜ……」
「よし、配置に着こう。皆はいつも通りの岩に……二人は私と一緒に、この大きい岩で隠れて待っていてください」
バルクスの合図で、各々は『広場』の石柱に隠れた。
石柱に囲まれた『広場』の中心。白く輝く球体が、地面からわずかに浮いてそこにあった。球体はところどころ色が薄れており中が見える。そしてその中に人間の姿。よく見れば、確かに女の姿だと確認できた。メネフが感嘆のため息を一つ。
(いつ見てもすげぇモンだ、どうなってんだか……最初はポッツリ、小粒みてぇな玉が現れて、2~3日かけてどんどん大きくなって。大きくなるのが止まると、今度はああやって透けていく。まるで人間の繭だぜ……あと少し、あれが全部消えれば)
女の体が、地面の石畳にふわりと落ちた。「繭」が消えたのだ。
ふっさりと長い髪を下に敷いて、静かに目を閉じながら横たわる若い女の裸体。なまめかしくもあったが、右半身をすっかり覆う鱗がその分いっそう痛々しい。
(これは……ううむ……元はずいぶん綺麗な娘だったろうに、いつもながら、まったく酷なものだわい……顔に傷が無いのが救いだが。それにしてもよほど注意せんと)
グノーは経験で知っていた。元が若い美しい女であるほど、なだめるのが難しいのだ。
「ではそっと……手筈通りお願いします……くれぐれもまだ起こさないように」
連れてきた二人の女にバルクスが小声で指図すると、二人は大きな厚い、毛布のような布をもって岩陰から忍び足で横たわっている女に近づき、その布を体に被せた。そして忍び足で再び岩陰に。手際のよさに満足するグノー。
(女の場合、目覚めていきなり裸では話も出来んからな。第一気の毒過ぎる。服は後から着せてやれるが、最初に隠してやらないと……まずは上手くやってくれたわい)
そして女の目覚めを待つ。ややあって。
「う……」
女の口から小さな声が漏れ、毛布の中で軽く身をよじる。そして仰向けに寝そべった状態で顔は天を向いているので、迎えに来た者たち誰にも表情は定かに見えなかったが、どうやら目を開けたようだった。
グノーは女の正面、すなわち横たわった状態では足側の岩陰で待機していた。起き上がった時にすぐに顔が見え、真正面から声がかけられる位置だ。
女がゆっくりと、上半身を起こした。うつろなまなざしで左右を軽く見渡して……
(いよいよか……何!!)
その女の両目。蛇眼と複眼の奇怪な、その惨たらしいオッドアイ。
(何という……せめて顔だけは綺麗なままで助かったと思ったが、とんでもない!!これはここで『鏡』を見せるわけにはいかん。『村』に連れて帰ってからでないと)
「ここは……わたしは……ヒッ!!」
ぼやけた意識がややはっきりとした時、女は毛布の中の自分が裸であることに気づいたらしい。当然の羞恥心と恐怖心から、体を隠そうと両腕で自分を抱く。そしてしばらくはキョロキョロと不安げに周囲を見回していたが……
「……何?これは何、何なの?!」
女はさらに気が付いてしまったのだ。
両の乳房の皮膚に感じる、右腕の内側のざらつきに。
その上に重ねた左の手のひらに感じる、右腕の外側のざらつきに。
(どこまで自分で気付かせるか、いつ声を掛けるか、だが……今回は早めの方がよかろうな。よし!!)
グノーはその時、自分のタイミングが「早め」だと思っていた。だが彼が女に声を掛けようとした瞬間、女は彼の予想外の行動に出た。いきなり立ち上がり、毛布をかなぐり捨て無残な裸体を晒しながら、彼の隠れている岩につかつかと小走り気味に近づいて来たのだ。
奇妙だったのは、女は首を横に向け、まったく別の方向にそっぽを向いた状態で、しかし足取りは間違いなくこちらを狙っていたということ。そして彼がそこにいることを見て知ったかのごとく岩の後ろに回り込むと。
「お前……お前の仕業なの、これは!!」
女はグノーの胸倉に掴みかかった。静かな山頂の霧をかき消すような絶叫と、鬼女のような激怒の形相。しかし女は彼のその奇怪な容貌を鋭く観察してこう言った。
「お前……この鶏冠は何?……作り物じゃないのね……この化け物!わたしの……
わたしの!肌に!体に!何をしたの!!言いなさい、元に戻しなさい、これを!!」
「……いかん!」
「チキショウ、なんだあの女?!旦那がヤベェ!」
こうなってはもはや力づくで取り押さえるしかない。立ち上がってすばやく目配せし、女に対して挟み撃ちの方向で駆け寄るバルクスとメネフ。しかし女はそれとみると、グノーを放しすばやく背後に回り込んで、左の腕で彼の首を羽交い絞めにした。
「お前、仲間がいたのね?……近寄らないで!近づいたらこいつを絞め殺すわよ!」
(どうなってんだあの女?『心得』があるようには見えない動きだが、迷いも無ぇ……妙だな、油断できねぇ……!)
自身のある種の『心得』に照らしていぶかるメネフ。
(しかしこれは……新入りがここで逆上することはままある話だが、若い女が、まさかこちらに襲い掛かってくるとは?まずい、どうしたものか……?)
想定外の事態に、彼らしからぬ焦りの顔色のバルクス。
手をこまねいて立ち尽くす助役達の顔色を、女は意図の読めない視線で睥睨していたが、次第に苦悶の表情に変わっていった。
「変だわ……景色が……あちらもこちらも一緒に見える……バラバラに!目が……左目が変だわ……わたしの目……ああ、こいつが映っていたさっきの岩は……
『鏡』はどこ?あそこね!!」
新入りに自分の姿を観察させるための、鏡の岩。女の口ぶりでは、どうやらその反射で、最初に岩陰のグノーの姿を捉えたということらしい。視線の方向から言って、普通はありえないことだったが。そして女は彼を放し、その胸を右手で突き飛ばして彼を転倒させると、またしてもつかつかとすばやく、そしてまたしても見当違いの方向にそっぽを向きながら、それでも間違いなく鏡の岩に駆け寄った。
「わたしの目……わたしの眼……私の顔……まさかどうにかなって……」
突かれた胸に苦し気に手を当てながら、グノーが起き上がって制止した。
「見せてはならん!!皆の衆、そいつを止めてくれ!!」
しかし誰も間に合わない。女は自分の顔を、その両眼をまざまざと見た。そして。
壊れた笛のような悲鳴をあげると、女はクタクタとその場に倒れ、気を失った。
彼女を囲んでしばし立ち尽くす助役たち、そこを搔き分けるように、バルクスが連れていた二人の女が近づいて、倒れた新入りの女の胸に耳を当て、脈をとる。慣れた手つき。二人とも看護の技術があるらしい。
「みなさん、この人は大丈夫。気を失っているだけです。ただ……これを……」
右手は鱗のため脈がとりにくかったと見え、左手の手首で脈をとっていたのだが、二人の女はそこを助役達に指し示した。
女の左手首には、見間違えようのない、大きな傷跡があった。
「むむ……自殺でここに来たか……むごい……」
グノーはまた一つ、大きなため息をついた。
「長老、皆の衆、面目ない。『女は難しいから』などと、偉そうに『声掛け』にしゃしゃり出ておきながらこの体たらく…」
「いやグノーさん、今回ばかりはあなたのせいではないでしょう。あの狂態では……誰がやっても多分結果は同じでしたよ」
「監督の言う通りですぜ。男だ女だ以前に、こんなイカレた新入りは初めて見た!無傷で連れ帰れただけでも上出来と思わなきゃぁ……」
意識を失って倒れた彼女を、助役達は結局担架に乗せて山を下りた。途中でまた目覚めた時の用心に、毛布で簀巻きにした上で荒縄でしっかりとその体を拘束して。
そして役場に到着したその時も、その状態のままであった。
「さてしかし長老、どうなさいますか『お隣さん』を。予定では確か……?」
「うむ。問題はそこだねバルクス君。新入りのこの娘が、諸君らの言う通りの人物だとすると……順番では君に任せるはずだったが、どう思うね、ケイミー?」
役場に呼び出され、長老と一緒に「新入り」の下山を待っていたケイミー。だが、あまりの事の次第に表情は硬かった。髪飾りのような羽毛が震えているのは、緊張の故か不安の故か。
「失敗の負け惜しみで言うのではないが、この娘の世話は到底一筋縄ではいかんぞ。お主はまだまだ若いし、ましてや確か初めての『お隣さん』ではなかったかな?悪いことは言わん、もっと慣れた者に代わってもらった方が良い」
「こいつが手に負えないのは、グノーの旦那だけじゃない、迎えに行ったオレたち全員が証人だ。ケイミー、今お前が役を降りても文句は誰にも言わせねぇぞ?」
どうやらその場の雰囲気は、ケイミーを降ろすことで全員一致のようだった。
(みんながそう言うなら……それがいいのかも……)
彼女自身がそう思いかけたその時、バルクスの次の一言が状況を覆した。
「うむ。今回は単純に順番で決めるというわけにはいかない。そもそもこの娘は自殺者だ。それだけでも難しい。代わりの『お隣さん』は長老と我々で良く選んで……」
「……待って!監督さん、この人は!……自殺でここに来たんですか?!」
問うケイミーの表情が、急に変わった。最前のほろ苦いあきらめの色が消え、代わりに何かに突き動かされるような必死さが彼女の大きな目に宿った。その様子にややたじろぎつつ、バルクスは見たままのことを答えた。
「先ほど山の上で彼女を縛る前に確認したが、左の手首に大きな傷痕があった。そうとう深く切ったものと見える。無論、彼女がここに来るに至った死因とそれが必ずしも一致するとは限らないが……さらに以前に切って、一度助かってからまた別の死因でここに、ということも可能性としてはある。しかしその場合は、あれだけの傷なら、縫合した痕も残るはずだが、それは無かった。山上での彼女のあの尋常でない振る舞いから察すると、わざわざそうこじらせて考えるより、その傷が原因で死んだと考える方がはるかに自然だろうね。
自殺者の受け入れは難しい。『お隣さん』の役目は新入り……来訪者の命をつなぐことが第一義だが、そもそも自殺者はそれを望まないことが多いのだから。
だからケイミー今回は……」
「お願いします!!この人の『お隣さん』……私に!私にやらせて下さい!!」
「本当にいいんだな、ケイミー?まったく!どういう風の吹き回しだ!!」
役場に呼んだ別の若者と二人で、新入りの女を乗せた担架をケイミーの家に運び込んだメネフは、荒縄をほどきながら苦り切った顔でもう一度、そう念を押した。
「長老も旦那方も、お前がああやってやけに熱心に頼み込んだから折れたみたいだが、はっきり言うぞ、オレは納得してない。ケイミー、お前はあのザマを見てないからピンと来てないんだろうが、この女はな……完全にイカレてる!!
お前みたいな【大人しい内気な娘】じゃ歯が立たねぇよ。こんなヤツの相手をしてたら、下手すりゃお前の方が壊されちまう。オレはな、それが心配なんだ。
……どうする?コイツが目を覚ますまで居てやろうか?目を覚ましたら、また暴れだすかも知れねぇぞ?」
固い、そしてどこか悲し気な表情で気絶している女を見つめていたケイミー。メネフのその言葉に顔を彼に向けると、ゆっくり首を横に振った。
「ありがとう。でも、大丈夫です。私もこの村の女、暴れるかも知れないってわかっていれば……大丈夫ですから」
ちっとも大丈夫そうじゃねぇんだよ、と、彼女のか細い声を聞きながら心の中で舌打ちするメネフ。が、彼女の大きな目に映る訴えかけるような光を見ると、彼もそれ以上強くは言えなくなったのだろう。大きなため息を一つつくと、連れの若者に目配せして帰り支度を始めた。
「いいか、ヤバイと思ったら、いつでもすぐに!オレにそう言え。旦那方のところへ一緒に頭を下げに行ってやるから。代わりを探して下さいって、な?
……じゃぁな、気をつけろよ」
未練げに何度も振り返りながらケイミーの家の戸口を出ていくメネフ。その背中を見送ったケイミーは、再び、決意と寂しさが入り混じった目で女を見つめ直した。
(大丈夫……出来るよ……ううん、やらなきゃ……今度こそ、今度こそ!!)
(続)
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