8:「市場にて」~科学講義~

「オーリィちゃんおっハロ~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」

「おはようございます、長老様」

(今度はこいつか……いや、情報源としてなら無論歓迎すべきなんだろうが、今のテンションでこいつの相手をするのは、いささか覚悟がいるな……ただでさえ油断ならんやつなのに)

 戸外で会うと、長老モレノの異常な長身(もっとも、長いのは首と脚だけなのだが)は際立ってみえた。地面の敷物に座っている二人としては、はるかに上を見上げないと顔が合わせられない。そして高く遠くに見える顔から声が降ってくる。

(こいつのキンキン声も、あれでないと人に声が届かないから、というのはありそうだな)

「ん~~~~~~~もぅ、相変わらず『様』とか、わし照れちゃう。

……テ~~~~~~ツ~~~~~~~~く~~~~~~~~~ん!!」

(ぐっ……)

 突然長老が脚の付け根から体を折り曲げ、水飲み鳥のオモチャの要領でテツジに顔を近づけてきた。それもお互いの顔と顔が触れ合わんばかりの最接近だ。

(……だがこの距離でその声はやめろ!!耳がおかしくなる!!だいたい重心がおかしいだろうその姿勢は、どうやって支えているんだ?)

 長老の足元に視線を移すと、なるほど。始めて会ったときはテーブルに隠れて見えなかった、巨大な2本指の鳥の足。踵から一番長い指の先までが、普通の人間の肘から手の指の先までの長さとほぼ同じ位か。

(『ダチョウ男』……今の俺に人の事は言えんが、この村で見た中では一番見た目は異様だな。見下ろされる圧迫感もある。変な道化ぶりはそれを薄めるつもりなのかも知れないが……)

「どう、調子?ちょっとは慣れてきたかな?ゴハンちゃんと食べてる?」

(無視するわけにはいかないな、不自然だ。ここは当たり障り無く答えるか)

「ええ、おかげさまで少しは慣れてきました。体の調子もいいですし、メシも……オーリィさんのメシは旨いです。ありがたいです」

「そう。体の調子がよくて……ゴハンが……おいしい!けっこうけっこう!!

……でもね、何か変わったことが起きたら、すぐにオーリィちゃんに言ってね」

(ん?今のは何か……いや、特におかしなことは言ってないな)

 長老の話しぶりに一瞬感じた、ごくわずかの違和感。だがテツジは、自分が過敏になっているのだと、この時は思った。

 長老は今度は首を捻ってオーリィの方に話しかけてきた。

「さっきいたの、バルクス君だよね?もしかして、串蛙買ってかなかった?」

「それが、今日はかくかくしかじかで……明日辛口串蛙を20本、農場にお届けすることになってますの」

「だ~~~~~~~~めだよ、バルクスく~~~~~~ん!!」

 一際甲高いその声に、さすがのオーリィも思わず背筋を後ろに引いた。

「も~~~~~~彼ってさ、お仕事はすっごくよく出来るのに、そういうとこ雑なんだよね!打ち合わせ、わしと助役ちゃん5人だから6人でしょ?20本どうやって6人で分けるの??それとね、他の皆は呑み助さんだからいいけど、わしお酒飲めないし!辛いのも苦手なの!首が長いからヒリヒリしみちゃってさ。

……オーリィちゃん追加注文いい?あの甘じょっぱいタレの方の串蛙あるでしょ、わし、あれが好きなの。あれを4本足してくれる?そしたらみんなで4本づつ食べられるし。お願い♪」

「ではあらためまして、御注文は辛口20本甘口4本。こちらで承りましたわ」

「あ~よかった。これでみんな公平に串蛙が楽しめるっと。ねぇテツジ君?

……串蛙、どう?」

 唐突に顔を振ってテツジにそう聞いてくる長老。

(いや……『どう?』と言われても、それこそどう答えたらいいんだ?ま、まぁいい。所詮は世間話だ、多少トンチンカンでも思ったとおりに答えておけば)

「串蛙なら、実は毎日たくさんいただいてますよ。オーリィさんのおかげです。旨いものですね、あれは」

「おいしいよね!うらやましいなぁ毎日だなんて!でもさ、蛙って、あんなに美味しいものだったかな?」

「?」

「わしは元の世界で蛙を食べたことは無い。だから厳密には言えないがね……しかしだ。もしわしのいた世界でも蛙があれほど美味なら、もっと食されていてもおかしくはなかったはず。君の元いた世界ではどうかね?」

 急に、長老の言葉にふざけた様子が無くなった。気を呑まれたテツジ。まるで学生が教師に答えるように、ありのままに答えるしかなかった。

「それは……国や地方によっては食べる習慣のあるところもあったようですが、世界的には一般的な食材では無かった気がします」

「そうだろうねぇ……いやテツジ君、つまりね、われわれが見ているそのタライの中の蛙だが、それは本当に……蛙なのかな?という話なんだ。

……ちょっと隣にいいかな?立ち話では落ち着かないからね」

 そう言うと、長老はテツジの隣に座り込んだ。オーリィとは反対側だ。自然、テツジと長老の1対1の相対になる。

「いやそろそろ、君の中で疑問が溜まって仕方が無くなっているんじゃないかと思ってね。この『村』、この世界について、少々講義でもしてあげようかと思っていたんだよ。今日のこの場は丁度いい。とは言え」

(こいつのこの口振り。オーリィは『頭のいい人』と言っていたが……もしかして、元は何かの学者だったんじゃないのか?)

「偉そうに『講義』などと言ったが、わしにもね、実はわからないことだらけなんだ。見ての通り、ここはこの通りの……文明と切り離されたほぼ原始の世界だ。道具もないし、そして専門知識のある人間も、今のところいない。調べる術が無いんだ。すべては、多分こうだろうという憶測でしかないんだが……まずまず間違いなかろう、という辺りをね、話してあげよう。

 さて何から……?そうだね、話し出してしまったことだし、さっきの蛙の件からかたずけようか。身も蓋もない答えだが一言でざっくばらんに、それは『蛙のようなもの』だ。《四つ目》を知っているかね?ほう、それなら話が早い。しかし実はね、ここの蛙にはすべて目が4つあるんだ。ただし、多くは後方の1対の目が小さく退化して、皮膚の下に深く埋もれている。今度串蛙で観察してみるといい。頭骨に小さいながら眼窩があって、眼球があるのがわかるはずだ。《四つ目》はたまたま、それが発達した個体なんだよ。奇形とも突然変異とも違う。低率ながら一定の割合で出現する、安定した遺伝形質らしいんだ。人間でいう『珍しい血液型』のようなものさ。

……なぜ生蛙好きの諸兄の間で珍重されるのか、味の違いの原因はわからんがね。とにかく、目が4つある両生類など、わしの世界では見たことが無い。『蛙に良く似た別の生き物』なんだよ」

 テツジのような即物的な男には、本来どうでもいい話のはずだった。事実、聞きながら所詮はたかが蛙の話と心の半分では思っていたが、しかし引き込まれた。

 この何も無い世界での、退屈極まりない数日間。彼は情報と刺激に飢えていた。そこに、長老の好奇心を掻き立てるような話術と、ふざけている時とはうって変わったささやくような語り口。それらは麻薬のような効果があった。

「蛙だけではない。ここの生き物はすべて、『のようなもの』だよ。『兎』だって、我々が元いた世界の兎に似ているから、それを兎と呼んでいるだけ。『麦』や『りんご』もそう。観察すれば、いろんな違いが見えてくる。残念ながら、わしは生物学の知識は乏しい。ざっと観察するしか出来ないんだが、それでもわかる位の違いがある、ということさ。

……さてそこで、だ。より重要な問題がある。テツジ君、わしは!君にとって『人間』なのかな?それとも、『人間のようなもの』なのかな?」

 ギョッとするテツジ。確かに、お互いとんでもない姿に変ってしまったが、それでも。目の前にいて話をしている相手を「人間ではない」とは思えなかったし、そうは言えなかった。

「いやそれは……人間……だと思いますが……」

「ふうん……ホントに?そう思うかね?よろしい、一ついい事例を見せよう。

……オーリィちゃ~~~~~~~ん!!」

 また突然ふざけた調子に戻ると、長い首をオーリィに向けて頭を差し出した。

「わしの帽子、取って頂戴。首が長すぎてさ、近くの人はかえって取りにくいの。自分でも!不便なんだよね~~~~~~お願い!」

 長老の丸い帽子。オーリィが丁寧な手つきで取ると、老人らしく禿げ上がった頭頂部に、一本の短い角。

「見てみたまえ、この角。角といっても骨じゃない。サイの角のように角質の塊だ。おそらく進化の過程で体毛から出来上がったものだろうが……わしの元いた世界では、男にはみんなこれがあった。わかるかね?この世界に来て怪物化したから生えたんじゃない。わしは、わしの世界の人間は!元々こうなんだ。さて。もう一度聞こうかな。わしは君にとって、人間かね?

……『人間のようなもの』かね?」

 テツジは、返事が出来なかった。

「答えが無いのが答え、と思わせてもらうよ。こんな例はいくつもあるんだ。本人のプライバシーの問題だから誰とは言えないが、この村には『元々』短い尻尾のある人物がいる。『元々』心臓が胸の右側にある人物もわしは知っている。繰り返すが、その人物だけがたまたま、というわけじゃない。彼ら彼女らの世界では、人間は普通に皆そうだったんだ。科学者としては、我々はお互いに『人間のようなもの』同士だというしか無いねぇ…まぁいいじゃんそれでもさ!!」

 と、一瞬ふざける長老。

「だってもう皆、それ以上にデタラメに変身しちゃってるんだし、そんな違い今さらさ、どーだっていいよね!!……と言ってしまえばそれまでだが、ここにもう一つ、重大な問題が生じてくるんだ。

……この世界では、『人間』には子供が生まれない」

「……そうだったのか……」思わずつぶやいたテツジ。

「おや、気付いていたようだねぇ、この『村』に子供がいないことに。感心感心、確かに大した観察力だ。さっきバルクス君にスカウトされなかったかね?……やっぱり!彼は君に非常に御執心のようでね、言ってたよ、君は鋭い男だって。彼の人を見る目もたいしたものだ。

……さて話を戻して、だ。わしがここに来てからそうだねぇ、もう30年位になるのかな。もっとも!この世界の365日×30が、わしの元いた世界のそれと一致するものなのかは議論の余地はありそうだが……それは話がややこしくなるからやめておくとして……約30年!!その間、ここでは出産はおろか、死産・流産の一件も無い。わしより古い人間にも尋ねたが、子供が生まれた話は一つも聞けなかった。何故か?本当のところはよくわからない。遺伝子の違いなどが当然考えられるが、調べる方法が無い。重要と思われるファクターは二つ。一つは当然、この世界に来て我々が怪物化した、その後天的な要素。もう一つは、さっき言った我々同士の『元々の』先天的な違いだ。どちらが重要で決定的なのか、長いことわからなかったんだが……最近ようやく!手がかりが見つかった。

……テツ君、村の鴨小屋、見たことあるかな~?」

 ふざけ口調で、意外な方向に話の舵を切る長老。

「可愛いよ鴨!今度是非見学においでよ!!……最初にオスメスつがいの鴨がこの世界に現れた時、バルクス君の喜びようは大変なものだったが、わしもね……黙ってはいたが、とても興奮したよ。オスの鴨は、嘴に牙が生えていた。メスの鴨は、翼に指が生えていた。無論、これらの鴨が来た世界の鴨が元々そうだったという可能性もあるが、むしろわしは、人間と同じく怪物化したものだと考えている。そしてだ。この鴨は繁殖に成功した。卵が、子供が生まれたんだ!!そして、生まれた雛は、両親の特徴を共にそなえていたよ。

……すなわち、怪物化はどうやら妊娠の阻害要因では無い。やはり我々の『元々の』違いが重大な障害になっているのでは、とね。もっとも……」

 ここで長老は大きくため息をついた。

「わしにわかったのはそこまでだし、わかったところで、村民に子供が生まれるようにする方法がわかるわけでもないしねぇ……」

「一ついいですか?」

 テツジは長老の話に完全にのめりこんでいた。あの固い警戒心が、この時ばかりはまるで解除されていたことに、自分でも気がついていなかった。

「鴨がこの世界に『現れた』というのは、どういう……確か他に『狐』が……」

「い~~~~~い質問だね!そこ、すっごくいいポイントだよん!!テツ君、話せるねキミィ!!……よろしい。だったらまだるっこしい回り道は止めよう。もっと大きな、根本的な話をしようじゃないか。あの『山』を見たまえ!!」

「村」に、この世界にたった一つしかない「山」。

「実に美しいと思わないかね?特に、ほぼ完璧な円錐型のあのフォルム!正確な測量はこの世界では望むべくもないが、なあに、頂上のあの『広場』から見たっておおよそ伺い知れるよ。あの『山』の底面はほぼ真円だ。実に工業的な、人工的な洗練されたデザインじゃないか……あんなものを。

……いったい誰が『建設』したんだろうね?」

「……建設だって?あの山が?人工の建築物だと?!馬鹿な!!」

 テツジはもはや、長老に対するみせかけの敬意すら忘れていた。

「君自身がまさに体験した通り、我々は皆、あの山の頂上、『門の広場』で、怪物化しながらこの世界に『復活』し『現れる』。そして、先ほど言った通り、我々が来た『元の世界』はそれぞれ少しづつ違う。並行世界……その垣根を越えて、我々はここにかき集められ、吸い寄せられた。そう考えるのが妥当だろう。さらにまた……」

 長老の声のささやき声は、いっそう低くなった。しかしそれに反比例して、言葉のスピードは加速していく。それは、語る側の長老の、自らの言葉に対する興奮を明らかに示していた。

「君にだってわかっているはずじゃないかね?ここに来た当初、あんなに村中を『端から端』まで歩き回っていたんだから…『村』の限界と、その外の、生物の生存をいっさい拒むあの果てしない荒野を!まさに!この『村』は『飼育ケージ』だ。あの『山』が!幾多の世界から『人間』を収集し、その生存可能な環境を維持する、この『村』の『システム』の根源なんだ!!

……こんなものが!!『何者』かの意思によらず、自然に出来上がるとでも?」

「それは……」

「少し角度を変えてみようか。この世界で、人間は生存は出来るが、繁殖は出来ない。ところで、『蛙』や『兎』や『大鼠』、『麦』や『りんご』などの動植物は、普通に繁殖している。違いは何か?それら動植物は、この世界の土着のものだからだ、とわしは考えている。今でこそこの『村』のシステムの中でしか生存できないが、とにかくこの世界には、生命が元々存在した。であれば、だ。

……先住民は?知的生命体は存在しなかったのか?」

 ここで長老は言葉を切って、テツジの顔をじっと覗き込んだ。

「じらすのはもうやめよう。あるんだよ、文明の痕跡が、『遺構』が!あの『山』の内部に……わしはこの目で見た!!20年ほど前のことだよ。大きな地震があったんだ。この世界では規模の大小を問わず地震は滅多にない。それがたまたま起きて……『山』の中腹に大きな亀裂が生じた。そこから、かなりの深さまで山の内部に入り込むことが出来たんだ。今でも忘れられないよ、あの光景は。あの途方も無いテクノロジーの産物……だがね……埋めてしまったんだ。もう見る事は出来ない……」

「何故だ?何故埋めた?そんな重大なものを!!」

「どれほど調査したかったことか、どれほどわしがあれを研究したかったか!他の者にはわかるまい!!だがね、わしはその頃すでに村の重鎮の一人だった。村人の安全な生存は、何よりも優先されなければならない。地震はおそらく、あれを造ったもの達にとってもイレギュラーだ。あの亀裂のせいでもし、この『村』の精緻な生存維持システムに狂いが生じたら?メインテナンスなど、今の我々には絶対に不可能だ。そしてあれが止まったら破滅だ!!

……封じてしまうしかなかったんだよ」

 長老とテツジは、まるで図ったかのように、同時に深いため息をついた。

「お互い、少し頭を冷やそうか?『鴨』と『狐』の話だったね?あれは多分、ここのシステムの些細な『バグ』だよ。『人間』を収集するための機能が、時に他の世界から小動物を呼び寄せてしまうんだと、わしは考えている。ただしこの場合、この『村』の、あるいはあの『山』のどこからあらわれるのか、『人間』の場合と違ってまったくわかっていないし出現時期の予測も出来ない。だから憶測でしかないがね。

 ……『人間』が来るのは予測出来るんだ。でなければ、どうやって助役諸君が君をあんなタイミングで迎えに行けたと思う?数日前から『広場』に見張りを立てていたんだ。そして村に狼煙で伝えた……君の来訪をね」

「どうやって予測するんです?」

「簡単な話さ。君がここに現れる数日前、一人の老人が老いて死んだんだ。大往生だったね。わしのこともよく可愛がってくれた先輩だったが……それが合図。一人減れば、一人増える。それだけのこと……我々は人口まで管理されているんだよ、『村』にね。テツジ君、『文明』の基礎は、根幹は何だと思うね?」

「?……抽象的過ぎてわかりません……何をお尋ねになりたいんです?」

 テツジの長老に対する敬意は、もはやかりそめのものではなかった。長老の知識・経験・人格が、テツジの思惑を超えていたからだ。

「いやつまりね、よくこういうことを言うじゃないか。『文明が発達したおかげで、多くの人口が養えるようになった』とね。これは確かにその通りだろう。農薬や化学肥料によって食料を増産し、医療の発達で人の死の可能性をへらす。工業の発達で必要な物資を供給し、安全快適清潔な生存を確保し維持する。それらによって人類は、かつてより多くの人口を支えることができるようになった。これは、君のいた世界でもわしのいた世界でも同じだと思う。しかしだ。

……逆もまたしかり、だとは思わんかね?『より多くの人口が、より高度な文明を支える』と。例えば鉄道……あの巨大なインフラを建設し、維持し、運営するのにどれほどの人間力が必要か?『ある時点での作業員の数』では考察は不十分だ。鉄道というシステムを作り上げたその過程すべての、関わった人間力の積算値で考えなければ……これは途轍もないものだよ。とても簡単に計算できるようなものではない。しかもこれが一例だ。むろん、技術革新によって、ある分野でのある瞬間の人間力を削減することは出来るかも知れん。だが、そのために別の分野で人間力が投下されることは自明だ。高度な文明は、多くの人間、多くの人口によってしか成立しえない……ざっくりした分析だがね。しかるに、だ!ここからが本題だよ。

……この『村』には子供が生まれない。新たな来訪者は、誰かの死とバーターでしか現れない。この村では人口は増えない!すなわち!!今の我々は新たな文明を発達させることは出来ない……極めて困難なんだ!!例えば畑さ。荒地を耕して耕地に……やれば簡単に出来るとも。だがね、せっかく耕地を広げても、耕作する人間が足りなかったら?結局農産物の増産は出来ない。これを打破するには、例えば耕作機械の導入だ。単位面積当たりの収穫量を上げれば、あるいは単位時間あたりの作業面積を上げることができれば……だがその機械は、誰がどうやって製造する?いいかね、我々は文明世界からここに来た。そういう技術があることを、すでに知っているんだ。車輪の再生産をする必要はない。しかし!そこで増えない人口が足かせになるんだ。機械の生産に限られた人間力を投下すれば、農耕に従事する人間力をその分消費してしまう。当然食料の生産量が減る……出口が無い。

 さらに言えば。そもそも食料を増産する必要があるのか、という話になってくる。間に合っているのに?人口とそれに見合った耕地と生産高がバランスしている以上、無理してそれ以上の増産を行う『動機』がそもそも無いじゃないか。

 我々は、進歩発展の可能性と動機を奪われたまま、あの『山』によって飼い殺しにされている。これは、わしのような科学者にとって、技術者にとって、耐え難い侮辱だ。わしは、あの『山』が憎い……あの過保護な絶対者が。いつか必ず、一矢報いてみせる。この『村』に、わしらによるわしらのための新しい文明を!!

……ねぇテツ君、わし、昔、何専攻してたかわかる?電・子・工・学!!元の世界じゃさぁ、『新進気鋭の~』とか、ちょっとは皆に色々言われてたんだよ。だけどさぁ、もうね、何の役にも立たないよ、今のここじゃ!飛べない鳥だよ。だからダチョウ男!ホントに『あいつ』は皮肉なやつさ。

……だったらペンギンの方が良かったんだけどね!ハハハハハ!!

 まぁね、それでもさ、リケー的ロジカルシンキングでヴィレッジのプロブレムをどんどんソリューションしちゃおうって、頑張った時期もあったけどね。今ではバルクス君みたいな実務家がいっぱいいるし。そういう意味ではやること無くなっちゃったの、わし。

……だから、死ぬ前にもう一度、あの『遺構』を……」

(この老人は……あれと戦っているのか……)

「で?君はいったい何と戦っているのかな?」

 山を見上げていたテツジは、弾かれるように視線を目の前の長老に戻した。テツジを見る、何もかも見透かしたような長老のまなざし。

「バルクス君の言う通り、君は実に前途有望な若者だ。だが、まだまだ彼の人を見る目も詰めが甘い……まぁ仕方なかろうね、彼の仕事は忙しい。わしのような暇人ではないからな。『新入り』は村の宝だが、逆に脅威にもなりうる。どんな人間なのかは知っておかなければならない、仮にも長老としてね。君がこの村中を調べて歩いてまわっているところを遠くから見せてもらっていたのさ。この目立つ体だ、隠れるのは大変だったが、幸いわしに宿っているのはダチョウの力、視力なら相当のものだ。少々離れていても表情がよく見える。そのわしの目でみたところでは。

……今の君は何かに迷っている。このままでは少々危ういな。

 若者だ、戦うのは、おおいにけっこう。ただし相手を間違えてはいかんよ。

 オーリィちゃん、一度彼の話、よく聞いてあげてね。君を彼の『お隣さん』に選んだのは単なる順番だったけど、今回はくじ運が良かった。彼に対しては……

 君が多分、村一番だよ……村一番の『美人』の君がね。

……帽子ちょ~~~うだい!じゃぁね~~~~~~~~、お二人さん!!」

 立ち上がった長老は、その長大な歩幅のゆえに、ゆっくりした足取りのまま、あっという間に二人の視界から消えた。

 いったい何と戦っているのか。テツジの中に浮かぶその「相手」、それは「一人」ではない。ただしはっきりとわかることがある。

 長老には、敗北した。彼の心は敗者として、長老の言葉に従わざるを得ない。

「オーリィさん……」ややあって、テツジが言った。

「申し訳ありません、今日は、市の見学は行きたくなくなりました。その代わり、帰りに俺の話を聞いていただけませんか?」

「……わかりました、そういたしましょうね。では、少しお待ちになって……」

 オーリィは、何も言わずに店じまいを始めた。(続)

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