4:「市場にて」~開店口上~
二人が着いた時はすでに、「村」の市場は賑わいを見せ始めていた。
「あちらは『常設市』。毎日市で御商売されている方のお店がある区画ですの。あちらも後ほど御案内いたしますが、わたしは『水の日』だけの商売ですので。向こう側の『臨時市』のための広場にまいりましょう」
常設の市は屋根や売り台を備え、店の体裁が整っているが、臨時市は杭と縄で仕切られただけの、全くのただの広場だった。
「まずは市の利用料をこちらの受付さんに……おはようございます」
「おはよう、オーリィ。今朝はちょいと遅かったね、常連さんがお待ちかねだ。場所はどうする?今開いてるのはこことか、この辺とか?」
受付といっても、簡単な日よけの屋根の下にムシロのようなものが敷いてあるだけ。男が一人、敷地図のようなものを手にオーリィと打ち合わせ始めた。
「今日はできましたら、いつもより広めのところをお借りできますでしょうか?後ほどこちらの方に市を御案内したいと思いまして。お待ちいただける場所が欲しいのですけれど……」
「?……ああそうか、例の新入りさんだね?話は聞いてたよ。そうかい、今は君がねぇ……『お隣さん』というわけか……あのオーリィがねぇ……頑張りなよ。よし!今22と23の並びが空いてるから。特別に一軒分の料金で貸してあげよう。なぁに遠慮はいらない、新入りさんのためとあっちゃぁな。じゃ、ハイこれ」
受付係から彼が使っているのと同じような巻いた敷物を2枚受け取ると、オーリィはガラス玉のようなものを2つ、代わりに彼に手渡した。一つは小さく、一つは大きい。
(利用料を払う、と言っていた。つまりあのガラス玉がこの村の通貨なのか。俺もうかつだった、初めて見たぞ、この世界のカネを。自給自足の物々交換でもおかしくないレベルの生活だが、貨幣経済の制度はまがりなりにもあるということだ。こうして『市』があるんだからな。そしてカネが、富があれば、人の欲もまた大きくなる。いいぞ、俺が知りたかったのはこういう生々しい情報だ。
俺は楽園なんてものは信じない……!)
「ありがとうございます。ではまた……さぁテツジさん、今日の私たちのお店はこちらですわ」
縄で区切られた二つの区画。丁寧に掃き清められているようだが、本当にただの地面に過ぎない。そこにオーリィが先ほど受け取った敷物を敷き、片側の区画に蛙の入ったタライを置く。店開きといっても、それだけ。
「二軒貸していただけて助かりましたわ。そちらの空いている方にお座りになって。これならゆったりお待ちいただけますね、テツジさん」
「いろいろありがとうございます。ところで、あの『利用料』ですが、高いのか安いのか……俺にはまるで見当がつきませんが」
(少々まずい切り出し方だが、この世界の「カネ」について聞くなら今だ)
「そうですわね、ええと……私たちが村で使っているお金、この玉がそうなんですけど。川のきれいな砂を焼き固めて作ったものです。大きいのと中くらいなのと小さいのがあって、簡単に大粒・中粒・小粒と呼んでいます。もちろん大きい程値打ちがあります。先ほどお支払いしたのは大粒と小粒一つづつ。
実は大粒は大金なんです。あれ一つで一月分の暮らしが賄えるくらいの」
「……!?この地面を借りるのに、毎回それを払うんですか?」
「そう。でもね、店じまいしてこの敷物を受付さんに返すと、大粒の方は返していただけますの。ですから実のところ利用料は毎回小粒1つ。逆にこれはとてもお安いんですのよ。子供のおやつ1回分くらい、ですかしら?」
(デポジット……ずいぶん近代的なやり方だ、驚いたぞ)
「これは、長老様が昔お取り入れになられた仕組みなんだそうです。なんでも、
『ただの地面だからさ、それこそタダでもいいくらいなんだけど……でもそれだと、ワガママな使い方する店主さんが必ず来ちゃうから。みんなの楽しいお買い物広場でしょ?だからお店を出す人にはきちんと責任を持ってもらいたかったのよね。何事も無く無事に気持ちよくショーバイしてくれたら、大粒は返却。……何かしでかしてくれちゃったら、罰として即没収!まぁね、この村の人はみんな気持ちいい人ばっかりだし、大丈夫だと思うんだけど、いちおう、ね。そ言っとけばさ、気持ちが引き締まるから。ちなみに小粒は受付さんとかお掃除の人のお手間賃。この位はみんなからもらってもいいかな~って!』
……だそうですの。長老様、最初にお会いになって驚かれたでしょう?いつもああやっておどけていらっしゃって。でもね、本当に頭のいい方なの。あの方が来てから、この村はいろんなことが随分進んで良くなったって、古くここに住んでらっしゃる方はみなさんそう言ってますのよ」
(あの長老が、か。なるほど道理で……あの時のあの目つき!道化の昼行灯はポーズということか。食えないヤツだ。だが、それならむしろ付き合い方がある!
俺は「ただの善人」なんて間抜けが、この世にいるとは思ってない……!)
テツジの胸の中に沈殿する、ある思い。だが、彼のその思いはそこで途切れた。オーリィがやおら立ち上がったからだ。
「さあ、市場見物のはじめに!私の商売を、売り口上をご覧になって!
……La-ah,lalala,Hah-ah……!」
歌だった。この世界で、テツジが初めて耳にした、音楽。
〈Lalalalalala,Lah-ah,Hah-ah-ah-ah……
市場に お集まりの 皆様方
『蛙売りのオーリィでございます!ご機嫌麗しゅう!』
今朝捕り立ての蛙は いかがでございましょう?
赤青黄色に緑色 つや良し活き良し味も良し
黒に灰色茶色にまだら 太ったガマもございます
ご覧あそばせ ご覧あそばせ
市場に お立ちよりの お客様方
『お買い物をお楽しみですか?こちらもどうぞ!』
素敵なお店がたくさん 並んでおりますよ
右のお隣は虫屋さん バッタがとても美味しそう
左のお隣は花屋さん 可愛い野菊が待ってます
ご覧あそばせ ご覧あそばせ
そして私の 自慢の蛙も
ご覧あそばせ ご覧あそばせ
Lalalalalala,Hah-ah,la-ah……〉
市場を包む朝の空気そのままに澄み切った、オーリィの歌声。それはテツジのようなかたくなな男の気持ちをも、優しく揺るがした。聞き惚れていた。
(なんて声だ……上手い……それに!)
やや自分を取り戻すと、思わず左右を見渡す。
(確かに、虫と花の店がある。ここに来るまでこの女も知らなかったはず、即興なのか!本当になんて女だ。
俺はまだ、あの女に気を許すわけにはいかない……)
テツジの胸の内のつぶやき。気を許せないはずのその相手、その美しい歌声に思わず好意に傾きかけた心の天秤を、強いて戻そうとしているようであった。
その時。
「オーリィ!!」
テツジの頭上から声がした。目の前に、市場の区画の大きな区切りと思われる立ち木が一本。その樹上高くから声がしたかと思う間もなく。
女が一人、目の前に飛び降りて来た。(続)
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