2:「新居」

 彼、テツジがこの「村」に来てからというもの。その女、「蛇と虫の眼の」オーリィは、絶えず彼の身の回りに入り込み、なにくれとなく世話を焼いた。

 そう、正にいたれりつくせり……最初の日にしてからがそうだった。

「長老様のおっしゃった通り、新しくこの村に来た方の当座のお世話は、空き家の隣に住む者がさせていただくのがしきたりですの。回り持ちで公平に当たる役ですし、何かと入用なお支度金なども私が村から預かっていますから、どうか御遠慮なさらずに。何でも気楽におっしゃってくださいね。ただ……」

 長老の家から、彼が住むことになるという空き家に案内される道すがら。そこで彼女はクスリと笑ってこう言った。

「何でも、と申し上げましたけれど、この村は本当に……ホントに何にも無い村ですから。来たばかりの方には随分御不便でしょうし、御退屈だと思います。それはどうかお飲み込みくださいましね。出来る限りのことは、私がさせていただきますから。

 さぁ着きましたよ、こちらがあなたのお住まい、隣のそちらが私の家ですわ」

 木の柱に、土と石で塗り固めた壁、草で葺いた屋根。猫の額のような狭い庭、それぞれ石積みの塀で仕切られている。どちらも同じような家……いや、ここまでの道のりで見たどの家もこれと大して変らない。この村の家屋の標準的佇まい、というより、これ以上の住まいはこの村には無いのだろう。そして一つ、奇妙なことにテツジは気付いた。

(どの家も、二軒で一組になっている……それに空き家が多い。見たところ、大体は片方が空き家だ。なぜこんな無駄なことになっているんだ?災害?疫病か?)

案内されたその家も、片方は立っているだけのからっぽで、そこに住めということらしい。ただ、女の家の方は流石に生活感があった。庭には草花が植えられ、物干し台にはわずかばかりの干し物がぶらさがっている。

「まず私の家においでくださいな。お茶などお入れしますから、狭いところですがどうかおくつろぎになってね」

 粗末だったが、よく整頓され清潔な住まいだった。窓(といっても壁に四角い穴が開いているだけだが。すぐ傍に立てかけられた木の板が、戸締りの蓋なのだろう)の日よけのために下げられた荒い織物のタペストリーには、素朴な絵柄の花の刺繍。

(なるほど、こういうところは流石に女の住まいだな……いやしかし?一人暮らしなのか?)

 無防備過ぎはしないか?彼が思ったのはそこだ。

(俺のような見ず知らずの素性もわからないよそ者の男を、女一人、拘束も、他に警護も無しに連れまわして、女一人の家に上がりこませる……どういうことだ?)

 本物の好意なのか?単にうかつなのか?あるいは。

(今のままでは俺はこの『村』に逆らいようもない。それを計算ずくなのか、だな)

「さぁ、お茶が入りましたよ」

 土間から彼女が戻ってきた。

「お茶と申しましても、この村には本物のお茶はございませんので。香りのよい草を干して煮出したものですけれど……ハーブティーとでも言えばよろしいかしら?お口に合いますかどうか」

 確かに、彼はのどの渇きを覚えてはいた。身の上の変化に緊張の連続であったから。彼に差し出されたカップの中から立つ嗅いだことの無い、しかし香ばしくどこか甘い香り。それは心地よい誘惑だった。だが、同じポットで淹れられた同じ「茶」を、彼女が先に口にしてから自分も飲む、それだけの用心は忘れなかった。

「あとこれはお茶請け、干した果物ですの。こんなものしかお出しできませんけれど、どうぞしばらくごゆっくり。その間ちょっと私は失礼させていただいて……あなたのお宅のお掃除をしてまいりますわ。しばらく誰も住んでいなかったので片付いてはいるんですけど、ホコリが大分。空気の入れ替えもしませんとね」

 片手に羽箒、片手に水と雑巾の入った手桶。まめまめしく出て行く彼女の背中を、彼はしかし唖然としながら見送った。

(俺を一人で、自分の家に残すだと?いくらすぐ隣とはいえ、無用心にも程がある。何を考えているんだあの女?いやそもそも……この『しきたり』が妙だ。なるほど、新入りの世話係なり、教育係は必要だろうが、俺だったら専門の者を決めておく。『周りもちで公平に』だと?まさか、どの家も二軒のうち片方が空き家なのはそのためか?だとしたらますます意味がわからん、無駄が過ぎる……いやあるいは、あの女の言葉がでたらめなのかも知れんがな。俺のような男の世話を一人で任せられるとは、おっとりしているが、ああ見えて抜け目の無いやつなのかも。焦る必要は無い、だが警戒しておけ)

テツジの限りの無い猜疑。彼は自分以外の誰も信用していないのだった。

それは何ゆえにか……

 その時。

「いよう!オーリィちゃんいるかい?……ん?新入りさんだけか?あのコは?」

一人の男が、女の家の戸口に姿を現した。

「あ……いや彼女なら……隣で掃除をすると言って……」

「そっか、なるほどな。いやスマンスマン、急に声を掛けて驚かしちまったか?でもオレの顔は、つーかコイツには見覚えあンだろ?」

 入ってきたその男に、テツジは見覚えがあった。いや、見忘れるはずもない、彼が振り上げた左腕の大きなハサミ。彼を山から村に連れてきた「助役」の一人、あのザリガニ男だった。

「テツジ、だったな?オレは『ぶきっちょバサミのメネフ』、助役連中じゃ一番の若造っつーか、下っぱの便利屋さ、よろしくな。んで本職は服の仕立屋。ハハハハハ!

……悪ィ冗談だろ?神様だかなんだかわからねぇが、オレをこの村に寄越したやつはさ。前の世界でもオレは仕立屋だったんだが、だからってだ!こんなハサミじゃぁかえって不便で仕方無ぇだろーがよ!ま、左手だけでどうにか助かったけどな。

 今からお前さんの、服をあつらえる。まずは採寸し来たんだ」

 懐から取り出したのは細縄と墨のかけらのようなもの。それを棒立ちのままのテツジの体にあてがいながら、印を付けていく。

「まず身丈、それから肩幅に、股下っと。しかしデカイ!!キングサイズのさらに5割増しってとこか……

 いやな、お前さんを『門の広場』に拾いに行く時にな、いくらか服は用意してあったんだよ。生まれ変わってくるヤツはみんな裸だから、すぐ着せてやれるように。だけどもよ、こんなにデカイ体のヤツだとはさぁ?思わなかったのさ」

 そう、結局あの時テツジはほとんど裸のまま山を降りた。流石に腰巻のようなものだけは巻かれたのだが、村の手前までは道中それだけ。

「コレがな、用意した服だ!ハハハ!小さすぎて腰巻にしか使えなかったんだ」

そしていよいよ村に入るというところで一行は小休止。この男一人が先に足早に村に入ると、どこからか毛布を2,3枚調達して戻り、テツジの体にそれをマントのように覆い被せたのだった。そして今もテツジはその時の姿のまま。

「村には女もいるし、腰巻だけってのはちょいと、な。だがそのままのカッコで済ねぇ、みっともない思いをさせちまった。第一寒かっただろ?大丈夫か?」

 この男もまた、いたって親切でくだけた口調だった。しかしそれを、テツジは素直には受け取らない。

(かえって気味が悪い。いったい何を考えてるんだ、こいつも……)

「でな、お前さん達がさっき役場を出る前に、オーリィちゃんに頼まれたんだよ。

『これからお住まいにご案内するのですけど、お召し物が無いと……あのお姿でそれ以上あちこちお連れするのはお気の毒ですから。メネフさん、どうかお仕立てに来ていただけませんか?』

……てさ!あのコにそう言われちゃ、こちとら是非も無ぇよ。いいかお前?」

 と、そこで。仕立屋はいっそうほほを緩ませ、ニヤけた口調でこう続けた。

「今の境遇をお前がどう思ってるのかわからんが、一つだけ、大ラッキーなことがあるんだぜ。それはな、あのオーリィちゃんが『お隣さん』だってことだ!なんたってあの通り、礼儀正しくおしとやか、それでいて変に気取ったところが無ぇ。気立てがよくって優しくてよく気がついて、おまけにだ。

……この村一番の器量よしと来たもんだ!!な?お前がこの村で暮らしてくつもりなら、こいつは大チャンスだ。他の男に取られて後悔する前に、今からちゃんと、あのコにアタックしとけよ?」

【村一番の美女】というその言葉を聞いたのは、それが初めてだった。

 その時テツジの心に浮かんだのは、形を成さないモヤリとした不快感。

 ただ、それをあらわにするほど、彼は不用意ではなかった。

「お待たせいたしました、一通り掃除も終わりましたので……隣へどうぞ」

「おっとちょうどいい、採寸も終わったし、新居を見に行きな!オーリィちゃん、あとでまたコイツの服を届けにくるから。じゃぁな!」

 帰ってきたオーリィの言葉を助け舟に、テツジはさりげなく仕立屋の傍を離れた。彼の固くなった表情は、どうやら悟られることはなかったようだ。

「いかがです?フフ、といっても、何にもございませんわね。家具やいろんなお道具は少しづつ御用意いたしますけれど、ひとまず今晩ゆっくりお休みになれますように、床の敷物と寝具だけはなんとか今日中に手配いたしますわ。それからお食事ですけど、それはしばらくの間は私の家で御一緒に」

 今は空っぽの、彼の「新居」。それは安住の地なのか?それとも。

(牢獄なのか、だな……!しかしこの場は……こう言っておくしかない)

「ありがとう、お世話になります」(続)

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