第6話
翌日、土曜日のけつねうどんはひどく忙しかった。
昼の休憩に入ろうとする3時すぐ手前、練習試合に訪れていた他校の相撲部員6人がやってきた。断ることもできたが、斎藤部長がキツネお面の奥で一瞬考える表情をして席に案内した。このところの売上の悪さの中、みるからに食欲の旺盛な相撲部員を逃す手はないと考えたのだろう。しかしこの見立ては甘かった。
「ッニシマショ!?(なんにしましょう?)」
「かけうどん」
「ざる、大盛りで」
「あ、おれも大盛りにしてください」
「かきあげ、大盛り」
ここまでは問題ない。全員大盛りどころか、大食いなら一人で大盛り2杯というのは珍しくない注文だ。まったくもって想定ないと言える。しかしその後不敵な笑みとともに一人の相撲部員が言葉を発した。
「…極冷かけ、大盛りいけますか?」
「なにそれ、おれも」「おれもやっぱりそれで」「えー、じゃあおれも」
注文をとっていた1年の篠田だけでなく、店内にいる部員全員に緊張が走る。冷かけはその名の通り冷たいかけうどんである。よく氷で締めたうどんに冷たいつゆをそっとかける。具はなく、ネギと生姜を添える程度。シンプルながらも奥の深いうどんだ。極冷かけはけつねうどんオリジナルメニューのひとつで、いわゆるイロモノメニュー。通常の冷かけはつめたいつゆをかけるところ、極冷かけは凍ったつゆをかける。濃いめに煮立てたつゆをゆっくりと凍らせる。これを手回しのかき氷機で砕き、うどんにかけていく。店内には手回しのかき氷機しかなく、一杯分をつゆをすばやくかき氷状にするのは重労働だ。うどんについても通常より温度を下げることが求められるため、うどんの2-3倍の量の氷を用いて一気に締める。季節は夏に近づいているとはいえ、手に応える作業である。それが4杯、過酷というほかない。
「ッギワッ!?(お次の方はなんにしましょう?)」
「…麻婆うどん、大盛り」
まずい、完全にイロモノメニューをたのむ流れにハマってしまった。篠田の顔が青ざめていく。それはおれたち部員にはキツネお面ごしにもわかることだ。麻婆うどんは名前のままだが、麻婆豆腐のうどん版である。注意してほしいのは麻婆丼のうどん版ではないことだ。麻婆丼というのは麻婆豆腐や麻婆茄子などを白ごはんにかけることで、辛さを和らげながら食べるものになっている。しかしけつねうどんの麻婆うどんはそうではない。唐辛子、豆板醤を大量に投入し、最後に豆腐をいれるかわりにうどんをいれる。当然そこからしっかりと炒めることになるため、このうどんはある種の焼きうどんといえる。途中に注ぐ中華スープや水分のかわりにうどんつゆを使うことで、うどんと麻婆、異なる文化をシームレスに繋いでいる。
けつねうどんに妥協はない。イロモノメニューだからといって中途半端にそれっぽいものを作ることはない。いくつもの中華料理屋をめぐり、ここはというところで教えを請うた。はじめは中国人店主に追い返されたが、何度もしつこく通い、「ツァーシィーハオハオツィー!!ウォーメンマーボゥウードン!!」と極めて怪しい中国語で懇願を続けた。うどん部の頼みに折れた店主のホァンはおれたちを厨房に招き入れ、そのテクニックを授けてくれた。言葉は通じなかったが、心は通じ合った。そうしてできた麻婆うどんはイロモノながらもけつねの自慢のメニューだが、その手間はふつうのうどんの比ではない。
メインの中華鍋でじっくりと唐辛子、にんにく、生姜の風味を油に引き出しながら、肉味噌をフライパンで作りネギを刻む。メインの中華鍋を焦がさず、そして最高の状態に高まったタイミングを逃さないよう、一瞬たりとも気を抜かずに見守らねばならない。時計に頼るな、その目と耳、鼻、そして舌でタイミングを確かめろ、言葉はわからなかったがホァンは確かにそう言っていた。豆板醤、一味唐辛子を鍋にいれると辛味成分が一気に吹き出し、キツネお面越しでもウッとくる。通常、湯気とだしの香りになれているうどん部員にとっては強い刺激だ。最後に茹で上がったうどんをいれて一気に強火で水分を飛ばしていく。鍋や皿の洗い物も含めて、うどん屋にとってはコストの高い代物だ。
「…ッチラワッ!?(そちらのお方は?)」
「アフタヌーンうどん、デラックスでおねがいします」
最後の相撲部員から発せられたその注文に、キツネお面越しでも篠田がハラハラと涙を流しているのがおれにはわかった。アフタヌーンうどん、けつねうどんにおけるもっとも独創性の高いうどんといっていいだろう。このメニューは近年女性を中心に流行しているアフタヌーンティーをヒントに作られた。アフタヌーンティーとはおもにホテルのラウンジなどで供されており、3段重ねのスタンドに軽食やデザートが盛られ、紅茶を飲みながら楽しむものだ。
春に行われた女性客を呼び込むための新メニュー考案会、4人きょうだいの末っ子で全員が姉という恵まれた環境で育ってきた牧野の提案に、女心や流行がわからない部員一同は度肝を抜かれ、全会一致でアフタヌーンうどんの採択が決まった。
このメニューは3段のスタンドに小皿で多種のうどんが盛られているものだ。スタンドや皿にもこだわり、全てロココ調で統一されているが、実のところ牧野がそう言っていただけで他の部員はどこらへんがロココなのかまるで理解していなかったし、本当にロココなのかもわかっていなかった。
上段にはざるうどんが麺、つゆ、薬味それぞれロココ調の小鉢に盛られ、箸休めの漬物が並ぶ。中段にはしっぽく、月見、カレーうどんと温かく食べごたえのあるうどんがそれぞれミニサイズで供される。そして下段には、かきあげ、わかめ、天ぷらうどんと定番うどん。さらに店名にも関しているきつねうどんはスタンドとは別に通常の1杯分が脇に並ぶ。このきつねうどんをスコーンのように食べながら、スタンドに並ぶ各種うどんを食べていくのがアフタヌーンうどんの趣である。
それだけではない。このメニューを頼んだは、普段のけつねうどんの「オマチッ!!」ではなく、執事風の服に身を包んだ部員(といってもキツネお面は外さない)によって、「お待たせいたしました」と品よくサーブされ、必要に応じてきつねうどんのつゆを足しに現れる。発案者である牧野がもっぱらこの役を買っており、注文の様子を見るや更衣室に向かっていった。
ちなみにこのメニュー、若い女性をターゲットにしたメニューだったが、頼むのはもっぱらたまに訪れるうどんマニアと思しき客、バシャバシャと写真を取る割にはインスタ映えというにはイメージに合わないどことなく地味な男性にしか頼まれていなかった。
通常の大食い6人客程度であれば、日々練習を重ね、チームワークに磨きをかけているおれたちうどん部にとっては問題にならないことなのだが、この怒涛のイロモノ注文ラッシュとなるとそうはいかないはずだ。
斎藤部長はここは任せろと言わんばかりに腕をまくり、麻婆うどんの準備を始めた。厨房でなにから手を付けてよいかとオロオロしている1年の讃岐の肩を香川先輩がぽんと叩き、無言で頷くことで「おまえならできる」と伝えてアフタヌーンうどんのための具材準備の指示をだしていく。おれは放心状態に陥っている篠田にどんぶりを準備させながら、うどんを湯に投入していく。
チャッチャの本質は、チャッチャそれ自体の技量ではない。それは店内全体の注文と調理の進行状況を見通し、うどんが必要になるタイミングを予測、最適なタイミングでうどんを投入していくことだ。まずは極冷かけ、かき氷が準備できるタイミングを見込んで茹で始める。店内の慌ただしさに翻弄されることなく、冷静に麻婆、アフタヌーンの進捗を見極め、さらにうどんを投入していく。
そろそろ極冷かけの麺をあげようかという時、おれはミスに気づいた。篠田のかき氷が間に合っていないのだ。いつものペースが維持できていればいけるはずだが、本来の休憩時間を割り込んでいるし、大盛り4杯分の氷でスタミナがきれている。どうする?助けに入るか?しかしおれだって余裕があるわけではない。味に妥協はできない。チャッチャのタイミングを誤って中途半端なものを出すぐらいなら、捨ててイチから作り直せ。それがけつねうどんの価値観だ。
迷っているところに優雅な動きで執事服を来た牧野が帰ってきた。アフタヌーンうどんの雰囲気を壊さないよう、あくまでキリッとした姿勢を保ちつつ、篠田をそっと休憩室に促し、自らは背筋をピンと伸ばしたまま高速でかき氷機を回していく。篠田が休憩室のドアを開けると同時に倒れていくのが見えた、よくやった、あとは任せろ。そしてありがとう牧野。やはり次の部長はおれじゃなくお前だ。クラスではおれと同様モブらしいが、おれはお前がヒーローだということを知っているよ。
しかしおれだって負けてはいられない。茹での様子を見極めつつ、篠田が抜けた分、極冷かけを「オマチッ!!」と供していく。つづけてアフタヌーンうどんの麺をチャッチャし、ロココ調小鉢に適量盛っていく。うどんを小鉢にバランス良く盛るのは意外と難しい。うどんというのは一本一本がそれなりにボリュームをもっているため、米のように小刻みなコントロールは聞かないのだ。しかし牧野が考案したはじめてのメニューだ、中途半端なものを作って恥をかかせるわけにはいかない。おれは素早く、しかし慎重にとりわけてアフタヌーンの準備を終えて香川先輩と讃岐にパスしていく。
さっきまで涙目でオロオロしていた讃岐も、落ち着きを取り戻してテキパキと準備を済ませている。香川先輩はこの状況に似合わないほどの落ち着きで、腕を組んで讃岐の作業を眺めている。決して指示出しでサボっているわけではないことは当然わかる。猪突猛進の斎藤部長と違い、後輩たちを導き、任せ、成長させるのが香川先輩のスタイルなのだ。そのことはもちろん卓越したうどん技術があってこそのものなのは言うまでもない。人数の少ないうどん部だが、斎藤部長、香川先輩というこの偉大な2人が支えているからこそ成り立っていると言っていい。
ボウッと厨房の一角で炎が上がる。斎藤部長だ。部長はうどんの天才だ。中学生の頃から一人で電車を乗り継ぎ各地のうどんを食べ歩いていたのだという。その情熱はとどまることを知らず、うどんの枠をこえた様々な料理に着目し、貪欲に自身のうどんに取り入れていく。そのうどんには一切の妥協がなく、麻婆うどんの工程は本場の中華料理屋にも引けを取らないだろう。おれがふだんよりもよくチャッチャをして水気をとばしたうどんを渡すと、さらに火を強め、炎を操りながら仕上げにかかっていく。鍋を大きく振り、具材が中を舞うが、1ミリたりとも鍋の外に漏れることはない。キツネお面越しの斎藤の顔を汗がつたうのがわかる。できあがったうどんを皿に盛り、これでもかと花椒を振る。おれが皿を受け取ろうとすると、手で遮り、自らの手で席まで持っていった。
「ヘィオマチッ!!!!!!!!!!!!!!!」
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この記事はSpreadsheets/Excel Advent Calendar 2019の13日目の記事、ということでいいのか?さすがにちょっとどうかと思っています。ついうっかり筆が乗ってしまってなかなかExcelがでてくるシーンに入れない。
どうかと思うので、あと空いている5日間、後生だから登録いただきたい。おねがいしますおねがいします。
https://adventar.org/calendars/4085
ちなみに昨日はkamoさんの「【セル内改行 ダブルクォーテーション対応】ExcelVBAのCSV読み込み方法7つ」でした。わかるー。CSV読み込んだら何かと勝手な変換されて困るのわかるー。そしてそれを解消するこだわりすごすぎるー。
https://kamocyc.hatenablog.com/entry/2019/12/12/071856
明日はikatakeさんのVBAでハマった事の昔話だそうです。たのしみですね。
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