わらの家(エッセイ・ノンフィクション)

 僕は実家を恥ずかしく思っていた。中学二年生までの話である。




 僕は自然豊かな田舎に生まれ育った。夏には緑色の絨毯が田んぼを埋め、秋には紅葉に色づいた山が空の一角に映える。そんな地域だ。




 そのような地域だったから、小学生の頃は十二人しか同級生の男子がおらず、人数の少なさのためか僕らは比較的仲良く遊んだ。


 休日や放課後にはよく互いの家にお邪魔し合い、僕もたびたび自宅に友達を招き、ゲームなどに興じたものだった。




 小学生の頃はそうして悩みなく過ごしたのだが、中学生のとある段階で僕は自宅に引け目を感じ、コンプレックスに思うようになった。


 実家が貧乏だった、という話では決してない。(少なくとも、衣食住に困ることはなかった。貧窮とも遠かった)


 コンプレックスは家の内部ではなく、外観に起因していた。




 築百年。わらぶき屋根。


 戦前よりあった古屋。他の家とは明らかに外装の違う自宅。


 その古い実家が、思春期の僕のコンプレックスだった。


 周囲とは明確に異なる様式の自宅が、当時の僕を赤面させる要因となっていた。




 印象的なエピソードが、一つある。中学校に進学し、半年ほど経った頃である。


 別の小学校の同級生とも徐々に友人関係を築いていた最中、とある女子が僕に話しかけてきた。


 その女子は良く笑う子で、裏表のなさが皆に好かれていた。


 細部までは記憶していないが、取り留めのないことを話し、自然と話題が家のことへと転じていったのを覚えている。




 明るく、無邪気な女子の質問。「ねえねえ、徳田くん家って、どんな感じなの?」




 その時の僕はまだコンプレックスを抱く前だった。


 そのため、ああ、と気軽に答えようとしたのだが、なぜか答えたのは途中から会話に参加していた男子だった。男子は言った。




「ああ、徳田の家、あそこにある、かやぶきの家だよ」




 そうして、次に女子が発した言葉に、僕は誇張でなく顔が燃えるような感覚を覚えた。




「え、あの『わらの家』!? すごーい、珍しい家だねー!」




 当事者でなければ、共感はし難いかも知れない。


 しかし、その『わらの家』というフレーズは僕を確かに凍らせ、苦しくさせたのだ。


 前までは意識もしていなかった、自宅と他家との差異が女子のフレーズによって理解できたようで、僕は曖昧に言葉を濁し、その場を去った。


 童話的な、しかし僕にとっては残酷な『わらの家』という例えに一言も返すことはできず、住み慣れた自宅はその日からコンプレックスと化した。




 友達を自宅に招くこともなくなり、自宅に関する会話を避けるようになった。コンプレックスは中二の夏まで続き、一年ほど、僕を苦しめ続けたのだ。




(後日、件の女子が「徳田くん家、見たよ! 本当にわらなんだね!」と追い討ちをかけてきたのだが、それはまた別の話である)




 そのコンプレックスが中二の秋頃に消失したのは、簡単な理由だった。家が建て替えられたのである。




 百年以上建ち続けた家は壊され、二階建ての新たな家が建った。


『わらの家』は欠片もなく消え去り、僕の引け目も同時に霧散していった。


 新築ではそれまでになかった個室が与えられ、僕と兄弟はとても喜んだ。


 新たな住居には家族の笑顔が溢れ、僕自身、非常に清々しい気持ちでいたのを覚えている。




 ただ、家が壊されたことに僕が何の感慨も抱かなかったのかと言えば、それは嘘になる。


 家の取り壊しを翌日に控えた日の夜。


 旧宅での最後の入浴を終えた僕は、何の気なしに居間へと向かった。


 一人きりの居間は真っ暗でガランとし、静寂に満ちていた。


 誰もいない、未経験の静かすぎる闇に、僕はしばらく一人で佇んでいた。




(…………。)




 家族の姿のない、部屋の形のみが残された居間。森閑とした部屋。


 その時、僕は強く思った。 


 家は、死ぬ。そのことを、僕はその瞬間に実感したのだ。




 家財道具が運ばれ、居間はすでに用をなさなくなっていた。


 そこには静謐と呼ぶにはあまりに寂しい空気が流れ、百年という時間の消失を感じさせた。


 僕が十数年を生きた家は役目を終え、死のうとしている。


 その死を、僕は夜陰のなかに一人、感じ取っていた。




(…………。)




 コンプレックスだった。存在が恥ずかしく、思春期の僕の傷となっていた。


 その家のなかでいつしか僕は涙を流し、唇を噛みしめていた。


 こみ上げた寂寥感に、涙が溢れて止まらなかった。




 あの独特な感情を、未だに僕は経験していない。


 ただ寂しくて、なぜか悔しくて、しばし声を殺して泣き続けた。


 新築を喜んだはずの僕はそこになく、別れることへの切なさだけがあった。


 最後の日の静けさを、僕は今でも忘れられずにいた。




 今でも、夢を見る。


 夢のなかの僕は今の家でなく『わらの家』で大切な人々と笑い合っている。


 僕にとっての実家は、未だに更新されていないようである。






 19/04/15 第167回 時空モノガタリ文学賞 【 実家 】最終選考

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