男前寝込み襲われ(コメディ)

 千太には大層な悩みがあった。夜な夜な、誰とも知れぬ「モノ」に寝込みを襲われるのである。




 千太は長屋に住む町人である。顔立ちが良く、細身で色白のため、江戸の女に非常に好かれる男だった。町を歩けば多数の秋波が飛び、ふと目を移せば、幾人かの倒れる音がする。まさに江戸随一の美男子と呼ぶに相応しい、女であれば誰もが惹かれるであろう男だった。




 男だった、が、千太にも難点があった。


 あまりに、自己愛が過ぎることであった。


 自身の端正さを自覚し、常に鏡を手放さぬ千太は他者を見下す癖があり、自分を常に最上に置いていた。ゆえに彼我の美を見比べるなど、日常茶飯事のことだった。




 庶民であり、自由が利く千太には女からの求愛が絶えず、これまでに複数の色恋を経験していた。


 だが、いざ深い仲になろうかという時、考えるのである。


 果たして、目の前の女はこの美しい俺に、見合う価値があるのだろうかと。




 そう思うと、いけなかった。


 世間では美女とされる女も取るに足らなくなり、恋情は冷め、交流は途絶した。


 万事そのような有様だったから、千太と関係した女の一部には陰で相当な恨みを持たれているという話もあったのだが、傲慢で不遜な千太の耳に届くことはなく、周囲の助言もどこ吹く風、千太は悠々と日々を過ごし、




 ――そして、寝込みを襲われる羽目になった。




 それは夜半、草木も眠る刻に訪れる。


 枕元に何者かの気配がし、千太が目を覚ます。戸の開閉はなく、無音のうちの出現だった。


 来訪に気づき、千太は身を起こそうとするも体は動かず、暗闇に上手く機能せぬ目は「モノ」を不明瞭に捉えるのみだった。




 モノは微かな息づかいを供して近づき、硬直する千太の寝巻きをめくる。


 そうして素肌を露わとし、あまつさえ肉体に、淫靡な手つきで触れるのである。




 千太は呻き声を漏らすも自由はきかず、体は蹂躙され、心をすり減らす。


 それが、日の昇る刻になるまで続く。


 入り口の封鎖にも意味はなく、モノは忽然と出現し、半ば不可抗力に眠る千太の肉体を好きにする。


 それが連夜のごとく続くとあっては、いかに傲岸の千太と言えども参ろうかというものだった。




 病を疑い、医者にもかかったが、モノは出現し、千太を無残に嬲り続けた。


 また長屋が原因かとも感じたが、越す金もなく、長屋以外に住む選択肢も見当たらなかった。




 そこで恥を忍び、幼馴染に相談したところ、こう、言葉を返された。


「それはお前、生霊という奴じゃないのかい」と。




「生霊? なんだい、そりゃ?」千太が聞くと、幼馴染が答える。




「ああ、よくは知らないが、懸想してる相手や恨みを持った相手に出る、化けの一種らしい。当人は生きてるが、思いだけが飛ぶ。そういう、類のようだねえ」




「……恨み? ……恨み、ねえ」




 そこで千太は急に神妙になり、ぽつりと言った。




「恨み、か。懸想なら分かるが、恨みねえ。とんと、覚えがねえなあ」




 すると幼馴染は苦い顔をし、静かにこう返した。




「……いや、恨みなんて、どこで買ってるか分からないもんだよ。お前さんに重い情のある女、案外、近くにいるかもねえ」




 ――そうして、結局は解決策もなく長屋へと戻った千太に、今日も再び夜は訪れる。


 その夜も半ば自然的に眠りに落ちたなかに気配は来訪し、心中にて、千太は雑言を叫んだ。


 ――また、今日もなのか!




 だが、その夜は違った。これまでにない、変化があった。


 そのことに目を開けた千太は気づき、違和の原因を探る。原因は、すぐに判明した。




(……部屋が、明るい? ……障子に、穴が開いてるのか?)




 千太の目に映る室内の光景は普段より明るさを増し、鮮明だった。


 その要因は入口付近にあり、障子に、昼間は気づかぬ小さな穴が開いていた。


 そこから月光が漏れ、室内を微かに照らしていたのだ。




 おそらくは、長屋の悪戯坊主のせいだろうと目星をつける。だが、千太には千載一遇の好機と言えた。


 穴を抜ける月光に、千太は感謝の念さえ覚えていた。




(……散々、苦しめてくれやがって。……その面、拝んでやるからな)




 モノは枕元から徐々に下に降り、寝巻きを剥ぐべく近づいてくる。


 千太が怒りと緊張に震えるなか、モノは屈み、月光の範囲内にその身を置きはじめた。


 千太は意識を集中し、伸びる手に構わず正体を見破らんとする。


 光量は識別に十分であり、モノの得体を知るに、事足りる月光だった。




(……さあ、来い! 知り合いなら、ただじゃおかねえ……!)




 千太の目がモノの顔を捉え、視線が交錯する。




 ――次いで起きたのは悲鳴であり、長屋の住人を叩き起こす絶叫だった。




 驚いた長屋の住人が三々五々駆けつけると、そこにいたのは泣き叫ぶ千太と、千太の顔を嬉しげに舐めまわす「もう一人の千太」であった。




 自分を愛するのも、大概にした方が良いという話である。






 18/06/24 第157回 時空モノガタリ文学賞 【 コメディ 】最終選考

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