空の箱(現代ドラマ)

 お母さん、と、


 幼い声が左耳から通り抜けた。




 俯けていた面を上げれば女児がピンクのスカートを翻して、


 短い脚を動かし、駆けているところだった。




 視線を向けるとそこには女児の親と思われる若い男女が待ち受けて、


 辿りついた小さな体を挟むように抱きとめ、出発ロビーへと歩いていった。


 ひどく、温もりのある速度に見えた。




 家族旅行、だろうか。


 あの温暖な南に、この時間なら向かうのだろうな。




 親子は雑踏へと紛れ、分明でなくなり、


 連休の午前の空港、人いきれにむせかえる空間の一部と化していく。




 仏頂面で携帯を見つめる背広の中年、


 喜色に満ちた家族らしき五人の集団、


 皺まみれの背の低い老婆、


 その老婆に手を握られた、ポロシャツの男。




 見送り用の広々としたホールには千差万別の姿が見られ、


 様々な人間がいるという、その事実が改めて思われる。


 表情の不等に、改めて気づかされた思いがする。 


 


 なんと、多種多様な人々のいることか。


 こんな現象は、人間だけではないか。


 なぜに、こんなにも違うものなのか。




 休日の空港には、実に様々な人間たちが溢れている。


 未来の旅情を想う、人々の香り立つ感情がもうもうと漂っている。




 ホールは騒がしく、喧しく、目眩のしそうなほどである。


 鮮やかな服が目交いを横切り、多数の靴が床を踏み歩くのを長椅子に座り、見ていた。




 広いとはいっても、世界に比すれば、狭小なホールである。


 その場所だけでも、人々の様相は異なっており、貧富はわりに歴然としていた。


 世界は広範に過ぎると感じ、愕然とする。


 人は他の動物より、幾分と付属品も多いように思われる。




 老婆を抱きしめる、よれたポロシャツの貧相な男。


 若い女を抱き寄せ、その横を過ぎる、裕福そうな壮年の男。


 彼らは息をすれば匂いも違い、物を食えば、あごの動きも違うのだろう。


 それも、当然のことである。人は個別である。遺伝子の頃から、その格差はなかば決められたものである。




 人にとって、生は平等でない。人には、差を決める要因が決定的に多すぎる。


 起伏は幸福より、不幸を呼ぶ要素であるように思う。


 やはり生きる限り、人が足並みを揃えるのは難しいのだろう。


 強烈な心情が胸を満たし、愉悦が湧きおこって渦を巻き、


 そのうちに搭乗を促すアナウンスが響いて、


 人々がホールから出発ロビーへと急ぐのを、静かな面持ちで眺めている。




 背広の中年、五人の家族、ポロシャツの男、それぞれが出立の準備に赴く。


 それを見送った後、エレベーターに乗り、屋上の展望デッキへ向かった。飛行機を、眺めるためである。




 展望デッキからの空は晴れていた。


 設けられた網の隙間を、風が爽快に通り抜けていた。




 カメラを持った三人の若い男が網に掴まるようにして機体を撮り、笑声を、青空の下に広げている。


 それを見ながら網へと近づけば、搭乗橋を受け入れる白い機体、着々と離陸の用意を行う飛行機が、真下に窺えた。




 表面の、滑らかな飛行機。艶やかな機体。


 中には、南へと向かう搭乗客がほどよく詰まり、


 様々に感情を抱え、狭苦しい座席に、着いているのだろう。




 背広の中年も、五人の家族も、


 ポロシャツの男も飛行機に乗りこみ、それぞれに臭気を発しているはずである。




 飛行機の内部は、世界の縮図と化している。


 諍いや妬みの元となる差異が、濃縮されてあの中にある。




 不幸と幸福が、貧者と富者が、世界と同様、背を違え、並び、


 座席のクラスの差が、その、不均衡を、示している。


 不均等は、生の持ち分であり、生は、不均衡に他ならない。


 均等は、死のみの特権である。


 人は、死ぬ瞬間のみ、等しい存在となるのである。




 カメラのシャッター音が空気を伝い、風に乗って、飛散する。


 音の元である彼らは明るく、飛行機への憧憬が、その面に現れている。




 彼らは、驚くものだろうか。




 あの飛行機が、空中で炎上し、


 南に着くことなく、胴体を散逸させることを知れば。


 搭乗客は、全てが息絶え、


 同等に人々は、海の藻屑へと化していく、そのことを、知れば。




 目の前の彼らは、ひどく驚き、ニュースは暫く、賑わいを見せるだろう。


 関心は、負の方向に向かうのだろうが、


 内実を想見すれば、ひどく可笑しくも思う。




 ごう、と風がデッキを流れる。


 談笑しつつ、三人組がデッキを離れていく。




 その背の傍で、想像は膨らむ。


 青い宙の中、白い棺は勇壮と飛び、赤く荼毘へと付されるだろう。


 炎の最中に格差はなく、同位の、白い骨のみが残るだろう。


 彼らは幸福に笑い合い、肩を組み、天へと飛翔する。


 死は平等に、他ならず、


 この世の意義は、あの世の有意となりえない。




 去っていった、彼らに死はどう映るものか。


 振り返るも、姿はすでに見えず、


 そのことを、聞くことは叶わない。


 強く、風が吹いた。






 15/01/26 第七十四回 時空モノガタリ文学賞 【 空港 】投稿

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る