死んだ勇気と生き続ける臆病(現代ドラマ)
――岩の上から、あるはずの存在が消えていた。初めから何もなかったら、そんな考えが浮かんだが、川の一角が、皆の顔が、僕を現実に引き留め続けていた。
ナナは泣いていた。サチは震えていた。コウジは無表情だった。僕は、僕はどんな顔をしていたのだろう。確かめたくとも自分で自分を窺うことは出来ず、脅える心で判断するしか、術はなかった。
僕らの乗る大きな岩の下、透き通る鳴美川の浅瀬。その一カ所に、落ちたばかりの……。
倒れそうになる体をコウジが支えてくれた。四人は黙って家に帰り、誰にも、何にも話すことなく、匂いのない日常を過ごし、そして、……発見されたユウスケは、事故死と判断された。警察が発表し、皆が、ユウスケの親でさえ、そう信じた。
それが違うことを、僕たちだけが知っていた。その場にいた影法師の僕たちだけが、黒く陰険な真相を胸に抱え続けていた。ユウスケは、事故死なんかじゃない。
――僕たちが、殺したようなものなんだ。
あの日、小学六年生の初夏。ユウスケの胸にどんな決意が芽生えていたのか、今となっては知る由もない。
半日授業でまるまる空いた午後。ユウスケは僕たちの元を訪れた。集合場所に使っていた廃屋はよく話題に出していた所だったから、ユウスケも目星がついたのだと思う。おずおずと近づいたユウスケは、一緒に遊びたい、と小さく申し出た。
その言葉に、僕たち四人、それぞれの表情に発露した共通の感情は、うっとうしい、だった。ユウスケは暗く、引っ込みがちな性格で、クラスに友達が一人もいない生徒だった。だから、後々付いてこられては困る、と僕たちは小声で話し合い、コウジが代表して断ったのだが、ユウスケの意志は珍しく固く、何度も乞うように頼み込んできた。
その姿勢に妙な空気が漂う中、僕は事態を改善させようと、一つの提案をした。その案は刺激に満ち、皆を満足させるものだった。了承を告げたときの、ユウスケの喜んだ表情が未だに忘れられない。あの笑顔が、今も僕の胸を悔悟の矢で痛めつけていた。
――ここから飛べば、仲間にしてやるよ。
コウジの言葉に、ユウスケは明らかに怖じけづいていた。背後の僕たちはニヤニヤと意地悪く笑み、成り行きを傍観者のように見守っていた。
僕たちは自転車で鳴美川に向かい、秘密の場所に、ユウスケを案内した。それは河原の上に鎮座している大きな岩であり、岩頭は、子供なら幾人かが乗ることのできる面積を誇っていた。岩の上から見る川は高く、怖がりのナナを筆頭に僕たちは身を乗り出すことさえできず、ましてや、飛んだことなどあるはずもなかった。
――私たちはみんな飛んでるのよ。意気地なしは、仲間に必要ないの。
サチが高慢に言い放ち、ユウスケの背中を軽く押した。背中を震わせたユウスケは振り向き、引きつった笑みを浮かべた。その臆病さは僕たちに一つの高揚をもたらし、悪意ある助長を促した。
『飛べ、飛べ、飛べ!』
今も耳に残る声。岩頭に、四人の声援を擬した罵声がこだましていた。優しいナナでさえ、小さく口を動かしていた。――僕たちは、ユウスケに諦めさせようと思っていただけだった。飛べず、尻もちをつくユウスケ。それを嘲り、嗜虐心を満たした後で、別れようと考えていただけだった。
陽光に輝いた眼鏡の縁。その奥の瞳は、僕たちに対する信頼と希望を湛えているように見えた。
僕は、声を出すことが出来なかった。ナナの、微かな悲鳴が聞こえた。姿勢を戻し、静かに、コマ送りのように沈んでいったユウスケの体。衝突音が、岩の上まで鈍く届いた。最初に動きだし、河原を見下ろしたコウジの震える手が、僕たちにすべてを悟らせた。鼓膜をつんざくサチの絶叫に押されるように、僕はふらふらと進み、そして、赤の混じった、穏やかな清流、その傍の、ざくろのような頭を……。
――クラス全体で出席した葬儀に、ナナの姿はなかった。サチの顔はあの日と同じく蒼白に固まり、コウジは、いつもと変わらぬ冷静さを保っているように見えた。
葬儀が終わり、クラスが先生の引率で帰宅の途に着こうとしていた時、弔問客の間から駆け寄る小さな姿があった。ユウスケのお母さんが、赤く充血した目の、悲しい微笑みで、僕たちを見据えた。
「みんな、ユウスケのためにありがとう。ユウスケも、きっと天国で喜んでいるわ」
――そう言われて、僕たちはどんな顔をすればよかったのだろう。どんな言葉を、返せばよかったのだろう。
――ユウスケを転落させたのは僕たちです。僕が、発案したのです――
間近にいた僕は、目を伏せただけだった。胸中で謝罪を繰り返し、口と心を閉ざしたまま、その場を去っただけだった。――苦痛と後悔は、成人した今もずっと僕を蝕み続けている。あの日から、僕たち四人は離れたままでいる。
14/03/17 第五十二回 時空モノガタリ文学賞【 勇気 】投稿
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