梨好き男と梨男(コメディ)

「上等な梨を食わせてやろう」と滑川が言うもんだから、これ幸いとばかりに車を飛ばしてヤツのアパートに向かった。




 駅から徒歩二十分。築五十年。家賃三万二千円。駐車場もなく野良猫がやたら住み着いているボロアパートなんてだれが行くかと普段なら断るところであるが、梨となれば話は別である。梨が好きなのである。「梨馬鹿の櫻井」と呼ばれていたのである。だから、行くのである。


 


 ふんふん鼻歌を歌うと時間経過も早いもの、あっという間に到着した。違反キップを切られる覚悟で車を路地へと停車し、アパートのドアを叩く。野良猫が足に擦り寄ってきた。うるさいと追っ払っていると、はい、という滑川の返事。カギは開いてるよ、とのこと。邪魔するぜ、と一言ニヒルにあいさつし、ノブを回す。立て付けが悪く、蹴り飛ばすようにドアをこじ開けると軽い穴が空いた。ケセラセラ、と自分を慰め、部屋へと入った。 




 室内には当然のごとく滑川。よう、と手を挙げている不精髭の長髪の男。部屋が汚い。使用済みティシュー、スナックの袋、ねずみの死骸、監禁された様子の女。まあ、驚くに値することは何もないとして、まず、問いただしたいことが一つあった。お前の頭、それどしたの? である。どしたの? と聞いた。すると、滑川はあっけらかんと答えた。




「ああ、なんか生えてきちゃった。食べてみたら、梨だったよ」




 座している滑川の瓜に似た頭部。その頂点から、天井にも届こうかという細い木が生えていた。




「梨好きだから神様がくれたんだ、きっと」




 自分で考えたナメリカワノカミなる神を一時信仰していたらしい滑川の言に神のごとき微笑みを返しながら、俺はその発生要因、原因について瞬時に思考した。だが答えは出ない。情報が何もないから当然だ。なのでとりあえず慌てた。あわあわと滑川に近寄り、大丈夫か、と手を震わせた。




 しかし、滑川は大したもの。何も動じた様子はなく、重くて大変さ、と筋違いの返答をするばかり。へえ、と俺は安心し、まあまあ、と滑川が勧めるダニだらけの座布団を吹っ飛ばし畳に座った。寝転んだ女が猿ぐつわの奥から呻いた。何日ここにいる? と聞くと五日目だ、と滑川は答えた。それは木の発生より前か、と尋ねようとしたが、棒を手にした滑川にその言葉は封じられた。




「これで梨を落としてくれ。僕がやってもいいんだが、視点のせいでなかなか難しい。君がやったほうが、充実感も足されていいんじゃないだろうか」




 梨もぎに充実感もへったくれもないが、と思いながら棒を受け取り木を揺すってやる。途端に滑川のくすくす笑い。なんだと目を向けるとくすぐったいらしく、身をよじるように腹を抱えている。葉ががさがさと音を立て、その一枚が女の太ももに落ちてきた。あら、風流。わびか、さびかしら。そんなことを考えている間に梨が一つ畳に落下した。その実は赤黒く、どう見ても俺が知っている梨とは違うようだった。疑問を呈すると、滑川は言った。




「いやあ、僕も始めは怪しんだのだが、食べてみると味は完全に梨なんだ。味が梨なら、見た目は関係ないだろう。日本で生まれた白人や黒人の魂が日本人なのと同じようなものだ」




 ふむ、そういうものか。得意げな滑川を前にその分身を検分する。肌ざわり、重さは完璧に梨のそれだった。しかも確かにその実は上等。俺ぐらいになると触っただけで梨の品質を判断することができるのだ。




 ずず、とよだれが口の端から漏れた。包丁を借りていいかしら、と聞くとなぜか女が返事をした。助けて、と言っているらしい。なんて素っ頓狂な返答。なのでシカトし放置してある包丁を手に取った。ねずみの糞がくっついていたがそれは些細なことであり、梨の魅力の前では取るに足らないことである。




 俺は梨を畳に据えると、果実に刃を入れた。なぜか滑川が低く呻吟した。理由を尋ねると、痛い気がするんだ、と答えた。




 四等分した実の一片を持ち、恐る恐る口へと運ぶ。歯でかみ切ると果肉から果汁があふれ出て、畳に何滴か染みを作った。咀嚼し、評論家然と吟味する。味はなんというか、その……、滑川の味がした。滑川の、腐った桃の缶詰みたいな匂いがそのまま梨に凝縮されていた。吐きだすのも何なので、そのまま味わい続けた。




 すると、不思議な現象が。なぜか、胸がキュンとしたのだ。顔が火照り、滑川の顔を見ることができなくなった。口内にたまる果汁がいちいち心を刺激し、甘く痛ませる。人生で初めての感覚だった。




(もしかして、これが恋なの)




 胸がドキドキと鼓動する。滑川の声が背筋を熱く震わせ、光景がすべてハッピーに包まれていた。初恋の味が梨なんて、なんて運命。梨を全て平らげると、俺は滑川にもじもじと言った。




「な、滑川君。また、ここに来てもいいかな。今度お弁当作ってくるね」




 滑川の唖然としたような顔。思わずくすぐられる母性本能。俺はキャー、と顔を押さえながらアパートを飛び出し、無事だった車に飛び乗った。




 それからというもの、寝ても覚めても滑川の事ばかり頭に浮かぶようになった。まず、卵焼きの練習から始めることにした。






 14/03/01 第五十一回 時空モノガタリ文学賞【 奇跡 】投稿

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