深林、駆けるは灰色の馬(その他)

 体を揺らす振動に、少年は目を覚ました。




 続いて感じたのは背中を包む温もりであり、背後から回された腕の細さであった。




 骨ばった腕は少年の体を両側から支えるように伸び、黒光りした太い紐を握っている。その先では筋骨隆々とした灰色の太い首が、鼻息を漏らしながら激しく上下に動き続けていた。




 尻を突き上げる律動。少年は自分が馬に乗せられていることに、まだ覚醒の成らぬ胡乱な頭で思い至った。


 


 眠気に支配された意識で周囲を見渡す。




 前方には馬の通れる程度に切り開かれた道が開け、その脇には葉を茂らせた樹木が鬱蒼と林立していた。




 景色は薄暗く、木立の奥はまるで見通すことのできない闇に覆われている。物語に登場する魔女の森のような風情であった。




 その圧迫されるような恐怖に、少年は眼前の腕を掴んだ。途端に表情が変化する。馴染みのある感触。思わず少年は背後を振り返り、そして、安心に顔を綻ばせた。




「お母さん、お母さん。ねえ、どうして僕、お馬に乗ってるの? どこか行くの?」


 


 背中への比重を幾分と増し、稚気を隠すことなく少年は尋ねる。




 少年の声は、地面を高らかに打つリズムに紛れ、森閑とした大気にあえなく消え去っていった。




 愛すべき息子の疑問に、長く艶やかな髪をなびかせる母は口を噤み、無視を貫いている。その無関心さに少年は、ねえ、と腕を握りながら幾度も問うも、母は滔々と連続する道の奥に目を向けるだけで、少年の懇願にも似た質問に答えることはなかった。少年は怯み、お母さん、と小さく呟くが返答はなく、馬の疾走音だけが、深々と静まった林に木霊していた。


 


 少年の視界。凄まじい速度で流れゆく木々。




 突然、母の背後に人影が現れる。その亡霊のような所業に驚愕した少年は悲鳴を上げ、母の二の腕に瞑目し縋り付いた。




 乗馬した影は脅える少年の横から両手を伸ばし、母と同様に手綱を握り締めた。腕力に、少年の体が圧縮される。その力強さに恐怖と同程度の好奇心を抱いた少年は恐る恐る顔を上げ、母の頭上に頂く顔貌に、安堵のため息を零した。心からの呼気であった。




「お父さん、お父さん。ねえ、お母さんが何も言ってくれないの。僕たち、どこに行くの? どこに向かってるの?」




 心強い腕に寄りかかりながら、少年は父に問いかける。その様相は必死さに溢れている。見知らぬ暗い森で母に見放された悲痛が、少年の挙動にある種の懸命さをもたらしていた。




 目尻に刻まれた重層の皴をそのままに、父は正面を向き続けている。少年の心中に焦燥が噴出し始めたとき、ふと、父が顔を緩慢に動かし、少年に視線を向けた。幼い顔が喜色に溢れる。太い腕に頬を寄せ、お父さん、と名を呼びながら、少年は父の勇壮な顔を眺め続けた。その表情が、笑顔に変わる瞬間を待ち受けていた。




 しかし、少年の願望はいとも容易く崩れ去っていく。父の様子は平常と明らかに異なっていた。瞳孔には光が無く、威容も、活力も、生命の一端を感じさせるものは何一つない。視る、という行為を無思考に行っている機械のように、少年には思えた。




 背筋を冷たいものが走っていく。馬の疾走による振動が、表情を失した二人を無感情に揺り動かしている。両親、深林に対する恐れが、少年の鼓動を早めていった。それと同時に当然覚えるはずの疑念が、心の中でゆっくりと鎌首をもたげた。




(そういえばお父さんは、いつ、どこでこの馬に乗ったんだろう? 馬は一度も止まっていないのに。さっき見たとき、確かにこの馬には僕とお母さんしか乗ってなかったはずなのに。おかしいぞ)


 


 疑惑はその存在を膨張させ続け、薄闇の中で、孤独感は蛇のように体を締め付けていく。




 冷ややかな両腕の中、少年は震えながら前を向き、道の先を眺めた。最前から目の前に伸びる道程には何一つ変化が無く、屹立する木々も、まるで同じ木を植えたかのような同一さだった。少年の目に涙がにじむ。耐え難いほどの恐怖感が体内を蝕み、痛ませ、唇を強く歪ませた。少年は母に体重を預けながら、首をねじり、悲鳴の如き声を漏らす。




「ねえ、もう帰ろうよ! 僕、お家に帰りたい! ねえ、帰ろう? お母さん。お父さ……ん……」


 


 少年の声は断裁されたかのように止まり、戦慄に濡れた視線は一点に集約される。父の、影になって窺い知れなかった首。母の傍からそれを視認した瞬間、少年の喉からは正真正銘の悲鳴が発せられ、その絶叫は果てのない深林に空しく響き渡る。黙然とする木々だけが、少年の叫喚をその幹に受け止めていた。




 危険も顧みず、少年は馬から飛び降りようと体を揺する。しかし、両側を塞ぐ二人の腕に遮られ身動きが取れず、泣き叫ぶ少年を乗せて、力漲る灰色の馬は林を疾走し続けた。




 その行き先は馬も、体温をなくした家族も誰一人知ることはなく、冷然とした土煙が、寒々とした過程に立ち込めるだけだった。






 14/02/03 時空モノガタリ第二回OC【 馬 】受賞

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