アンテリナムby三上コシカさん
見上げた時、微かに見えたその波紋に、
その中心から世界が広がっていくような気がした。
空の青さと同じで、それは気のせいでしかなかった。
鏡だらけの迷路をさ迷い、
でもそれは、時に万華鏡のように彩りを変えた。
たまに襲いくる大きな波が、
この先の天変地異を予言する。
そして許可なく私の背を叩く。
でも、その流れには抗えない。
周囲を照らす、てらいのない純粋な眼からも。
光が乱反射している。
それはまるで、はかなくも消えゆく線香花火のように。
その星の数ほどの煌めきに、
消えないでと願った私は、
チラチラとうつろう晩夏の金魚。
(引用ここまで:https://kakuyomu.jp/works/1177354054891221988/episodes/1177354054891222019)
「見上げた時、微かに見えたその波紋に、/その中心から世界が広がっていくような気がした」
「見上げた」先に「波紋」がある。しかし波紋というのは、普通は水面に映り込むものであるように思われます。つまり、どちらかといえば「見下げた」ときに立ち現われる光景です。
では、「アンテリウム」における波紋とは、いったいどのような存在なのでしょうか?
そしてそのような波紋とは、どのような語り手により見られた光景なのでしょうか?
*
「空の青さと同じで、それは気のせいでしかなかった」
空の青さという自明を、語り手はむしろ疑っています。それは気のせいなのだと。
この、さりげない切り結ばれが示唆する光景は、読み手に対してつぎに、語り手の〈座標〉、その存在の在りようを示唆します。
*
「鏡だらけの迷路をさ迷い、/でもそれは、時に万華鏡のように彩りを変えた」
さ迷うという、行為に表現された行為不能性が(どこかに行こうとして、行けないからこそ「迷う」)、万華鏡のように彩りを変えるという、美的鑑賞の視点によって昇華されています。
しかし本来、迷路をさ迷うこと、迷路に閉ざされている困難が、鏡の表面の変幻により克服されるわけではないでしょう。
というのも、万華鏡の美しさに語り手が陶然としていられるのは、まさに鏡だらけの迷路に閉ざされている困難によるものだからです。
*
「たまに襲いくる大きな波が、/この先の天変地異を予言する/そして許可なく私の背を叩く」
陶然の渦に巻かれる語り手に「襲いくる大きな波」。
どこからやってくるとも知れないそれは、予言者であるとともに、私の背を叩くような、約束された悪疫としてふるまいます。
語り手としての〈私〉が主格として明確に図示されるともに、以降の詩句ではそのような〈私〉の存在のゆらぎが語られていきます。
*
「
時間の中に生きる〈私〉の痛みが、見えざる大いなるものによって解きほぐされていく。その根拠は、〈私〉の時間感覚が収奪されたことです。
時間の只中を生きる〈私〉の、根本的な生の感覚が奪われていく。
それが痛みを融解していくのは、〈私〉の生が鏡中に閉じ込められているからです。
万華鏡の美しさに閉ざされた生の虚しさから放たれる夢想が、ここには鮮烈に描出されています。
*
「でも、その流れには抗えない。/周囲を照らす、てらいのない純粋な眼からも」
その流れ、というのが、鏡だらけの迷路、大きな波、そのようなものを指し示すことは、ほとんど自明であるように思えます。
純粋な眼、そのてらいのなさに逃げ場なく監視されているとき、その純粋さによって〈私〉の存在は、痛みから放たれる夢想そのものから、こぼれ落ちていきます。
行きつく先はどこにあるのか?
*
「光が乱反射している。/それはまるで、はかなくも消えゆく線香花火のように」
万華鏡の中に取り残される〈私〉。線香花火のように消えそうでありながら、波にさらわれる夢想に耽溺しながら、消えずに、まだ漂っている、あわいに在る存在。時間と併走する、超越者としての、純粋な眼のような、光の乱反射に取り残された存在。
そのような存在へと、〈私〉が回帰した、させられた事実が、この二行でさりげなく示唆されています。
*
「その星の数ほどの煌めきに、/消えないでと願った私は、
/チラチラとうつろう晩夏の金魚」
晩夏の金魚。金魚が夏の季語としての生き物であるなら、この金魚は死につつあるのかもしれません。夏は暮れつつあるのだから。
時間と光の中で、死に向かっていく金魚としての〈私〉。にもかかわらず、死の根本要因である星の数ほどの煌めき=光に、消えないで、と懇願する〈私〉。
*
「見上げた時、微かに見えたその波紋に、/その中心から世界が広がっていくような気がした」
「空の青さと同じで、それは気のせいでしかなかった」
見上げた空は青いが、それは気のせいでしかない。そこに穿たれた波紋、青い空の破綻から、むしろ広がっていく世界。
そのような、不気味でよそよそしい世界に在る〈私〉。そのような〈私〉の、夢想と諦念、そして死への追いすがり。
このような精神のうごめきこそが、作品がもたらした「光景」なのだと、ひとまず読み手である私は理解しました。
そしてそれは、青い空のように、表層を取り繕った破綻などではないでしょう。
「アンテリウム」には、垂れ込める雲、激しい雷雨、降りしきる雪によって変遷する天象のような、生き生きとした〈私〉の変化が克明に描出されています。
*
精神というものの根本を見せられた感覚もあり、個人的にも他山の石としたい作品でした。
ありがとうございました。
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