第2話 カフェ・ノルディックにて

 翌日は雨だった。駅前に行くために諸々の準備を整えて、ついでに母から頼まれた買い物メモの写真を撮って外に出た。

 駅前までは、家からほんの十分、十五分の道のりだ。


 実家近辺の歩きなれた道は、けれど建て替えや引っ越しやらで家や商店がところどころ入れ替わっていて、一抹の寂しさと目新しさを覚える。

そんなことを考えているとほどなくして待ち合わせのカフェが見えてきた。


 カフェ・ノルディック。駅前にありながら大手コーヒーチェーンがひしめく駅前で生き残っている個人経営の店だ。

 特徴は複数種類のパンケーキとアイス、それからそれらのスイーツメニューとのとり合わせがメニューに描かれた各種スペシャリティ珈琲である。

 生き残っている店の常として、近所の人たちの憩いの場にもなっている。

 店内は間接照明を取り入れたモダンなデザインで、あまりノルディック、ヴァイキング感はない。多少の北欧感はある。


 扉を潜ると、温かな間接光と、私が子供の頃から変わらないように見える細身で白髭白髪のマスターが出迎えてくれる。


 店は地下一階にあって、入ってすぐの正面左手から右奥まで伸びる真っ白なカウンターが十四席。それから店に入って左手奥の方に三和土がある。

 その上に四人用のテーブルが四台あり、よく小母様たちが羽を伸ばしている。


 カウンターは一席空けでぽつぽつとカップルが座っていた。この店のパンケーキやアイス・パフェが頻繁に雑誌に載るようになって久しい。

 案の定、アルバイトの子がパフェを出すと、即座に女性も男性も携帯を取り出してぱしゃりとそれを写真におさめている。


「ゆかり姉」


 耕太は、左手の方、三和土の奥のテーブルに座ってパフェを食べていた。

 相変わらずの呑気そうな表情にひとつため息をついて、耕太の方へと向かう。


**


 耕太の向かいに腰を下ろして、注文を取りに来たマスターにホットココアを注文すると私は耕太へ向き直る。


「で、まずなんだけど。あんたはなんでいきなり私に職を斡旋しようとしてくるわけ」

「ゆかりちゃんひどいなぁ。僕とゆかりちゃんの仲でしょ」


 にこやかな笑みを浮かべながら耕太は肝心の理由を言おうとはしなかった。


「まあ、いいけど。あんたが私に勧めてくるってことは、私に不利益な内容ではないんでしょ?」

「うん、そうだね。まあ、後は単純にゆかりちゃんの顔を久しぶりに見たかったからかな」


 笑顔から一転、寂しそうな顔でこちらを窺う。雨に濡れた子犬みたいだ。

 そんなことを思いながら、確かに久しぶりに顔を合わせるのは事実だ。


 耕太と私は過去、現在共に付き合っていたことはない。

 ないが、社会人になってすぐの頃は元々実家同士が近かったこともあり、当時この今いる喫茶店の付近のマンションに一人暮らしを始めた私は呼べばすぐ来るので力仕事やら、一人でご飯を食べるのが寂しい時にはよく呼んだものだった。


 耕太の方も耕太の方でちょっとした頼みごとを私に持ってくることも多く。なんならそれは中学高校時代から行われていた。

 耕太の友達の為に、合コンをセッティングしたことも一度や二度ではない。


「そういうのはいいから」

「じゃあ、本題に入るよ」

「どうぞ」

「電話でも言ったと思うけど、うちの会社が管理職相当で調達担当者を探してるんだ」

「私も電話で言ったと思うけど、営業畑しか歩んできてない私に調達業務は出来ないわよ」

「うん、それはまあそうだろうとは思う」


 耕太に笑顔で肯定されるとちょっとむかっときた。

 そんなに人材不足でもあるのだろうか。


「なんで、そんなにあたしにオファー出してくるのか、いまいち理解できないんだけど」

「それもそうだろうなって」


 確かに説明不足だったね、なんてことを嘯きながら、耕太は私よりも大きくなった手を肩と水平になるまで上げて三本指を立てた。


「理由は大きく三つかな。まず一つ目、会社がちょうど人を募集してて、ゆかりちゃんが失職してなんていうタイミングはもうこれ紹介するしかないでしょというタイミングと、ゆかりちゃん弊社に風土にあいそうだなってがあるよ。俺、ゆかりちゃんなら自信をもって推薦できるしね」


 納得感のある理由だ。中の人の紹介があった方がスムーズにいきやすいというのは道理でもある。

 だから、無言で次の理由を言うように促す。


「ニつ目。弊社の調達業務は、圧倒的にとは言わないまでも相当に強い立場で業務を推進できる。で、そうなるとネゴシエーションとか実はきちんとできる人があまり多くいないから、泥臭い交渉が出来る人がほしいんだ」


 調達業務というのは、要するに何かを買うという立場だ。だから、なにかを売るというセールスよりも強い立場というのはわかる

 しかし、それにしても泥臭いと来たか。まあ、いいけど。


「で、最後の三つ目は?」

「信じてたから」


 耕太の言った最初の方の言葉を上手く聞き取ることができなくて、私は聞き返した。


「何を?」

「ゆかりちゃんが、小学校高学年まで信じてたから」

「だから、何をよ」

「サンタクロース」


 サンタクロースときたか。ただ、耕太の表情はいたって真面目で、くるっているようにも酔っぱらっているようにも見えない。


「なんで?」

「え?」

「なんで、サンタクロース? 物流局と関係あるの?」


 耕太は顔に手のひらを当てて天を仰いだ。まじか、とか、ここまでピュアかよとかイラっとくる言葉がぼそぼそとつぶやかれる。

 ややもすると、こちらに向き直った耕太が少しだけひきつった笑顔で口を開く。


「まさか、そこからか、とは思わなくて。ごめん」

「ごめんというか、意味が分からないんだけど」

「そうだよね。我、求む、説明みたいな感じだよね」

「さっさと説明してよ。というか、あんた仕事は? ぐずぐずしてていいの?」


 今日は平日だ。耕太も昨日言っていたようにニートの私ならともかく、目の前のこいつは絶賛仕事中の筈ではないだろうかと訝しむ。

 初めはこの近くにでもオフィスがあって、お昼の時間が調整してここにきているのかと思ったが、すでに一時間は過ぎているのに焦る気配がない。


「ゆかりちゃんを弊社にくどくのが今の時間の仕事だからね。失敗しても成功しても」

「ふーん」


 半官半民の物流局にしてはずいぶんと懐の深いことだと思う。


「サンタクロースいるじゃない」

「いないでしょ」

「いやまあ、概念として知ってるよね」

「まあ、それはね。というか、あんたにばらされたんでしょ。私が小学校6年生だか5年生の頃、サンタはお父さん、お母さんだぞって」


 頬をぽりぽりとかきつつ、あの時は俺も若かったよと言って、耕太は視線をそらした。


「まあ、ゆかりちゃん、実は抜けてるところがあるの知ってた。今日はね、それ嘘だからっていいに来たんだ」

「嘘ってなにが、サンタが?」

「そうそう」

「あんた、アラサーをからかって嬉しいの?」

「いや真面目、大真面目。これ仕事だし」

「サンタが?」

「いやー、いまさらだけどさ。サンタの正体って、だいたいは弊社なんだよね。サンタクロースの正体は、なんと国際物流局でした!」


 大げさにお道化る目の前の男にパンチをしたくなったが、すんでのところで取りやめる。代わりに目いっぱいの不機嫌な感じを込めて、一言告げた。


「は?」


 しかし、そもそも突然何を言っているのだろうか。この男は。


「わたしらアラサーでしょ、今更何を言っているのよ。サンタさんの正体は各御家庭のお父さん、お母さんでしょ」

「まあ、それはラストワンマイルというかラスト十メートルくらいの話でしょ。不思議に思わなかった? 自分がほしいものをくれるなんてサンタさん流石って思ってたのに、その正体がさ、親父やお袋なんだって気づいたとき。なんで、じゃあ分かったんだって?」


 そんなの、うちの家庭ではわかりきった事だった。


「子供だから、サンタさんになに頼むのって、ほしいもの聞かれたら。言ってたからよ」


 私の回答にしばし、耕太はあぜんとしたように表情を固める。

 しばらしくして、こほんとひとつ咳ばらいをしてごまかすように話し始める。


「まあ、なんというか。素直だね、ゆかり姉」

「いちいち、話す前や直前の会話をなかったことにしたいときに咳払いするのじじむさいわよ」

「まあ、そういう日々のクレームは今日じゃなくてもっと心穏やかな時に聞くよ。今はサンタだね」

「あんたはどうなのよ?」

「俺はある年代からは親には一切言わなかったよ。でも、ほしいものは届いた」


 おちゃらけた表情から、すこし真剣みを帯びた表情へ。

 耕太は昔から通り雨みたいに突然泣き出し、突然泣き止むような子供だった。いまもその性質が残っているのか、表情の切り替えがとても早い。


「気づかないうちにいってるんじゃないの? それ」

「うん、その可能性もあると思う。でもさ、ある時思ったんだよね。違う人に全部違うこと言ったら俺の本当に望むものは来るのだろうかって」


 そして、耕太は子供の頃から明朗快活ながら、どこか頭の使いどころが変にひねくれているところがあった。

 これもそういうことだろうか。

 とはいえ、興味深いことに変わりはない。たしかに、その時何が来るのだろう。耕太の親と私の親は近しいから私に欲しいと言ったプレゼントの内容が筒抜けて伝わったのか。そうではないのか。

 よく考えてみると、子供の頃のほしいものなんて、日々日々移り変わっていったような気もする。その場合はプレゼントをお父さんお母さんが買う直前に特に強くいっていたもの、といった具合になるのだろうか。


「それで、子供の頃のあんたにとってその結果はどうだったの?」

「うーん。それがよく分からないんだよね。勝負には負けたけど、賭けに勝ったみたいな?」

「ここまで、話を持ち上げておいて、オチもないんかい」

「小四の時ね。その実験やったの、小四の時のクリスマス覚えてる?」


 小学校四年生のクリスマスはよく覚えている。サンタさんと両親にそれぞれ、最新のゲームハードとダウンロードコンテンツをお願いしたのだ。

流石にダウンロードして遊ぶタイプのソフトをサンタクロースに頼むのはおかしいと思うだけの分別はあったのだろう。

 ちなみに覚えているのは、ゲームハードをゲットしたのとスノークリスマスだったからだ。

 翌朝、耕太の家にコンテンツをダウンロードしたゲームハードを持ち込んだことを覚えている。

 冬休み期間なので、家にいた寝ぼけ眼の耕太と遊んだ記憶を覚えている。


「あの頃、男女の区別がでてきた頃であんまりゆかりちゃんとべたべたするのもあれだなーと思ってたんだよね」

「なにそれ、あんたにそんなデリカシーのかけらみたいなものあったっけ?」

「あったよ。だから、嬉しかった」

「私があんたの家を訪問したことが?」

「あの頃ってさ、男から話しかけるのはなしだけど、女子からならありみたいな空気あったでしょ」

「なにそれ。あの時、あんたなにをもらったっていってたっけ。んー、だめだな。思い出せない」

「まあ、いいじゃない」

「途中まで話しておきながらそれはないんじゃないの」

「いや、これあくまで余談だから」


 それから耕太のここは好きなものを頼んでいいよという露骨な話題そらしにのることにした。

 メニューの中から私がこの店に来た時にいつも頼む定番メニューであるアイス・パフェをきなこ餅トッピングでオーダーする。ついでに頼むのは、アイスココアだ。


「でも、意外だったな。ゆかりちゃんが素直に来るとは思わなかったから、もっと渋るかと思ってから、いろいろ考えてたんだけど」「なにそれ、怖いわね」

「まあ、結果よければすべてよしかな」

「まあ、そこまでしてあんたから言われたら興味も出てくるでしょ」

「それにニートだしね」

「余計な事をいうな」


 話をしていると丁度オーダーが運ばれてきたので、口の減らない目の前の男を尻目に、頼んだアイス・パフェを一口食べる。


「ココアとパフェとか、ニートになってから外にあんまりでてないんでしょ。太るよ」

「うっさい」

「ちなみに履歴書とかもどうせゆかりちゃん持ってなさそうだから。説明会に持っていってね」


 そういってノースフェイスのリュックサックから、茶封筒を取り出してくる。中に入ってくる紙をそのまま流れるように耕太が出すと、それは履歴書や説明会の日時を記した資料だった。

 ざっと説明会についての資料を流し読みする。とはいっても、開催日時や集合場所、説明会のプログラム概要。そんなことくらいしか書かれていない。


「て、これ開催日は再来週じゃない。まだ時間あったでしょ」

「ゆかり姉。物事には手続きがあるんだ。再来週に説明会があったら、その前日に書類を出せばいいってもんじゃないんだよ」

「まあいいけど。書けばいいの?」

「説明会の紙に事前にレジュメか履歴書をお持ち下さいってあるでしょ。そこに乗っているURLのフォーマットを入力して印刷するか、この履歴書を書いて持っていってね」

「今時、こんなんコンビニプリントで一発でしょ」

「意外だな。ゆかり姉、鳩居堂とか榛原の便箋とかで手紙書く人じゃなかったっけ?」


 確かに大学の入学祝でウォーターマンとペリカンの万年筆を贈られて以来、私は文房具のファンになった。あまり物書きなどをしない人間だったのに、書き心地のよさと万年筆を遣っていると大人の仲間入りをできたような気がして、大分喜んで使い始めた。

 取引先にを引き継ぐ際には、先ほど話題に上がった文房具の専門店できちんと便箋を購入して、お別れの挨拶をしたためて渡すことにしている。なので、文房具への拘りは趣味と実益にかなういい趣味だといまでも思っている。

 ただ、なんでもかんでも文房具で直筆でということに拘っているわけではない。そこは自分なりに培ってきた線引きというか、とにかくそういうものがあるのだ。


「私の中で、赤の他人とお世話になってる取引先は違うの」

「ふーん。まあそこはゆかりちゃんにお任せということで」


 とはいえ、私のこのこだわりは耕太には通じない。わかりようにもわからないのだろう。例えば大学の講義などを例にとれば、私はお気に入りの文房具で念入りにノートを作るタイプで、一方で耕太は一々メモをしたりするよりも板書やスライドの写真を一枚撮って済ますタイプという違いになる。


「じゃあ、それも渡したし。俺はそろそろいくよ」

「あっそ。そういえば、お母さんが少しもっていってあげなさいって」


 そう言って、私は母から託されたパックに入った煮物類を渡す。


「お、ありがとう。ゆかりちゃんのお母さんの煮物美味しいからね。お金はここに少し多めに置いておくから、じゃあまた」


 耕太は風のようにさらりとさってしまった。私は、耕太の置いていった残金を見て、ハニート―ストとほうじ茶を注文した。


 そうして、雨の日の午後はゆるやかに過ぎていく。

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