第1話 幼馴染からの電話

 久しぶりにかかってきた年下の幼馴染からの電話は、私がニート状態になったのを見計らったかのようなタイミングできた。

 寝ぼけ眼でみた携帯画面の時間は朝八時。今日は火曜日で平日なので、本来だったらもう家を出ている時間だろう。

 でも、昨日から私は晴れてニートになったのだ。

 惰眠を貪っていても、文句を言われる筋合いがない幸せな時間を奪われることに憤りを感じつつ、電話に出た。


「もしもし」

「お、起きてたね。ゆかりちゃん久しぶり」


 底抜けに明るい声。寝ぼけ眼の私の頭にガンガンと鐘の音のように響く。


「耕太。なんでこんな時間から電話してくるのよ」


 目元をしばたかせながら、自分でも驚くほど不機嫌な声を出す。ニート二日目にして、長年培ってきた私の平日のリズムは崩れ去っているらしい。


「こんな時間て、平日の朝八時だよ」

「あんた、もしかして小母さんから聞いたわね」


 耕太の母と、うちの母は町内会の活動やら、百貨店の総菜売り場のパートやらでなにかと接点が多く、海外旅行にも行くくらいに仲が良い。

 私が昨日からニートというのは、母には一応報告してあったので、そのルートから情報が駄々洩れになっている可能性は否めなかった。

 そんなことを考えながら、気の置けないやり取りをしているお陰か、脳が起き始めたので携帯を持ちながら台所に向かう。

 中からミネラルウォーターの一リットルボトルを出してそのまま口をつけた。


「そうだよ。ゆかりちゃん。昨日からニートでしょ」

「人から言われると腹たつなぁ」


 自分で今の状態をニートというのは、なんとなく働いている人への優越感を感じる一方で、人から言われると腹が立つというのは新しい発見だなと思いつつ、ペットボトルを仕舞う。

 そのまま携帯電話を持って洗面所へ歩く。


「で、あんたはなんで電話してきたのよ?」


 サイドチェストに携帯電話を置いて、スピーカーモードに変えて耳元でなくても聞こえるようにしてから顔を洗う。意識がよりしゃっきりとした。


「ああ、それなんだけどさ。ゆかりちゃん」

「早く本題に入れ」


 もったいぶる幼馴染の様子に、こいつ私が暇になったからって、何かやらせようとしてるなとあたりをつけつつ、話を促す。


「うん、それなんだけど。次の就職先の宛てはある?」


 聞くと、想定していたことからは離れた意外な話題だった。


「耕太。あんた、まさか。私に就職の斡旋でもしようとしてるの?」

「お、さすがだね。感が鋭い。その通りです」


 やはり、就職の斡旋をしようとしてるらしい。


「あんたって、いま国際物流局だっけ」

「お、覚えてくれてた。そうそう、そこにスカウトしたいなって」


 国際物流局。それはなんともいえない想い出ともつかない記憶のある場所だった。

 それは、昔のバイト先だったから。

 私はもともと、正義感が人よりも強かったのだと思う。曲がっている事が絶対許せない。そこまではいかないけど、思った事を比較的口にするタイプだった。


 そんなことを言うと、どちらかというと功利主義じゃないの。そう仲のいい友人からは言われていた。

 たぶん、どちらかといえば数字やグレードを積み上げるのが好きだったのだ。テストの点数、偏差値、ソーシャルメディアのフォロワー数、被お気に入り数、ショップカードの会員クラス。


 新卒で外資系のセキュリティソフトウェアのセールスになった私は様々なコンペに参加したり、先輩社員について提案を行ったりしながら数年を過ごした。

 日本の企業のCクラスが考えるのは、競合他社がやっているセキュリティの中間くらいでいい。そういう横並びな意識だった。


 大学はストレートで卒業しているから今年でついにアラウンドサーティーに足を踏み入れる。

 ジョブヒストリーは初めのセキュリティセールスで三年、MRで一年。

 これくらいだったらジョブホッパーと呼ばれる人種ではないと思うものの、仲のいい友人からは何でそこまで転職を繰り返すのかを聞かれた。


 やりたいことを探して転職しているのではない。はじめのセキュリティ営業の会社は、外資系の企業で日本法人が一00名足らずという事もあり、部署の新設と解散が頻繁にあった。私自身はそこそこ以上に制約件数もそれなりにあげていたが、私のいた部署はそもそも中堅企業から大手企業未満という売上高が一千万を越えて、五千万円に満たないゾーンを対象にしていたがそのあたりの企業のセキュリティに対する食いつきが悪かったのだ。

 面と向かって、虚業でお金を稼ぐのは僕は好きじゃないなぁとのたまう社長もいた。内心でははらわたが煮えくり返るどころか、それを通りこして無我の境地にいたっていたものの、外面ではとびきりの笑顔を浮かべて、丁重に挨拶をして帰社した。

帰りの電車の中で、頭を抱えたのは言うまでもない。別に売り上げが上がらなかったのはよいのだけど、なんというか意識が終わってるわというところに疲れてしまったのだ。


 そんなこんなだったので、ある月の初めに来週部署の全員を集めて会議を行うと告げられた時、なにか悪い変化があるなというのは明白だった。

 私達のサラリーはインセンティブが七割だったので、インセンティブの減少かボーナスの減少か、ストックオプションの減少か。どれがくるかを同僚たちと話し合ったりもしたものだった。


 けれど、当日やってきたのは部署の解散であり、同じ部署にいた新卒社員ニ名を除く全員の会社都合による解雇通告だった。

 その時の気持ちは、ああやっぱりというものと、そこまでひどかったかという気持ちがないまぜになったもので、ストンと腹落ちするというか、納得した気持ちになったことを覚えている。

 どちらかというと、かなりすっきりしたのだった。


 そのあと、MRをしていたのはMRが営業らしい営業だったといえるからだろうか。

 薬剤についても多少なりと勉強して、医師に採用してもらう。影響力のある人を落とせれば、その傘下の医師会の構成員にも影響を及ぼすことが出来る。

 私好みと言えた。


 そこを辞めたのは、国際的なメガファーマの統廃合で外資系グローバルファーマに所属していた日系企業が買収されてしまい、いわゆる選択と集中とやらで早期退職者を五割増しの退職金で募集していたからだった。

おかげさまで、今までの分と併せて七桁万円の貯金を手にした私はそれで晴れてニートになって、羽を休める為に実家に戻ってきている。

 二十五を過ぎて実家に戻るとゆかりちゃんはいつお嫁に行くのというのが時候の挨拶と化している近所の小母様方との遭遇は避けられないが、しばらく充電期間が必要だった。


 まあその話はいい。今は、耕太の話だ。

 前回転職するにあたって活用させてもらった転職エージェントに既に連絡はしているが、話半分でも聴いておこうと思った。

 耕太は意外と昔から得になる話をもってくることも多い。


「物流局ってあんた、私は営業畑をしてきた人間だから、大分畑違いなんだけど」

「それは知ってる。ただ、営業畑の経験がある人がほしいってうちの部長がね」


 耕太の話しぶりを聞くに、どうも私的な紹介というよりかはコネ入社の斡旋のような匂いを感じて不思議に思う。


「なにそれ。正式なリクルート活動ってこと?」

「正式なやつかな。ゆかり姉さえよければ、俺の方で推薦ていう形で人事の方に書類出せるんだけど」


 懐かしい呼び名だ。耕太が子供の頃は町内会の山車を回って、お菓子をもらう時などにゆかり姉と呼んで、くっついてきたものだった。

 その頃から人当たりがよかったので、地元でも耕太の評判はいい。


「話が急展開すぎてわけわかんないんだけど」

「まあ、言いたいことは分かるよ。でも、ゆかりちゃん、わくわくすることを仕事にしたいって前言ってたじゃない」

「言ったかもね」

「うちの仕事はわくわくできると思うよ。前にバイトしてたから少しは勝手も分かってるでしょ」

「バイト、まあしてたけどね」


 大学生の頃、アルバイトというものを経験してみたかった私は厳しかった母にもらえたアルバイト先は家庭教師と郵便局、国際物流局の三つだけだった。


 私大の中でも最難関と呼ばれる大学に合格していたお陰か、家庭教師の口はいくつもあったので、その中から女の子相手のものを選んでやっていた。


 そもそも大学生になっても門限があったので、そのほかの業態はやりづらかったということもある。

 それ以外にはいらなくなった不要物や古着をフリーマーケットアプリで売ったりもした。


 ただ、面倒を見ていた子達の三人中ニ人が指定校推薦で合格してしまったので、一部の子を除いて家庭教師が終わってしまったのだ。

 年度途中から新しい子の面倒を見るというのも微妙だと思ったし、郵便局のアルバイトは時給面でも業務面でもあまり魅力的には感じなかったので、母の選んだ中で最後の選択肢―国際物流局という所の面接を受けに行くことにした。


 そこでは、近所の小母さまたちが手をすごい速さで動かしながら、会話をしていた様子を思い出したのだ。


「奥村さんちのお子さん、お母さんからのリクエストがミニピアノになってるけど、あの子、うちの娘と仲良くて本当はシルバニアファミリーの新しいセットがほしいみたいよ。リクエストに現場の意見を追加しとくわ」


「田中さんの家は、いまあそこの奥さん。入院中でしょ。だから、リクエストが来てないのね。誰かわかる人いる?」

「うちの息子が登校班同じだから、それとなく聞き出すように仕向けるわ」

「ありがとう、いったんこれ保留にしとくわね」


 かつてアルバイトの面接を無事に通過して、職場を訪れた初日の様子は、いまも目に焼き付いている。

 流れるようにやりとりがされていたそこは、知ってる近所の小母様や知らない小母様たちが、口も手も高速で動かして、パソコンに向かって作業をしていた記憶が鮮明に覚えている。


「あの時は、下っ端も下っ端だったから覚えてるとかはないわよ」


 牽制球を出しつつ、内心では興味か無関心かのバロメーターでいくと三十パーセントくらいは興味があるに上昇していた。

 電話を受けて切り出された時点では十パーセントに満たなかったので、まあまあの上昇幅といえる。


「それでもいいよ。とにかく一度話を聞いてみてほしい。どうせ、今暇でしょ」

「暇は暇ね」

「リクルート予算に関連付けて、経費で落とすからさ。コーヒー飲みに出てこない?」

「ちょっと待った。それ、今日の話?」

「今日でもいいし、明日でもいいよ」

「なんで、そんな急なのよ。話を持ってきてから即日って、あんた」


 相当な人手不足か、あるいはそれに近しい状態か。ちょっとどころではなく、怪しい。


「善は急げっていうじゃないか。ゆかりちゃん、案ずるより生むが易しだよ」

「今日は溜まってたドラマ見る予定だから、明日ね」

「オーケー。明日だね。じゃあ、駅前のコーヒーショップで十四時に待ってるよ」

「また、急だわね」

「それじゃよろしく」


 ちょっと、と言いかけた時にはもう電話は切れていた。

 はぁとため息をつきながら携帯をベッドサイドに放ろうとすると、ご丁寧にlineでも明日の待ち合わせについての情報がメッセージとして送られてくる。

 私はもう一度画面を見ると、既読をつけずに、携帯を放り出した。

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